御使い様の懺悔室
テケリ・リ。
あとは察してどうぞ。
水をかけられる程度であったなら、それはまだマシなほうだった……と彼女は語っておりましたので南の、ギリギリ隣国に入ったあたりの教会をお勧めしておきました。
あちらは暖かですし、地域がそもそもこちらより恵まれております。週に二度ほど行き来している馬車に、彼女と、片道分のパンと水、私の主観で選んだ服を何枚か、それから彼女がなんとか持ち出せた彼女の財産(これは金銭ではなく実のお母様の遺品だということでした)を詰め込んで送り出しました。
彼女はこの国の伯爵家の娘でしたが、母親が早くに亡くなって、父親が再婚。仲の良かった兄が隣国に留学し、父親は帝都勤めでしたので屋敷には継母とその連れ子である義妹と使用人たちとで生活をしていたといいます。
男の目がなくなれば後妻夫人は暴君よろしく彼女をなじりました。時には使用人どころか奴隷の扱いであったそうで、見かねた古参の使用人たちが彼女を連れてこちらに避難させてきたのです。
実父と実兄に連絡はしなくて大丈夫かと尋ねたところ彼女は虚ろな目で力なく首を振りました。もう彼女にとって血縁とか仲が良かったとかは過去の話になってしまった様子。そりゃあ貴族の娘がそういう扱いに長いこと耐えていたというのが土台おかしな話であったのですから当然と言えば当然でした。
さて、彼女の行方を知っているのは手助けをした使用人数名ですから、急に娘が失踪した伯爵と兄はそれはもう大慌てで帰ってきました。
怒髪天を衝く伯爵に後妻夫人の悪行を洗いざらい吐いて、暇を願い出たのは一人二人ではなかったとあとで聞きました。伯爵はどちらかといえば善人ですから、頭を抱えつつも離職する使用人たちに紹介状と次の当てを用意したそうです。その気遣いがもう少し家族に向いていれば結果は違ったかもしれません。
どちらかといえば問題になったのは夫人のほうでした。貴族の妻というのは主人が不在の家の監督者ですから実娘の失踪の責任は彼女に覆いかぶさってくるわけです。
とはいえ行き先は本当に知らないのですから彼女は頭を下げるしかありませんでした。最も下げたところで娘が出てくるわけではないので伯爵は離縁を言い渡し、夫人も義娘も家からたたき出しました。
現在は伯爵が使えるものをすべて使って娘の行方を追っているようですが、まあもう見つからないでしょう。なんせあの子はしばらく前に隣国の公爵家の若様に娶られたということでしたから名前さえ伯爵家のものではないのです。それにあちらの若様は大層な愛妻家で通っているとか。
話がそれました。
そういったことがあって、今はその夫人……いえ、元夫人がこの懺悔室にやってきました。自分の罪を悔い改めるという行いはとても正しいことです。もちろん行った罪は正しく償わなくてはなりませんが、主はそれを聞き届け、その行いを見定め、人々を死後導くものです。
私は聖女なんて大層な二つ名をいただいているただのシスターなのですが、主の啓示を言葉にする力があるのは本当ですのでこうして時折、懺悔室で皆様の罪を聞き、許しを請われ、主のお言葉を伝えるのが仕事です。
「わ、私がしたことが、間違っていました。どうか、どうかお許しください……」
衰弱した彼女は噂に聞いていた「暴君」の見る影もありませんでした。そもそもが男爵家の娘だったそうですからさすがに平民落ちとまではいかずとも一代限りの爵位ですから男爵夫妻がご高齢の今、もうあとがないのだろうということは私にもわかります。
「ミス・カリグラ。よく罪を認め告白をなさいました。あなたの素直さを主はお認めになりました。あなたは罰を受けなくともよいでしょう、と主は申されています」
「じゃ、じゃあ……」
「はい、あなたは救われます。主は貴方の懺悔をお認めになられました。ですから罰を受けるのはあなたのお嬢様であるミス・エイリーンです」
ヒュッ、と息を飲む音が聞こえました。
エイリーンは先ほど話していた彼女の連れ子です。実父は一応公爵家の現当主なのですが莫大な手切れ金とともにその関係性を揉み消されています。
彼女は知らないのです。母親が義姉を虐げていたことを、それが理由で離縁されたことも。もう貴族としての立場に後がないのだということも。そもそも義姉にあたる人がいたことも。理由は単純です。エイリーンはまだ三歳ですから物事の重大さも知るはずがないのです。
「あ、あぁ……聖女様、どうか、どうにか、あ、あ、あの子は何も知らないのです! まだ子どもです! でしたら罰はわたくしが受けます! どうか、どうかエイリーンは!」
「主は申されています。無知は最大の罪であると。その無知を良しとしたのはミス・カリグラ、あなたであると。あなたが罰をうけることになったとしてもその裁きはエイリーンに向かうでしょう。なぜならエイリーンは貴方の大切にしているものだからです」
「い、いや……いやああぁぁぁ!」
「……ハリス、すみませんが信徒さんを外にお連れしてくださいますか」
「はい、聖女様」
主の裁きは絶対です。それは人間の思う裁きとはやや異なりますが人間の解釈がすべてではありません。悪いことをした本人が拷問されるというのも一つの罰の在り方ですが、その人が大切にしているものが害されるというのもある意味では罰であると主は考えておられます。
エイリーンには気の毒ですが、そういった判断をされたということは彼女がたとえ年頃の娘だったとしても無邪気に義姉を虐げた未来というものをご覧になった可能性があります。
主の裁きの是非は私たちの知るところではなく、また知る由もないのですがそういった「ありえた未来」「ありうる出来事」まで見通して主は裁きを決定されるのです。
結局その後、エイリーンは流行り始めた悪質な風邪に罹患して生死の境をさまようことになりました。子どもは免疫がありませんから長引いているのは何もエイリーンだけではありません。連日連夜祈りをささげる蝋燭の明かりがあちこちに見えました。
一応今のところは回復に向かっているそうなのですが、これで終わりではないでしょう。ミス・カリグラの罰はそんなに軽いものではありませんから。
それから数日たって、隣国から手紙が届きました。あちらの国ではどうやら写真なるものが流行しているとのこと。
白黒の生きたような絵……これは書いたのではなく、映像を切り取って焼き付けるような技術だそうですが……が同封されておりました。彼女の字と、添えるように流麗な字で公爵家の次期当主の名前が記してありました。
白いドレスにベール。俗世に疎い私でもこの装いが何を示すものか知っています。どうやら幸せにやっているようです。
この写真は誰かにうっかり見つからないように私の部屋の本に挟んでおくことにいたしましょう。
伯爵令嬢レイラの人生に幸多からんことを。
◇◇◇
「私が間違っていたんです」
「詳しく聞かねばお言葉は主に届きません、さあ、どうぞ」
先日の懺悔で終わりではありません。ここは懺悔室ですからいつでも、だれでも訪れることができる主との会話の場なのです。
今日来ているこの殿方はいつものような一人で来る信徒さんとは違います。数は少ないですが護衛を連れており、懺悔室の外、すこうしだけ距離をとったところに居る男性は主の前では本来下ろすべき剣をその腰に下げています。
彼自身も思うところがあるのかそわそわと剣を下ろしたそうな素振りを見せていました。敬虔な方であれば当然の反応なのですが今日はそうもいかないでしょう。なんせ彼は仕事中なのです。皇太子殿下の護衛という、とても大切な。
彼は今や時の人です。私はここに来るおしゃべりな行商人しか情報源がないので詳しくは存じ上げないのですが、どうやら先日大きな夜会でひと騒動あったといいます。
本来、この国の貴族は原則として十歳までに婚約者が決まります。もちろん政略的な側面の強いものですから信徒のお嬢さん方の夢見るようなロマンスはほとんどないと言えるでしょう。(聖女というこの肩書も邪魔になったことがあるくらいですからそれくらいは私でも知っています)
シリウス皇太子殿下の婚約者は五歳のときにすでに決まっていました。筆頭であるジュリエンヌ公爵家の長女であるダイアナ様です。ジュリエンヌ家はことさら信心深く、熱心ですのでこちらにも多額の寄付をしていただいております。
当主様は貴族の割に欲深い面の非常に少ない方で、夫人とお嬢様、使用人、領民が自分一人くらいいなくなっても無事生きていけるようにとお祈りされていることが多いです。内容を知っているのは私が主のお声を聞くことができるからなのですが、主は公爵閣下とその関係者(ご家族や忠義のある方たちですね)を甚く気に入っておられると申しておりました。
さて。
皇太子殿下の起こした騒動は一言で申し上げますと冤罪による婚約破棄だといいます。ことがことですので廃嫡もささやかれておりますが、さすがにそこまでは無いでしょう。王位継承権の剥奪と臣籍降下くらいは命じられるかもしれませんが直系の血族ですので無下にされることは考えにくいものです。幽閉されたとしても種馬にされるのでしょうから命までは取られないのではないでしょうか。
憶測で語るのは野暮ですので、殿下の懺悔に耳を傾けます。
「私はなぜあの時ダイアナの言葉に耳を傾けなかったのか、彼女は正しかったのです。彼女の言葉をきちんと受け止めるべきでした、皇族として、婚約者として……」
「…………」
「ユリアンヌの言葉を鵜呑みにしました、彼女だけを信じました。ろくな証拠もないままダイアナの名誉を傷つけました」
どうやら殿下は件のユリアンヌという侯爵令嬢に粉をかけられ、すっかり魅了され、それはそれは酷い有様だったといいます。酷いといいますけれど、四百四病の外なんていつの時代もそういったものです。
これが私たちのような平民同士ならやや男女関係がこじれた程度の話だったのでしょうが筆頭公爵家の、溺愛されている長女、しかも唯一の娘(ダイアナ様には三人の兄と二人の弟がおりますので)がコケにされたとあっては皇室相手でも公爵一家の怒りは推して知るべしというものです。
殿下の口からあふれ出る告解にはそうした情報も含まれています。あまり平民が聞いていい話ではないのですが仕方ありません。私はこの土地での主の耳であり目であり口なのです。
ダイアナ様は夜会では凛として反論なさっていたそうですけれど、お帰りになられてからはまるで空っぽになってしまったそうで、熱心になさっていた皇妃教育もなくなり返事は上の空。兄弟たち自ずから茶会や食事の席を設けてもぼんやりと虚空を見つめておられると言います。
とは言いますものの……先日、孤児院の視察にいらしたときにはもう婚約破棄のあとでしたのであのダイアナ様を思い出してみます。
廃人になった、とかではなく単純に今までが忙しすぎたので何をしていいのかよくわからないのだというようなことをこぼしておられました。ええ、私はそういった声も聞き届けるものです。場所が懺悔室でなくとも主は耳を傾けお声をかけてくださるものです。
彼女にとってお茶会も食事会も、マナーを気にするための場であり、品定めされる場でした。その多くに高位の貴婦人がいたのですから当然です。稀代の淑女とは言われてもダイアナ様は私より三つも年下の十六歳でしたから、生まれのためとはいえ無理をしていたのも本当でした。
ですから、ご家族の善意だけで催される会でどうしていいかわからず、ぼんやりと上の空だったそうなのです。
主は申されました。努力をする姿が大変美しいことを、敬虔な信徒であるダイアナ様にはご加護を授けることを。主は知恵を貸し与えられました。公爵領の一番東の辺境へ行き療養ということにしなさいと。そこで必ず最良の縁を約束すると。主の約束にダイアナ様は泣いて頭を垂れました。そのお姿は私よりも聖女らしかったものです。
その後はお元気そうですよ。なんでも騎士団の一人がちょうど叙勲の話があってその方と良い仲であるとか。
ですが公爵家の方と、私以外はその話の真実など知りません。公爵閣下が療養といえばそれは療養で、具合が悪いと言えばダイアナ様は具合が悪く、面会謝絶と言われれば皇族であったとてその原因である皇太子殿下がダイアナ様にお会いすることなど叶わないのです。
「あれから何度も夢を見ます。ダイアナが、自らの手で命を絶つ夢を。今は療養中だと聞いていますがあれから自分の浅はかさを呪わぬ日はありません」
主に夢を操る力はありません。これは単純に罪悪感の象徴なのでしょう。
ユリアンヌ嬢は今、ダイアナ様の代わりに急ピッチで皇妃教育をされているといいます。大々的に宣言してしまった以上そうするしかないのでしょう。ダイアナ様と同程度には優秀だそうですがそれはあくまでも学びの話。ダイアナ様と同じ水準にするには同じだけの期間学ばねばならず、それは一年とか二年程度では絶対に足りないのです。
そして化けの皮がはがれたとでもいえばいいのか、どうやら人格者とはとても呼べない有様のようです。殿下がやつれた様子で懺悔に来る理由も大方察しがつきました。
なんとまあ自分本位で自己中心的なのだろう、と思いますが私の主観は置いておきます。この小さな部屋の中で、私の役割は主の耳となり目となり口となることなのです。
濁流のような懺悔がひとたび止まり、殿下ははあ、と深いため息をつきました。
「貴方は自身の罪を正しく理解し、懺悔しにいらしたのですね。もう大丈夫です、主は貴方に救いの道を示しておられます」
「救いの、道……」
「今日この場所に、かのご令嬢も一緒に居たならば、そうでなくともご令嬢が少しでも行いを悔やんでいたならば、より救いのある道を示すことができたでしょう。ですが」
ごくり、と殿下の喉が鳴ります。木の格子とやや厚手のカーテンで遮られているとは言え緊張している様子くらいは伝わってくるものです。
「ご令嬢は反省や懺悔どころか、自身の行いを英雄的に考えている節があるようです。罪深い行いです。迷えるお心を、主にお祈りください、ご令嬢はご自分が何をなさっているかわかっていないのです」
主が一番嫌う人の罪こそ「無知」です。先日のエイリーンとはわけが違います。
ユリアンヌ嬢はダイアナ様と同じ十六歳。比較対象にダイアナ様がいるのでは生半可な信仰では許されないでしょう。本当に、本当にお可哀そうなことです。
主はいつの世も平等で正しくあられますが、今回は相手が悪すぎました。聖人と呼んでも差し支えないダイアナ様を陥れたのです。人に許された行いではありません。それはまるで……
「かのご令嬢にはとても、とても辛い罰を与えねばならぬと主は申されています。死んだほうがましである、というようなそういった辛い辛い道のりです」
「……甘んじて、受けねばならぬのでしょう」
「その通りです。ですからあなたに残された救いの道は、そうして死にたがるご令嬢を死なせぬようそばで見張ること。そうしながらこの国を栄えさせること。いつかダイアナ嬢に相まみえたとき、心の底から彼女を祝福すること。それが主があなたに与えたもうた救いの道です」
うなだれたような空気を感じます。けれどその理由もなんとなくわかります。人というのは利己的で欲深いものですから懺悔に来て救われたいと願いますし、そこに思い描く救いは自分にとってとても都合のいいものなのです。
きっと彼はユリアンヌ嬢とのやりとりを清算したかったのでしょう。ダイアナ様に許されたかったのでしょう。そうしてダイアナ様とやり直すような未来も、もしかしたら夢見ていたかもしれません。
ですが主のお導きはあくまでも主の許し。ダイアナ様の許しではありません。
「ほかに言い残すことはございませんか?」
「私は、もうダイアナに会えないのでしょうか」
「そんなことはありません。彼女は生きているのですから。彼女にはまた会えますよ」
その時あなたではない誰かとすでに結ばれていますけれど、という言葉を飲み込みます。これを伝えるのは主の意志ではありません。
殿下が隣の小部屋から出ていき、大戸が閉じたのを確認してから私も部屋を出ます。懺悔とは本来お互いが誰であるか分からないようにするものです。最も、皆様私の力を頼りにいらっしゃるのでこちらは顔など隠さなくても同じことではあるのですが。
「お疲れさまでした、聖女猊下。お茶をご用意しましょうか?」
「いいえハリス、まだ手を清めておりませんから」
そういえばここに来る方たちは総じて主を「神」と呼ばれます。自身の国で一番影響のあるこの場所がなんだかもきちんとわかっていないのです。神と呼ばれるものがいるのはレイラ様を案内した南や、ダイアナ様を呼んだ東の教会で、北方にあるこの場所で私の口を使っているのは、世間一般に悪魔といわれるその方です。
ですから主はよく笑っておられます。最初から南や東に行けば、ここで懺悔をしなければもう少し夢を見ることができるのに、と。
悪魔というのは西方教会においては人間を堕落させる存在ですが、この北方ではどちらかというと「救いを与えないもの」なのです。だから主は被害者の彼女たちを北方から追い出しました。彼女たちは正しく救われるべきであるからという慈悲なのです。
ダイアナ様はご自身の信仰が「神」ではないことをよくご存じでした。だからこそ主は彼女を追い出したのです。その信仰に報いるために。
「夕方にまた一人いらっしゃるそうです。お食事をとってお休みください」
「ありがとう、ごめんなさいね世話をかけます」
北方教会の懺悔室。ここに救いなど、ありはしないのです。