追われる者 6
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店は先程の男性客が帰ると、一気に静かになった。ホリィアンは男性客に丁重にお侘びして、カルザスの許可を得てから、別のアクセサリーを一つおまけして帰したので、彼もさほど悪い気分にはならなかったようだ。
ちょうど昼休憩の時間ということもあり、カルザスは店の入り口に閉店の札を引っ掛ける。そしてホリィアンを呼び止めた。
「レニーさんはどうかなさったんですか? 僕は他のかたの接客で忙しかったもので、状況を見ていなかったのですが……」
「あ、はい。婚約者のかたへのプレゼントのオーダーを受けていたんですけど、お話の途中で突然、これは自分には作れないと仰られて……わたしも何がなんだか……」
カルザスはふと考え込む。
「指輪に名前を彫ってほしいというオーダーだったんですけど、そのお名前を聞いた瞬間、レニーさんの様子がおかしくなってしまって」
「名前、ですか……?」
不穏な予感を抱き、カルザスはホリィアンを見つめた。
「そのお名前って、ホリィさんは聞いていましたか?」
「あ、はい。たしか……お客さんがセルトさん、婚約者さんがシーアさん、だったかと」
ガタンと、カルザスはカウンター内の椅子を倒した。ホリィアンは叱られた子供のように、ビクリと体を震わせる。恐る恐る彼を見上げると、彼もまた、普段とは全く様子が異なっていた。
「……珍しいお名前ではありませんでしたけど、まさかふたつ重なってしまうなんて……」
カルザスは眉間に皺を寄せ、口元を抑えたまま、深いため息を吐いた。状況が飲み込めないホリィアンは、カルザスの豹変した様子を見て、オロオロするばかりだ。
「あの……お名前がどうかなさったんですか?」
「それは……」
「あっ……あのっ……仰りたくなかったら、言わなくても……いいです、けど……」
カルザスは店奥に目をやり、そしてホリィアンに向き直った。
「決して口外なさらないでください」
「は、はい!」
カルザスは心の中でレニーに一度詫び、口を開いた。
「セルトさんとは、レニーさんが抱くはずだったお子さんの名前です。そしてシーアさんとは……あのかたが、今でも誰より愛していらっしゃる、唯一絶対の女性のお名前です」
ホリィアンが息を飲む。
以前、レニー本人の口から、愛する妻と子がいたということは聞いていた。そしてその二人を同時に失ったということも。
「……カルザスさんもレニーさんも、お隣のウラウローのご出身でしたよね? その……ウラウローには、砂漠地帯特有の悪い流行り病でも蔓延しているんでしょうか? もしくは、事故に巻き込まれたとか……?」
人の死と言えば、イコール病死か事故死という因果しか考えられないホリィアンは、素直に自分の考えをぶつけてみる。だがその問いかけに、カルザスの返事は遅く、鈍い。
「……あ、わたし、また余計なことを……」
「いえ、あなたには聞いてもらってもいいと思います。妙な邪推をされても、返ってあのかたを傷付けますから」
カルザスは小さく深呼吸し、目を閉じたまま、静かな重い声音を喉の奥から絞り出した。
「シーアさんとセルトさんは……殺されました。レニーさんの目の前で、彼に対する見せしめとして」
ホリィアンは膝の力が抜け、その場へとへたり込んだ。ガクガクと体が震え、『殺された』という単語が何度も頭の中を反芻する。真っ青になった顔は引き攣り、言葉が出てこない。
「レニーさんがウラウローのある組織から追われていることはご存知でしたよね? その組織を抜けようとしたレニーさんに対する見せしめとして、お二人はレニーさんの目の前で殺されたのです。そのことがきっかけで、心を失ったレニーさんは会得している特殊な技能を利用されるような形で、僕と出会うまで、傀儡のように命じられるまま、悪事を続けていました。自我を保てないという最悪の状況から抜け出すため、僕はレニーさんをウラウローから連れ出しました。そしてようやく心を落ち着けられたのです」
ホリィアンは震えたまま、自らの両腕を擦る。
「その組織は今でも、レニーさんを追っています。だから僕は、僕の人生全てを賭しても、彼を護ると誓ったんです。レニーさんが自分の本来の姿を見せられるのは、この世でもう僕だけだから。僕がホリィさんを一番にしてあげられない理由は、ここにあります。僕はこれからも、二人分の人生を抱えて生きなければいけないんです。理解していただけましたか?」
ホリィアンはコクコクと頷いたが、まだ体の震えが止まらないでいる。
「ただ同じ名前を聞いただけで、辛い過去を一瞬にして思い出し、豹変してしまう……レニーさんのそんな姿を見れば、レニーさんがシーアさんという女性をいかに深く愛していらしたのかホリィさんにも分かりますよね? そんなかたを失ってしまった心の穴は、誰がどんなことをしても埋まらないんです。僕はただ、寄り添って支えているだけしかできません」
「わ、わたし……が……あのお客さん、を……案内しなければ……」
「ホリィさんの落ち度ではありませんよ。いえ、誰も悪くはないんです。ただ、運命の悪戯だとしか」
カルザスはホリィアンに手を貸し、彼女をゆっくりと立ち上がらせた。
「今、僕やホリィさんにできることは、ただ寄り添うだけです。余計な言葉は必要ありません。傍にいて差し上げるだけでいいんです。レニーさんのところへ行きましょうか」
「は、い……」
カルザスはホリィアンを伴って、レニーが閉じこもってしまった寝室へと向かった。




