第18話【真実。】
真実はどこにあるのか。ここにあるのかそこにあるのか。それともどこにもないのか。
映画、音楽、ゲーム、ギャンブル。ある程度の裕福さがあれば、世界は飽きずに楽しめるように作られた。そんな世界に、私は飽いている。
どれもこれも同じように聞こえる音楽と陳腐な歌詞が世界を覆う。何度も見たような光景が画面に広がる。自由という名の不自由な箱庭を提供してくる機械がある。逃げることが難しい勝負の空間を作り上げ、勝っても負けても悪循環へと誘うもの、それに誘われるものたちがある。
私は飽いている。どこにも真実がないことに失望している。
今どこにいるのかと問われれば、それを特定するものはない。住所があるではないかと言うものもあるだろう。なるほど、管理の行きとどいた一見確かなものにも見える。
だがどうだろう?とことん問い詰めてみよう。
「あなたは今どこにいますか?」
私は今、東京都の町田市にいる。
「東京都の町田市とはどこですか?」
日本の関東地方の一部だ。
「日本とはどこですか?」
それは地球のアジアと呼ばれる地域にある。
「地球とはどこですか?」
太陽系。太陽を周回している惑星の一つだ。
「太陽系とはどこですか?」
天の川銀河の端に位置している。
「天の川銀河とはどこですか?」
宇宙に存在する1000億、あるいは一兆あるともいわれる銀河のうちの一つだ。
「宇宙とはどこですか?」
・・・そんなもの、知るか。それ以上大きいものは知らん。あえて言うなら、ここ。ここが宇宙だ。
このように、広すぎる世界の中でミクロの生活をしている我々には、自分の居場所すらわかりはしないのだ。
そんな我々にとっての「真実」とは一体なんだろう?
例えば、この胸が痛むこと。あるいは喜びに満ちあふれること。これが真実だろうか?
そう、ともいえるが否ともいえるだろう。形になるものではないからこそ、あるともないともいえる。ただ、それだけのことだが。
ならば、愛と言うものであったり憎しみというものであったりするものであろうか?
これはかなり危うい。これらは大抵「真実であって欲しい」という願望や執着によって割増されているものだからである。
すると、ここがどこであろうと、私が今ここにいる。これこそが真実であるのだろうか?私がいるかどうかを疑っている自分を疑うことはできない。確かに疑っている。私の大好きなデカルトはやはりこう囁く。私はわずかに頷きそうになるが、直ちに「これが夢だとしても?」と切り返す。デカルトの幻想は消え、広がるのは闇。闇だ。
我々は、実はだいぶ危うい存在である。想像してほしい。「死」というものを。あれはきっと相当まずいものだ。天国、地獄、三途の川・・・。死後の世界は色々と描かれているが、それこそ怪しすぎる。実際人は、眠りに着く瞬間から夢に入り込む間も虚無に限りなく近い。その虚無こそ死なのではないのだろうか。もちろんこれは誰にもわかりえないことであるからこそ、真実にはなりえないのだが・・・。死から始まる虚無。何も考えられず何も感じられない。つまりはそこにいない。本当にまずいものだ。それを誰も拒否することはできない。いつかはたどり着く虚無という場所なのだ。
だが、その死すらも真実かどうかは怪しい。これが夢に近いものなら、なに一つ真実ではないのだから。
つまり、真実はない。これこそが真実である。とても、矛盾しているがこれが一番近いものだと私は思う。
物事をはかり、リアルにしてくれる数字も。今まで積み上げてきた歴史も。夢を与えてくれる星たちも。どれもこれもが真実とは程遠い存在である。
だが、悲観するのももったいない。たとえ真実がこの世になくとも、我々は前に進むことに執着すべきなのだ。あたかもリアルに。全てが真実だと言い聞かせて。前に進むしかないのだ。
一秒前の自分を否定できない自分は、今の自分ではない。それは一秒前の自分だ。ただ、そういう単純なことなのだと思う。
だから私は願い信じる。あなたがもし1000粒の涙を流すなら、それがせめてリアルなものであってほしいと。
いつか得体のしれない「死」というものに食われる我々だからこそ、そうあってほしい。
本当の涙は、いくら流してもいいのだから。
この想いが。真実がどこにもない地盤の緩いこの世界の中で。真実に近いものであることを願う。いや、今はそれが真実だとしよう。そう、しよう。
本当に、不思議な世界です。ただ、広くて素晴らしい世界だからこそ疑問の中に生きることができるのだと思います。
明日、明後日も私も世界も変わり続けるのでしょう。それを愛おしくすら感じられます。皆様はいかがですか?
さあ、夢を見て目が覚めたらどこへいきましょうか。