第155話「風は、止まらなかった」
──暴動は起きなかった。
それは奇跡ではなかった。
誰かが何かを止めたわけでもない。
リベルが剣を抜いたわけでもなかった。
ただ、“言葉”が吹いたのだ。
「自分で選びたい」という、たったひとつの願いが、風になって街を包んだ。
その夜、街には奇妙な静けさがあった。
だがそれは、沈黙ではなかった。
人々が、“初めて自分の頭で考えていた”時間だった。
少年は、火の灯る広場で立っていた。
彼の周りには、徐々に集まり始めた市民たち。
労働者も、評議員も、商人も、誰もが手ぶらでそこにいた。
「僕は、もう誰かに答えを決めてほしくない。
でも、誰かの意見を聞いてはいけないとも思わない。
だから……一緒に考えよう。
この街を、どうするのかを──自分たちの言葉で」
その言葉に、沈黙していた市民のひとりが、口を開いた。
「俺は……配給に依存してた。
でも、本当は自分で育てた野菜が一番うまかったんだ……」
「私はずっと、“間違えたら誰かに怒られる”って思ってたけど、
リベルさん、何も怒らなかった。むしろ、笑ってくれた」
「自分で決めるって、怖いけど……それって、生きてるってことよな?」
リベルは、その様子を遠くの影から見ていた。
少年の声に、初めて言葉を返す大人たち。
言葉が対立を生まず、次の問いを生む時間。
「そうだ……それでいいんだ」
明くる朝。
街は何も変わっていなかった。
建物も、路地も、空の色も、鉱山の煙も。
けれど──
街の人々は、朝から広場に集まっていた。
再建派も、自治派も、バッジを外し、
「個人」として、座っていた。
「派閥ではなく、市民として話し合いたい」
「配給の仕組みを、みんなで考え直そう」
「子どもたちに、“考える練習”をさせたい」
それはまだ、稚拙で、意見は揃っていなかった。
けれど、その不揃いこそが、“選び始めた証”だった。
リベルは、その光景を見届けたあと、宿を後にした。
宿主は声をかけた。
「……お前の名前、結局わからずじまいだったな。
なあ、ひとつだけ教えてくれ。お前は、何者なんだ?」
リベルは、ほんの少しだけ微笑んで言った。
「風」
「……は?」
「ただ、風。
空気を変えるだけ。何も持ってこないし、何も持ち帰らない」
【リベルのノート 最後の一節】:
『選ぶ者たちが動き始めた。
俺はもう、必要ない。
なら、次の風の吹く場所へ──』
【To be continued…】