1章 忘れ形見のラブレター
バスを降り、電柱に張られたプレートを頼りに歩くこと三十分。市街地と比べ田畑が増え、瓦屋根や縁側がある一軒家など少し古い様式の家が目立つようになってきた。押し車をひく老女や自転車に乗る老人とすれ違いながら、目的地にたどり着く。
「来たわね」
シャッターが閉まった店の前で立っていた人物がこちらを向く。僕は思わず足を止めてしまった。
「えっと――狩屋さん?」
彼女の目がすっと細くなる。
「それ以外に誰がいるの」
氷のように冷たい声。しかし、たたらを踏んだ僕の気持ちも考えてほしい。
――どう見てもわからないって。
記憶にあったツインテールは縦ロールに変わり、全身を黒一色に染めている。ドレスのような服は、一見メイド服のようにも見えた。白い足は黒いストッキングに染められ、顔と両手以外肌は出していない。袖口はフリルで飾られ、鎖骨から首にかけたレースは、少し艶っぽさを醸し出していた。喪服を着た令嬢と言われてもしっくりくる。首につけた黒いチョーカーが、彼女の華奢さを強調させた。左目の泣き黒子が、彼女を狩屋結生だと証明する。
「おじさんには、私以外の誰かが見えているわけ?」
彼女の嫌味を黙って受け流す。何を言っても火に油を注ぐ気がしたのだ。どうやら対処法としては間違っていなかったらしい。
「まあいいや」
彼女は興味を失った猫のようにふいっと顔を逸らす。
「あと、私のことは狩屋と呼ばないで」
「じゃあ、何と呼んだら――」
「おじさんの好きに呼べばいい」
ならば苗字で呼んでもいいじゃないか。
言葉にできない不満が、泡のように浮かんではじける。彼女はそんな僕の不満などお構いなしに、シャッターが閉じて久しい店とブロック塀の間にある小道を進む。自転車か徒歩じゃなければ通れないような道だ。砂利道は雑草を生やし、太陽を浴びてぐんぐん成長している。そのうち道を覆いそうだ。
小道はそんなに長くなかった。二階建て一軒家が僕らの前をふさぐ。小さいながらも庭があったようだが、草だらけでその全貌は伺えない。雨戸が閉められ、ポストにたくさんのチラシがあふれている。どうやら住んでいる人はいないらしい。
結生は肩から下げた小さい鞄から何かを取り出すと、玄関に刺した。かちゃりと音が鳴る。横にスライドさせるタイプの玄関だ。遠い昔の記憶にある祖父母の家を思い出す。
結生はそのまま家の中に入った。僕も慌ててあとに続く。
「ちょ、待ってください」
僕は小声で彼女を呼び止める。鼻を突く他人の家の匂い。誰もいない家に勝手にあがりこむのは、なんとなく後ろ髪を引かれる。
「もう何」
彼女は面倒くさそうな声を上げて振り返った。昭和を思わせる日本家屋に西洋人形のような格好の彼女がいるのは、和洋折衷というにはあまりにもちぐはぐだ。
「その、勝手に入っていいんですか」
視線を泳がせながら尋ねれば「当たり前じゃん」と彼女は言う。
「ここ依頼人の家。だから鍵も持っているんじゃん」
なんというか、彼女は言葉が足りない。僕は額を押さえそうになる手を必死で押さえる。
「えっと、じゃあここで捜し物をする――ってことですか」
結生は「そう」とだけ返す。雨戸が閉まっているため、室内は暗い。玄関から延びる廊下は、今にも何かが飛び出してきそうなおどろおどろしい雰囲気がある。
「あの、何を探すか教えてもらっても」
尻すぼみする声をかき消すように「手紙と日記」と彼女の形がいい唇が紡ぐ。
「依頼人の母親の遺品だって」
僕は少しだけ引っかかりを覚える。親子ならわざわざ他人を通さなくてもいいだろうに。
しかしすぐに野暮なことだと思い直す。家族のあり方は千差万別。一概にこれと決め込むのはよくない。
とりあえず、依頼人が求める物を探せばいい。報酬も出るみたいだし、これはちょっと特殊なアルバイトなのだと思えばいい。
しかし、と僕は眉をひそめる。ポルターガイストを引き起こす体質がどうして物探しに向くのか、まったくわからない。
ここは彼女の指示に従った方がいいだろう。
僕は玄関で靴を脱ごうとして二の足を踏んだ。亡くなって時間が経っているのか、物は綺麗に整理整頓されているものの、家の中はうっすら埃が積もっている。天井には細い蜘蛛の糸が招く手のように揺らめいていた。
ここを靴下で歩くのは勇気がいる。しかし無い物ねだりをしてもしょうがない。その点さすがと言うべきか、結生は使い捨てビニール靴カバーを準備していた。それを履き、玄関をあがった結生は、鞄からスマホを取り出し何やら操作を始める。ぴろん、と場違いなほどの明るい音が転がり「あのちょっと」と僕は彼女を呼び止めた。
「今度はなに」
呆れと苛立ちの混ざった声が向かってくる。僕は、ジーンズで両手の汗を拭って言った。
「さすがに――録画はまずいんじゃないですか?」
「なんで?」
僕は一瞬言葉に詰まる。よく、価値観や常識が大きく異なると苦労すると聞く。今、その意味を身を持って実感した気がした。
「ぷ、プライバシーの侵害です」
「死んでいるんだから関係ないじゃん」
み、身も蓋もないことを――!
「せめて、依頼人の許可を得てからじゃないと。動画配信はいろいろとシビアな面が――」
「何を言っているの?」
釘を刺すような声に言葉が途切れる。
「私、配信なんかしたことないけど」
「え、じゃあなんで」
彼女は一瞬口を閉ざす。そして。
「家録を見るのに必要だから」
と言った。
かろく? なんだ、それは。
「ともかく! 依頼をこなすには必要なの! いろいろ言わないで」
きっとこれがマンガならば、僕の頭の上にはハテナマークがたくさん浮かんでいたに違いない。しかし、完全に機嫌を損ねてしまった彼女は、黒髪を優雅になびかせ、家の中をずんずん進んで行く。
帰りたい。
華奢な背中を見つめながら思う。どうして僕はここにいるんだろう。必要ないんじゃないかな、と思っていると「何しているの、おじさん」と結生が呼んだ。
おじさんって呼ばれるほど老けてはないけど、と口に出来ない言葉を飲み込む。
僕は仕方なくそのあとに続いた。