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5.

 非番の日は、ほとんど寝て過ごす。みーちゃんは僕の枕元で丸くなって眠る。愛おしい黒猫との貴重な時間だ。代わり映えのしない日常だけれど、僕はそこに不満を感じたこともなければ疑問符を打つこともしない。


 スマホがブルルッと振動していよいよ覚醒した。ブルルブルルッと立て続けに唸った。うっとうしいなあと思いながらディスプレイを見てみると、本庄朔夜とあった。電話で彼からの知らせを受けたのは初めてかもしれない。珍しいこともあるものだと思いつつ、通話に応じることにした。


「忍足です」

「先輩、一杯、やらないッスか?」

「もうそんな時間?」

「ほとんど夜っスよ」

「どうかしたの?」

「なんだか頭がふらふらして気持ち悪いんスよ」

「だったら、黙って家で寝てなよ」

「そういう気分でもないんス」


 僕はもう三十年も生きているけれど、本庄朔夜の思考回路だけはどうにも掴みかねている。なにがしたくて、なにを考えて、またなにが楽しくてなにを求めて生きているのか理解し難いところがある。そんなふうなニンゲンだから、僕としても、彼にこっそり興味を抱いているのかもしれない。


「わかった。いいよ。どこに行けばいいの?」

「先輩んちの最寄りの駅でいいッスよ。どこだか教えてくださいッス」

「それでいいの?」

「それでいいッス」




 軽装に着替え、駅まで出た。東口の小さな広場で本庄は煙草を吸い吸い待っていた。黒いパーカーに黒いハーフパンツに雪駄履き。どんな恰好をさせても似合うものだなあと、なかば感心する。


「どこがいいの?」

「どこでもいいッス。店、見つけるッスよ」

「安い店ばかりを探す必要はないから」

「とりあえず、任せといてくださいッス」


 自らの寝床に近い駅は、朝夕の雑踏ばかりで、そう活気に溢れているようなところではないけれど、飲み屋くらいなら何件もある。だけど、今日はどこも混んでいるようで、結局、チェーン店の安い居酒屋に入ったのだ。九十分飲み放題。飲み終えた頃には、どこか腰を据えられるところが見つかるだろう。あれ? と首をかしげたくなった。二件目まで考えている自分に意外性を感じた。本庄となら、長時間、サシで飲むのも悪くないと心のどこかで思っているらしい。


 二件目に選んだのは焼酎が割と数多く取り揃えられている店だった。洞窟を模したような二人席で、そこそこ落ち着ける空間と言えた。


 酒代をケチろうとは思わない僕は、それなりに値の張る焼酎をオーダーし、それを一口すすって、「うん。いいね」と感想を述べた。「それで、なんの用事かな?」と話の中身を聞かせてもらおうとした。「いや、それがなんというか、まあ、色々あってッスね」と歯切れの悪い言い方をすると、本庄はグラスをぐいっと空けた。酒豪の飲みっぷりだ。アルコールに強いのは知っている。


「ここは俺が持つッスよ」

「さっきも奢ってもらった」

「いいんス。付き合ってもらってるんスから」

「そういう気遣いは無用なんだ」

「それでも、ま、わがままくらいは言わせてやってくださいッス」

「そう?」

「はいッス」

「君は若いのに気前がいいね」

「若いって、歳の差なんて知れてるでしょう」

「そうだね」

「変わったヒトッスよ。忍足先輩は」

「改めて訊くよ? なにか相談事があるんだね?」

「いや。相談ってほどのことでもないんスけど」

「話してみなよ。力になれるかどうかはわからないけれど」

「なんか、らしくないセリフッスね」

「そう?」

「はい。先輩は誰にも興味がないように見えるッスから」

「そうでもないよ」

「そうなんスか。いや、んなこたどうでもいいや」

「そういうことだね」

「じゃあ、えっと、忍足先輩から見て、俺はどう映るッスか?」

「あいまいな問い掛けであるように思う。だからこそ、こちらも真剣に受け答えしないといけないなと思う」

「恐縮ッス」

「君は正しいニンゲンだと思ってる。だけど、正しすぎるんじゃないかなって危なっかしく思っていたりもする」

「そうなんスか?」

「うん。それとなくそれらしいニオイがするよ」

「なんつーか、隠し事なんてできそうもないッスね」

「なにがあったんだい?」

「今日、女を一人、殺しちまったんス」

「どうしてだい?」

「薬物の取り締まりだったんス。中華街の裏路地にある店舗が現場でした。上手いこと表から踏み込めたんス。鉄砲向けたらハンズアップもしてくれた。でも、吹き抜けの二階にも犯人がいて、やっこさんらは撃ってきた。マシンピストルッスよ。事件の性質上、逃げを打つのはナシでした。反撃するしかなかったってことッス」

「いい説明だ。シチュエーションが目に浮かぶね」

「テーブルを盾にして、やりすごそうとしたんスけど、銃撃がやんだところで物陰から飛び出して、いざ撃ってみたら」

「相手は女性だった」

「はいッス」

「止むを得ないことだと思う」

「それでも、ッスね」

「それでも、それでも。そう唱え続けるのはいいことだよ。自らの行動を顧みることは重要なことだから。だけど、己の身は守ったほうがいい。死んだらきっと後悔する」

「死んじまったら後悔なんてできないじゃないッスか」

「たとえばの話だよ」

「今回の件、俺はどこでどう間違っちまったんスかね」


 そう言うと本庄は俯き加減になり、右手で頭を掻いた。本当に悔い、悲しんでいるように見える。


「泉さんと一緒だったんだね?」

「相棒スからね」

「彼女にはなんて言われたの?」

「やっぱ、仕方のないことだ、って」

「君、それに後藤さんもだ、二人に同じく言えることは、極端なフェミニストだってことだろうと思うけれど」

「思うけれど、なんスか?」

「後藤さんは相手が敵なら容赦はしないよ」

「まあ、そうッスよね。ええ。ある意味、んなこたわかりきってる」

「ウチの組織はまだ若いんだ。一般企業みたいにPDCAサイクルで改善をはかっていくしかないんだ」

「そりゃわかるんスけど、だからって、やっぱ俺に女を撃たせんなよなぁ……」


 本庄はいよいよ深い吐息をついた。


「観念的なものとして、男性が強者で女性が弱者だというのは事実だと思う」

「伊織にはそれは差別だって言われるッスよ」

「彼女なら、言うだろうね」

「忍足先輩は、『マトリ』の『特強班』だった時分に女を撃ったことはあるんスか?」

「『特強班』は事件に強制的に介入するからね。女性だってるよ」

「そんな自分にむなしさを覚えたことはないッスか?」

「ないよ」

「悲しみも、感じたことはないッスか?」

「たとえば、殺すべきをを殺さなかったとする。そして、殺さなかった相手がいつか娑婆に出てきて殺人を犯したとする。じゃあ、君はその時、死者や遺族に対してなんと言って詫びるんだい?」

「なにも言い返せないッスね」

「だろう? 後藤さんの指示は正しい。少なくとも、僕は彼が判断を誤ったケースに出くわしたことがない。だけど、最終的に信じるべきは自分だ。だからこそ、君にはらしくあってほしいし、見誤ってほしくない」

「わかったッス」


 つらそうにではあるけれど、にっこりと笑って見せた本庄。グラスを掲げ、乾杯を促してくる。僕がチンとぶつけると、「話せて良かったッスよ、忍足先輩」と言ったのだった。自らの考えを押しつけるつもりはなくとも、こういう価値観もあるんだよと教えてやることはできる。彼より少しだけ長く生きている分の知見と言えるだろう。


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