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砂の棺 if 叶わなかった未来の物語  作者: 天海六花
ホリィアン
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ホリィアン 7

     7


 キッチンのテーブルに便箋を広げたまま、カルザスは指先でインク瓶の蓋をなぞっている。そしてまだ一度もペン先をインクに浸していない。

「どう、返事は書けた?」

 レニーが湯上がりに髪を拭きながらやってくる。

「それが……どう書いていいものか」

 カルザスが両肘をついて頭を抱える。

「勉強や商いより難しいです……」

「思うままに書けばいいじゃん。とりあえず友達からお願いします、とか」

「そうは思うのですけど、適切な言葉が出てこないんですよ。よければレニーさんの経験談を参考にさせていただけませんか?」

「おれの? 無理無理」

 レニーはカルザスの向かいに座り、軽く手を振った。

「おれは手紙なんか、もらったことも書いたこともねぇもん。暗殺の指令書ならイヤって程、見たり書いたりしたけどね」

「え? シーアさんともやり取りしてないのですか?」

「当たり前じゃん。シーアは字、読めねぇし書けねぇもん」

「そうだったんですか?」

 カルザスは驚いて身を乗り出す。

「そうだよ。考えてみなよ。シーアは貧民出の女だぜ? 文字の読み書きができりゃ、多少の仕事はもらえてたはずだろ?」

 彼はうんと納得して頷いた。言われてみれば、たしかにその通りだ。

 ウラウローの民の識字率は決して高くない。だからこそ、多少でも読み書きできる者は、大抵なんらかの仕事にありつけるのだ。当時の傭兵仲間ですら、自分の名前程度しか書けない者はかなりいた。

「ではどうやってシーアさんと連絡を取り合ってたんですか? お逢いになる日の約束だとか」

「シーアと逢う時? おれがおれの都合で一方的にあいつのいた孤児院に押しかけてたけど?」

 レニーがケロリとして答える。そしてカルザスが何か言わんとしていることに気付き、やや早口に言葉を付け加えた。

「おれが元締めの傍を離れて自由に行動できる時間ってのはかなり限られてたからね。次はいつ逢えるとか、そういうのはおれ自身も全然分からなかったからさ。最初にシーアに言ったんだ。おれはおれの都合で押しかけるけど、お前の都合が悪かったら、その場ではっきり断ってくれって」

「なるほど」

「それでもあいつが断ってきたのは、数回だけだったけどね。孤児院のチビが熱出したとか、先生におつかい頼まれてるとか」

「シーアさんも、レニーさんとお逢いしたかったんでしょうね」

「あいつが逢いたいって思う時に応えられないのは、おれも辛かったけどね」

 レニーはテーブルに頬杖をつき、ぼんやりとカルザスの手元にある白紙の便箋を眺める。自分なら何と書いたのだろうか。

 ありったけの愛情を文字にしたためるには、当時はまだ若く青臭かったので、おそらく照れて何も書けなかっただろう。だが、今なら──

「自分の思う通りに意思疎通ができるというのは、幸せなことだったのですね」

 カルザスは白紙のままの便箋に視線を落とした。そしてふと、思いついたように顔を上げる。

「では、レニーさんがシーアさんと出会った時の話を聞いてもいいですか? どちらから告白なさったとか」

「なに? おれに惚気(のろけ)けろって? 野暮だねぇ」

 茶化すように言うと、彼はそういう意味ではないと、必死に弁明する。

「おれとシーアの出会いね……」

 レニーは昔を思い出すように、一旦そこで言葉を区切り、そっと目を瞑って、古い過去の出来事を思い起こした。


「おれね、最初にシーアに近付いた理由は、シーアを殺すためだったんだ」


 さぁっとカルザスの顔色が失せる。

「まだ駆け出しの頃、ちょっと裏の仕事をしくじっちまって、警備の連中に追われてさ。スラムの路地裏に逃げ込んだまでは良かったんだけど、そこでシーアとばったり出くわしたんだ。返り血の付いた姿も見られたし、素顔も見られたし、これは口封じするしかないって、暗殺者としての意識が働いたんだ。だけど……」

 レニーが手のひらをみる。白く細い指の綺麗な手だが、彼の目には血まみれの手が映っていた。時折ふと()えてしまう幻覚だ。

「暗殺をしくじったことでおれもかなり冷静さを欠いてて。暗殺者にあるまじきことだけど、おれはその場で目撃者であるシーアを殺すことも忘れて逃げだんだ。逃げ帰っちまったんだ」

「それでシーアさんは……」

「次の日になって、頭が冷えて、おれは必死におれの顔を見た奴を探した。もちろん口封じするためにね。それでスラムの孤児院で、シーアを見つけた」

 髪を切って以来、レニーはシーアの形見のイヤリングを付けていない。しかし、耳元に触れる癖はすぐ直らないのか、何もない耳元を掻いては、ハッとしたように手を下ろした。

「おれはシーアを捕まえて、そのまま人気(ひとけ)のない建物の陰に引っ張り込んだ。そして短剣で脅しながら聞いたんだ。おれのことを誰かに喋ったかって」

「シーアさんは、なんて答えられたんですか?」

「ああ。シーアは怯えるどころか、おれの手の短剣を押さえて黙って首を振るんだ。『あなたにこんなものは似合いません』って。おれ、すっかり拍子抜けしちまって、地べたに座り込むシーアの前に屈み込んで、しばらくじっとシーアを見てた。そしたらまたおかしなことを言うんだ。『会えてよかった』ってね」

 レニーは当時の様子を思い出したのか、ふっと吐息をついて肩を小さく震わせた。笑ったらしい。

「シーアさんはレニーさんが暗殺者だと分かっていなかったのでしょうか?」

「多分それもあったと思う。だけどあいつはただ純粋に、おれにまた会いたいと思ってたんだってさ。理由聞いたら笑うぜ」

 カルザスは両手をテーブルに乗せ、彼の言葉を待つ。

「『教会の天使像にそっくりな人がいるなんて思わなかった』だってさ。頭から返り血浴びた天使がどこにいるって言うんだよ」

 レニーが乾いた笑い声をあげた。

「もしかして、シーアさんはレニーさんの本質を見抜いていたのではないですか? だってその頃にはあなた自身、その境遇に疑問を抱いてたって、いつだか聞いたような気がするんですが」

「カルザスさん、半分当たり」

 指で輪を作り、彼は器用に片目を瞑る。

「呆けてたら、今度は逆に、おれがシーアに連行されるように教会に引っ張って行かれてさ。しんと静まり返った聖堂で、おれに似てるって天使像を指差しながら言うんだよ。『あなたはきっと何か困ってる。あたしで力になれることはありませんか』とかね。おれはシーアのことが訳分かんなくてさ、どうしていいかも分かんなくて、ただただ混乱して、とにかく誰にもおれのことは言うなって念押しして、また逃げ出したんだ」

「怖いもの知らずというか、心が純粋と言うべきでしょうか……ある意味豪胆ですね」

「この時のシーアは、ただ純粋におれのことを心配してただけだと思う。シーアは困っている他人を放っておけない性分だったしな。自分だって、貧民の娘だって蔑まれて生きてたのにさ」

 カルザスの聞いていた少女像とは、少し印象が変わった。シーアとは儚く脆い、護ってやらなければ壊れてしまう、か弱い少女だと思っていたからだ。心の純粋さだけが抜きん出ているのだと。

「でもさ。おれね。たぶんこの時に、シーアに一目惚れしてたみたいでさ。それから何日か外に出られなくて、自分の部屋で悶々とシーアのことばっか考えてた。まだ好きだの惚れただのって感情は理解できてなくて、なんであいつはおれにあんなことを言ったのか、なんでおれを怖がらないんだとか、どうしておれはあいつのことがこんなに気になるのかとか、そういうのが延々と頭の中をグルグル」

 自分のこめかみ当たりで指をクルクル回し、レニーは苦笑している。

「やっと外出許可が出て、真っ先に向かったのはもちろんシーアのトコ。で、おれはずっと頭の中をグルグルしてたことをシーアに問い詰めたんだよ。そしたらシーアはおれを孤児院にいたチビたちと同じ、迷った目をしてたから放っておけなかったんだってさ。そういう風におれに接してくる奴なんて初めてで、それからあいつにどう声をかけていいのか余計に分かんなくなって、ただ黙ってシーアを見つめてたんだ。そしたらまた不思議なこと言い出してさ。『今日も一緒に教会に行こう』って。おれはそこでようやく我に返って、自分の正体のことを喋ったんだ。言い触らしたらお前も殺すぞってね。さすがにちょっと驚いてたみたいだけど、でもシーアはおれを真正面から見ながらまた言うんだ。『あなたにそういうのは似合いません。あなたも迷ってるはずです』って具合だよ。ホント、訳分かんねぇ女って、ほとほと呆れたよ」

 元傭兵は口を噤み、元暗殺者の話に聞き入っている。するすると淀みなく話す様子は、以前のように辛そうでも苦しそうでもない。

 彼の口から、これほど詳しくシーアという少女について聞くのは初めてだった。

「おれはもう一度、くだらねぇことをこれ以上ほざいたら殺すぞって脅したんだけど、でももうその時点で、おれはシーアに気迫負けしてたんだよね。『あたしを二度も殺す機会があったのに、あなたは殺さなかった。今でもあたしを本気で殺す気があるなら、できるはずです。でもそれをしないのはなぜですか?』って、逆におれを脅す勢いで……いや、淡々とした聖者みたいな口調でおれを説き伏せようとしてきたんだ」

 レニーは頬杖をついたまま、わずかに視線を反らす。

「おれ、本当にもう何もかも分かんなくてさ……気付いたら……シーアにしがみ付いて泣いてた」

 淡い紫の瞳が曇る。

「ようやくおれ、こいつに惚れたんだなって分かってさ。おれは泣きながら、シーアにおれと付き合えって告白してた。シーアはその時、初めて困惑したような顔になって、自分は貧民の女だからって断られて。だけどおれ、それから事あるごとにあいつのところに押しかけては、何度もシーアに『おれの女になれ』って口説いてた。ハハッ、驚いた? おれの方が先にシーアにベタ惚れだったって」

 過去を懐かしむような遠い眼差し。〝彼女〟はもういないが、穏やかで、その場で互いに語り合っているような雰囲気を醸している。

「レニーさんほどのお綺麗なかたに言い寄られて断るというのもすごいですね。あ、でも自分の境遇や容姿なんかにコンプレックスを抱いてたのならあり得るかもしれませんね。自分とは不釣り合いだからって。きっと僕も気後れしてお断りするかもしれません」

 記憶の中の、美しい詩人の姿を思い出す。彼が男としての衣装を身に纏っていても、誰もが目を留める容姿だったことは間違いない。

「何回目だったかな。条件付きならお受けしますって、ようやく了解を得られて。その条件ってのが、暗殺者をやめて自分と二人で遠い国へ行ってほしいってものだった」

 当時の彼女の持つ知識では、ウラウロー以外の諸外国までどれほど遠く険しい道のりだったかなど、到底理解できていなかっただろう。だが、それでもそういった条件を出したのは、間違いなくレニーのためを思ってのことに違いない。

 自身に戸惑い、道を誤った、目の前の彼を救うために──暗殺者をやめさせるために。

「それでレニーさんはすぐに決断されたのですか?」

「いや、さすがにそれは迷った。おれは物心ついた時には、人を殺すことでしか糧を得る方法しか知らなくて、暗殺者をやめて生きていけるかなんて、不安しかなかったからね。だけどシーアは繰り返し言うんだ。『あなたに人殺しは似合いません』って。あいつに言われ続けている内に、ホントにそれが事実のような気がしてきて、いつの間にか、おれは暗殺者をやめるって約束させられてたな」

「でもレニーさんは僕に出会うまで、暗殺者をやめていませんでしたよね?」

 レニーがクッと喉を鳴らす。そのまま少々口籠ったが、小さく(かぶり)を振って再び口を開いた。

「……ああ。おれの心は、シーアが死んだ時に一緒に死んでたからね。ただ命じられるままでいた方が楽だったんだ。誰かを殺して、一人になる時間が怖くて、何か夢中になれるものが欲しくて、だからずっとずっと、誰かを殺し続けてた。人を殺しながら、おれはどんどん自分の心を深い所に押し込めて、光を閉ざして、自分の心を自ら殺してた。カルザスさんに出会うまで、おれは死ぬべき人間だって思い込んでた」

 自嘲気味にそう呟き、彼は自分の胸に手を置いた。

「シーアが……生きるべき人だったシーアが、おれの全てだったから」

 それは彼の過去の口癖だ。

 生きるべき人、そうでない人──シーア・セムを基準とした、彼の身勝手な格付け。今となってはそれも分からなくもないのだが。

「……すみません。話させてしまって。だけどもう、今は一人じゃないですよ? 僕がいます」

 カルザスは手を伸ばし、レニーの細い手を握る。

「そうだね。もうこの手を離さないでほしいな」

「離しません」

「ありがと」

 短く礼を言い、レニーは胸に溜まっていた息を長く吐き出した。

「ふぅ……おれの話はこれでいい?」

「ええ、充分です。ありがとうございます」

 レニーはほんの僅かだが、憔悴しているように見えた。忘れたい過去を話させるなど、無理をさせてしまったかな、と、カルザスは自身を少々戒める。

「では僕は手紙を書いてしまいますね。レニーさんは先に休んでください」

「おれで手伝えるなら付き合うけど?」

「いえ、レニーさんの話を聞いて、ちょっとだけ分かった気がします。自分の気持ちをちゃんと伝えなきゃいけないんだなって」

「そ。じゃあ、おれは先に寝てるよ」

 レニーがキッチンから出ていくと、カルザスはインク瓶の蓋をようやく開いた。


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