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2.

 『治安会』の業務にマニュアルなんてものは勿論存在しない。取説だって、無論ない。いろいろやる。なんでも屋のような役割を担っていると言っていい。似たような職種があるとすれば、それは刑事だろう。しかし、あえて挙げるとそうだというだけであって、仕事の内容はずいぶん違っていると考える。


 本日は朝から雨模様。


 僕は刑期を終えて出所してきた直後の某暴力団の組長である初老の男を、彼がひいきにしていた古いラーメン屋で襲撃した。取り巻きの五人は非殺傷弾で排除し、ターゲットに対しては実弾でヘッドショット。店主はそれはもう驚いていたけれど、こちらからはなにも説明することもなく、すぐに現場を離れた。あくまでも隠密的な行動、活動だ。それが『治安会』が主とするところでもある。


 本件については、ヤクザ同士の抗争を無駄に大きく発展させないために必要な措置だからと上司の後藤から聞かされた。僕自身、任務に多くの理由は求めない。命令されれば動く。尖っているよりも温順なスタンスでいるほうがずっと楽だ。ずっと昔から静かな性格で、大人になっても肩こりとは無縁の生活を送っているので、今さらそんな自分を変える必要はないとも思っている。




 神戸沖の人工島、いざなみ県いざなみ市。それが僕の主戦場の土地の名だ。政治と経済の中心が東京に一極化していることは旧来からの問題とされていて、そこでようやく政府機能については当該に移転された。その運用が始まったのは五年前の二千四十五年。首都という扱いもようやく根づき、馴染んできたところだと言っていい。


 後藤が詰めている建物は、起伏の激しい湾岸線の高速の出口から少々離れたところにある。白くて平たく四階まであり、その円柱型の形状からホワイトドラムと呼称される。本当に無愛想な外観であり、ぱっと見はデータセンターのように映る。積極的にヒトを受け容れようとする雰囲気はまるでない。


 夕方、ホワイトドラムにある後藤の居室を訪ねた理由は、仕事の結果を知らせるためだ。メールに報告書を添付して終わらせるということもできるのだけれど、一応、面と向かって話しておこうと考えた。律儀で生真面目な僕もいるということだ。


 僕が応接セットのソファに座っていると、ゴルフクラブを持ってスイングをしていた後藤が、やがてテーブルを挟んだ向こうに座った。


「さっき、本庁にポーリングしてみた。仕事は上手くいったようだね」


 首都の引っ越しとともに、警察の中枢も桜田門からいざなみ市へと移った。本庁にポーリングをして情報を得る。そんなことをできる人物は限られているのだけれど、後藤はそれができるニンゲンだ。だから到底、フツウの立場にあるとは言い難い。


「ヤクザの親分だけを殺したのは見事としか言いようがない。悠君は本当に手練れだね」

「まだまだ至らない部分のほうが多いと思っています」

「そんなことはないだろう。君はセンスがいいと思う。ところで、『マトリ』の『特強班』にいた時の自分と今の自分。君はどっちのほうが気に入っているのかな?」

「その質問は重要ですか?」

「いや。単なる興味だよ」

「もう行きます」

「うん。またおいで」


 なだらかに左方へと湾曲している廊下を歩いていると、スマホが鳴った。通話の通知。ディスプレイには、いずみおりとある。僕より二歳年上の同僚で、とにかく稀有なまでの美貌を誇る人物だ。だけど、そんなことはどうだっていい、とか言ってしまう僕は不能者なのだろうか。そうだったとしても、これといった問題は生じない。


「もしもし、忍足です」

「悠君、元気?」

「いつも通りです」

「よそよそしい言い方はやめなよ。仲間じゃない」

「目上のヒトには敬語を使います」

「その気質は見習うべきかも」

「なんの用事ですか?」

「飲もうと思うから出てきなよ」

「お断りしたいです」

「先輩命令だよ」

「わかりました」

「聞き分けがいいってのは美徳だね」

「どこに向かえばいいですか?」

「SL広場のあるところ」

「三十分ほどで到着します」

「待ってる」




 駅の西口から出てすぐのところにSL広場はある。文字通り、黒い蒸気機関車の先頭車両が展示されているのだ。待ち合わせ場所には打ってつけと言える。


 SLのすぐ前で、泉は煙草を吸っていた。喫煙者にとっては肩身の狭い昨今であろうに、彼女は実に堂々と紫煙をくゆらしている。

 

 泉の他に、もう一人いる。その男も一服つけている。ヒトよりずいぶんと長く煙を吸い、ずいぶんと長く煙を吐き出す。肺活量が尋常ではないのだ。彼はほんじょうさくという。


 泉、本庄の両名とも真っ黒な背広姿だ。かく言う僕もそう。別に取り決められているわけではないけれど、ウチのニンゲンは揃いも揃ってブラックスーツをまとう。もはやユニフォームとなっていると言っていい。


 泉は百七十半ばはあり、本庄は百八十半ばはある。ともに長身なのだ。その上、美男美女であることから、とてつもなく目立つ。二人とも、ステルス性が重んじられる非公開組織『治安会』には向いているとは言えない華やかさの持ち主なのだ。


 泉は体のどこかを露出しないと気が済まないタチなのだろうか。今日も真っ白なブラウスの胸元から深い谷間を覗かせている。健康的な浅黒い肌は非常にセクシーだ。本庄の体はとにかく分厚い。ヘアスタイルは重めのマッシュにニュアンスパーマ。オシャレに見える。が、彼自身は身なりに無頓着であり、洒落た外見に見せようとしているのは彼女の仕業らしい。二人はいつも行動をともにしている。相棒同士だということだ。


 年齢は上から、泉、僕、本庄の順だ。


 泉に「店を探せ」と指示されると、本庄は「あいよ」と素直に引き受ける。粗野で乱暴で荒々しい気質を多分に有している彼だけれど、目上のニンゲンのことは敬うように見受けられる。まず間違いなく体育会系だ。


 金曜日のこの時間ともなると、場所を見つけるのは難しい。しかし、本庄は席を確保して見せた。生ビールが一杯三百円しない安い居酒屋だけれど、その点について、僕も泉も文句を言ったりはしない。まずは飲めればいい、食えればいい。三人のそういった見解は一々言葉にせずとも一致している。


 大柄な本庄が長椅子の奥につき、その隣には泉、彼女らと向かい合う席に僕は座った。とりあえずのビールを三つ注文。


 アルバイトとおぼしき青年がお通しのごぼうサラダを持ってくると、「要らねーよ、馬鹿。持って帰れ」と本庄が言った。その迫力に青年はビクっと身を引き、「すす、すみませんっ」と、どもりながら頭を下げた。そこに助け舟を出したのは泉だ。「いいよ、置いていって」と優しく言った。本庄は煙草に火をつけ、もうなにも述べなかった。


 やがてビールが運ばれてきて、食べ物をオーダーした。刺身の三種盛りに焼き鳥にアジの開き、焼きなすや漬け物なんかが並ぶ。ハムカツなんていうチープなものを頼んだのは本庄だ。がぶがぶと一気にほおばる。彼の舌は安っぽいのだろう。それを理由にお里が知れるとまで言ってしまうと失礼だけれど。


 ビールを口にし、おかずをつまんでいると、声を掛けてきたのは泉だ。


「悠君、最近、どう?」


 僕は「特になにもありません。問題も生じていません」とだけ答えた。泉が「だから、やめなよ、敬語」と返してきた。「どうしてですか?」と訊ねる。「アンタはババアなんだよって言われてる気がするから」ということらしかった。考えすぎも甚だしい。


 本庄が、「忍足先輩、俺に対してはフツウッスよね」と言った。「君は年下だから」と僕は答えた。「まあ、そうッスよね」という返答があった。彼はマグロの赤身を食べ、ビールを喉に流し込むと、慣れた手つきでまた煙草に火をつけた。喫煙者の気持ちはわからないし、その銘柄がなんなのか興味を持ったことすらないけれど、誰よりも美味そうに一服をつけて見せるのが本庄でだとは確信している。ついでに言うと、紫煙をくゆらす姿は、実に様になっている。


「ホント、最近、面白い案件がないなあ。ねぇ、悠君。ホント、なにかあるなら教えてよ。実はボスからこっそり楽しいことを請け負ってるんじゃないの?」

「何もないですよ」

「本当に?」

「はい」

「なんでも粛々と進めるだけってこと?」

「その通りです」

「そんな悠君の趣味ってなに?」

「趣味ですか?」

「ジョギングとか筋トレとか。女漁りだったら笑えるね」

「趣味はありません」

「じゃあ、休日はどうしてるの?」

「寝ています」

「あらら。それじゃあ、ウチの相棒と同じだ」


 僕らが会話している間も、本庄は煙を吸って吐いてしている。ああ、そういえば、彼が大阪の出身だと聞かされた時、どうしてそっちの方言でしゃべらないのだろうと、多少、考えさせられたことがあったっけ。


 焼酎のお湯割りを頼んで、僕はそれを一口飲んだ。美味しくはない。いかにも安物の味だ。ニンゲンが生涯において摂取するエネルギーの量はある程度決まっているはずだから、少しでも味わい深いものを食べて飲んでしたほうが有意義ではないかとも考える。とても無駄な思考だ。だけど、自分らしい気づきだとも思う。


 二件目はバーで終えて、SL広場に戻った。「カラオケでも行く?」と訊いてきた泉ではあるが、まさか了承が得られると思ってのことではないだろう。当然、僕は断り、「あら、そ」と彼女は素っ気なく答えた。タクシーを使って帰路につくことにした。泉と本庄がこのあとどうするかはわからない。


 自宅であるマンションの一室に着き、がちゃりと戸の鍵を開ける。解錠する前からその気配を察知していたけれど、玄関マットの上で黒猫が品良く座っていた。にゃあと鳴く。僕は「ただいま、みーちゃん」と応えた。みーちゃんはメス猫で三歳くらいだ。捨て猫だったので、くらいとしか言えない。背を向け、とてとてと廊下を歩いて、振り返るなり、またにゃあと鳴く。抱き上げてやると、それだけで、ごろごろと喉を鳴らす。友人と呼べる存在は、みーちゃんしかいないとは言わない。だけど、一番身近な存在はみーちゃんだ。彼女がいるがゆえに、ペットOKのマンションを選んでいるくらいだ。


 みーちゃんはなにが好きなんだい?

 みーちゃんの大切なものってなんだい?

 みーちゃんはどうして生きているんだい?


 心の中で、幾度かそう問い掛けたことがある。


 みーちゃんは、いつだって、「にゃあ」とか「なおーん」とか鳴くだけだ。

 その愚直な様を、僕は美しいとすら考えている。


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