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4.

 『治安会』の本拠地であるホワイトドラム。その四階にある後藤の居室を訪れると、応接セットに促された。薄暗い空間において、僕は二人掛けの真ん中に座る。いっぽう、彼は向かいの一人掛けに腰を下ろした。


「外務省の事務次官は偉いんだよ」


 という後藤の発言はいきなりだったけれど、言われずとも、僕自身、それくらいは把握しているつもりだ。


「それで、その事務次官がどうかしたんですか?」

「それがね悠君、どこの誰とも知れないやからに命を狙われたんだよ」

「初耳です」

「伏せてあるから一部の関係者しか知らない。もう一度言う。事務次官は偉いんだ」

「どうして狙われたんですか?」

「偉いからだろう」

「そればかりですね」

「困るんだよ。要人を狙われちゃあ、僕としても」

「そうなんですか? 例えば、ウチに関わる予算の計上なんかについては、総理か総理に近しいニンゲンの専権事項だと認識していますけれど」

「そうなんだけど、まあ困るんだ」

「それじゃあ、なにをしろと?」

「次官の警護を担ってほしい」

「わかりました」

「うん。相変わらず、君は聞き分けがいい。素晴らしいよ」

「質問があります」

「言ってごらん」

「事務次官の警護の状況を知りたいです」

「ツーマンセル、ワンセット」

「たった二人?」

「二人だ。なぜだろうね。軽んじられているんだよ、その事務次官殿は」

「すなわち、次官のすげかえはきくということですね?」

「その解釈が正しい見立てであるように思う」

「後藤さんはどうして次官にこだわるんですか?」

「それはだね、まあ、うん。いや、君は実に答え難い質問をするなあ」

「とりあえず、訪ねればいいんですね?」

「うん。外務省に話は通しておく」

「後藤さん」

「うん?」

「いえ。やっぱりいいです」

「言いたいことがあるなら言いなよ」

「僕がしようとしているのは意味のない問い掛けです。だから、いいです」

「ウチのメンバーの中でも、君は特別特殊だよ」

「これから早速向かいます」

「お願いするよ」




 政府機関は物理的にひとくくりにされている。中央官庁街、呼び名は新ヶ関にいがせき。ここ、いざなみ県いざなみ市において、最もガードが堅固なエリアの一つだ。


 それはもう立派な外務省の建物の中へと足を踏み入れた。身分を告げたところ、案内の若い女性に連れられた。後藤からの連絡は滞りなく伝わっているらしい。エレベーターにて五階にある部屋に通された。居室は思っていたより広くなく、どちらかと言えば狭く感じられる。部屋の両サイドに背の高い本棚が設置されているせいで圧迫感を覚えるのだろう。木製の机を前にして、次官とおぼしき人物が、黒い革製の回転椅子の上で白いペーパーを読んでいた。


 どうして後藤が次官の警護につけと言ったのか、合点がいった。次官は女性なのだ。僕が知る限り、彼は結構なフェミニストで、しかも、ある程度、歳を食った女性に弱い傾向がある。といっても、くだんの女性の外見に枯れた感はない。ベリーショートのヘアスタイルに白いスーツが特徴的な彼女は、恐らく僕とは親子くらい年齢差があるはずなのに、とても若々しく、またエネルギッシュに映る。書類に目を通しながら、次官が「どうぞ、座ってちょうだい」と声を掛けてきた。言われた通り、僕は二人掛けのソファの中央に腰を下ろした。まもなくして次官がやってきた。向かいの一人掛けに座り、「いらっしゃい。こんにちは」と柔和な笑みを浮かべたのだった。


「貴方が、後藤さんが寄越したボディガードさんというわけね。思っていたよりずっと若いわ。お名前は?」

「忍足といいます」

「ファーストネームは?」

「悠です」

「首に掛けているヘッドホンは?」

「当然、音楽を聴くためのモノです」

「仕事中でも聴くの?」

「そういう時もあります。ところで」

「なにかしら」

「次官のお名前は、なんというんですか?」

「あら。そんなことも知らないの?」

「知りません。すみません」

「別にいいわよ。カタギリよ。カタギリ・シズク」

「わかりました。二度と忘れません」

「大げさな言い方だこと」

「忘れないということは事実ですから。僕はそんなふうにできています」

「不思議なことを言うのね」

「どのようにして狙われたんですか?」

「いきなり本題?」

「時は金なりと言います」

「なら、詳細は端折って、あったことだけを手短に話すわ。一人でいた夜道で暴漢に襲われたの。一対三だった」

「そうなんですか?」

「よく無事でいられましたね。そう言いたいのね?」

「その通りです」

「私は合気をやっているの。有段者。素人が相手ならなんとでもなるわ。だけど、逃げる時に、一人が捨て台詞を吐いたのよ。おまえは必ず殺す、って」

「捨て台詞は所詮、捨て台詞だと思います」

「それはそうかもしれないけど……」

「なにかあるんですか?」


 カタギリは肘を抱えて、憂鬱そうな顔をした。目を伏せ、落ち込んでいるというより、怯えているように見える。


「正直、怖いのよ。悪いことをしているつもりなんて微塵もないのに……」

「身に覚えがない危険に晒されるニンゲンは、揃ってそう言うものです」

「クールなのね」

「よく言われます」

「頼りにしていい?」

「ノーコメントです」

「冷たいのね」

「冗談ですよ」


 僕は立ち上がり、カタギリのデスクの後方にある窓の前に立った。日当たりは良くない。なんぞの庁舎の建物が眼前に迫っているからだ。この分だと、スナイピングの心配はないだろう。


「どう? 今まで通り、デスクで仕事をしてもいいかしら?」

「念のため、フロアを変えていただけますか?」

「そんなことを言われると、いよいよ怖くなっちゃうわね」

「リスクヘッジはしないと」

「わかったわ。言う通りにする。ご存じかしら。事務次官って偉いのよ?」

「知っています」

「ふふ。本当に不思議なコ。命を預けられると言っても、不思議じゃないわ」




 夜。セダンの運転手にはボディガード、助手席の男もボディガード。いずれも黒服にサングラス姿のゴツいニンゲンだ。


 アクシデントなるものはその名の通り、突如として起きる。


 外務省の庁舎から三キロほど離れたところでのことだった。比較的交通量が少ない、高いビル群に囲まれた三車線の道路にあって、追っ手がかかったのだ。後方を振り返らずともその気配は察した。こちらが車を進める中で、付いてくる車両は計三台に増えた。


 次官が肘を抱えて震え出す。


「わからないわ。どうして私が命を狙われなくちゃいけないの……?」

「与党の政権基盤を担っている人物。それだけで暗殺の対象になり得ます。ここのところ、左派の連中が実にうるさい。極右政権へのカウンターといったところでしょう」

「貴方は本当に冷静に怖いことを言うのね。それにしても、どこから私の行動に関するスケジュールが漏れているのかしら」

「次官の予定を管理している、いわゆる秘書である可能性は?」

「ないと思う。付き合いはもう長いから」

「だったら、より近しい身内を疑うべきですね」


 車はドリフトしながら右折した。遠心力で「きゃっ」と小さな悲鳴を上げた次官のことを、僕は抱き止めた。


「より近しい身内って、どういうこと?」

「旦那様とかですね」

「夫が?」

「例えばの話です。まるっきり、あてずっぽうで言いました」

「ない、と思うわ。身分は私のほうが上だけれど……」

「ご主人は同業?」

「ええ、まあそうね」

「だとしたら、その線を疑うべきでしょう」

「そう決めつけちゃっていいの?」

「まあ、裏になにがあるか、それは僕にとってはさほど重要ではないのも事実です。止めてください。運転手さん」


 そうお願いすると、運転手は多少戸惑った様子を見せたものの、やがて柔らかくブレーキをかけた。降車しようとしたところ、カタギリが右腕を掴んできた。


「ダメよ、悠君。相手は何人もいるのよ?」

「そうです。何人もいるんです。逃げ切ることは難しい。だから積極的に打って出るんです」

「理屈としては正解かもしれないけれど、だからって――」

「イージーな案件です。僕にとってはそうなんです」


 追っ手の三台にはそれぞれ二人ずつ乗車していた。車は横並び。計六人の男のファッションに統一性はない。スーツを着ている者もいればチンピラ然としたB系の奴もいる。彼らは降車したところでそれぞれこちらに銃を向けた。対して僕はいち早く、まるでゲームセンターで遊びに興じるがごとく発砲する。左端の男を撃った。銃口を右方へと滑らせ、一人また一人にと銃撃を浴びせる。相手の弾を食らう心配はない。弾丸が見えるわけではない。それでも当たらないふうにできている。誰が言い出したのかはわからないけれど、僕の二つ名は’弾が当たらない男’。ヒトに言わせると、それは特異な能力らしいし、まあそうだろう。


 一人だけ急所を外して生かした。こちらから見て右端の位置にいる男については両膝を撃つだけにとどめた。僕は四つん這いになっている彼に近づき、見下ろし、改めて銃を向けた。


「根っこと経緯をお聞かせ願えますか?」

「へ、へへっ。そんなこと言うと思ってるのかよ」


 革靴の底で右手の甲を踏みつけてやると、男は「ぎゃあっ!」と悲鳴を上げた。


「教えていただけませんか? もっとヒドい目に遭いたいのであれば別ですけれど」

「わ、わかった、わかったよ。もう痛めつけるのはよしてくれ」

「誰の指示です? 誰に雇われたんです?」

「次官殿の旦那にだよ」

「やはり、そういうことですか」

「ああ。そういうことなんだよ」

「次官の旦那。彼のことについて、どれくらいご存知ですか?」

「女房より下っ端なのは知ってる」

「そのへんのジェラシーが、殺害しようとした理由なんでしょうか」

「それも一つの理由だろうな」

「一つ?」

「旦那には、浮気相手がいるんだよ」

「そんな事実をあなたがたに話したんですか?」

「話したんだよ」

「それで?」

「アンタにももうわかるだろう? 多分、浮気をしていることを女房に悟られると困るってことだったんだよ」

「妬みと裏切り。いずれも、しょうもない理由ですね」

「か、勘弁してくれ。俺達は所詮、金で雇われただけなんだ」

「あなたたちは何者なんですか?」

「駆け出しの殺し屋集団だよ。組織の名前すらまだねーんだ」

「だったら、次官の旦那様はあなたたちの存在をどうやって知ったのか」

「そんなこと、問題じゃねーだろ?」

「その通りです。いいことを言いますね」

「ここまでアンタにやられちまったら、もう狙えねーよ。とてもじゃねーけど、狙うだなんて言えねーよ」

「事情はわかりました」

「そ、そうか? わかってくれんのか?」

「ですが、貴方はここで死んでください」

「な、なんでだよ。なんでそうなるんだよ!」

「僕にとって、貴方は特に必要のない存在だからです」

「そ、そんな……」

「さようなら」


 僕は男の顔面に二発浴びせた。


 車に戻ると、次官はたすきがけにしているシートベルトを握り締めていた。


「どうなったの? 銃声だけは何度も聞こえたけど……」

「すべて片づけました」

「片づけた?」

「とにかく、問題ありません」

「連中が私を狙っていた理由。それもわかったの?」

「次官、貴女の夫は不義を働いている。浮気をしているそうですよ」

「そうなの?」

「ええ」

「そうか。そうなのね……」

「貴女が次官という職にまで至ったことに対する嫉妬。僕はやはりそちらのほうに根本的な理由があると思いますけれど」

「そう?」

「ええ、そうです」

「馬鹿な男ね。のしあがれないのは自分が無能なせいなのに」

「正論です」

「そう思う?」

「思います」

「他人事みたいに言うのね」

「他人事ですから」

「夫を訴えたほうがいいのかしら」

「それはむなしいだけだと考えます」

「そうね」

「僕は僕のやるべきことをやったつもりです」

「実際、そうだと思うわ。貴方、見た目の割には、本当に頼もしいのね」

「身長のことを言っているんですか?」

「身長?」

「僕、小さいでしょう?」


 そんなことを述べると、カタギリはクスクスと笑った。


「確かに小さいわね。私より小さいくらい。だけど、貴方はカッコいいわ。ええ。私が出会った男の中で、一番、カッコいい」

「以降も護衛は必要ですか?」

「貴方はどう考える?」

「もう大丈夫でしょう」

「信じるわ」

「恐縮です」

「私はこれからもバリバリ仕事に励むつもり。それが望ましいとは思わない?」

「思います」


 セダンの後部座席に並んでというシチュエーションは気が利いていないかもしれない。だけど、カタギリは僕の頬に唇を近づけてきた。


「おばさんに近寄られるのは嫌かしら?」

「僕は年齢でヒトを判断したりしません」

「だったら、ちょっとじっとしていてね?」


 カタギリの唇が、僕の左の頬にそっと触れたのだった。




 後日。夕刻、ホワイトドラムの居室に呼び出された際、我らがボスこと後藤は、うきうきした表情を浮かべていた。


 二人掛けのソファに座った僕に続き、一人掛けに彼は座った。


「いやあ、悠君。先方、すなわちカタギリ氏だね。彼女はとても君のことを買っていたよ。僕としても鼻高々だ」

「非常にくだらない案件でした」

「君ならそう言うかもしれない。だけれどね、くだらない事件のほうが、案外、解決は難しかったりするんだよ」

「言っている意味がよくわかりません」

「君はやっぱり天才だ」

「才があっても、それが実行力に結びつくとは限りません」

「君の謙虚さも、僕は気に入っている」

「謙虚なわけではないです。僕にあるのは客観性です」

「それでいいんだ。うん。それでいい」

「もう帰宅します」

「そうしてくれていいよ」


 ホワイトドラムのそばからモノレールに乗り、JRに乗り換え、自宅の最寄りの駅に至った。少し離れたところにあるホームセンターに寄った。おぉと思う。ネコエサの種類が実に豊富だ。大したものだ。これなら好きに選ぶことができる。たくさんの缶詰めが入った籠をレジに出した。少々不思議そうな顔をされた。真っ黒なスーツを着た男がネコ用の食べ物を購入している様子が妙に映るのだろう。だけどそれって偏見だ。辛気臭い身なりの男だって、ネコの食糧くらいは吟味して調達する。


 マンションにて自宅の部屋の前に立った。みーちゃんは本当に察しがいい。僕の帰りに気づいて玄関マットの上で「なおーん、なおーん」と鳴いているのだ。その瞬間、申し訳ない気持ちに駆られた。謝罪したい。寂しい思いをさせてごめんなさいって。


 戸を開けた。案の定、みーちゃんの姿。顔全体をくしゃくしゃにして、やっぱり「なおーん、なおーん」と鳴くのだ。


 スーツから着替えることもなく、早速、買ってきた缶詰めをフォークを使って皿に掻き出してやった。みーちゃんは、がぶがぶと食べる。実に気持ちのいい食べっぷりだ。


 僕は、真っ黒なみーちゃんのことが大好きだ。あるいは、だから、恋人なんてできないし、作ろうとも思わないのかもしれない。


「みーちゃん、ご飯は美味しい?」

「なおーん」

「また買ってきてあげるからね」

「なおーん」

「君は本当にかわいいね」

「なおーん」


 みーちゃん、最高。


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