蛇足 僕には重すぎる荷物だ
その子供の世界は、酷く狭い。
優しい大人達、ちょっといじわるだけど一緒に遊んでくれる年下の子供達。頼りないけど自分を愛してくれる父、いつも見守ってくれる祖母。
子供の世界は、これだけで成り立っていた。
子供は人よりも力が弱く、体力がなかった。だから、誰かと競争したり、力比べをするといつも負けていた。
だけど子供は、それを嫌だとは思わなかった。皆が受け入れてくれたから――。
「私は君の本当のお父さんじゃない。けど、私もおばあちゃんも、君を本当の息子として愛しているよ」
父は、よくこう言って子供を寂しそうに抱きしめた。それが子供は嫌いだった。
母は事故で死んだと聞かされていた。子供は母が死んですぐに、今の義父の元に託されたそうだ。実の父親については知らない。知ろうとも思わない。
(何度も言わなくても、僕のお父さんはお父さんしかいないのに)
父が自分を愛しているように、父も自分に愛されていることに気づいてほしかった。
子供の出生に秘密があると知ったのは、ちょうど十四になる時だった。
この歳になると、偉い人達はこぞって結婚したり、将来を約束したりするらしい。毎日豪華な食事や、高価な服や宝石を身に着けているのだろう。子供には想像もつかない世界だ。
ある日、謎の悪寒を感じて夜中に目が覚めた。もう一度寝ようとしても、目が冴えてしまって余計に頭が働いてしまう。ここに居てはいけないと、悪寒が酷くなっていく。子供は、気分転換に散歩をすることにした。
(今日は満月か)
虫の音が、どこともなしに鳴っている。寝ている間に掻いた汗が、夜の風で冷えていく。どれくらい歩いただろうか。集落の外れまで来てしまった。
(帰ろう)
冷えた体をさすって、家路に着こうとした。途端、背中が総毛だつ。子供は服が汚れるのも厭わず、前方に転がる。振り返ると、見知らぬ男が子供のいた場所に剣を突き立てていた。
(本物だ)
本物の剣が、子供を貫こうとした。
子供は男から逃げるために走った。どうして、なんで、何が起きている。体が心を置き去りにして、家とは反対の方向に走る。
家に帰らなかったのは、男に村人全員殺されると、無意識に気づいていたからか。それに思い当たったのは、一か月後のことだった。
初めて命を奪った記憶は曖昧だ。しかし、感触だけは鮮明に思い出せる。その頃は自分のナイフなんて持っていなかった。
石で叩いた感触。
奪った剣で刺してしまった感覚。
子供が覚えているのは、命からがら家に帰り、祖母に傷の手当てをされたことだけ。
「頑張ったねぇ」
祖母のしわだらけの手が、優しく子供の傷を撫でた。
翌朝、怪我をした子供を見て、父は慌てていた。子供は、さっき転んだのだと嘘をついた。そんなことで騙される父ではないが、子供が口を割らないと分かると、それ以上聞いては来なかった。
ただ、それから子供に何かあったのだと察するたびに、必ずあの言葉を言ってくるようになった。それが嫌でもあり、救いでもあった。
子供の出生を父は知らないようだったが、それでも何かを感じ取っていたのだろう。子供は自分の罪が増えた気がした。
子供の狭い世界は、このとき壊れたのだ。
幾年か経ち、子供は青年になった。何度も命を狙われ、そのたびに青年は生き残った。
何度も命を狙われていくうちに、青年は自分が命を奪う才能があることに気付いた。
刺客が隣国から来ていることを知った。それは、自分の出生が関わっているのだろうと、簡単に予測できた。
だからといって、お金もない、体力もない、殺すことしか取り柄のない青年に、現状を打破する術はなかった。
(人を殺している僕は、天国には行けない)
彼女と同じ、天国には行けない。
青年は、この村でひっそりと暮らしたかった。いつ敵の手が及ぶとしれない。だから、離れなければいけない。そう思いながら、今ある幸せを手放せなくて、大人になってもここにいる。
気になる女の子もできた。王都から来た女性で、貴族の生まれらしい。らしいというのは、普段の彼女から想像がつかないからだ。
彼女は青年とは違い、とても力が強かった。青年が欲しいと思った力だ。けれど、彼女は彼女で、その力で苦労しているようだ。普段の明るさで隠れているが、極端に接触を避ける様子から、その苦労が窺える。
親近感が湧いた。同族意識というのだろうか。彼女の傍は、とても落ち着いた。
でも、これ以上踏み込んではいけない。彼女にはもっと、そう、彼女の執事がお似合いだと思う。自分なんかには、もったいない。身の程をしらなければ。彼女は貴族、自分は平民で人殺し。わかりやすい差だ。
「彼女は基本的に好きにさせていい。けれど、もしもの時は、頼むよ」
自分と同じ王子という立場の彼は、自分よりも余程王子らしく残酷であった。青年は、彼女の為になって死ねるなら、この血に汚れた人生も悪くないと思った。
「ご家族に挨拶してきたら」
気を利かせた彼女に言われ、青年は村を出る前に家族の顔を見に行くことにした。本当は、何も言わずに行くつもりだった。帰れるか分からない。何も告げずに立ち去れば、親不孝な息子の顔など早く忘れてくれると思った。
「お父さん、僕――」
「言わなくていい」
青年の胸に、鞄が押し付けられる。中を覗くと、食料や申し訳程度のお金が入っていた。父の顔を見る。
「誰の子であろうと、お前は私の息子だ」
今にも泣きそうな顔をしていた。格好のつかない姿に、笑いが零れる。肩の力が抜ける。
「僕のお父さんは貴方だけだよ」
すっかり皺の増えた父が、泣き崩れる。まだ40代なのに、最近は白髪が出てきている。月日の長さを感じた。
みっともなく泣く姿に、やっぱり格好つかないなぁ、と思いながら青年は父を宥めた。
「貴方の本当の名前、知りたい?」
タージェスに向かう馬車の中、彼女が聞いてくる。青年は、質問の意図が分からず首を傾げる。
「王子としての名前ですよ」
執事が補足する。合点がいった青年は、少し考えて断った。
「知りたくないの?」
「僕はエリックだ」
王子として行くのではない。グリア村のエリックとして行くのだ。父は頼りないけど優しい村長で、祖母はおっとりしていて、村の人は優しい。
決して未来の王ではない。
それを聞いた彼女は、分かっていたとでも言うように、クスクス笑った。
今回は独白ということで、ポンポン場面転換させました。前半は青年の小さい頃、後半は本編になぞらえながら進んでいます。
本編で書かれなかった補足
青年の祖母は、青年の出生について知っています。当時、青年が村に来たときは、彼女が村長だったからです。
守りたいという気持ちはあるのですが、このおばあちゃん周囲に溶け込むのが上手いだけで、足腰が悪いです。気配を消すのが上手いだけで、特殊な訓練は積んでいません。ただ、自分の命を捨てでも助けたいくらい、青年を大切に思っています。
おばあちゃんが義父に青年の出生を教えなかったのは、お腹を痛めて生んだ子供を守りたいという母親の愛です。情報を持たせて、息子と孫の命が危なくなるのを防ぐためでした。
読んでいただきありがとうございます。