3.
三十路を過ぎたというのに、僕はあちこちでことあるごとに新卒扱いされる。年相応に見られたいわけではない。むしろ、一般的に言えば、若く見られるのは喜ばしいことだろう。まあ、外見に関してどんな評価を受けようが実は、どうだっていい。そう考えている。
九月も終わりに近づいた。夏物のスーツでも暑さを感じることはなくなった。今日も黒いスーツをまとい、大きなヘッドホンを首に掛け、みーちゃんに「いってきます」と言った。みーちゃんは、やっぱり「にゃあ」と鳴いた。「いってらっしゃい」と見送ってもらっているのだと前向きに解釈するようにしている。
僕の交通手段は、もっぱら電車やモノレールだ。地下鉄も使う。この都市は鉄道が張り巡らされているので、自前の足なんて必要ないというのが一つの考え方だ。でも、それはいつ翻してもいい持論でもある。実際、自家用車を所有している。自身でもわかるくらいノンポリなのだ。
朝のラッシュ時、最寄りのJRの駅のホームにて列に並んでいた。横二列になっているのだけれど、僕がいるのは前から二番目。
スマホを操作して、ヘッドホンに大音量を流す。”オール・ザ・シングス・ユー・アー”。数多のアーティストの同曲をたくさん聴いたけれど、僕はやっぱり、左手がよく動く”ブラッド・メルドー”のきびきびとしたピアノが好きだ。
黄色いラインが目印の銀色の列車がホームに入ってくる。二十メートル、十メートルと近づいてくる。あと五メートルほどで目の前に滑り込んでくる。そのタイミングを見計らって、僕は前に立つB系スタイル男の背をそっと押した。誰にもわからないように、誰にも気づかれないように、そして誰にも悟られないように、ホームへと突き落とした。
僕は身を翻す。ヘッドホンをしているからわからないけれど、現場を見たニンゲンは悪い意味で盛り上がり、女性なんかは悲鳴を上げていることだろう。入場券を使って改札の外に出て、そのまま駅をあとにする。問題ナシ。今日もきちんと仕事をこなした。
近場の公園に入り、自販機でカフェオレを買った。木陰にあるベンチに座ったところで、サイドポケットのスマホが振動した。ディスプレイを見る。後藤からの通話の要求。ヘッドホンを外し、「もしもし」と応じた。
「やあ、悠君。おはよう。業務は順調かい?」
「今しがた、一人消しました」
「予定通りか。いったい、どうやったんだい?」
「JRに飛び込んでもらいました」
「なるほど。いわゆる’押し屋’をやったというわけだ」
「どちらかというと、得意な分野です」
僕が引導を渡した男は一人暮らしの女性の家に押し入り、結果、強盗殺人の容疑者として逮捕された。なのに証拠不十分で娑婆に戻された。そんな都合のいい解を得るにあたってどういう方法を用いたのかは置いとくとして、とにかく我が『治安会』は、男は悪であり、断罪すべきと判断した。改めて拘束することもできただろうし、改めて裁判にかけることもできたかもしれない。でも、後藤は最も手っ取り早いと言える抹殺を望み、選んだ。そこで僕にお鉢が回ってきたというわけだ。手段は任されていた。スムーズな仕事ぶりだったと自賛したい……とまでは思わない。
「報告書はメールで送ります」
「そうしてもらえるかな。ところで、今日はこれからどうするんだい?」
「特にやることもありませんから、昔の職場の陣中見舞いにでも行こうかな、って」
「いやいやいや。それはやめてもらえるかな。ただでさえ、『マトリ』の局長からは君を返すよう、口うるさく言われているんだから」
「冗談ですよ。古巣に復帰するつもりはありませんし」
「あまりひやひやさせないでよ」
「『マトリ』時代のほうが安定していました」
「給与は十二分に支払っているつもりだけれど?」
「お金の話じゃありません。仕事の量と質の問題です」
「暇だって言うんだね?」
「明言は避けます」
「奥ゆかしいことだ」
「日本人ですから」
「追加で任務を与えよう。励んでもらいたい」
「なんですか?」
「少し長電話になるけれど、かまわないかい?」
「はい。盗聴の心配があるような場所ではないですから」
「街外れのとある袋小路で女性が背後から胸を撃たれて殺された。交際相手だったらしい男性にだ」
「ともすれば、よくある話のように思います」
「そうなんだけど。ところで、君はヒトを殺したニンゲンにはどういった扱いがふさわしいと考える?」
「やはり死刑です。それ以外にあり得ない」
「同感だ。そのへん、僕と君は価値観を共有していると言える。だけど、くだんの男は与えられるべき量刑を免れそうなんだ」
「なぜですか?」
「犯人の男は大会社の社長の息子でね。雇われているのはイカサマのようなやり口で荒稼ぎをしている札つきのヤメ検だ」
「その弁護士がきちんと機能していると? でも、いくら上手く立ち回ったとしても、撃ち殺したという事実は動かせないのでは?」
「殺意はなかった。腕と脚を撃って動けなくした上で脅すつもりだった。弁護士に吹き込まれたんだろう。男は一貫してその主張で押し通そうとしている」
「男の性格、それに普段の生活は、どういったものだったんですか?」
「いい質問だ。危ない奴かもしれないという証言はあったようだ。だけど、それを裏づける証拠がない。初犯なんだよ」
「本当にそうなんですか?」
「それもまたいい質問だ。お父上が手を回した結果として初めてとされている可能性もある」
「間違いなく、保釈中なんですね?」
「そうなんだ。殺人事件の被疑者なんだから、異例中の異例と言える」
「対象は自宅から出廷している?」
「そういうことだ」
「次回の裁判の閉廷時間、あと、移動に使う車の種類とナンバーを教えてください」
「なるほど。ある意味、賢いスタンスだ。上手くやれるかい?」
「下手を打つようなことがあれば、クビにしてください」
「わかった。任せるよ」
二日後。夕方の閉廷後。男らを乗せた車は、手近な街で小さなコインパーキングにとまった。彼らは見るからに高級そうなフランス料理店に入った。僕は路肩に自車をつけた。事象から得られる感想だけ述べると、調子のいい話だと思う。のんきなことだとも思う。その後、本格的に闇が落ちた頃になって、目当ての車両がパーキングから出てきた。どこに向かうのかとあとをつけていると、今度は大衆的な居酒屋を訪れた。本当にいい気なものだ。裁判の行く末が悪いほうに向くだなんて微塵も考えていないのだろう。
さて、どこで殺したものか。
否、もうプランはある。
日づけが変わろうとしている時間帯になって、対象が居酒屋から出てきた。赤いジャケット姿の若い男が被疑者であり、紺色のスーツをまとった中年男性が弁護士であることはわかっている。二人は黒いセダンの後部座席に乗り込んだ。
容疑者の住所から、高速を経由して帰路につくことは把握している。狙うべきはそこだ。
高速の手前から目当ての車両のうしろに続き、しばらく進んだところでバックミラーを確認した。夜の深い時間帯だ。交通量は少ない。目論見通りの展開と言える。そのうち、周囲に車はいなくなった。
一般的な家庭が普段の足として活用するであろうホンダの白いハッチバックをセダンの隣につけた。窓を開け、銃を持った右手を外に出して、一、二、三と発砲、タイヤを目がけて撃った。またたく間にコントロールを失った黒塗りの車は回転しながら後方へと退き、やがて壁を越え、見事かつダイナミックに高架から落下した。爆発音が轟いたかもしれないけれど、僕は相変わらず、大きなヘッドホンをつけていた。
ホワイトドラムの地下駐車場に白いハッチバックを滑り込ませた。午前中のうちにキャッシュで買ったばかりだけれど、任務が完了した今となっては、もはやスクラップにしていい車だ。僕自身、余計なモノは持たない主義でもある。管理人の詰め所に歩み寄った。白髪まじりのおばさんが窓口の向こうで女性誌を読んでいる。そんな彼女に車のキーを渡し、車種とナンバーを教え、「廃車にしておいてください」と告げた。雑誌に目をやったまま、「はいよ」という返答があった。片手間な対応だ。けれど、仕事は仕事。きっちりとこなしてくれるだろう。