第1話 たいしたことじゃないけど、婚約破棄された
「リリア・ルクエイン、この場で君との婚約破棄を宣言する」
最後のダンスパーティー。王も参加する学生最後の場で、リリアは婚約者である王子に婚約破棄を言い渡された。
「それは、どういった理由で?」
「とぼけるな。君がユフィに行ってきた仕打ちの数々を忘れたとは言わせないぞ」
「身に覚えがございません」
「ユフィを階段から突き落としたり、文化祭の舞台で彼女の上に照明を落としたり、現場にはすべて君がいたそうじゃないか。その他にも、君の目撃証言がいくつも上がっている。これでも身に覚えがないと?」
「ありません」
ユフィと呼ばれた少女は、王子の影に隠れ怯えている。王子率いる生徒会役員は、全く聞く耳を持たないリリアの様子に苛立ちを募らせていく。
「これまで君の振舞いには目を瞑ってきたが、もう限界だ。今この時を持って、君との婚約は無かったことにさせてもらう。これは決定事項だ」
王子から最後通告が成された。
「最後に言いたいことは?」
王子の言葉に、リリアはほんの少し考えてあげた。そして、そういえばと思い当たる。ニッコリと満面の笑みを見せた。
「ありがとうございます」
良いことをしてくれたのだ。お礼はきっちり言わなければ、伯爵の名が廃る。どよめきが広がる。皆、彼女が笑ったことが信じられなかった。しかし、周りの様子など見えていないかのように、リリアは颯爽と出口に向かって歩く。愛する男に婚約破棄されたとは、とても思えない。
「待ってリリアさん!」
ユフィが、近寄ろうとする。だが、周りの男達によって止められてしまう。リリアは全ての声を無視し、奥に控えている国王に礼を取って会場から出ていくのだった。
執事のビリーは、新品のドアの前で満足気な顔をしていた。
「素晴らしい出来だ。これだけ丈夫なら、もう壊されないぞ」
そのドアは、なぜか金属でできていた。いや、ドアだけではない。机、ベッド、椅子、ソファ、すべてに至るまで金属でできていた。唯一無事なのは、壁と床だけだ。
「ああでも、これだけ金属ばかりだと色味に欠けるな。やっぱり、本棚くらいは木で作ろうか。いやしかし、お嬢様の事だからどうせすぐに壊されるよな。でも、あの人自力で本読めないし、近づかせなければ何とかなるか?」
ブツブツブツブツ。ビリーは、誰もいない部屋で独り言を呟き続ける。不気味だ。そこへ、誰かの走る音が廊下から聞こえてきた。足音の主は、ビリーのいる部屋の前に来ると、金属製のドアをいとも簡単に開けた。
「聞いてビリー!」
バーン!
凄まじい音を立てて扉が開く。そして、あらビックリ。扉がビリーの方に向かって倒れる。ドアの真ん中にはくっりきと人の手形が付いていた。
「あああああドアが! まだ付けたばかりなのにぃ!!」
「そんなことどうでもいいわよ! ただいま!」
「おかえりぃ! ああ、ドアがぁ、俺の努力の結晶がぁ」
ビリーは、無惨にも意味をなさなくなったドアを前にくずおれる。見事なまでに彼女の手形が付いて歪んでいる。壊した張本人は、そんなことを気にも留めず、早く話を聞いて欲しいと彼を急かす。
「ねえ、ドアはいいから聞いてよ」
「うるさいですよお嬢様。俺は今悲しみのどん底に暮れているんです」
「そ、そうなの?」
「お嬢様のせいですよ。謝ってください」
「なんで私が」
「謝ってください」
「ごめんなさい」
「もっと誠意を込めて!」
「ごめんなさい!」
「それじゃ足りません! もっと心の奥底から謝ってください!」
「誠に申し訳ございませんでした!!」
「よろしい」
謝罪が受け入れられたので、今度は償いとしてもはやドアの意味をなさなくなったドアをもう一度あるべき場所に立てかけさせる。自分の主人であるはずなのに容赦がない。その間に、ビリーがお茶を入れる。
ドアを立て終えたリリアは、クッションが敷き詰められたソファに座る。金属に直に座るとお尻を痛めるからだ。彼女の前に、金属製のカップが置かれた。一口飲む。美味しい。ビリーも普通のカップに自分の分を入れ、リリアの向かいに座る。ひとしきりお茶を飲んで落ち着いたところで本題に入る。
「それで、どうしたんですか?」
「何が?」
「卒業パーティーで何かあったんですよね」
「ああ、そうそう。あのね…」
リリアが右手の人差し指を額に当てる。そして首を傾げた。
「何だったかしら?」
「忘れたんですか!? ドア壊して帰ってきたのに!?」
「そういえば、玄関のドアも壊してしまった気がするわ、あとお父様が大事にされていた壺」
「どうりで外が騒がしいわけだ!」
部屋の外からは「お嬢様のいつものご乱心」やら、「隠蔽」といった不穏な言葉が聞こえていた。そんなことお構いなしのリリアは、呑気にお茶を飲んでいる。
「良く思い出してください。このままじゃ、旦那様に壺を割ったこと話しますよ」
「卑怯だわ! まだ模造品の準備もできてないのに!」
「はい、じゃああと2秒で思い出してください」
「ちょっとまって、早すぎない!?」
「いーち、にー」
「思い出した! 思い出したわ! だからお父様に言うのだけは止めて!」
リリアが身を乗り出して、ビリーを止める。その拍子に机に手を付いてしまった。幸いなことに、手形が付くだけで済んだ。あと少し力を込めていたら、足が歪んでしまっただろう。
「大したことじゃないんだけど、さっきイグニスに婚約破棄されたの」
「はあ、婚約破棄、それはまた面倒な、めっちゃ大ごとじゃないですか!」
「仕方ないわ。私もこの第三の力を抑えらないんだもの。彼にも我慢の限界が来たんだわ、可哀想に」
「普通だったら厨二病乙とか言うんですけどね。お嬢様が言うとシャレにならないから怖い」
ある伯爵家に、それはそれはとてもつもなく可愛らしい女の子が生まれました。女の子はリリアと名付けられ、すくすくと育ちます。リリアはちょっと変わっていますが、普通の女の子でした。しかし、ひとつだけ皆と違うところがあったのです。
「おとうさまー」
「伯爵様! ドアが壊れました!」
「うん、いつものことだね」
「こっちは家の外壁です!」
「うん、いつものことだね」
「今日はカップを割りませんでした! しかも普通のカップ!」
「うん、優しい子だね」
「家宝の絵画が跡形もなく粉砕されました!」
「……ぐすん」
彼女はそれはそれは、とてつもなく、ハイパーにウルトラに、とっても力が強かったのです。20キロの肥料が入った袋をわずか二歳で持ち上げ、大人五人がかりでも持ちあげられなかった岩を6歳で動かしました。その後も彼女の力は成長を続け、現在は何か物を触るたびに壊してしまうクラッシャーへと進化していったのです。
「イグニス様と婚約を結んで13年。いくらお嬢様の力を見ても引かなかった方が、婚約破棄されるって相当ですよ。一体何したんですか?」
「それよりも私は貴方の言った厨二病という単語が気になるんだけど、えーとたしか私がユ、ユ、ユメミさん? という方をいじめたとかなんとか」
「ハッ、その展開は、王子に近づく女を見てお嬢様が、『あの方は私だけの物なのにあの女許せない。二度と殿下の前に立てないようにしてやるわ!』とかなんとか言って、彼女を苛め抜き、そして王子に勘づかれてパーティー会場での婚約破棄という名の公開処刑をやられる定番イベントですね!」
「うん、前半はともかく後半は正解ね。時折出てくる貴方のその妄想は、どこから湧いて出るのかしら」
「それでどうなんですか? いじめたんですか?」
「いじめては無いわね」
リリアは、最後のお茶を一飲みする。空のカップを渡すと、また新しいお茶が入れられた。今度はハーブティーだ。リリアの執事は優秀だ。しかし、時折可笑しなことを言うからリリアの元でしか雇ってもらえないのだ。
「まあ、ちょっと行動が目に余ったから注意はしたけど、率先して危害を加えることはしていないわ。むしろいじめていたのは私ではなく、公爵様の家ね」
「しかし、根拠もなくイグニス様が婚約破棄したとは思えないんですが」
「私が彼女を階段から突き落としたり、照明を彼女の上に落としたからよ」
「…理解しました。たまたまお嬢様にそのユメミさんがぶつかって、お嬢様の体幹に耐えられず階段から落ちたんですね」
「ええ、そうよ」
「そして、お嬢様が準備した照明が、たまたまひび割れてしまいちょうど彼女の上に落ちたんですね」
「すごいわ、貴方執事じゃなくて探偵に向いているわよ」
リリアがパチパチと拍手をする。悲しいかな。すべては彼女の圧倒的な力が原因だった。リリアは力が強いと同時に、とても頑丈だった。たとえ筋肉ムッキムキの男がぶつかってきても、まったくブレない自信がある。いや、彼女なら持ち上げることもできるだろう。そんな彼女に、普通の体格の女性がぶつかったらどうなるだろう。もちろん負ける。ユフィもそうだった。彼女はたまたまリリアにぶつかり、たまたま階段に落ちてしまったのだ。
そして、照明もそうだ。力加減ができない彼女は、文化祭の準備を慎重に行っていた。とろいと陰口を言われるくらい慎重に行った。力のことがバレない程度に裏方の仕事をせっせとしていたのだが、これまた不運なことに彼女は自分が用意した照明にヒビを入れてしまったことに気付かなかった。その結果、たまたま劇の最中にたまたまユフィの上に落ちてしまったのだ。何というか、そういう運命ではないかと思ってしまうほどの不運が重なった結果だった。
「ビリー、私は好機だと思うの」
「はい?」
「私は常々、リリアと書いてゴリラと読む女と結婚なんて、彼が可哀そうと思っていたのよ」
「自分で言ってて悲しくなりません?」
突然高説を始めたリリアに、ビリーは白けた目を向ける。たしかに屋敷の者だけでなく、実の父親にさえゴリラと言われている彼女だが、本人も容認して良いのだろうか。ビリーはいまだに、彼女の無駄にポジティブな部分を理解できない。
「それに、今後汚名を着せられた私に婚約を申し込む人なんていないわ」
「そうですね。貴女の力を知っても、一緒に居てくれる人は少ないでしょうし」
「だからね、いっそのこと田舎に引っ越して畑を耕そうと思うの」
「なんて?」
「田舎に引っ越して畑を耕そうと思うの」
「ん~、幻聴じゃなかった」
(田舎にいるばあちゃん元気かな~。あ、俺の家ばあちゃんいないんだった)
ビリーは現実逃避した。部屋の外から、「模造品ができたぞ! これで旦那様にはバレない!」という声が聞こえた。隠蔽は成功したようだ。
「畑仕事なら私の力が有効活用できるし、田舎に行くことでのんびりとした余生を過ごせると思うのよ」
「貴女いくつですか」
まだ18歳の生娘が余生とか言うな。婚約破棄されて一気に老成したか。
「ゲートボールもしてみたいわね」
「やめてください。死人が出ます」
リリアの打ったボールが、おじいちゃんおばあちゃんの頭に当たる未来しか見えない。しかも、ゲートボールなんて繊細なゲーム、彼女ができるわけない。更地になる未来が見える。その前に出禁になるだろう。
「まあ、冗談はさておいて。とにかく私は引っ越すわ」
「ちょっと待ってください。引っ越すってどこに行くとか決まっているんですか? 家だって用意しないといけないんですよ」
「東に行こうと思うの、家はもう手配済みよ」
「はや! さてはアンタこの日を待っていたな!」
「変なこと言わないでちょうだい。こういうのは用意周到と言うのよ。それじゃあ、私はこのことをお父様に行ってくるわね。これから貴方と会うこともなくなるだろうし、最後に話せてよかったわ」
「待てい!」
二杯目のお茶を飲み終わる。最後にビリーへ別れの挨拶を告げた。しかし、リリアの目の前にビリーの手のひらが出てくる。手が退くと、覚悟を決めた表情をしたビリーがいた。
「誰が貴女の壊した家具を修理するんですか? 俺も行きます」
「でも、貴方はこの家の執事でしょ?」
「それを言うなら貴女もこの家の人ですよ。旦那様にだって貴女のことを任せられているんですから、田舎に行くと言うなら俺も行きます」
「リリアさんはどうするのよ。一緒に住んでいるんでしょ?」
ビリーにはリリアという彼女がいる。彼が言うには、それはそれは美人らしい。リリアとリリア。とてもややこしい。ビリーの彼女の方には、括弧を付けておこう。
「あの子はいつも俺の心の中にいます。心配いりません」
「リリア(彼女)さんの意見は? きっと悲しまれるわ」
「リリア(彼女)は優しい人ですから、分かってくれますよ。愛があれば距離なんて関係ありません。ですから、どうかお願いします。俺も連れて行ってください」
「…しょうがないわね」
リリアの返事を聞いたビリーは、やったー!と喜びを露わにする。そんな彼を微笑ましそうに見ながら、自分と同性同名の名前の人のことを愛していると言った彼に、場違いにも気持ち悪いなと思ったのは胸に留めておこう。
リリア(彼女)の正体は、後々出てきます。