5章 兄の行方 1
「おじさん、今日の晩ご飯オムライスがいいな」
「一昨日作ったばかりですよ!?」
「いいじゃん。本当は毎日作ってほしいけど、そう言わないんだから」
言ってますよというツッコミは、心の中でさせてもらう。
狩屋邸を訪れてから約半年が過ぎた。
僕自身、結生が目覚めたらさっさと出て行くつもりだったのだが、久々にぐっすり寝たせいか起きたのは午後二時。慌てて一晩の礼と非常識な時間まで寝てしまった非礼を詫びるが、結生はそんなことどうでもいいと言わんばかりに「あのオムライス、おじさんが作ったの?」とその一点だけを執拗に尋ねてきた。
さすがに「あなたの兄に教えてもらいながら作りました」とは言えず、「まあ、作ったのは僕です」と言葉を濁しながら答えれば、「帰る場所もないんだからここにいないさい」と引き留められ、三日に一度のペースでオムライスを作らされている。
おかげで料理の腕はあがった。――オムライスだけ。
「そういえば、この前依頼を受けた方からお礼のメールが来ていましたよ」
「そう。あとで確認しておく」
冬の間に三件の依頼があった。家族写真の在処や借りている本のある場所など、すべて物の行方を探してほしいという内容だ。特別変わった依頼でもなかったので、すんなり解決できた。
最近依頼が増加傾向にあるのは、僕がホームページを改善したことも大きいだろう。
住み込みの秘書のようだと僕自身は思っているのだけど、彼女はきっとそう思っていない。世の中には便利すぎる日常ロボットアニメが長寿番組として今も放送されているくらいだ。さすがにあそこまで便利ではないが、居候の身として共感する部分はある。
ポルターガイストが起きない家はここしかない。僕が普通の生活を送れるのは、結生の厚意があってこそだ。もし出て行けと言われれば、僕は抵抗せずその言葉に従う。それが道理だろう。
――あの高級旅館で過ごす時間もよかったけど、やっぱり何も起こらない場所の方が落ち着く。
季節は五月。荒れ放題の庭をある程度見栄えのいい形に整えたのは先月のことだ。木々の緑が日に日に濃さを増し、吹く風に爽やかな気分を感じ始める。ここは人よりも自然と距離が近い。家の裏が小山だからだろう。
さて、オムライスにするなら卵は残っていただろうか。
立ち上がって冷蔵庫を開けたとき、着信音が響いた。
僕の携帯ではない。
「珍しいですね。笹本さんから電話してくるなんて。協力要請ですか」
結生がそう言いながらスマホを耳に当てる。
家解氏である狩屋家は、代々その力を国のために使ってきた。ただ、千景が行方不明になり、家解氏でなかった結生だけが残ったため、狩屋家という家解氏は消滅したという扱いになっているらしい。
「その方がいい」
たまに姿を現す千景が、そう言葉をこぼしたのを思い出す。
「笹本には悪いが狩屋は滅んだ。それでよかったのに」
「でも、それも撤回されようとしているんですよね?」
僕がそう言えば、睨み返された。さっき自分で言っていたのに。
盛大なため息が吐き出される。
「本当はあんたから笹本に働きかけてほしいけど、まあ俺もそこまで無茶は言わない」
言っていますけど、と思ったが口には出さない。僕もその辺の処世術は身につけている。
「あいつはこの家のことをよく知っている。だから、そう簡単に狩屋が家解氏として復帰することはないだろう」
ただ、それでも不満はあるのか彼の目元は険しい。
どうしてそこまで気にする必要があるのか、僕にはさっぱりわからない。ただ元に戻るだけ。それだけじゃないのか。
電話しながら出て行く姿を眺めながら、そんなことを思い出す。
まあ、警察の協力を受けるようになったら、現場に行くのは僕も同じだ。熟練の職人道具よろしく、強制的に連れて行かれる。
先日、母から電話があった。
「今はどこにいるの?」
母からすれば天気を尋ねるようなものだろう。どうせ決まった答えが返ってくると思い込んでいる。
そこまでわかっているのに、僕はとっさに嘘がつけなかった。しかも間が悪いことに「お風呂空いたよー」と結生が扉を開けて入ってきた。
「電話中か」
そう言って出て行ったものの、電話の向こうは沈黙のまま。僕は頭の中が真っ白になった。
次の瞬間。
「ちょっとカナト! 今の声誰? ネットカフェとかカプセルホテルにいるんじゃないの?! 彼女? 彼女ができたのね? 一体いつ、どこで!」
電話を耳元から離していても、マシンガンのように飛び出てくる言葉。それだけで僕はすでに満身創痍だ。
これはいつになったら電話が切れるだろうか、と半ば睡眠時間を諦めたとき、息つぎする間もなく続いていた質問がぷつんと途絶えた。真っ黒になったスマホ画面には、バッテリー切れが表示されている。
半分くらい充電が残っていたはずなんだけど。
普通なら換え時なのだろうが、金がないという切実な事情のため、騙し騙し使っている。それが、あの防御不可の攻撃を止めたのだと思うと、物事に無駄はないのだなとしみじみしてしまう。
――まあ、後が怖いけど。
僕は髪をぐしゃぐしゃっとかき乱す。
うまい言い訳を考える時間が得られたと思えばラッキーだが、正直その言い訳が考えつかない。
バイト先の人の家に住まわせてもらっているなんて、普通ありえないもんな。
同性で年も近ければあり得るかもしれないが、その真逆なのだから余計信じてもらえそうにない。
まあ、僕がこの家を出ていけばいい話なんだろうけど。
それができそうにないのだから困っている。人をダメにするクッションの家バージョンなのだ、ここは。
リビングに戻ってきた結生は、スマホの画面を深刻そうな表情で眺めている。どうやらいい話ではなかったようだ。
こういうときは、下手に刺激しない方がいい。
僕は冷蔵庫の前で息をひそめる。しかし、結生の視線はまっすぐこちらに刺さる。
「ねえ、おじさん」
いつもと違い、その声音は堅い。つられて僕も身をこわばらせる。
「少し付き合ってほしいんだけど」
「依頼ですか」
そう尋ねれば、結生は頭を左右に振る。依頼ではない。ならば何か。美味しいオムライスの店に一緒に行ってほしいとか? いやいや、まさか。
「依頼じゃないから報酬は出せない。だけど――ついてきてほしい」
口では僕を道具扱いしているが、根はそこまで悪い人ではない。だから僕は今でも彼女に協力する。協力と言っても、ただその場にいるだけでいいのだから難しいことは何もない。
姉ミサキの件でお世話になったこともある。断る理由は何もない。「いいですよ」と返事をしようとしたときだ。
「これに付き合ってくれれば、道具を辞めていい」
「え」
「あんまり快く思ってないでしょ、この仕事。というか、家解氏について」
「それは――」
結生の言う通り、プライベートをのぞき見る家解氏には、少し抵抗がある。でも、彼女には僕が絶対必要なはずだ。だって僕がいなくなったら、結生は家解氏と名乗れない。
「だからお願い」
どうしてか、少しだけ胸の奥がもやっとする。だけどその理由もわからず、僕はうなずくのが精一杯だった。