7.
十五時くらいのこと。本庄は刹那の猶予しかない中で、必死になって考えたのだろう。「おまえら、しゃがめ!」と叫んだのだった。場所は人通りの多いスクランブル交差点。肉体労働者であろう、ベージュのつなぎ姿のがっちりとした体躯の男が若い女性を人質にとり、彼女のこめかみに拳銃を突きつけている。こちらだって、その不穏な雰囲気に気づかなかったわけではない。男とすれ違う瞬間、ただならぬ空気を感じたから。でも、僕なら即座に加害者へと銃を向けるなんて真似はしない。極力ヒトがまばらな場所まで尾行して初めて敵対するだろう。そのへんがなってないあたり、本庄はまだまだ未熟と言える。
「だだ、誰だよ、おまえ。な、なんなんだよ、なんだってんだよっ!」
ガテン系よろしくの男がそう叫んだのに応じるようにして、本庄は「んなもん、どうだっていいだろうがっ!」と怒鳴った。「いいから、女を放せ! じゃなきゃ、おまえのこと、殺すぜ!!」という強い言葉を吐いた。
「お、俺はなにもしていない!」
「嘘つけ! シャブかなんかキメてやがんだろ!」
「うるさい、だまれぇぇぇっ!」
「待て、おい、撃つなっ!」
もう次の瞬間のことだ。僕はガテン系の鼻面を正確に撃ち抜いた。男は膝からがっくりと崩れ落ち、女性は女性でへたり込んだ。金切り声のような悲鳴を上げる。ビックリした顔で本庄がこちらを見る。僕は彼を一瞥しただけで、110番にコールしたのだった。
くだんのアクシデントのあと、喫茶店に入った。大手チェーンのそれなりに大きい店だ。対面の本庄は忌々しげな顔をしてそっぽを向いたまま、こちらと目を合わせようともしない。やっぱり潔癖だ。そして誠実すぎる。
「本庄君」
「なんスか」
「ちゃんと尋ねておくよ。泉さんはどうして、今日一日、君を僕に預けようと考えたんだと思う?」
「知らないッスよ、そんなこと」
「馬鹿なセリフを吐くことで、自分を馬鹿だと表すことはやめたほうがいいよ」
本庄は舌を打った。前に首をもたげて、うなじを掻く。吐息をつくと、アイスコーヒーをごくごくと飲んだ。
「君と泉さんは、いいパートナーだと思うんだ」
「それがどうかしたんスか?」
「目上の人物には無条件で敬意を払うべきだよ」
「それはなんつーか……はあ、わかってんだけどなあ……」
本庄のいよいよ諦観したようなその言葉を聞くと、僕の口元には自然と笑みが浮かんだ。
「君には君のやり方がある。それは理解しているつもりだけれど、泉さんの心情をもっと汲み取ってあげてもいいと思う。彼女は君がミスをするのが怖いわけじゃない。なにかの拍子に君が危険に晒されることが怖いんだ」
「俺って、そこまでガキなんスかね」
「ただのガキなら泉さんはかまったりしない。僕だってそうだよ」
「その言葉、信じてもいいッスか?」
「いいよ。なにか問題が生じるようなら、僕が責任をとろう」
「責任ッスか」
「君みたいな同僚がいて、僕は心底、喜んでいるってことだよ」
なんの目的もないまま私用車である白のRX-8を高速道路で流していると、ジャケットのサイドポケットに収納していたスマホがブルッた。大きなヘッドホンを首にかけ、僕は電話に出た。
「もしもし」
「やあ、悠君、掴まったね」
「後藤さん、用件はなんですか?」
「運転中かい?」
「用件を」
「うん。『マトリ』の局長、石塚さんから連絡を受けてね。例の白雪さん。作戦中の彼女と連絡が途つかなくなっちゃったらしいんだよ」
「作戦行動中なら、連絡がつかなくなるのは当たり前だと思います。むしろスタンドアローンであるほうが望ましいです」
「それはその通りだけれど、一応、伝えておいたほうがいいかと思ってね」
「前職には関わるなと言われた覚えがあります」
「僕はそれなりにフレキシブルだということだよ」
通話を本庄にバトンタッチした。後藤から住所を聞かされ、目的地までのルートをナビに表示させた彼は、スマホを返してくるなり、肩をすくめて見せた。
「後藤さんからなにか言われた?」
「非番は今日だけだからって言われたッス。おかしいな。俺、働いてんのに」
「明日は泉さんの隣にいなさいって言いたいんだろうね」
「わかってるッスよ、そんなこと」
僕はヘッドホンを耳に当て、車を飛ばす。心地良いロータリーサウンドは、シートを通じて体の芯に伝わってくる。
現場は商業施設が建ち並ぶ市街地から少し離れたところにある某暴力団の持ちビルだった。日が傾いた中にあって野次馬が多くいて、制服警官が彼らにはけるよう促している。道路っぱたでのんびりと紫煙をくゆらしている刑事とおぼしき男に『治安会』である旨を伝えた。我が組織は非公開だけど、とにもかくにもトップダウンでねじこまれたら言うことを聞くより他ないだろう。仕事を遂行するための当然の根回しだとはいえ、後藤がいつも横車を押してくれることに関しては感謝しなくちゃいけないと思う。
いよいよビルに近づく。屋内でなにが起きているのかは、わからない、見当もつかない。観音開きのガラスドアを開けて、僕と本庄は中へと入った。
若干、驚いた。
エレベーターまでまっすぐ続く通路に、ヒトが大勢、倒れているのだ。うつぶせの者、仰向けの者、壁に背を預けて絶命している者。眉をひそめざるを得ない状況を垣間見ることとなった。前職における同僚も死んでいるのだ。頬に弾丸をもらったらしい。だから顔面ははぐちゃぐちゃだ。確かな情報を掴まないまま突入したのだろうか。あり得る。『特別強行班』の連中は血の気が多い。向こう見ずに討ち入る可能性も充分に考えられる。僕もそうだった。やれると判断したらやっていた。部下のそういった独断専行をゆるしてしまうのは、局長の無能さが成すところに違いない。
いったい、誰が陣頭指揮をとったのだろう。
やはり白雪が?
そんなことを考えていると、本庄から、「行くッスよ、先輩」と声を掛けられた。彼は冷静だ。九ミリのオートマティックを右手に握り、前をゆく。
本庄がエレベーターのスイッチを押した。八階から降りてきたところで、箱に乗りこむ。
そして僕らは八階へと向かう。
本庄はなにも言わない、僕もだ。お互い、すぐに構えられるように拳銃だけを持っている。エレベーターの箱が開いたところで、一拍、二拍の間。撃ってはこないことを感じ取って、二人揃って通路に躍り出て、ドアのほうへと銃口を前に向けた。
するとだ。グレーのパンツスーツ姿の白雪が立っていた。拳銃を右手にさげていて、真っ白な頬には血しぶきが散っている。こちらに向かって歩みつつ、「あれれ、どうしたのですか、忍足先輩。そしてお隣の男性は誰なのですかぁ?」といったふうに、至極のんびりとした調子で問い掛けてきた。
本庄は白雪に銃を向けている。ちらりと流し目を寄越してきた。こちらがどう判断するのか窺っているのだろう。僕は左手をさっと上げた。武器を収めろという合図だ。彼はきちんと読み取ってくれたのだった。
「白雪さん、状況は理解したつもりだよ。クスリの取り引きを嗅ぎつけたからこそ、根こそぎ狩ろうとしたんだね?」
「おぉ。忍足先輩、さすがなのです」
「だから、それくらいのアタリはついて当然だよ。警察との共同作戦だった?」
「そうですけれど、彼らはどうにもとろくさくって」
「メインディッシュは組長かい?」
「はい。”極道”としたためられた書の下に転がっていますですよ」
「言わせてもらうよ。たくさん殺す必要はあったのかな?」
「そんな甘いこと言わないでくださいよぅ。忍足先輩ってば、どうしちゃったのですか? 私が知っている先輩は、もっとサディスティックで狂暴でした。『治安会』だなんていうぬるま湯に浸かってしまったせいで、自分のあるべき姿を見失っちゃったのですか?」
「君がウチのなにを知っているっていうの?」
「まあ、それはそうかもしれないのですけれど、てへっ」
「てへっ、じゃないよ。君はこの事件の始末をどうやってつけるつもり?」
「後始末はおまわりさんがすることです。私の役割ではありません」
「君は……」
「なんですか?」
「……いや。なんでもないよ」
「忍足先輩」
「なんだい?」
「これから飲みにいきませんか?」
「そんな気分じゃないよ」
「えーっ、事件が片づいた日の夜には、いつもごちそうしてくれたじゃありませんかあ」
「今夜は断らせてもらう。行くよ、本庄君」
僕が身を翻すと、きちんとついてきてくれた。本庄がなにも訊いてこないのは、なにを訊いたところで返答はないと予測しているからだろう。相手の気持ちを推し量ることができる証左だ。粗野で荒々しく乱暴に見えても、彼というニンゲンは肝心なところに静かさも持っている。
車両の交通がひっきりなしの道路、その路肩に停車し、待ち合わせによく使う駅前のSL広場を訪れた。待っている人物。それは泉伊織だ。もはや言わずもがな、僕にとっても本庄にとっても先輩にあたる人物だ。ラフな恰好であるのを見るのは珍しい。白いTシャツにタイトなデニムパンツ。黒いジャケットをまとっている。
本庄は泉を見て、煙たげな顔を見せた。彼女の仕事のやり方について気に入らない部分があるのは払拭できないということだろう。だけど、泉はなんといっても大人だ。少々のいさかいやボタンの掛け違いがあったとしても、それを引きずるような人物ではない。彼女は本庄の肩に右手を回し、二人揃って向こうを向いて歩き出した。両者の仲睦まじい様子は何度見ても微笑ましく映るのだった。