第10話【人の夢。それは儚い。】
沢山の物事を経験し、深く知れば知るほどに今ここにいる自分の存在が危うくなっていく。宇宙の始まり。地球の歴史。生命の誕生。人が歩んできた道。そして僕。
それでも、綺麗な音楽に耳を傾けたり。楽しいTVに釘づけになり大いに笑ったり。時にはわけもなく泣いたりすることで、なんとか自身の存在に理由づけしている。
古い夢を思い出した。それほど大きくない山。その開けた丘と草原。静かに回る水車小屋。そこに美しく佇む少女。白いワンピースを風に揺らしながら空を見上げている。歳は10代半ばといったところか。だが歳の差は感じない。きっと、そこでの僕もそれくらいの年齢なのだろう。
「ねえ見て。あると思う?ないと思う?」
悪戯っぽく笑いながら空を指差す。指の先に見えるのは、乾いた空と真昼の月。
「何があるって?空と月なら見えるけど。」
「違うよ。星だよ。今は空しか見えないけれど、実際には満天の星空があるはずなの。」
視線は遠くへそそがれる。僕もその視線を追う。
「ああ、ならあるんじゃないかな。夜になれば見えてくるよ。きっと。」
「それじゃ駄目。」
頬を少し膨らませながら、僕を睨みつける。僕は少し怖気づく。
「何が駄目なの?」
「それじゃ駄目。今あるかどうかが大事なの。」
「今は見えないよ。地球の大気と太陽が邪魔してるんだ。」
「意地悪だね。見えなくしちゃうなんて。」
しばらく空を見上げながら僕は考え込む。宇宙は重力が支配していて、3Dに見えているものも実は9Dくらいまであるという説を思い出す。空が持つ見えない重力の中で、6Dの物は折りたたまれてしまっているらしいのだ。僕はそれを彼女に丁寧に説明する。
「そっか。じゃあ、見えなくていいや。」
「そう・・・なんで?」
「見えない物が沢山あるなんて、私たちみたいじゃない。見えない世界があるなんて、とても美しい。今は決して開けられない宝箱みたいだね。」
満面の笑みで口を動かすので、僕はやはり怖気づく。彼女の一挙手一投足に僕は恐怖する。今にも消えてしまいそうなほど、彼女が遠くを見ているから。
「宝箱は、どうやったら開くのかな?」
なんとか言葉を零す。
「全ての謎は、時間が解いてくれるよ。私たちの知らない遠い未来に。きっと。」
彼女の目が更に遠くを見つめる。僕は泣きそうになる。もう、彼女はここにいない。いや、元からいないのだ。これは夢なんだから。
「ねえ、私、もうすぐ消えちゃうのかな。この風景とともに。」
「・・・いやだ。いやだよ!」
「でも、現実はここじゃない。そうでしょ?」
優しく微笑む。
「なら、僕は目を開けない!ここにいるんだ!!」
目が熱を持ち、大粒の涙が風に散っていく。心地よい風。草の匂い。美しい笑顔。静かな水車の音。それでも、ここは違うというのだろうか。
「いいな~。あなたは見れて。本当の事が。」
「なら、君も一緒に見ればいい!!ここから逃げ出して見ればいいんだ!!」
「意地悪だね。空や太陽よりも意地悪。」
悲しそうな顔を見せる。今日初めて見た夢のはずなのに、何故こんなにも親しい感情と懐かしさがこみ上げるのだろう。
「ありがとう。君が見せてくれるんだよ。この風景も。太陽も空も。見えない星も。」
「何言ってるの?ここにちゃんとあるじゃないか!」
「またここに来て。沢山の事を学んで、幸せも痛みも両手一杯に持って。」
「もう一度ここに来れるとは限らないじゃないか!!」
「さ、目を開けて。」
「いやだ!君が消えてしまう!!」
「目を閉じれば、いつでも会えるから。」
どんなに抵抗しても、目は覚めてしまった。その瞬間に、匂いも風景も記憶の中で色あせて、枕に溜まった涙だけが目の前に残る。
儚い。・・・何故こんなにも儚い物がこの世に存在するのだろう。・・・存在するのか存在しないのか。どちらかといえば存在しない彼女。なら、何故こんなにも愛しく懐かしい感情を彼女に対して持たなければならないのだろう。
ふと、夜明け前の空を見上げる。星が自身の存在を主張する様にこちらを見ている。何十年、何百年前の光たち。・・・儚い。
本当に儚いのは、僕かもしれない。広大な宇宙の中で。137億年とも言われる歴史の中で。こんなにも小さな僕は、一つの点にすらなれないでいる。
それでも、僕はここにいる。こんなにも儚い僕はここにいる。それなら、あの儚い夢の中の彼女もやはり、どちらかと言えばいるのかもしれない。
少し、軽くなった。
この夢は今でも忘れられません。時折、走馬灯のように頭を一瞬で駆け巡ります。動揺します。とても。