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33話 構築完了

「なんだか、物足りない感じがするなあ……」


 中座敷に正座して、由希さんがつぶやいている。


「いつもここに布団が敷いてあったわけだし……」

「親父が動き回ってたわけでもないのに、静かに感じますね」

「まったく、静かになっちゃったね」

「おおい、とりあえず食べないか」


 背中に声が飛んできた。

 下座敷に長台が用意され、食事が並んでいた。


 彩香さんと健作さん、私と由希さん、秀信さんと花乃、六人で夕食をとることになった。花乃は最初「別の部屋でいい」と言ったのだが、夏見夫妻が敵意を見せなかった影響もあってか同席してくれた。


「これからしばらくが大変だねえ」


 口火を切ったのは健作さんだ。

 台の上には、魚料理を中心にしたオードブルが並んでいる。


「仲良くしている税理士がいるから、必要なら言ってくれ。頼んであげるよ」

「ええ、必要ができたら」


 数字が絡むことは面倒だ。早いうちに片づけてしまいたい。


「最後、ちゃんと竜吾君の名前呼んでくれたんだってね、兄さん」

「はい、はっきり呼んでくれました」

「どうだった?」

「すごく嬉しかったです。これまで、ぼくなんて親父の眼中にまったく入ってないと思ってました。いないも同然だって。それでも、目を見て名前を言ってもらえるとこんなに嬉しいんだなって」

「よかったなあ竜吾君。あたしゃ何もできなんで、もう情けないやら何やらで……」

「別に秀信さんが気に病むことじゃないわ。兄さんにも来るべき時が来たってだけ」

「そうですよ。もう過ぎたことです……って、ぼくもすぐ割り切れるかは微妙ですけど」


 笑い声もなく、淡々と食事は進んでいった。

 父は厄介者でもあったけれど、いなくなって清々すると言われるほどの人間ではなかった。


 私の胸に広がった空虚がそれを証明している。

 誰も父の悪口を言わないところもまた、その証左と言えた。


「……それじゃ、あたしらはもう帰るわね。みんな、元気出さなきゃ駄目よ」

「色々とありがとうございました」


 立ち上がった彩香さんと健作さんに私は頭を下げた。


「またそのうち来させてもらうよ。すぐには無理かもしれないが、何事も前向きに行こうじゃないか、ね」

「努力します」


 遠ざかっていく車のエンジン音に、私は一抹の寂しさを覚えた。


 秋らしく冷たい夜だった。夜気はいつになくひんやりと、頬にこたえる。

 今夜はとても一人では眠れそうにない。


 ……由希さんと一緒に寝よう。


 この人の母性に包まれて眠りたい。そんな、子供のようなことを思った。


「あっしも、今夜はもう寝させてください」


 くたびれたように言って、秀信さんも席を離れた。


「わかりました、おやすみなさい」


 座敷を出ていく秀信さんが、いつもよりさらに小さく見えた。ずっと同じ空間で暮らしてきた相手がいなくなったのだ。こたえるものも大きかったに違いない。


 座敷は、私と由希さんと花乃の三人だけになった。


 すぐには、誰も話し出さなかった。

 虫のすだきは遠く、沈黙も深かった。


 もはや、父に訊けることは何一つない。

 高明がどうして死んだかを、父は本当に知っていたのか。

 清吾の誘拐について、本当に片山刑事以上のことは知らないのか。


 本当はもっと話すべきだった。

 いや、この表現は的確ではない。


 私は父と、もっと話したかったのだ。


 避けるか怒鳴るかしかできない自分に嫌悪感があった。私はその感情を無視し続けていた。それではいけなかったのだ。正面から、きっちりと親子の対話をするべきだった。


 もう、すべてが手遅れだ。

 日守の名を持っているのは私だけになってしまった。


「あの……」


 小さな声で花乃が言った。

 同時に、きし、きし、きし……と音が近づいてくる。


「二人が、来ました」


 私は花乃の顔を見た。由希さんの動きも同じだった。

 花乃の顔が、縁側に向いていた。


「そこに座ったのか?」

「はい。並んで……たぶん、月を見ているんだと思います。足をぶらぶらさせて」


 ああ、清吾がよくやっていた癖だ。

 縁側で足を垂らすと、地面に届かない。だから清吾はいつも足を振っていた。リズムを取りながら、飽きもせずずっとぶらぶらさせていた。


 それを、今そこでやっているのか。

 なぜ私には見ることが叶わないのだろう。

 こんなにも会いたくて仕方がないというのに。


「いい月夜だもんねえ。二人にお刺身分けてあげようか?」

「由希さん、仏様に生物(なまもの)はいけないって教わりましたよ」

「仏様、ねえ……」

「まあ、なんて呼べばいいのか微妙なところですけど」

「あ、向こうに行きます。走り出した……追いかけっこかな」

「清吾がやりそうなことだ」

「花乃ちゃん、二人は靴を履いてるの?」

「いえ、裸足です。でも気にしてないみたいで」

「感覚は残ってないのかもな」

「見てください、あっちの芝を」


 花乃が東側の芝を指さした。

 私達は縁側に顔を出し、そちらを見た。


 すぐに、花乃の言いたいことがわかった。

 芝が倒れたり起き上がったりしているのだ。清吾と高明が走り回って、踏まれたところがへこむ。そして起き上がる。

 芝の動きが清吾達の位置を教えてくれる。


「不思議だなあ」


 由希さんがつぶやいた。


「こんなにはっきり存在がわかるのに、姿だけは見えないなんて」


 私も同じ気持ちだった。

 二人は木戸の方へ移動していったらしく、変化が見えなくなった。

 私達はいったん座敷に戻った。


「退屈じゃないんでしょうか」


 ジュースを口にして、花乃がつぶやく。


「退屈とは?」

「二人とも、もう二十年以上ここにいるんですよね? それだけいたら飽きてくると思うんですけど」

「そういや、家からまったく出てないのかな?」

「きっと誠次さんの指示を馬鹿正直に守ってるんだよ」


 空いた皿を重ねながら由希さんが言う。ありえる話だ。


「花乃ちゃん、飽きてるように見えた?」

「いえ、よくわかりませんでした」

「幽霊には時間の概念がないんじゃないですか」


 すっかり幽霊の存在を信じている我々三人である。


「ところで花乃」

「はい」

「親父は見えないよね」

「……今のところ気配はしません。これから出てくるかもしれないですけど」

「小春さんがいないなら誠次さんも出てこない気がするなあ。竜吾君、やっぱり誠次さんと話し足りない?」

「正直、山ほど後悔してます」

「だろうね。でも、早めに帰ってこられて本当によかったよね。そうじゃなかったらもっと後悔してたんじゃないかな」


 私は素直に頷いた。

 ビールの缶を開けて、一息で半分ほど飲む。アルコールには強い方だが、大量には飲まない。今日も二本くらいでやめておこう。


「あの日……」


 私がつぶやくと、二人が同時にこちらを見た。


「高明が死んだ日も、みんながこうやって集まって飲んでた。花乃の両親もいて、賑やかにやってたって聞いたよ。今日との違いは誰かが死ぬ前か後かってことだけ」

「あの時、私はまだ二歳だったんだよなー。全然覚えてないけど、たぶん二階の部屋で寝てたのかな」

「わたしは、まだお母さまのお腹にもいなかった頃ですね」

「それ言ったらぼくだって同じだよ。親父だって、高明が元気でいたら次の子供なんて作らなかっただろう。そうならなかったから、ここにぼくがいる」

「わたし、お母さまに言われましたよ。二人はほしかったけど、お父さまが趣味の人だったから理想通りにいかなかったって」

「趣味ねえ」

「猟とか彫刻とか竹細工ですね。そういうのをやる時、子供が多すぎると困るって言われたそうです。時間が取られるし、邪魔されそうだし」

「はしゃぐ子供をなだめるのは大変だもんね」


 由希さんが言い、私も頷く。


「そっか、花乃のお父さんは趣味の人だったか。確かうちにも智人(ともひと)さんの作った竹細工が置いてあったな。高明もあれが好きだったみたいだね。智人さんと一緒に水鉄砲や竹とんぼで遊んでる写真があって……」


 ――言葉が続かなかった。


 今、私は何か重要なワードを発したような気がする。


 なんだ?


 必死で、いま消えてしまった言葉を思い返す。慌てるな。焦るとかえって、全部忘れてしまうものだ。落ち着いて。自分の言葉なのだ。ちゃんと思い出せるはずじゃないか。さあ。


「…………」

「竜吾さん?」

「竜吾君、どうしたの? 黙り込んじゃって――」


 私は勢いよく顔を上げた。

 そうか。

 そうだったのか。

 あくまでこれは推測だ。

 正しいかどうかなんて検証できない。

 しかし、私自身を納得させるには充分じゃないだろうか?

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