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16.

 夜、ホワイトドラムに呼び出された。後藤の居室。応接セットのソファに座っていると、ゴルフクラブを振っていた彼がこちらに来ながら「あいたた、あいたたた」と腰に手をやり、それから向かいの一人掛けについた。「どうせラウンドする暇もないんでしょうから、どこか痛めるようなら無駄な練習はやめておいたほうがいいですよ」だなんて思いやりのある言葉を僕は吐いたりしない。そういうキャラクターではないからだ。


 後藤は顎に手をやった。


「”ナバ”という名を聞いたことはあるかい?」

「はい。裏の世界で有名なクスリの売人です」

「さすがは元『マトリ』だ」

「その”ナバ”がどうかしたんですか?」

「このたび、彼をウチで捕まえた。成したのは『情報部』のニンゲンだ。極端に危険かつ厄介な事案でなければ、彼らは荒事だって上手くやれるんだよ」

「お手柄というわけですね。尋問のほうは?」

「一週間ほど寝せないで問い詰めた結果、やっとこさ吐いたよ。『OF』という組織名をね」

「『オープン・ファイア』ですか。”ナバ”の活動は、彼らの資金源の一つになっていたと?」

「ヒト一人の成果、貢献度なんて、微々たるものなのかもしれないけれどね。ところで、『OF』をまとめ上げている要素について、悠君はどう思う?」

「仮に彼らのような不確かな組織が規律を守った上で成立しているのであれば、そこにあるのはヒト一人のカリスマ性でしょう。稀有なアジテーターが不穏な集団を束ねている」

「僕達はそのカリスマ的アジテーターに辿り着けると思うかい?」

「敵方の本質と規模がわからない。だからそう簡単に仕掛けられないというのが常識的な考え方では?」

「やれることはすべてやるつもりなんだけれどね」

「それもアリと言えばアリです。少なくとも、やれと言われれば、僕はやります」

「刹那的であるのが自分。悠君にはそういった自己評価を、そろそろ改めてほしいなあ」

「善処します」

「そうしてもらえるかい」




 翌朝、一応というか念のためというか、なんとなく現状における考えを知りたいがために、僕は泉に電話をした。通話に応じた彼女の声には気だるさがまじっている。隣には本庄がいるのではないか。彼はまだベッドで睡眠中なのだろう。


 指定された繁華街近くのバス停で、泉を拾った。乗り込んでくるなり、「おなかすいたー」と言う。「悠君、コンビニ、寄ってよ」と続けた。


 僕は言われるままにセブンイレブン、泉に言わせるとブンブンの前で車をとめた。彼女は店に入ると、すぐに帰ってきた。おにぎりとお茶を買ってきた。


「本庄君に黙って出てきて大丈夫なんですか?」

「メモを置いてきた。相当なことがない限り、呼び出されたりしないよ」

「本当に信頼し合っているんですね」

「あれこれくっちゃべるより、裸で抱き合ったほうが話は早い」

「そういうものですか?」

「そういうものだよ。で、なんの用? なにか話があるから電話を寄越したんじゃないの?」

「神崎英雄のことについてです」


 泉はおにぎりを食べる手を止めたりはしなかった。お茶をごくごくと飲んで、「なんだ。そんなことか」と、つまらなそうに言った。


「僕は泉さんを疑ったりしたくない」

「疑うってなにを?」

「貴女が神崎と連絡を取り合っているのではないか。要するにそういったことはないと判断したいんです」

「案外、繋がってたりして。君とは前にもこんな話をした気がするなあ」

「もし神崎が僕達の想像する通りの立場にある人物であり、そして、その神崎と泉さんとの間にまだなにかえんがあるのだとすれば、本庄君はきっと貴女をゆるさない」

「アイツに私が撃てるのかな」

「撃たなければ、彼は己の正義を貫くことができない」

「正義よりも恋愛感情を優先するかも」

「僕は本庄君を信じます」

「私のことは信じてくれないの?」

「現在は信じていると言ったつもりです。以降も信じられる存在であってください」

「厳しいセリフですこと」

「裏切りは万死に値する。それが我が組織の論理であり、その輪に加わってしまった以上、抜けるなんてことはできません」

「退職の権利はあるでしょ?」

「僕は当たり前のありかた、あるいはあるべき姿を説いているつもりですよ」




 泉と別れたところで、ホワイトドラムへの召喚命令を受けた。最近、後藤とは無駄話をすることが多いように思う。今日も老人の暇つぶしにつきあわされることになるのかと予測したけれど、テーブルを挟んで向こうのソファについた彼はちょっと難しい顔をしていた。たまには仕事モードのスイッチが入るらしい。


「悠君、福島にね、大きなススキ畑があるんだよ。本当に無意味としか言えないくらいの規模があるススキ畑だ」

「それがどうかしましたか?」

「畑の真ん中に工場を見つけるに至った。仕事熱心な『情報部』が得た上で精査した情報だから、彼らが言う通り、なにかあると判断せざるを得なくってね。そこで建物に出入りしているニンゲンを一人、ひょいと拘束した」

「尋問ですか? あるいは拷問?」

「まあ、それはさておきだ。その工場ではなにを作っていると思う?」

「なんなんですか?」

「目薬だ」

「目薬?」

「うん。その名も”レッドマリー”というらしい」

「非合法の代物なんですね?」

「そうだ。使用者にはモノの動きがひどく遅く見えるそうだ。例えばで言うと、遅く見えるがゆえに鉄砲の弾だってかわせるってことだ」

「素晴らしい代物ですね」

「ああ。そんなものが流通してしまっているとなると、迷惑極まりない」

「ですが、それっぽい犯罪者には出くわしたことがありません。後藤さんもご存じないですよね?」

「そうだね。ということは、だ。使用するにあたっては、あるいはなにか但し書きがあるのかもしれないね」

「拘束したニンゲンの性別、及び肩書きは?」

「男だよ。某製薬会社の元主任研究員であり、今は『V2』というグループのニンゲンだ。『V2』は、とあるヒエラルキーにおさまっているとされている」

「具体的に言うと?」

「『オープン・ファイア』の下部組織らしいんだよ」

「初耳です」

「僕だってそうだよ。『情報部』が頑張ってくれなくちゃ、知らないままだったかもしれない」

「とにかく、まずは生産機能を停止させないといけませんね。警察を使いますか?」

「彼らにも動いてもらうけど、僕達も動こう。内部の様子を見て、事実と感じたことを報告してもらいたい。工場はほとんど無人化されているそうだから、さほど危険はないはずだ」

「しかし、当然、中にはすんなり入れない?」

「虹彩認証だよ」

「捕縛したニンゲンの協力を仰げば話は早い」

「そこまでは付き合えないと頑として譲らない」

「なんだか中途半端な忠誠心ですね」

「だよねぇ」

「だったら、いっそ殺してしまいましょう」

「また容赦のないことを言うね」

「フレッシュなうちに眼球を取り出せば問題ないはずです」

「そうしようか」

「そうすべきです」

「現地には曜子さんを連れていってもらえるかな」

「黒峰さんを?」

「目下のところ、彼女に必要なのは、やはり現場経験だ」

「わかりました」

「ピンチの時は助けてあげてね?」

「そうします」




 いざなみ空港着。搭乗する前に売店で昼食を買った。黒峰曜子と一緒に機内で幕の内弁当を食べながらの移動。久々の出張だ。


「忍足さん」

「なにかな?」

「『治安会』に航空機が導入されることはないんでしょうか」

「たとえば?」

「真っ先に頭に浮かぶのは、ティルトローター機です」

「ヘリはあるわけだから、それでいいと思う」

「でも、緊急で遠出をしなければならない場合もあるんじゃありませんか?」

「そういったケースはまずないよ。加えて、現状、後藤さんは不要だと考えているわけだしね」

「まあ、そうですけれど」

「ティルトローター機に乗ったことはないの?」

「軍属の折、そのような機会はありませんでした」

「要するに乗ってみたいってことだね」

「いけませんか?」

「いや。いいんじゃないかな」


 通路側の席に座っている僕は、黒峰の分と合わせて、空っぽの弁当箱の処分を女性CAにお願いした。


 黒峰がテーブルを元に戻し、それから前方の座席の下に置いてあった黒いハンドバッグの中を手で探った。まもなく彼女が取り出したのは縦長のビニール袋だった。袋の真ん中には海老のイラスト。見たことのない品物だ。


 黒峰は改めてテーブルを自らのほうへパタンと倒した。その上で袋の口を開けた。中身はせんべいに見える。わざわざ一枚ずつ小分けにされている。中々に手の込んだ思いやりだなと感じた。


「それって、なんだい?」

「バンカクの海老せんべいです。ご存じありませんか?」

「知らない。初めて見たし、初めて聞いた」

「結構まめにネットで買っているんです」

「そんなに好きなの?」

「食べてみますか?」

「じゃあ、一枚、もらおうかな」


 小袋を開けた。一般的な物と比べると薄いせんべいだ。鼻を近づけると、本当だ、香ばしい海老の匂いがする。一口サイズに割って食べる。思わず目をぱちくりさせてしまった。


「これは美味しいね」

「でしょう? レアな旨味だと思います」

「レアな旨味か。大げさな言い回しだね」

「でも、それくらい美味じゃありませんか?」

「値段は? 張るの?」

「これは八枚入りなんですけれど、六百九十一円です」

「高級品だなあ」

「大好きなので、それくらいの出費は許容しています」

「もう一枚、もらっていい?」

「いいですけど、八枚しかないので、四枚までに留めてください」

「今度は僕の分も買ってほしいな」

「代金は請求します」

「いいよ、それで」

「海老せんべい仲間ができて良かったです」

「妙な言い方をするね」


 僕は口元を緩めた。無表情で、あまり感情の起伏を表したりしない黒峰だけれど、せんべいは実においしそうに食べているように見えた。




 予定通り、福島空港でレンタカーに乗り継いだ。黒峰の運転で、三十分、一時間と進むのと比例して、どんどんひとがなくなってゆく。やがては広大な土地に至った。のっぽなススキが隙間なく並んでいる。畑の中央付近と言っていい場所に工場のような建物が見えた。打ちっぱなしの鉄筋コンクリート製のようだ。あれが目的地だろう。


 後藤は工場のシステムはほぼ自動化されているようだと言っていたけれど、作業員がまったくいないということはないのではないか。そんな思いの中、降車し、現場へと向かう。


 『治安会』で拘束した男は処分済み。工場に潜入するにあたって、命は別に必要がないからだ。中に入るための手段として、眼球だけくり抜いてやった。僕がやった。


 トラックが入れるような大きな扉の隣に、勝手口のような小さなドアがある。黒峰は小さなクーラーボックスの中で保存するための液体に浸かっていた眼球を、手袋をはめた上で取り出した。早速、ドアの脇にある装置の虹彩認証にかける。まもなくして鍵が解けた。


「客を見極める。そんな設備すら機能していないようですね」

「うん。本当にほとんど無人化されているようだね。とはいえ、ここをあとにするまで、注意はしてほしい」

「わかっています」

「じゃあ、入ろうか」

「はい」


 僕が先に立ち、取っ手を掴み、戸を開け、敷地内に足を踏み入れた。中では百二、三十センチほどの背丈の灰色のドローンが二つ、小さなタイヤを転がし巡回していた。僕達の正面、二十メートルほど先で停止したその二台は、いっせいにこちらを向くと、けたたましいアラート音を発しながら、迫ってきた。飛び道具はないようだ。腹の中にスタンロッドを忍ばせているくらのものだろう。


 もはや強行突破するしかないので、弾丸を撃ち込んでドローンを無力化した。二の矢は放たれない。監視するニンゲンすらいないということだろうか。となると、ドローンは恐らく顔認証のデータベースとリンクしていて、それと照合した結果として僕と黒峰をはじき、だから攻撃してきたということだろう。


 屋内へ。暗い通路を行き、やがて製造ラインを司っているらしいコントロールルームに到着した。警戒心を持ってだろう、慎重に侵入した黒峰が「クリア」と言い、だから僕も中へと歩を進めた。


「やっぱり、ヒトがいる気配はありませんね」

「機能は生きている。でも、管理自体ははっきり言ってずさんだ」

「コマンド入力で、ある程度の操作は可能だと思われます」

「それでも、できあがったモノの整理をするために、定期的に誰かが訪れる必要があるだろうけれど。実のところ『V2』、ひいては『OF』にとって、あまり重要な施設ではないのかもしれないね」

「銃弾を避けられるほどの効果をもたらす目薬の生産工場が、ですか? だったら、それはどうして……」

「僕の判断ミスだったかな。目を抉って殺す前に、もう少し、話を聞かせてもらうべきだったかもしれない」

「それは今言っても始まりません」

「その通りだね。ラインを停止させた上で、あとは警察に引き継ごう。僕達にできることは、なにもない。これまでもそうあったように、これからも『情報部』にウォッチとキャッチを継続してもらうしかない」

「『情報部』の仕事には、今後も参加するつもりです」

「好きにしなよ。『実行部隊』としての任務がないうちは、どう過ごそうが勝手なんだから」


 黒峰はコンソールPCを使ってシステムを操作し、製造ラインを速やかに止めた。僕一人だと停止させるにはそれなりの時間を要したことだろう。彼女はとにかくマシンに強いのだ。それだけでも価値のあるニンゲンと言える。


「とんぼ返りが望ましいかい?」

「いえ。そうは言いません」

「だったら、一泊して帰ろうか。お酒くらいなら奢るよ」

「そういうことであれば、お言葉に甘えます」

「それじゃあ、行こうか」

「はい」


 僕と黒峰は、工場をあとにしたのだった。彼女とサシで飲む。たまにはそんなことがあってもいいだろう。


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