第11話【青春の宝箱。】
もう10年前になる。10年前の冬。高校卒業が間近に迫った寒い朝。武蔵小金井の駅の前で友達を待っていた名も知らぬ君に、ヴァンヘイレンのCDと汚い字の手紙を渡したのは僕だ。なにも実らなかったけれど。それでもあれは青春だった。
中学3年。高校受験を目標に塾に通い続けた集大成がもうすぐ見れる時期。僕には勉強する動機がなかった。それでも勉強をした。なんとなく。しているふりをしていた。
きっと受からないと言われた高校に合格した。何も感情が生まれなかった。周りのはしゃいでいる友人たちとの距離を感じた。
高校1年。家から1時間半の通学時間と満員電車。目標のない学園生活。何かが折れた。1週間に1日は学校を休んでいた。成績はクラスでブービー賞。それでも危機感も悔しさもなく、魂は漂っていた。時間だけが過ぎていく感覚。
高校1年冬。このままでは留年か退学かという状況に追い込まれた。せめて満員電車だけは避けようと、いつもより1時間早く家を出た。空いている電車。悠々とたどり着く武蔵小金井の駅。そこに君はいた。
同じ制服の女学生が駅に吸い込まれていく。どこの学校かはわからない。皆和気あいあいで、通学すら楽しそうに見えた。ただの風景の一部。通り過ぎる女学生たちという、僕の中でのエキストラ。そのはずだった。でも、そこに君がいた。一瞬で世界が変わった。
「いつか奇跡が起こるかもしれない。」
一目ぼれに生きる希望を見出した僕は、毎日1時間早く学校へ向かった。1週間に1~2回程君とすれ違った。なにか吸い込まれるような感覚で、遠くにいてもすぐに見つけてしまう。ただ、僕にもプライドがある。だから、ただ1時間早く学校へ向かうだけの生活で、君はその中の一瞬の光でしかなかった。いや、無理やりそうしていた。
君が世界を開いてくれたのは間違いがない事実で、僕は音楽やお芝居に目覚めた。モノクロだった日々が、こんなにも鮮やかになった。
「いつか奇跡が起こるかもしれない。」
高校2年になっても3年になっても、何も変わらなかった。変えなかった。成績は上がった。夢もできた。自分の道がどんどん開けていった。でも、君にとって僕こそがエキストラだった。シーン:武蔵小金井駅。主演:君。行男子学生A:僕。
大学への進学がエスカレーター式に決まり、高校3年の冬が来た。これまでの2年間、毎日1時間早く学校へ向かい続けていた。あくまで、満員電車を避ける目的として。
僕のくだらないプライドや世間体が希望を隅っこに追いやっていて、未だ僕はエキストラのままだった。
初めて焦った。もうしばらくすれば、学校も終わってしまう。君もこの3年間すれ違ったということは、きっと同じく卒業するのだろう。焦った。とても焦った。
お気に入りのヴァンヘイレンのCDを袋に入れて、汚い字で手紙を書きなぐった。自己紹介と友達になりたいというシンプルな言葉。そしてプレゼントのCDの、どの曲を聞いてほしいかの説明。どこまでもお粗末で、不器用なものだった。それでも、僕にとってはそれが宝箱だった。君に渡すことで初めて開かれる宝箱。君の反応で中身も世界も変わるであろう、パンドラの箱。
三日間持ち歩いた。たまたま3日連続して君とすれ違ってはいたが、一歩踏み出す勇気はとてもじゃないが持てなかった。
そしてまた焦った。奇跡は起きない。もう時間はない。完全に追い込まれた。もう、やめようと思った。宝箱は宝箱のまま。このままでもきっといいんだと思った。
それでも、四日目もまたそれを持ち家を出た。いつも通り1時間早く武蔵小金井の駅に僕はいた。
改札の左横。寒そうに友達を待つ君を見つけた。受験の時にもなにもおかしな挙動を見せなかった、自称鋼鉄の心臓が体中を揺らした。気がつくと君の前に立っていた。
「これ、受け取ってください。」
君が初めて僕の顔を見た。満月の様に大きく開いた目。朝日で茶色く染まった綺麗なボブカットの髪の毛は、少し浮き上がっているようだった。
「え・・・困ります。」
緊張の為か、声が脳に届かない。
「いや、受け取って欲しいんだ。」
彼女の手に宝箱を押しつけて、そそくさとその場から立ち去った。
やった。やってやったぞ。僕もやればできるじゃないか。大きな一歩を踏み出した後は、得てして結果よりもその過程で満足するものだ。学校に着いても落ち着きそうもない鼓動をなんとか押さえながら、その素晴らしい1日を過ごした。
あくる日。大きな不安と共に家を出た。今日、どうすればいいと言うんだ・・・。何も考えてなかった。今日君がいなければどんなに楽か・・・。それでも、やはり1時間前に家を出た。
武蔵小金井の駅に着く。案の定君はいた。昨日よりは少し落ち着いて君の前に立つ。
「あの、昨日はごめん。いきなりその・・・無理やり渡して。」
言葉がうまく出てこない。
「あ、いえ。その、CDは悪いから返そうと思って。」
恐らく君は、こんな感じの言葉を言った。だが、僕の脳は言葉をうまく処理できなかった。
「いや。あれはあげるよ。僕はもう1枚持ってるし。」
たぶんこんな事を言った。不器用すぎる対応。相手の話が耳に入っていないのが丸わかりだ。
「あ、もうすぐお友達が来ちゃうよね。それじゃ。」
逃げるように立ち去った。君が何か言いかけたような気がするが、ともかくその戦場から僕は降りた。
そうして冬休みが来て、それきり君とはあわなかった。お互い3年の3学期は学校の時間割などが変則的だったのだろう。同じ制服の女学生たちも見かけなかった。
それでも、僕はどこか満足していた。何も結果が出ていない。ただ、迷惑をかけただけなのに。汚い字の手紙に、女学生がそうは聞かないであろう、ハードロックのヴァンヘイレンのCD。何も相手のことを考えてない贈り物だ。
ただ一つ。僕はあの瞬間にエキストラからは抜けた。そして、君の反応から自分の立ち位置が少し見えたのだ。今の自分はこんなものだと。さらに言えば、あの心臓の高鳴り。最後の一歩。焦り。全てが宝だった。それが、それ自身が何よりの宝箱の中身だったのだ。
あれは青春だった。でも、君にはなんだか悪いことをしたね。驚かせてしまったし、もしかしたら相当気味悪がられてしまったかもしれない。それでも2回目に話しかけた時、普通に会話しようと努めてくれてありがとう。僕の視野を広げてくれてありがとう。世界に色をつけてくれてありがとう。
君は僕の高校生活の青春そのものだった。本当に、ありがとう。名前も知らない君。
本当にあった話です。いまでも僕にとっては美しい思い出です。
一目ぼれではあったけど、好きとか付き合いたいとかじゃなかったんでしょうね。何かを変えたり、日常をドラマにしたり、確かめたかったりしたのだと今は思います。
幸せでいてくれることを祈っております。