19.
ある日の夜のこと。例によってヘッドホンをしながら高速でRX-8を駆っている最中、スマホに通話の要求があった。泉からだった。彼女は「ちょっと来なよ。面白いことになってるから」と告げてきた。
知らされた住所をナビに入力したのち、二十分ほどで現場の路地裏に到着。そこでは素手での喧嘩が行われていた。一人は本庄だ。もう一人は彼より頭半分大きな白人。ほとんどノーガードで拳をぶつけ合っている。泉は両膝を折り、おかしそうに「クック」と喉を鳴らしつつ、長い前髪をかきあげた。
「どういう経緯があってのことなんですか?」
「肩がぶつかったのぶつかってないだのでおっぱじめたの。あの白人さん、ボクシングをやってるみたいだけれど、やり方がスゴくダーティーだから、アングラが本職じゃないかな。強いよ、中々」
「だけど、フツウのやり方ではケリをつけられないと考えたから、白人の彼はしっちゃかめっちゃかな殴り合いに応じた。応じざるを得なかった」
「そういうこと。見てみなよ、白人さんの表情。必死でしょ。プライドをかなぐり捨てて、拳を振るってる。悠君、どう? 男子のそういう戦いって、魅力的だと思わない?」
「思いません」
「あらら。はっきりとしたご意見だこと」
「もう行ってもいいですか?」
「せっかくだから、最後まで見ていきなよ」
「検挙は? するんですか?」
「しないよ。あくまでもアイツの個人的なイベントだから」
やがて本庄が相手を地面に転がした。しりもちをついて、白人はうしろに倒れ込んだ。純粋な力勝負で勝ちをもぎとるあたりは称賛に値する。だけど、どうしたって建設的な行為ではないなと思わされる。
鼻血を右手の甲でぐいっと拭いながら、本庄がやってきた。泉は面白がるようにしてぱちぱちと拍手を送る。僕の顔を見つけるなり、彼は少し驚いたようだった。こちらの存在に気づかないくらい、のめり込んでいたのだろう。
「どうしたんスか、忍足先輩」
「泉さんに呼ばれて観戦しにきた。それだけだよ」
「みっともない喧嘩だったッスよね」
「まあね。君はサディストであり、かつマゾヒストでもあるようだ」
「そうかもしれないッス」
「これからどうするの?」
「速やかに帰宅するッスよ」
「あれ? どちらかの家に行くんじゃないの?」
「いちゃついてばっかじゃ飽きるッスから」
すると、立ち上がった泉が右手を伸ばして本庄の左の頬をつねった。
「飽きるとか、まったく失礼な奴だね、アンタは」
「冗談だよ。一人になりたい夜もあるってこった」
「悠君にも、そういう夜ってある?」
「さあ。どうでしょうね」
「女の一人や二人、作ればいいのに」
「女性とまともにつきあったことなんてないですから、どう接すればいいのか、正直、わからないんですよ」
「そうである以前に、悠君というニンゲンにとって、女って生き物は邪魔でしかないんじゃないの?」
「そこまでは言いません」
「ま、女っ気に満ち満ちた悠君っていうのは、ちょっとあり得ないかも、だね」
「ですよね」
自宅に戻った。おかえりとでも言わんばかりに、黒き愛猫みーちゃんが「なおーん、なおーん」と迎えてくれた。帰路の途中、カツオベースの缶詰めを購入した。手を替え品を替え、飽きられないようにランダムで選んでいるので、彼女にはそこに喜びを感じてもらいたい。でも、それってニンゲンが勝手に希望することだ。わがままだ。実のところ、ばくばくと食べてもらえるだけでじゅうぶんなのだ。食欲をなくして動かなくなってしまう姿なんて見たくない。
今日は体を濡らす気にならない。なぜだかシャワーを浴びようという気にならない。だから、着替えだけ済ませてベッドに仰向けになった。エサを食べ終えたみーちゃんが寄ってきて、一通り、「なおーん、なおーん」と鳴いてから枕元で丸まった。
できることなら、僕も猫に生まれたかった。野良猫が良かった。気楽でいたかった。肩の力を抜いて生きたかった。そう考えてしまうあたり、なんというか、片意地を張ってしまっているのだろうか。とりあえず言えることは、客観的にはどうあれ、主観的には斜に構えて過ごしたいという嫌味な生き様だけは望んでいないということ。
ヒトはヒトと関わり合わないと生きていけない。それは絶対的な真理。僕はその要素に一石を投じたい。否、投じたくはないのかもしれない。そのあたりにある深層的な考えが曖昧で、だから僕は目の前にある事象だけを速やかに処理して生きるより他ないわけで。僕は生きている。簡単に死ぬつもりはない。先を見据えるにあたっての動機って、それだけでじゅうぶんではないだろうか。
我が後輩、本庄朔夜は非常に馬鹿だ。本当に馬鹿だ。『ОF』、すなわち、『オープン・ファイア』の構成員とされる男に対しても、まず喧嘩を持ち掛けたのだ。せっかく捕縛するチャンスを得たのだから、脚でも撃った上で速やかにしょっぴいてやってしかるべきだろうに。暗くて狭い夜道。人っ子一人通らない路地裏。「来いよ、ドアホ。俺に勝ったら逃がしてやる」と彼は傲岸に言い放って、相手に突っかかってくるよう促した。
泉はしゃがみ込んで、前日と同様、「クック」と喉を鳴らす。小さじ一杯分だけ心配しながら、「いいんですか?」と僕が訊くと、「いいんだよ。ただ捕まえるより、アイツの喧嘩の観戦料を払ったほうが有意義だから」なんてわけのわからない理屈を返ってきた。
本庄は本当に脳の大切なところが麻痺してしまっているのかもしれない。自分からさっさと殴って済ませればいいことなのに、わざわざ相手の拳を頬に腹部にともろにもらう。それでも痛がる素振りは見せない。頑健さが自分の武器だとでも言わんばかりに立ちはだかる。
そのうち、本庄が頬を右フックで殴りつけた。相手は吹っ飛んで仰向けに倒れた。彼自身、「なんだよ。もう終わりかよ」と冷たいニュアンスの言葉を並べながら、足でもって敵の顔面、腹部にストンピングを浴びせる。
本庄が近づいてきた。
「忍足先輩、コイツ、まず間違いなく黒ッスよ。話を聞かせてもらう必要があると思うッス」
「尋問、詰問、拷問は、『情報部』のニンゲンに任せよう。それをやったらなにも吐かないということはないはずだよ」
「忍足先輩は、キツいのか甘いのかわからないヒトっスよね」
「同じことが本庄君、君にも言える」
「きな臭いし、胡散臭いッスね。本当に『OF』って連中は」
「だから後藤さんも、プライオリティを上げて対処しようとしているんだよ」
「『OF』って単語がひもづいてて、そんなヤツとまた向き合うようなことになれば、俺は受けて立つッスよ」
「とっとと銃口を向けることをオススメしたいけれど」
「俺は馬鹿っスから」
「僕はそんな君を、実は少なからず尊敬している」
「冗談ッスよね?」
「半分はね」




