8.
データセンターのようにまるで愛想のない円柱型の建物、通称ホワイトドラム。その地下駐車場に愛車の白いRX-8を滑り込ませた。すたすた歩いてエレベーターへ。四階まで上がると、またすたすた歩を進めて後藤の居室へ。自動式のガラスの引き戸がスッと開く。後藤は今日もゴルフクラブをスイングしている。
僕は応接セットのソファにつき、持参した微糖の缶コーヒーに口をつけた。正面についた後藤は「僕の分はあるかい?」と問うてきた。あるので渡そうとする。カフェオレだ。すると彼は「甘いのは苦手なんだけどなあ」などと述べながら右手を伸ばしてきた。だから手渡すのをやめてやった。
「いや、悠君、苦手だというだけであってだね、君の好意を蔑ろにするつもりはないんだよ?」
「あとで僕が飲みます」
「甘いのは好きなのかい?」
「シーチキンは嫌いです」
「また、突拍子もないね。それでこそ悠君だ」
「なんの用事ですか?」
「二つ、連絡事項がある」
「一つ目はなんですか?」
薄暗い部屋の中、黒いジャケットのサイドポケットからリンゴマークのスマホを取り出し、その画面を後藤は見せてきた。本庄はこちらを向いて難しい顔をしている。泉が彼の頬にキスを浴びせている。そんな両者の写メだ。彼女の自撮りだろう。アングルからそう判断できる。
「伊織さんと朔夜君は仲がいい。妬けるなあ」
「こうなることについては予測がついていました」
「どうしてだい?」
「二人とも非常に魅力的な人物だからです」
「だから、惹かれ合った?」
「はい。一つ目の連絡は以上ですか?」
「うん」
「なら、二つ目は?」
「『特別強行班』の話だ」
単に昔いた組織の名だというだけだ。『マトリ』、あるいは『特別強行班』などという単語を持ち出されたところで、今さら僕の鼓動は乱れたりしない。
「彼らがどうかしましたか?」
「君のかつての上司だ。だからあまり悪く言いたくないんだけれど、『マトリ』の局長、すなわち石塚さんは、しょうもない人物みたいだね」
「そうです。何度も言っているように思います。彼はヒトの上に立つべきヒトではないです」
「あっさり認めるんだね」
「それこそ、経験則というヤツです。これも前に言ったように思います」
「厚労省のお偉いさんから、直々に相談を受けたんだよ。石塚さんの代わりを至急、手配してもらえないか、って」
「それをするのは後藤さんの役割ではありません」
「そう思った。でも、推薦できる人物はいる」
「僕だって言いたいんですか?」
「その通りだ。端的に述べてしまうと、悠君の行動力、あるいは実行力には、誰であろうといちゃもんのつけようがない。管理する側に立ったとしても、君の能力がいかんなく発揮されることは間違いないはずだ」
僕の口元には、少々の苦笑が浮かんだ。
「マネージャーにはなりたくない。一兵卒でいたい。僕にはその一心があって、だからこそ、後藤さんの勧誘を受けたつもりなんですけれど」
「正常かつ正確な指揮系統を失ってしまった組織の末路はわかるかい?」
「空中分解するでしょうね」
「腹を割ろう。君は僕の誘いに乗ったわけではなくて、『マトリ』に見切りをつけたんじゃないのかい?」
「肯定はしません。否定もです」
「白雪さんだよね?」
「ええ。白雪さんですね」
「空中分解。そう、空中分解だ。彼らが、彼女らがバラバラになっていくのを、君は見ているだけで済ませるのかい?」
「後藤さん」
「なんだい?」
「後藤さんは重々承知していることでしょうけれど、今さら、『マトリ』に戻りたいなんて言うわけがないじゃありませんか」
「だよね。まあ、そこのところは強く感じているんだけれど、一応ね。ホント、一応のことなんだよ。あくまでも君は僕の駒だ。その認識を覆すつもりはない。現状を失いたいわけもない」
「自己責任っていう言葉について、後藤さんはどう考えますか?」
「子供以外は持つべき概念だよ」
「では、子供とは?」
「煙草と酒をやり始めたら、もう大人だ」
「おおむね、意義はありません」
「要するに、『特別強行班』の連中に課せられた任務については、あくまでも彼らが責任を負う必要があるというわけだ」
「おっしゃる通りです」
「『特強班』は顔を持たないことが原則とされている。その点はウチと一緒だ。だけど、彼らと僕らとの間には決定的な違いがある。それってなにかわかるかい?」
「わかります」
「言ってごらんよ」
「『治安会』は泥臭い。いっぽうで、『特強班』には根強いエリート意識がある」
「その通りだ。悠君は理解できていると確信しているけれど、あえて言おう。権力を持った組織にこそ多様性が要求されるんだ。正しい価値観が求められる。そこを見誤ってしまうとね、力を行使する側はヒトですらなくなってしまうんだよ」
「話を戻します、後藤さん。『マトリ』はあくまでも厚労省の管轄です。僕達『治安会』が関わるような組織ではありません」
後藤がふっと口元を緩め、うんうんと二度、頷いた。
「君の根っこも泥臭い。それは自覚しているかい?」
「しているつもりです。なにせ、猫を飼っているくらいですから」
「猫? それは初耳だ」
「可愛いです。癒やされます」
「僕は本当に君のことが好きだよ、悠君」
「そういった台詞は綺麗な女性から聞かされたいですね」
「それって本音かい?」
「冗談に決まっているじゃありませんか」