第5話【喜びの果て。】
ついてないな。私はぽつりとつぶやく。肩を落とし、天を仰ぐ。暗くなり始めた夜空には、一筋の流れ星。美しい。私の心をギュッと締め付ける。いや、本当についてない。
そんな今日の私は、いわゆるラッキーデイというやつだ。一般的には心が浮き、決して私のように肩を落とすことのないような。そんなついている日。
朝、馴染みのニュース番組。本日の私の星座の運勢は、1番に押されていた。うむ。嫌な予感が私を包む。チャンネルを回し、他のニュースに目をやる。そこでの私の名前の運勢は・・・ああ、ここでもまた1番。これはまずいことになった。藁にもすがるような気持ちで他のチャンネルに切り換える。・・・そうか、今日はまさに危険な日と言った方がよさそうだ。この番組でもまた1番。朝から随分縁起が悪い。好物のプリンをデザートに朝食を終え、重い体を引きずって家を後にする。
会社。私が勤めて七年になる安住の地では毎月『会社に貢献したヒーロー』を数名選出し表彰する習慣がある。これは、上司の推薦や最近ではエコ活動に熱心な社員から選ばれるものだ。・・・ああ、やはりついてないぞ。別段なんにもしていない私が選ばれている。同僚に『やったな!』『さすがですね!』なんて言葉を朝から浴びせられ、また体が重くなる。推薦してくれた部長の山崎氏が、こちらを見ながら微笑んでいる。いつも部下に厳しく自分に甘い山崎氏がだ。・・・うむ。背筋におかしな汗が一筋。
朝礼。先ほどの選出もあり、社長から表彰される。そして一言、これからの抱負を求められる。どこかのマンガかドラマで聞いたような言葉を並べ、盛大な拍手を頂きながらもなんとかやり過ごす。金一封も手渡され、朝礼を終える。因みに金額は3万円。これをどう消費しようか。困ったものだ。
仕事場。今日中に仕上げる予定の仕事や、先方とのコンタクトを昼前に無難に済ませる。少し肩の力を抜こうと、職場の安物のコーヒーを入れていると、あの山崎氏が近づいてくる。
「やあ、先ほどの君の演説。なかなかだったじゃないか。」
張り付けたような笑顔が暑苦しい。
「いえ、その。部長の推薦あってのことです。ありがとうございます。」
「いやいや、君には期待しているんだよ。」
「ありがとうございます。」
さらに山崎氏が近づき、小声になる。
「お礼を言いたいのは私の方さ。ま、今度また一杯付き合ってくれたまえよ。」
「ああ、はい。是非。」
そうか。そう言えば2週間前、山崎氏を助けたのだ。あの日私は急に呼び出され、迷子の子供のように酷く狼狽している山崎氏の相談を受けたのだ。なんでも、妻に携帯を調べられ、それ以来浮気の疑いをかけられているとのことだった。そこで私は策を練りだし、4つほどの工作活動をこなし、その疑いを3日で解いてやったのだ。なるほど。この不可解な選出はそのためか。全く、現金な上司だ。私は本当についてない。
仕事場、午後。入社二年目の部下、恵が相談にやってくる。この若い女は人気があり、この部署だけでも4人の男が狙っている。二年目を迎え、ようやく社員として独り立ちをした感もあるのだが、少し困ったことがあると私に相談を持ちかけてくる。まあ、自分でいうのもなんだが、私は人当たりがいい方ではある。怒るのも苦手だ。そういうところで、部下たちはしばしば相談相手に私を選ぶ。恵の案件は少し厄介なクレームで、その対応策を私から譲り受けたいというものだった。私は簡単なマニュアルを作成し、恵が電話を取る。15分の格闘後、私に助けを求める眼差しを向けてきたので引き継ぐ。なんとか10分後にはお客様のご理解を得、胸をなでおろす。
「ありがとうございます!いつも本当に助けられてばかりで・・・。」
恵の丁重なお礼。ああ、周りの視線が痛い。
「いやいや、ああいうお客様は難しいからね。誰でも困惑するさ。さ、仕事に戻りなさい。」
やっと恵を追い返すが、まだ4人の視線は痛々しい。
「おい、相変わらずお前は女に甘いな。」
その視線の主の一人、隣のデスクの荒木がつついてくる。
「別に。話がこじれても、僕の仕事が増えるだけだからな。何事も先回りだよ。」
「要領のいいことで。」
精いっぱいの笑顔で皮肉をたれる荒木だが、目は笑っていない。だからお前は駄目なんだ。隠れてため息をつく。
仕事場、帰宅30分前。先ほどのお礼とばかりに、恵がコーヒーを入れて持ってくる。
「ミルクはなくていいんですよね?」
「ああ、良く覚えてるね。ありがとう。そんな気を遣わなくてもいいのに。」
「いえいえ。先輩方のコーヒーの好みを覚えるのも仕事ですから。」
そう言いながら、コーヒーとともに一枚の紙切れをそっと置いていく。
『明日、空いてますか?今日のお礼もしたいので、よかったら食事でもいかがですか?知り合いが素敵なバーに就職したので、是非紹介もしたいので。時間と場所は・・・』
手紙とは、また古風な。メールで済ませばいいだろうに。ま、こういう手間をかけるのが女性は好きなのだろう。こちらをチラチラ見ている恵に目をやり、軽く頷いて見せる。ああ、本当についてない。人気のある女に目をつけられると、色々面倒だというのに。
会社を出て、重いため息をつく。ああ、本当についてない。欲しくもない賞と重い期待を背負わされ、面倒な上司に気に入られ、人気のある女に目をつけられる。まったくこれからが思いやられる。どうせこれから少しでも失敗すれば上司から見放され、同僚からは酷く笑われ、あの女も去っていくに違いない。はあ、私はなんて不幸なんだ。
手にした3万円を握りしめ、パチンコ屋に向かう。こうなったら、この忌々しいあぶく銭だけでも本当のあぶくにしなければ。
出ない回らないで有名なガラガラのパチンコ屋に入り、辺りを見渡す。会社から程良い距離にあることもあり、時折この店にくるのだが、釘はガタガタ。客に勝たせるつもりは全くないといった感じの店だ。私はここで、ヘソ釘に球が詰まっている光景を3度見かけたことがある。ここなら簡単に3万くらいは飛んでいきそうだ。
閉店間際まで打ち続け、店を出る。・・・ああ、私はなんてついてないんだ。こんな店でこんなに勝ってしまうなんて・・・。しかも早く手放したかったあぶく銭でだぞ?これはいよいよ危険だと思った方がいいな。手にした戦利品、7万円を財布にしまって、とぼとぼと家路につく。天を仰げば一筋の流れ星。はあ。ついてないついてない。
帰宅して軽食を取り風呂に入る。湯船につかりながら、これからの不安に思いを巡らす。
「明日は恵と食事。きっとつまらない私に落胆して、あの綺麗な女は二度と私には近づくまい。あ、明後日は確か・・・私が一口馬主で投資している馬が二頭G1レースに出走する日だったな。二頭とも随分人気を集めているが、きっとずぶずぶに惨敗するに違いない。勝てば大金が手に入るが、期待は禁物だ。下手したら故障だってあり得るのだから・・・。」
憂鬱になり、風呂を出て新聞に目を通す。毎日何気なく目を通している株の一面に目をやる。おや、以前知り合いに勧められて100万程投資した株が随分と好調じゃないか。この不況の中やってくれる。私を更に不幸にしたいというのか?これでは200万程得をしてしまうではないか。このままでは駄目人間まっしぐらだな。くわばらくわばら・・・。こんな不吉なものは、ネットで早々と売り払ってしまおう。これ以上変な得をしないように・・・。
ベットにもぐりこみ、しばし今日の不幸を数える。喜びの果てには必ず不幸が待っているものなのだ。不幸の先にはさらなる不幸が待っている癖に・・・。理不尽な世の中だ。私は浮かれないぞ。不幸の果ては遠いが、喜びの果てはいつも近くにある。いや、今日の私は本当についてなかった。困ったものだ・・・。こうなったら、是非つい流されて買ってしまった年末の宝くじだけは外れてもらわなければ・・・。今回も当たってしまったら、3年連続になってしまうぞ。
眠りに落ちる少し手前、ようやく私はほくそ笑む。ああ、明日も不幸よ来い来い。今日もいい夢が見れてしまいそうだなぁ・・・。ふふふ・・・。はっはっは!!
一人で暮らすには広すぎる、都内の地上15階、庭付きバルコニーが自慢の4LDKマンションに、私の笑い声が響き渡る。