第144話「信仰の目が見たリベシティ──試される“自由の暮らし”」
──数日後。
アヴァ・ノミアの視察団は、リベシティのあらゆる区画を歩き、見て、記録していた。
神官団のリーダー・マナリアは、どこへ行っても表情を崩さない。
しかし、その視線の奥には“探る者の鋭さ”と、
“理解しようとする者のまなざし”が同時に宿っていた。
まず訪れたのは──使う街区。
そこでは、子どもたちが木陰の下で自由研究を発表していた。
ある子は「未来のエネルギー」、
またある子は「村と街の資源循環」、
さらに別の子は「人の幸せとお金の使い方」を語っていた。
その姿を見て、マナリアがティアに尋ねる。
マナリア:「これらの子どもたちは……まるで“導かれていない”ようですね。
何を信じて育っているのですか?」
ティア:「“信じるもの”を自分で見つけられるよう、選ぶ練習をしてるんです。
それが私たちの“教育”です」
マナリア:「それは、“正解のない道”を歩かせるということ……?
それで果たして、心は救われるのでしょうか」
ティア:「ええ。だから私たちは、“間違えても戻れる道”を用意してるんです」
次に視察したのは──稼ぐ街区。
そこでは、屋台の青年が“好きなものづくり”で起業し、
高齢者が“趣味を仕事に変える”コミュニティに参加し、
フリーランスの少女が「学び直しのためのサポート講座」を無料開講していた。
ハルクが笑いながら案内する。
ハルク:「ここは“試せる街”や。
人生ってのは一度こっきりちゃう。何度でもやり直せるっちゅうのが、うちの文化やで」
マナリア:「人生に“試し”が許されるのですか……?
それは神の秩序の否定に繋がりませんか?」
ハルク:「せやかて、“許し”って神さまだけのもんちゃうやろ。
人が人を許す、それもまた、神さんの意志と違うか?」
そして最後に訪れたのは──守る街区。
ここでは、生活が困窮した人々が一時避難できるシェルター、
DVから逃れた人たちの“再出発サロン”、
そして誰でも無料で受けられる“お金のカウンセリング”が開かれていた。
ミーナが説明する。
ミーナ:「私たちの自由は、“選べる余裕”があってこそ。
その余裕を、制度で支えてる。
自立できない人を責めるんじゃなく、立ち上がるまで一緒にいるんです」
マナリアは、その言葉を受け、しばらく黙ってからこう言った。
マナリア:「……あなたたちの“選び方”には、慈愛がある。
だが、信仰が不要だとは、まだ思えません」
視察結果:まとめレポート作成中
・“自由の街”の秩序は想定以上に安定しており、倫理観も強く根づいている
・だが、アヴァ・ノミア側としては“神による指針”の欠如に懸念を示す見込み
→ “異端認定”の回避は可能。しかし、“理念の対話”は継続課題に。
その夜、リベルとマナリアが、リベシティの星空の下で静かに言葉を交わす。
リベル:「……どうだった? この街の暮らしは」
マナリア:「私には……神の姿を感じませんでした。
でも──人の中に、“祈りのような選び方”が見えた。
それを信仰と呼ぶなら……たぶん、私は少し、迷っています」
リベル:「それでいい。迷えるってことは、“まだ選べる”ってことだろ」
マナリア:「……ずるいですね、あなたは。
選ぶ自由を、そんなにも優しく言えるなんて」
リベル:「優しく言わなきゃ、人は怖くて選べないよ」
次回:
「経済の掌握か、自由の取引か──帝国・グラン・テクト来訪!」
【To be continued…!】
夜も続きを投稿しますねー!
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