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世界終焉の日に君は何を想ふ  作者: 凄音キミ
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最終章・終焉

 機体を駆り、虹色の光でできた道をなぞるように降っていく。暗黒の雲を抜けた先で、虹色の光は薄く平たい円状に広がっていた。それはさながら、整えられた舞台(ステージ)のようだった。

「これって、乗れるのかな」つと呟いた。

「試してみたらどうですの?」

「やだよ。もし乗れなかったら真っ逆さまじゃないか」

「あら。気づいてしまいましたの」

 この期に及んで随分ととぼけたことを言う。こんな状況でも俺の死を願うほどの余裕があるのだろうか。だとするならば、その神経の図太さが実に羨ましいかぎりだ。けれど、そのおかげで、ほんの少し、張りつめた空気(こころ)が軽くなった気がした。

 俺たちのいる場所からは、二三・四度ほど傾いて見える虹色の円盤に近づく。円盤の真上へ来たあたりで、「クァハハハハハ!」と聞き覚えのない馬鹿でかい笑い声が頭の中に直接響いた。

「よもや彼奴(きゃつ)まで倒されようとは! ()に愉快! ()が最高傑作を退(しりぞ)けた貴様(きさま)らに敬意を表し、我自らが相手をしてやろう」

 頭上から迫り来る威圧感をその身で感じ取り、宇宙(そら)を見上げた。

 ――“進化の極北”“生命の極致”を思わせる、とてつもなく巨大な一匹の竜が宇宙(そら)から姿を現す。ゆうに体長六千三百キロメートルは超えるかと思える空を覆い尽くすほどの巨体は、まさに天体そのものだった。巨大な体躯に長い首、背中には二枚の巨大な翼を有し、手足にはそれぞれ三本の指があり鋭利な爪が生えていた。足の指一つでさえも、地球がすっぽり入ってしまうのではないかと思えるほどの規模感(きょたい)だった。

 再び頭の中に声が響く。

「クァハハハハハ! 我が御姿(みすがた)、その目にとくと焼きつけるがよい! ……ふむ。とはいえ、この大きさでは勝負にならんな」

 しゅるるるる。(そら)を覆っていた天体サイズの竜がみるみるうちに縮んでいく。やがて顕現した人の形をしたそれは、二枚の竜の翼と強靭な尻尾を携えていた。まさに創作物で見られる“竜人(ドラゴニュート)”そのものが、いまこの瞬間、目の前に実在(そんざい)していた。

 宙に浮遊していた竜人が翼をばさばさとはためかせ、舞台(ステージ)の上へ降り立った。

「クァハハハハハ! どうだ! 脆弱で矮小なる人間どもよ! 貴様(きさま)らの姿に合わせてやったぞ! 我にかかればこの程度実に容易いことよ!」

 得意げに笑ってみせる竜人に内心、尻尾と羽は隠すことはできないのだろうか、と考えていた。

 竜人は舞台(ステージ)上で掌を上に向け、指だけをくいくいと動かし手招きをしてみせる。神話や伝承でのみぞ見るその存在に、俺たちは従うことしかできなかった。

 プシューッと音を立て開くコックピットから、恐る恐る、その一歩を踏み出す。虹色の光で形成されたその床はアスファルトのようにしっかりとしていて、なんの問題もなく踏みしめることができた。足が光の床を突き抜けてしまうといったような懸念していた事柄(もんだい)は起きなかった。

 俺はなぜか見覚えなどあるはずもない虹色の(ステージ)に既視感を抱いていた。前もこの場所を流々香とともに訪れたことがあるような……。俺の胸を叩くものは“懐かしさ”なぞではなく、得体の知れぬ“恐ろしさ”だった。早まる鼓動。竦む足。噴き出す汗。俺の体が、その全身で、“流々香をこの先へ行かせてはならない”と強く警鐘を鳴らしていた。

流々香(きみ)はこの戦いから身を引いてくれないか。流々香だけでもどこか遠くへ――」

「どうしたの突然。藪から棒に……。(あれ)から逃げおおせられるとは思えないけど」

 ――それもそうだ。それができるものならとっくの昔にそうしてる。

「どうせみんな死ぬのなら……最後のときくらい一緒にいよう」流々香はそう言って悲しく笑う。

 諦めとも取れる忌むべき流々香の発言。俺はその言葉を否定することがどうしてもできなかった。なぜなら、俺も“そう”感じてしまっていたから。他ならぬ自分自身の気持ち(おもい)を否定することなどできなかった。

 ――流々香の身にもし万が一のことがあったそのときにはこの身を挺してでも護る。たとえそれで護ることができずとも……。流々香とともに死せるのであれば本望だ。もう、誰かに守られるだけの俺ではない。俺だって流々香を護る金将(ナイト)に――。

 流々香からほんのりと漂う嫌な(しの)予感(におい)が鼻腔にへばりついて仕方がなかった。

 皆一様に、じりじりと(にじ)り寄るように竜人のもとへと歩み寄る。竜人から発せられる感じたことのない威圧感(プレッシャー)に、自然と足取りが重くなっていた。絶大な威圧感(プレッシャー)を前に、俺の決意などカスみたいなものだった。

 ――かの者を前にした生きとし生けるものそのすべてが竦みあがり、平伏してしまうような圧倒的な存在感。まるで生殺与奪の権をすべて握られているような、その場にいる誰もが死を覚悟する戦慄とした空気。竜人が何もせずとも、ただ“その場に存在している”それだけのことで、俺の心はいたく消耗させられていた。

 舞台(ステージ)の中央、竜人の前へ行ったあたりで、竜人がその口を開いた。

「飼い犬に手を噛まれるとはまさにこのことよ。のう、紅葉?」不敵な笑みを見せる。「随分とその名を気に入っているようではないか。……そうか、たしかお前は秋の山にはゆる紅葉(こうよう)を楽しむのが好きであったな。だがそれも跡形もなくなったいま、もう二度と拝むことはできないがな! クァハハハハハ!」

 明らかに挑発的な言動を取り、高笑いをする。

「しかし奴らは負け犬らしい惨めな犬死(しにざま)であったなあ。滅びゆく世界を守るなどと抜かしておったが無駄なことよ。滑稽、(じつ)に滑稽! お前たち以外の人類などとうに滅びておる! 我が最高傑作の手によってなあ! クァハハハハハ!」

 竜人の口から告げられた現実に、顔を歪める。薄々そんな気はしていたが、それでも一縷の希望を手放すことはできなかった。人類なきいま、俺たちはいったいなんのために戦うのか。花音たちはなんのために散っていったのか――。

「なに、悲しむことはない。貴様(きさま)たちもすぐに何も知覚できなくなる。未来永劫闇に閉ざされ、世界の狭間を彷徨う、永久(とこしえ)なる死に包まれるのだからな! クァハハハハハ!」

「それにしても聞かれてもいないことをべらべらとよく喋る神様ねえ。弱い犬ほどよく吠えるという言葉をご存知ないのかしら?」

 紅葉さんは明白(あからさま)に挑発を返した。こんなに怒っている紅葉さんを見るのは久しぶりだ。俺が書斎で怒られた時以来だろうか。

 竜人が紅葉さんに向かって右手を(かざ)す。――その瞬間、紅葉さんの体が頭部だけを残しどこかへ消え去った。宙に残された頭部だけとなった紅葉さんが、その場にゴトッと落ちる。恐怖など感じる暇もない須臾(しゅゆ)の出来事に、俺の体は(おのの)くこともせず、ただただ強張り、石像のごとく硬直していた。両の耳から入ってくる頑徹さんたちの叫び声も、俺の頭には届かなかった。

「ふん。口の利き方には精々気をつけることだな。我はそう何度も許すほど心が広くはないぞ?」

 ――夏空に浮かぶ飛行機雲がごとき、心にいつまでもたなびきたる絶望。それはやがて一寸先さえ見通せぬ濃霧となりて視界(こころ)(おお)う。晴れることなき深い深い(やみ)に、自分の向かうべき方角も、自分のいまいる場所さえも見失う。辺り一面、見渡すかぎりの深い(やみ)(きぼう)など、どこにも見当たりはしなかった。俺はその光景にただ、力なく立ち尽くすことしかできなかった。

 竜人は、耳が張り裂けんばかりの大きな声で言う。

「脆弱で矮小なる人間どもよ! 我が名はアウグストゥス! 我が神名(じんみょう)! その身に絶望を(もっ)て刻め!!」

 びりびりと空気を振動させ伝わってくる叫声。くしくも絶望の原因である竜人、その張本人が放った叫声によって、虚空を彷徨っていた俺は現実へと引き戻された。

 光の床に転がる紅葉さんの頭部と目が合った。瞬間、いましがた確かに倒したはずの異形の腕によって、長髪の少女が握りつぶされる光景(ヴィジョン)がフラッシュバックする。潰された体から弾け飛び、こちらのほうへ向かってごろごろと転がってくる少女の頭。それはやがて回転を()め、俺の目の前で止まった。脳漿の見せる幻の中で千切れた少女の頭と目が合い、反射的に空っぽになった胃袋から、胃酸だけが吐瀉物となり飛び出した。口から飛び出した吐瀉物がびちゃびちゃと足元を汚し、喉に灼けるような痛みと不快な後味が残った。

 色褪せたセピア色の幻の中で、少女の瞳だけがはっきりと今紫色に輝いていた。

「おい大丈夫か!」とすぐに頑徹さんが声を掛けてくる。

 ――どういうことだ? 流々香が死ぬ? 頑徹さんに答える余裕もなく、混沌とする頭で思う。確かにあのとき異形は死に絶えたはず。アウグストゥスと名乗った目の前の竜人もそう言っていた。(ブラフ)? いや、そうとは思えなかった。それに……。――ちらりと流々香のほうを見やる。俺がみた光景(ヴィジョン)では流々香は髪を結んでいなかった。いまはまだその時ではないということか? 唐突に予見された流々香の死。俺のショート寸前の心と頭(しこうかいろ)は混迷を極めていた。

「――大丈夫ですの? (あなた)、顔が真っ青ですわよ」詩織が言った。

「人間とはかくも軟弱なものよのう。我が直接手を下さずともすでに戦意を喪失しておるではないか。手を前に出したのも所詮、見栄え(ぱふぉおまんす)よ。微動だにせずとも貴様(きさま)たちを滅することなど造作もないわ」

 圧倒的な力の差を前に、絶望という名の黒い銃弾に俺の心は粉々にうち砕かれ、一縷のともしびさえ残っていなかった。

「紅葉さん……」思わず涙交じりに漏らす。

「――諦めるのはまだ早いと思うけど?」ふいに流々香が言った。

「心配しないで……」

 紅葉さんの声が聞こえ、すぐに顔を上げる。

「私なら大丈夫よ……。中枢(コア)さえ生きていれば問題ないわ……」

 紅葉さんの頭部は、頑徹さんの手で大事そうに抱えられていた。

「ああ! よかった……無事だったんですね……」

 紅葉さんの状態は、はたして“無事”と言ってよいものかわからないが、他に表現のしようがなかった。心の底から安堵の情が浮かび上がってくる。だが、それもすぐに黒い波に飲まれ消え去ってしまう。俺の心を深く抉った黒い弾丸(ぜつぼう)は、貫通することなく胸に留まっていた。

「でもこんなの……いったいどうすれば……」

 この身に収まりきれなくなった絶望が、外へ(あふ)れ出る。

「思っていても、決して口に出してはいけない言葉というのもありますのよ? 『為せば成る、何事も。なぜか知らないけど』何事もやってみなければわかりませんわ」

 そう言って詩織は微笑んだ。詩織の態度(ことば)には、母さんのような強さとあたたかさがあった。――ああ、そうだ。いつだってそうだ。詩織は辛いときこそ(つよが)ってみせる。自分の辛さを他人に伝播させまいと、気丈に振る舞ってみせる。本当は、その心に人一倍不安を抱えながら。彼女の痛ましいほどの笑顔(つよがり)が、少しばかりの勇気を俺に与える。彼女がもう二度と、こんな悲哀(かな)しい顔をしなくて済むような世界に。何か、何か一つでもできることはないか。そう、そう思ったその瞬間(とき)だった。

「そう……。これが私の望んだ結末(セカイ)だと言うのね。すべて、すべて思い出したのよ。この世界の意味も。あの日の涙の理由(わけ)も……。これは私の贖罪(ものがたり)……」

 紅葉さんが突然わけのわからないことを言った。理解が追いつく間もなく、紅葉さんは続ける。

「私の研究所(ラボ)にいざというときの為の自爆装置があるわ。この地球(ほし)丸ごと消滅させるような、ね。それだけのエネルギーをぶつければ彼奴(きゃつ)とてただでは済まないでしょう。ただ……問題は、私にしか起動できないのよ。この体では――」

「俺が行こう」

 言葉を被せるように頑徹さんが強く言った。その姿には並々ならぬ決意が(あふ)れていた。

「おじさまたちだけでは舟の操縦ができないでしょう。わたくしが乗せていきますわ」

 当惑する俺を差し置き、話はとんとん拍子に進んでいく。

「……ごめんなさい……。そして、ありがとう」

 そう言う紅葉さんに、つと不安が頭をよぎる。不思議と、あの日の母さんの姿が重なって見えた。

「大丈夫、なんですよね。きっと……“必ず”戻ってきますよね?」

「……ええ、“必ず”」

 俺の問いかけに、紅葉さんはすぐには答えなかった。“必ず”と答えたあとの紅葉さんは、どこか悲しい目で虚ろに虚空を見つめていた。

『嘘だ!!』心の中で虚しく木霊(こだま)する。思っていても、それを口に出すことはできなかった。紅葉さんの帰りを信じたかったから。たとえ(やさしさ)でもいいから、すぐに答えてほしかった。“大丈夫よ”って、そう微笑んでほしかった。

「――起爆するまでの間僕たちで足止めを果たそう」

 流々香が言った。俺たち以外の人々も、地球(すむばしょ)も失って、そんな世界になんの意味がある? 花音たちの守りたかった世界(もの)は、そんな世界(もの)じゃ――。

「ちょっと! しっかりしてよ! これは僕たちにしかできない役割(しごと)なんだから!」

「――話は聞かせてもらったぞ」白玖の駆る機体が、彼方の宇宙(そら)より天翔(あまか)ける彗星のごとく登場する。「別に盗み聞きするつもりはなかったがだだ漏れだったのでな」

「「白玖!」」流々香と詩織が声を揃えて言った。

 白玖ははんっと鼻を鳴らして言う。

「あまりにも穴ぽこだらけでお粗末な作戦だな。お前たちで足留めだと? 笑わせるな。せいぜい持って二、三分。それも奴が“お遊びの前提で”だ。奴が本気を出せばお前たちなぞ一秒と持たずに露と消えるだろう」

「そんなこと! そんなこと……わかってるけど他に手が!」流々香が怒り(かなしみ)を滲ませる。

「――俺なら五分はもたせられる」

 俺は、白玖(かれ)から発せられた言葉に驚きを隠せなかった。こちらの心の内を見透かしたかのように言った。

「勘違いするな。常に俺の根底にあるものは同胞(はらから)に対する情のみ。人類がどうなろうと俺の知る由ではない。……機械生命体(おれたち)という種の生存の観点から見た場合、きさまたちに手を貸し、流々香(そこのおんな)を逃がすのが一番蓋然性が高い策だ、とそう判断したまでだ。それと……流々香(そこのおんな)に死なれてしまっては寝覚めが悪いからな」

「まあ! 熱烈な愛の告白ですわね」

「違う! ただ流々香(そこのおんな)には死んでほしくないと! そう思っただけだ!」

「それが……いいえ。それもまた、“愛”ですのよ」

「――なにやらひそひそと企てていたようだが……我を倒す算段はもう付いたのかね?」

 それまで傍観を貫いていた竜人(アウグストゥス)が言った。

「ええ。そんなところよ。それにしても律儀に待っているだなんて……意外と紳士的なところもあるのね」

 紅葉さんは変わらず挑発的な態度で言った。

「クァハハハハハ! すべてを超越せし存在である我に“性”などという概念は存在せぬが……そうか! 我は『紳士的』であるか! 面白いことを言う!」

 ひとしきり高笑いをしたあと、

貴様(きさま)たちはどの道滅びゆく運命(さだめ)。されば最後に手向けとして少しでも我を楽しませてくれねば。そうであろう?」と言った。

「随分と余裕そうね。その伸び切った鼻っ面を叩き折るのがいまから楽しみで仕方がないわ」

「無様な姿になっても口の減らんことよのう。機械の軀(その身)にしたのは失敗であったな。苦しみ悶える声が聞けぬではないか」

「お楽しみのところ悪いが……お前の相手はこの俺だ」

 白玖はそう言って、文字通り紅葉さんとアウグストゥスの間に割って入る。

「よもや貴様(きさま)までもが乖離するとはな、白玖。人類を滅ぼすために創られたお前たちが人類に与し、守るために我に抗うか。なんとも皮肉な話よのお」

 白玖は大きく舌打ちをした。

「どいつもこいつも同じことを。勘違いするな。人類のために戦うのではない。俺が俺らしくいるためだ」アウグストゥスに向かって白玖は言う。「命をくれたことだけは感謝してやる。きさまは生みの親というよりも“膿の親”だがな。世界に蔓延る膿め! 俺が責任を持って引導を渡してやる!」

「よく吠える蛆虫よ」

 ――白玖とアウグストゥスが会話を繰り広げる一方で、紅葉さんたちもまた、話をしていた。

「さあ、行きましょう」詩織が言った。

「悪いわね。損な役割を引き受けてもらっちゃって……」

 頑徹さんに抱えられた紅葉さんが言う。

「いいのです。流々香が笑って生きてくれていればそれで……」

 まるで、今生(こんじょう)の別れであるかのように話す。

「朔、あなたは流々香(かのじょ)を連れて脱出なさい。竜人(やつ)が創った似たような惑星(ほし)がたくさんある。中にはきっと、人間が暮らせる環境の惑星(ほし)もあるはずよ。あなたは生き延びて。それが、私の生きる意味なの。……私たちも起動したらあとから追うわ」

 “あとから追うわ”紅葉さんの言葉が頭の中で繰り返し反響する。あの日の母さんの姿が重なって見えて仕方がなかった。でも、俺は、そんな紅葉さんを、俺を置いてどこかへ行ってしまう紅葉さんたちを、黙って見送ることしかできなかった。

 詩織たちの乗る機体が飛び立っていく。その場(こころ)孤独(さびしさ)狐疑(ふあん)を残して――。

 そばに立つ流々香の体から、白玖とアウグストゥスの会話が聞こえてくる。

「俺が言うのもなんだが……追わないのか?」

貴様(きさま)を始末したあとでな」

「ふっ。そうか。驕り昂り言語道断。きさまのその慢心(ゆだん)が命取りとならなければいいがな」

「弱者が吠え(イキ)るのは()めておけ。あまりにも惨めで見るに()えん」

「一人で鏡に向かって喋っているのか? どちらが弱者か……その身にわからせてやる!」

 そう言って白玖がその場から姿を消す。それに続くようにアウグストゥスも姿を消した。

 流々香の体から、二人の会話が洩れ聞こえる。

「クァハハ! さすが人型の中でいちばんの性能を誇るだけのことはある! よもや我の速度(スピード)(くら)いつこうとは! だがどういうことだ? 我が創りし時より出力が上がっているではないか!」

「……人間(ヒト)は、自分のために。そして、誰かのために成長することのできる生き物だ。人間(ヒト)の強さはその場の戦闘能力だけでは計ることができん、実に面白い生き物だということを、そこにいる弱虫で、それでいて、心の強さを持った男に教わった。きさまは、人間(ヒト)の強さを、成長速度を見誤っている。他ならぬきさまのその人間に対する愚かな侮りが、きさまの足元を掬うのだ」

「随分と人類に入れ込んでおるではないか。何がそこまでお主を駆り立てる? お主を強く()き動かすものは友情か、(ある)いは贖罪か」

「……そのどちらでもあり、そのどちらでもない。俺たちはただ平穏(しずか)に暮らしたいだけだ。きさまがそのための障害(さまたげ)となるならば、取り除くまで」

 俺の目では彼らの姿を追うことなど能わず、竜人の愉悦に満ちた高らかな笑い声と、何かがぶつかり合う音だけがしきりに響いていた――。

 流々香の体から、紅葉さんたちの会話が聞こえてくる。

「詩織。話があるの」紅葉さんが言った。

 ぼそぼそと非常に小さな声で喋っていて、内容までは聞き取れなかった。

「……わかりましたわ」

 詩織がそう答えると、プシューッとコックピットの開く音がした。


「――その本の二つ右の本を奥に強く押し込んでちょうだい」

 詩織との会話のあと、しばらくして紅葉さんの声が聞こえた。パチッと何かをはめたような、あるいはカチッと何かスイッチを入れたようなそんな音がすると、ゴゴゴゴゴと何か重たい物を引きずり動かしたような大きな音がした。

「こんな隠し通路があったのか」頑徹さんが嬉々として言う。「水臭えじゃねえか、話してくれねえなんて」

「ここはこの地球(ほし)中枢(コア)に繋がる通路(みち)。本来はこの地球(ほし)を廃棄処分する際に使われる予定だったところよ。……こんな形で訪れることになるとは思ってもみなかったけど……。できることならば使いたくはなかったわね」

 コツ、コツ、と歩くような靴音が聞こえてきていた……。


「――白玖! わたくしも加勢いたしますわ!」

 颯爽と、詩織の駆る機体が登場する。機体から飛び降りた詩織に、いの一番に声を掛ける。

「詩織? どうして! 紅葉さんと頑徹さんは? 二人を待ってるんじゃなかったのか!」

 意図せず言い方が荒くなる俺に、詩織は黙って首を横に振った。

「二人を捨て駒にするっていうのか!?」

「……おじさまもお姉さまも覚悟の上ですわ。それに……これはあの二人の願いでもあるのです。わたくしに、『あなたはあなたの好きなように生きなさい』と、そうおっしゃいました。……二人に託された(ねがい)。わたくしは、流々香のために捧ぐと、始めからそう決めていたのです」

 ――心のどこかでそうなる予感()はしていたんだ。紅葉さんが戻ってくる保証などないこと。紅葉さんは始めから逃げるつもりなどなく、自分を犠牲にするつもりだったってこと。全部、全部わかっていたんだ。だって……あの日の母さんも同じだったから。たとえ身勝手なわがままでもなんでも、引きとめなければいけなかったのかもしれない。無理を言ってでも、()めるべきだったのかもしれない。――それで地球(セカイ)が滅びることになったとしても。紅葉さんを失うくらいなら――。だけど、俺は、紅葉さんを信じたかった。紅葉さんの想いを、無駄にしたくはなかった。あの日と同じように、信じて待つ(みおくる)ことしかできなかった。

「ここはわたくしが引き受けますわ! あなたと流々香はすぐにお逃げなさい!」

「また俺は!! あの日のように何もできずに逃げるというのか!! 父さんを見捨てて! 母さんを(ぎせい)にして!!」

 やり場のない怒りを詩織にぶつけてしまう。

「それは違いますわ。朔、あなたが流々香の支えとなるのです。広大な宇宙に“ひとりぼっち”というのはあまりにも……淋しすぎますから」優しく、包み込むように言う。「かつてあなたを逃がした両親の想いをこんなところで無駄にしてはいけませんわ。あなたが生きて紡ぐのです! わたくしたちが! あなたの両親が! 生きたその証を!」

 詩織の包容力(やさしさ)と凛々しさを感じさせる熱い言葉(オモイ)。彼女の想いが、俺に活力を与える。――もし俺に、姉がいたらこんな感じだったのだろうか。明確に、異性としての好意とは異なる詩織への好意が、姉弟へ向けられるモノであったことに、いまになってようやく気がついた。

 気が緩んだのか、それまで気にならなかった猛烈な空腹感に襲われ、腹が大きな音を立てて鳴った。

「いまにも空腹で死にそうなんだけど……」

「ほんっと締まらないですわね」呆れたように言う。「非常食くらい舟に備えてありますわ。わたくしの舟の分もお持ちなさい」

 詩織が自らの舟をがさごそと漁ったのち、取り出した食料を受け取った。

「まったく。頼りないこの男と流々香を二人きりにするのは心配ですわね……。まあ、流々香なら大丈夫ですわよね」

 詩織は流々香に向かって言った。

「……詩織。詩織も……逃げるんだよね……?」

 詩織は黙って首を横に振る。

「確実に奴を仕留めるためには誰かがここで足留めをする必要があるのはわかっているでしょう? 白玖だけでは荷が重すぎますわ」

「……詩織」

「そんなに悲しそうな顔しないでくださいな。ほら笑って。笑顔で別れましょう。どんなときもわたくしが望むのは“流々香の幸せ”それだけですわ。たとえそばにいれなくとも、流々香さえ生きてくれていればわたくしはそれで…………ううん。やっぱりそんなの嘘ですわ!」

 そう言って詩織は流々香に抱きつく。流々香も拒否(いやなかお)することなく、抱き締め返していた。

「本当は、ずっと! ずっとそばにいたかった!」

「うん……」

「いつまでも! いつまでも流々香の愛らしい顔を眺めていたかった!」

「うん……!」

「本当はまだ……生きていたい……。生きて、流々香と一緒に……!」

「うん……うん……!」

 二人は抱き合って泣いていた。

「――流々香がこんなにもわたくしのために嘆き悲しんでくださるのなら……もう、思い残すこともありませんわね。叶うことならずっと流々香と一緒にいたかったのですが……。わたくしは、流々香とともに死せる喜びよりも、流々香が生き残る未来(あす)を優先したいのです。そこにわたくしがいないのがやはり残念でなりませんが……流々香に代えられるものなど何一つありませんから」

「ごめんね。ありがとう……。さよならは、言わないよ」

「そうしてくださいまし。悲しくなってしまいますから」

「……ずっと……。ずっと言わなかったことがあるんだ」

「なんですの?」

「僕も詩織のこと好きだったよ。……もちろん友達としてだし少しだけだけど」

「嘘でもいいから“大好きだった”とはけして言ってくださらないのですね」と詩織が笑う。「でも……流々香のそんなところも好きですわ。またいつの日にか逢えることを願って別れましょう」

 そう言って詩織は流々香の頬に接吻(キス)をする。

「うん。またね」

 少し淋しそうな顔で、流々香は詩織の頬に口づけを返した。

「嬉しさのあまり、思わず涙が出てしまいそうになりましたわ」震える声で詩織は言った。

 プシューッと音を立ててコックピットが開く。俺は流々香と二人、機体に搭乗した。

「これ以上話すと別れが辛くなってしまいますから、そちらからの通信(おんせい)は切っておきますわ」

 コックピットの閉じ際に、詩織が言った。手を振り見送る詩織の姿が遠ざかっていく。機体を駆る流々香の目には涙が溜まっていた。

「――ぬ。我を前に尻尾のない貴様らが尻尾を巻いて逃げるというのか! 面白い!」

 流々香の体から、話し声が響いてくる。

「追わないのか?」

「奴らなど貴様(きさま)を葬り去ったあとにでもすぐに滅せる。焦る必要なぞない。いまはじっくりと戦いを楽しもうではないか!」

「ふっ」と白玖が小さく笑った。「ご希望通り精々楽しませてやるとするか」

「――白玖!」詩織が言った。

「話は済んだのか?」

「おかげさまでたっぷりと」

「足留めなぞ“俺一人で”と言いたいところだが助太刀には素直に感謝しておこう」

白玖(あなた)の姿、お借りしますわよ!」

「クァハハハハハ! 神の目を持つ我を惑わそうというのか! なかなかに賢しいではないか! 面白い! どこまで通用するのか……やってみせろ!!」

 激しくぶつかり合う音が聞こえてくる。

「どうした! これでは先ほどまでのほうがマシであったぞ!」

「このっ……!! わたくしが足手纏いだとでも言いたいんですの!」

「詩織。お前の擬態(コピー)能力はそんなものじゃないはずだ。決してあきらめるな。自分の感覚を信じろ」

「自分の感覚を……信じる……」

「俺の動きをよく見ておけ!」

「まるでお兄さま……いえ、お父さまのよう」

「ふっ」白玖が小さく笑った。

「すごい、すごい! わたくしこんなにも速く動けたのですね! いまなら流々香がどこにいようともすぐに駆けつけられますわ!」

「クァハハハハハ! 楽しませてくれるではないか! これが貴様の言う“成長(つよさ)”とやらか! その身を(もっ)て体現せしめんとは、まことに(もっ)て粋な計らいである! その心意気を賞し、少しばかり我の本気を見せてしんぜよう!」

 ドンッという強い衝撃音とともに、二人の悲鳴が聞こえてくる。

「クァハハハハハ! 加減し損ねて危うく殺してしまうところだったぞ!」

 高笑いをするアウグストゥスを尻目に、二人は苦悶の声を上げつづけていた。

 ――「ビーッ! ビーッ!」とけたたましい警告音が鳴り響く。

『自爆シークェンスを起動。ただちにこの場を離れてください。一分のカウントダウンののち、起爆します』

「一分じゃ逃げる暇なんてないじゃないのよ……。始めから、私も使い捨てられる予定(いのち)だったというわけね……あら?」

 紅葉さんの首を傾げる姿が、容易に想像できた。

「……おかしいわね。自爆装置を用意したのは私のはずなのに……何を言っているのかしら」

「――なんだこの光は! まさか貴様ら……くそっ! 猪口才な!」

 ばさばさと翼を羽撃(はばた)かせるような音が聞こえた。

「ぐっ……」と白玖の痛みを(こら)えるような声が聞こえた。「おいおい、神様ともあろう者が尻尾を巻いて逃げるのか? とんだ拍子抜けだな」

 ぶんっと空を切るような音がして、直後、だんっと叩きつけたような音が聞こえた。

「グァッ……!」竜人のものと思われる呻き声が聞こえた。

「二度と飛べない体にしてやる」

「ええいやめろ! やめんか! 翼を(むし)ろうとするんじゃない!

「ちっ! さすがに蜻蛉の羽のようにはいかないか!」

「図に乗るな! 人間風情が!!」

「おいおい」白玖は鼻で笑った。「頭に血が上りすぎて俺たちが機械生命体であることすら忘れてしまったのか? 鶏並みの記憶力だな」

「き、貴様あああ!!」

「とっておきをくれてやる。震えて眠れ」

「何をする気だ! やめろ!」

「きさまに貰った命。きっちりと利息を付けて返すぞ。ありがたく受け取れ!」

 舟内(しゅうない)中に轟くような凄絶な爆発音が聞こえた。

「グァアアアアアア!」アウグストゥスの苦しみ悶える声が聞こえる。「ふ、ふざけおって……!」

 ドンッと勢いよくぶつかるような音が聞こえた。

「くっ、小癪な! 離せ! 離さんか!」

「この腕は絶対に! 死んでも離しませんわ!」

 ――「ビーッ!ビーッ!」なおも警告音はけたたましく鳴りつづける。

「ごめんなあ、美晴。娘との最後の約束も守れねえ馬鹿な父ちゃんでよう。心優しいお前なら……許してくれるよな」頑徹さんの啜り泣く声が聞こえた。「ああ! 美晴! 美晴なのか! お前に朔を紹介してやりたかったなあ。お前ならきっと実の弟のように……。そんでもってお前に妹も作って……紅美(くみ)って名前つけてよお。紅葉と、朔と、美晴と……紅美と……一家五人で……」

「馬鹿ね……私は子を成せないわよ……。でも……素敵ね。そうなったらきっと幸せなんでしょうね……」

 俺には一度も涙を見せたことのない紅葉さんが、涙ぐんでいるようだった。

「朔。いままでごめんなさい。世界がこんなことになってしまったのもすべて私が発端なの。せめてあなたたちだけでも生き延びて……。それがこの世界の意味……。流々香(あのこ)にも悪いことをしたわ……」

「紅葉さん? いったいどういうことですか!」

「もうあなたたち二人を縛るものは何もない。世界という枷も、私という(しがらみ)も。私のことなんて忘れて幸せになりなさい。それが、もう一人の私の願いでもある」

「紅葉さん! いきなりそんな! ……そんなこと言われてもわけわかんないですよ!」

「ごめんなさい……。責任を持ってアウグストゥスを葬り去る……。せめてもの罪滅ぼし……いえ、私からあなたたちへ送る(はなむけ)よ」

「こんな……こんなことになるならもっと! 紅葉さんと話しておけばよかった!!」

 ――“後悔先に立たず”いまさら後悔をしても遅い。紅葉さんと過ごす何気ない日々を、もっと大事にしなきゃいけなかったのに。

「あなたは何も悪くない。悪いのは全部私なの……。朔、頑徹、そして流々香たち(みんな)。私の願望(わがまま)に巻き込んでごめんなさい」

 ――紅葉さんと話す一方で、流々香の体から詩織の声が聞こえてきていた。

「わたくしの中にある決して色褪せることのない流々香への強い想い。これこそがわたくしの存在理由ですわ!」

「貴様! 頭が狂っ(イカレ)ているのか!」

「他者を弄ぶための道具としか見ていないあなたには未来永劫わからないでしょうね……。愛というのはときとして、死への恐怖さえも乗り越えさせるのですわ!」

「離せえええ!!」

 ガン、ガン、と激しく殴りつけるような音が聞こえてくる。

「ずっと独りだった寄る辺なき哀れな創造神(うみのおや)。天涯孤独の身であったあなたへのせめてもの情けですわ。わたくしの流々香に対する深い愛に溺れてお逝きなさい!!」

「――この世界もすべて胡蝶(わたし)の夢にすぎないのかしら……。いえ……それも私が()ねばわかることね……。願わくば、私の願いが、私の行いが、あなたたちの歩く(みち)とならんことを」

「紅葉さん!!」

「朔。愛しているわ。きっとまた――」

 全宇宙を照らすほどの眩い光。俺たちの暮らした地球(ほし)が、俺たちの目の前で、赫灼(かくしゃく)たる輝きを放って消滅した。爆発の音は、聞こえてこなかった。紅葉さん。頑徹さん。詩織。白玖。全員との通信が、途絶えていた。

 しゃくりあげるようにして泣く。俺はなんて無力なんだ。あの日も、そして今日も。誰かの犠牲で生かされて。父さん、母さん。二人の行動(おもい)に助けられて。花音、蒼、穹。三人が自分を犠牲にしてまで守りたかった地球(セカイ)も失って。詩織。白玖。頑徹さん。そして紅葉さん。四人を犠牲にしてまで生き延びて。

「結局誰も救えなかった……」

「……僕がいるじゃない。僕は間違いなくあのときあなたに救われた。その過去(こと)まで否定するの?」

「俺が……俺なんかが生きていても……。もっと他にいい人がたくさん……」

「あなたの両親も。紅葉さんも。頑徹さんも。詩織や白玖たちだって。あなただからこそきっと……」

 涙も声も()れ、声にならない声でいつまでも泣きつづける俺を、流々香が優しくそっと抱き締めてくれていた。あの日の母さんのように……


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