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17.

 『マトリ』の『特別強行班』時代の同僚、白雪に呼び出された。もう九十分もすれば空は夕焼け色に染まるだろう。場所は少々洒落た喫茶店。彼女は「なにか悩むことがあったらここに来るんです」と言い、マンダリンを口にすると微笑んだ。コーヒーに造詣が深くない僕はアイスのカフェオレに決めた。どこの店に行っても、当該メニューだけはあまりハズレがないという経験則を元にしたオーダーだ。


「最近、仕事はどう?」

「おぉ、心配してくださるのですか?」

「君の台詞は丁寧に感じられるいっぽうでいちいち子供っぽいように思う。きっとどうにかしたほうがいいよ」

「それはそうかもしれませんけれど、私、どちらかと言えばロリ顔なので。外見に言動を寄せようとしているのですよ。すると他者に対しては私というニンゲンが強く印象づけられるのです」

「話を戻すね。仕事はどうだい?」

「本当に上手くやれていると思います」

「殺しは? やっていないかい?」

「ノーコメントなのです」

「やっているんだね」

「そうです。私の能力は人殺しに特化しているのだとも考えていますですよ」

「石塚局長は頭を悩ませているだろう?」

「あのヒトは私からしたら情けなくて頼りない上司でしかありません。なにより言いたいのは、気が弱いのをなんとかしろってことです。己をきちんと持ってさえいれば、忍足先輩を引き抜かれるだなんてこともなかったでしょうし」

「確かに、尊敬できないトップのもとで業務をこなすのは楽しくないね」

「でしょう?」

「ウチのボスを紹介しようか?」

「後藤さんですね。ですけど、しっかりとした上役がいると、それはそれで自由が利きませんから」

「わがままだよ、君は」

「きっとそうなんだと思いますです」


 僕が「もう行くよ」と言いつつ、伝票を手にした時だった。白雪がその手に左手をのせた。「待ってください」と彼女は言い、「なにかあるの?」と僕は問うた。


「忍足先輩にとって、私はどういうニンゲンなのですか?」

「後輩だよ」

「可愛い後輩ですか?」

「否定はしない」

「私の絵を描いていただきたいのです」

「急になにを言うの」

「忍足先輩、絵がお得意なのですよね? 人物画で入賞実績があるとか」

「そんなこと、話したっけ?」

「いつかどこかで、ぽろっとこぼされました」

「自慢しちゃったみたいで嫌だなあ」

「それはさておきなのです」

「どうして絵が欲しいの?」

「若く美しい自分を残しておきたいのです」

「写真でいいんじゃないの?」

「絵がいいのです。いけませんか?」


 白雪は顎を引いて、上目遣いで見てくる。多分、そういったいじらしい態度、仕草が、ヒトに愛らしく映ることを彼女はを知っている。美人ではあるのだけれど、ちょっとあざとく、卑怯なニンゲンだ。そう知りつつも、僕は「いいよ」と快諾した。すると、白雪は大げさに万歳をした。


「鉛筆画だよ? 悪いけど、そんなに時間をかけるつもりはないから」

「スケッチブックに、ささっと描いていただくだけで結構なのです。忍足先輩に描いていただくということが重要なのですから」

「そうなの?」

「そうなのですっ」




 白雪の自宅に招かれた。高層マンションの二十一階、角部屋だった。玄関を上がったところに白くて毛足の長いマットが敷かれている。その先の廊下はピカピカだ。リビングのカーペットもペルシャ猫みたいにふわふわしている。部屋の隅々まで掃除の手が行き届いているように見える。なんとなく散らかった住まいだろうというイメージがあったのだけれど、それは無礼な想像だったらしい。


 僕がリビングに座ると、白雪は「しばしお待ちくださいなのです」と言い、脱衣所に消えた。シャワーが降る音、やがてドライヤーを当てる音。そして、彼女は裸のまま姿を現したのだった。白い肌が湯を浴び、ほのかに桃色に染まっている。美しいという気取った言葉よりも、綺麗だなという素直な感想のほうがふさわしいように思えた。


 ガラス戸の前に立ち、引き締まった背中とヒップを向けてから、彼女はくるっと身を翻した。今度は体の前面を晒した。形のいい胸の膨らみだ。上を向いているところが、なんとも生意気な彼女っぽい。


「物心がついてからこっち、男性に裸を晒すのは初めてなのです」

「そうなの?」

「おかしなことですか?」

「そんなことはないよ」

「どんなポーズが良いでしょうか」

「そうだなあ」


 僕はテーブルを部屋の端にどかして、白雪の前であぐらをかいた。


「直立不動とかが良いですか?」

「その構図は気が利いているとは言い難い」

「それなら私も忍足先輩と同じくあぐらをかくのです。いかがでしょうか?」

「いいよ。だけど、一つだけ条件がある」

「なんですか?」

「君の笑顔を描きたい」

「先輩はくすぐったいことを言うのですね」

「笑いなよ」

「承知しましたなのです」


 あぐらをかいて両手で足首を掴み、若干前屈みになっている白雪の姿を、三十分ほどをかけて描いた。その間、彼女は僕の知らない曲を鼻歌でなぞっていた。時折、体を前後に揺すったりもした。落ち着きがないことは知っているつもりだ。


「うぅぅ、寒くなってきましたですよぅ。もう描けましたか?」

「うん。そういえば、君のファーストネームはなんだっけ?」

「うわっ、覚えていらっしゃらないのですかっ!?」

「冗談だよ。さんだったね」

「いい名前です。自分でもそう思うのです」

「同感だ」

「繰り返しになりますけれど、絵の出来映えは?」

「絵の具を持ってきたほうが良かったね」

「どれどれ。見せてくださいなのです」


 白雪は絵を見るなり、スケッチブックを手にするなり、「おぉーっ」と声を上げたのだった。


「スゴいです。お上手です。っていうか、私ってここまでイケてますか?」

「君は美人。それは事実だ。間違いないよ」

「そうお思いなら、抱いてくださいませんか?」

「あるいはそうするべきかとも考えたんだけれど、この場で僕と君がセックスをするのは、なにか違うように感じられるんだ」

「ふふふ。実は私もそうなのです。私がどれだけ忍足先輩のことを慕っていようと、そこに男女の関係が発生するのは違うと思うのです。だけど」

「だけど?」

「私を抱き締めることくらいはしていただけませんか? 忍足先輩はやはり敬うべき人物なのです。先輩として、また男性として」


 僕達は立ち上がった。白雪が半歩、前に詰める。僕も半歩進めた。二人して抱き合った。体を強く密着させ、互いの背に手を回した。だけど、セックスなんていう安易な行為に突っ走ろうとは、やはり考えなかった。白雪もそうなのだろう。僕達は刹那のキスをかわして、離れた。離れた瞬間、彼女が見せた笑顔が、とても潔く感じられた。とても眩しく見えた。とても素敵にも映ったのだった。


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