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13話 桃山花乃の事情

 けっこう長く話し込んでいたようで、時刻は午前十一時になっていた。


 どうしようか考えた末、桃山秋乃を訪ねてみることにした。


 財布に、昨日花乃から受け取ったメモが入っている。

 県庁通りを南下して丹波島橋を渡る。下を流れているのは犀川だ。しばらく雨が続いたので、水の青さが深い。


 上空は見事な秋晴れだった。

 こんな日はアクセルを踏めるだけ踏んでみたい気分になる。由希さんの怒った顔がすぐイメージできて、笑ってしまった。


 橋の終わりの信号で停車する。

 ふと、自動車教習の一幕が蘇ってきた。

 路上教習をしている私の隣で、教官が長話を始めたのだ。

 やはり路上教習の時だったそうだ。橋の手前の信号で停車していたら、衝撃とともにフロントガラスが割れたのだという。外に出てみると、大きな鯉がボンネットの上で死んでいた。


 原因はすぐに判明した。

 トンビか何かの鳥が、鯉を鷲掴みにして上空を飛んでいた。運ぶのに飽きたのか疲れたのか、手放した。そして落とした鯉が教習車を直撃したのだ。


 教官はその通りに事情を説明したが、空から鯉が降ってきたので車が壊れました――なんて事態はめったに起こらないため、補償の関係で苦労したらしい。


 世の中では、そうした信じられないような出来事が起きたりもするのだ。

 だから桃山花乃が幽霊を見たというのも、信じられないけれど事実かもしれないのである。


「おっ、いい感じにつながったな」


 つぶやいていると、後ろの車にクラクションを鳴らされた。いつの間にか信号が青になっていた。

 馬鹿なことを言っていないで進もう。



 道は松代(まつしろ)方面と篠ノ井方面に分かれる。右車線に入って篠ノ井方面へ向かった。


 ひたすらまっすぐに車を走らせる。

 大きな陸橋が見えてきた。交差する手前で左折する。また直進し、目印の信号で左折した。店だらけだった風景が、徐々に住宅街へと切り替わっていく。


 青い屋根。

 塀にツタが生い茂っている。

 塀はボロいけど郵便受けだけ妙に新しい……。


 目的の家はすぐに見つかった。

 メモの通りの外観をした家だった。郵便受けが銀色に光っている。

 なるほど、妙に新しいとはうまい表現だ。的確かつユーモアがある。私の生徒なら二重丸をつけてあげるところだ。少年少女の文章をすぐ採点してしまうのは国語教師のサガである。


 片山家と違って門扉はない。庭に駐車スペースがなさそうだったので、近くの大型スーパーに車を止めた。

 駐車したついでに見舞いの品をスーパーで探す。高めのフルーツゼリーを買った。


 三分ほど歩き、〈桃山〉と表札の出た家の前に立つ。

 古めのインターホンを鳴らしてみる。


 反応なし。

 秋乃は病気で寝たきりだと、花乃が言っていた。すると、自力では起き上がれないだろうか。待っていても返事はしてくれないだろうし、向こうは返事ができずに焦ってしまうのではないか。お互いにとってよくないことである。

 呼びかければ、向こうの返事が聞こえそうだ。


 息を吸った瞬間、

「誰ですか?」

 背後から呼びかけられた。


 振り返ると、学生服を着た桃山花乃が立っていた……のだが、なぜか制服がびしょ濡れになっていた。髪もいくらか乱れている。


 制服はピンクのブラウスに黒のスカート。リボンは深紅だ。すぐ、該当する高校名が浮かんできた。


「あ、昨日の……」

「どうも、日守竜吾です」

「もうお見舞いに来てくれたんですか?」

「うん、心配だからさ」


 さっきから心にもないことを言ってばかりだな、と思う。

 花乃は私の横で鍵を開けると、戸をスライドさせた。


「どうぞ。汚いですけど」

「おじゃまします。っていうか、その制服……」


 聞くまでもなく想像はついている。平日のこの時間に帰ってくるとなれば、もう確定と言っていい。


「いいんです。慣れてるので」

「先生は何もしてくれないのか?」

「そうですよ。相手が多すぎるので」


 花乃はさっさと上がっていった。

 驚くほどサバサバした態度だ。ずっと苛烈ないじめに晒されてきたに違いない。こういう相手に対しては、無理に「君の力になりたい」と迫ってはいけない。話してすっきりできる人間もいるが、話を聞かれるのが嫌な人間もいるのだ。


 私も靴を脱ぎ、花乃の後を追いかけた。

 廊下の右手、最初の部屋に入る。

 座敷にベッドが置かれていた。真っ白な布団で眠っているのが彼女の母、桃山秋乃だろう。


 目が少し開いているが、瞳はとても虚ろだ。唇がひび割れて、頬もパサパサなのが一目でわかる。私の父ほどではないにしても、かなり深刻なようだった。


「お母さま、誠次さんの息子さんが来ました」


 ……お母さま、か。


 桃山家が新興宗教を主導していた事実が、その呼称だけで感じられる。過敏すぎるだろうか。

 秋乃がゆっくり目を開いていった。


「……ああ、誠次さんの……」


 声はガラガラだ。


「日守竜吾と言います。お体の方は大丈夫なんですか」

「ええ、最近は、落ち着いております」

「そうですか。なんでも父がお世話になったとか……」

「なにを、言うんです。こちらこそ、とても、お世話になりました……」

「一体どういう関係だったんですか? ぼくは桃山という名字を父の口から聞いた覚えがないんです」

「夫が、誠次さんとハンター仲間だったのです。それで日守さんのお屋敷には、時々遊びに行っておりました……。夫は、ご馳走をいただいたり、狩猟の知識を教えてもらったりしていました。夫は夫で、竹細工や、彫刻の技術を誠次さんに教えたりもして……」


 彫刻の技術は桃山家から伝授されたものだったのか。

 父は元々の器用さに教わった技術を上乗せし、狼まで彫れるようになった。


「誠次さんのご様子は、いかがですか……」

「あまり、先は長くないようです」

「そう、ですか……」


 秋乃は目を閉じた。目尻に雫ができて、流れ落ちた。

 この反応はなんだろう。

 友人と言うには過剰なリアクションではないだろうか。


「わたし、着替えてきます」


 花乃がぶっきらぼうに言い、部屋を出ていった。かかとを叩きつけるような歩き方で、音がよく響いた。


「……ごめんなさい。あの子、学校でいじめに遭っている、みたいで……」

「そのようですね。ぼくも中学時代に経験しているので、すぐにわかりました」


 秋乃の目が大きくなる。


「竜吾さんも、ですか?」

「ええ。父の変な行動や言動は、思った以上に有名になってたんです。そのせいでキチガイの息子とか言われましてね」

「そんな……。誠次さんは、そんな人じゃありません」

「でも、実際そんな風になっちゃったんです。ぼくもそれは実感していたので、強く反論はできませんでした。ぼくの弟の事件もいじめに関係していたとは思いますが」

「誘拐、されたのでしたね……」


 秋乃の声が震えたように感じた。


「ぼくのことはいいんです。花乃さんがいじめに遭ってるって話ですよ。学校側は動いてくれないんですか?」

「よく、わからないのですが……学校の近くに、空き家があるらしいんです。そこでやられているみたいで……」

「校外ですか。それだと学校も動きづらいですね。でも、こんな時間に何人も空席だったら先生も気づくでしょうに」

「駄目なんです……。相手の方が多いから、先生も見て見ぬふりだそうで……」


 大勢を止めるよりは、一人に犠牲になってもらった方が楽。

 よくある考え方だ。結果、生徒が自殺すれば苦労するのは自分達なのに。


「わたしの話なんてどうだっていいじゃないですか」


 不意に声がした。

 部屋の入り口に花乃が立っていた。黒いロングスカートにグレーの長袖シャツという格好になっている。


「お母さまのお見舞いに来たんでしょう? 関係ない話はよくないと思います」

「花乃……口を慎みなさい……」

「いやです。自分のいないところで同情されるのは不愉快です。そういうの、ほんとに気持ち悪い」

「花乃っ!」


 秋乃が怒鳴り、そして激しく咳き込んだ。息が切れ、たちまち肩で呼吸し始める。どうすればいいかわからず、私は棒立ちしているしかなかった。


「秋乃さん、お見舞いに来ておいてなんですが、少々花乃さんとお話しさせてもらってもよろしいですか?」

「ええ……お願いします……」


 花乃は部屋の入り口から動いていない。私が近づくと、怯えたような顔になった。


「なんですか……。親にそんな口きくなってお説教でもするつもりですか」

「そうじゃないよ。ちょっと雑談しよう」

「話すことなんてありません」

「あるよ。昨日、君はぼくの家で幽霊を見たじゃないか」

「ゆ……」


 それ以上は言葉が出てこなかったらしい。花乃はしばし固まっていた。


「……こっちに来てください」


 硬直は数秒で解けた。

 場所を変え、廊下の奥にある和室へ通された。

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