第7話【ウツクシヒト】
何をもって、どのように美しいかということ。見た目なのか心なのか。それとも言葉なのか考えていることなのか。世の中にはウツクシヒトが溢れている。ヒトは大抵毎日
鏡の前に立ち、自分を確かめる。髪の毛。体。目。服装。心。ヒトは美しさに敏感なのだ。クジャクよりもずっと。ずっと。
ある日、モデルの様に美しい見た目の女性が駅にいた。言うまでもなく、彼女はウツクシヒト。通り過ぎる男たちは、その美貌に遠慮がちに目を向け、そして怯え逃げる。
凛とした姿勢は自身を確立しているようにも見え、それがまたそのウツクシヒトの神々しさを強く演出している。
しかし、私は考える。彼女の心の中はどうだろうか?あの美貌とその見せ方を知っている女性だ。今までその力で男達に崇められ、我がままに育ってきた可能性も強い。あ
るいは、何かしらのコンプレックスを隠すために着飾っているとも考えられる。実は心の中は散らかり放題で、電源を切って半年放置した冷蔵庫の様なおぞましいものかもし
れない。そうなるともう、他のウツクシヒトに対してはニヒリストにしかなりえないような女性であるに違いないな。
・・・などと、勝手な想像をしてみる。まあ、そんなエピソードを付け加えなければ天秤のバランスが取れない程の外見ウツクシヒトだというわけだ。
しばらく待つと、電車がやってくる。幸い空席があったので、その外見ウツクシヒトも私も静かに座る。
なるほど、座っても気を抜かないというわけか。背もたれに身を預けることなく、シャンとした姿勢を保ち、目も静寂を保ちながらも生きている。存在だけで絵になる女性
というものもいるものなのだ。
だが、そうなるとますます怪しい。ここまで自身を知りつくし、作り上げている点からは、心を強く持たなければすぐにでも崩れてしまうような脆ささえ感じ取れるではな
いか。もしかしたら、かなり危険な人物かもしれないぞ。人を殺して逃亡中の美人殺人犯か?もしくは国家レベルの機密を保持していて、それをばらしたら殺されてしまう身
なのかもしれない。あるいは、彼女には二人の妹がいて、夜な夜な三姉妹で泥棒行為をしていることもありうる(いや、これはない。)
そうしている間にも、電車は停車の度に満腹に近づいていった。微動だにしないウツクシヒトは、時折外や腕時計に目をやったりしながらも、その美しさを壊すことをしないでいる。私は勝手な想像で、なんとかその美しさを天秤の端に、真ん中に一般の人間を置き、それがバランスを取れるように彼女に悪い価値を与えようとする。
今思うと、しかめっ面で座っている私は、かなり異質な雰囲気を放っていたかもしれない。だが、そうせざるを得ない程のウツクシヒトであるということで、そこは許してほしい。
電車は都心に向かって何も変わったこともなく進む。相変わらず私はしかめっ面で考え込んでいるのだが、ふと気がつくと、よぼよぼのお婆さんが乗車して来る。
私もまだ三十路手前の男だ。これは席を譲ることにしようか。いや、待てよ?もし席を立って、断られたらどうしたものか。「あたしゃまだ元気だよ!シルバー扱いは止めとくれ!」なんて言われた日には、その気まずさにおかしな事を口走ってしまいそうだぞ?・・・よし、もしそんなことを言われたらこう言おう。「シルバーだなんてとんでもない。レディーファーストですよ。」・・・うむ。なかなかいいではないか。これならお婆さんも喜んで座ってくれるし、私のこの電車内での株も上がるってもんだ。
と、俯いていた頭を上げ今にも立ち上がろうとすると、そのウツクシヒトが立っていた。
「よかったらどうぞ。」
その所作も、言葉も美しい。あら、悪いわね。とお婆さんは言って、嬉しそうに座る。
なんてことだ。彼女は本当にウツクシヒトであった。外見だけではなく、心も言葉も綺麗ではないか。それに引き換え私ときたら・・・。彼女に対して皮肉たっぷりの考えしか持てず、変な恐怖心から席も譲れなかったわけだ。しかも、席を譲る際に自分の株まで上げようとは、なんたることか。
世の中にはいるのだ。ウツクシヒトが。勝手に殺人犯やらキャッツアイにしてしまってごめんなさい。ウツクシヒトに・・・乾杯。
その日、帰宅後には少し難しい本でも読もうと誓ったが、お笑い番組を見てる間にソファーで眠りこけてしまった。私にとって、ウツクシヒトは遠い様である。
実際にこんな方は見かけたことはありません。でも、席を譲ろうと思って変に考え込んでいる間に先を越されてしまったことはあります。一人で赤面した、切ない想い出です。