10.
自宅のベッドの上で眠っていた。微弱かつ連続的な振動を感じた。どうやら枕元でスマホがバイブっているらしい。僕は布団の中から手を伸ばして、「忍足です」と通話に応じた。
「おはよう、悠君」
我がボス、後藤の声だった。
「おはようございます」
「寝ていたのかい?」
「はい」
「お寝坊さんだね」
「やることが詰まっているなら、きちっと起きます」
「だよね。まあ、暇だよね」
「仕事の話ですか?」
「うん。ちょっくら一つ、片づけてほしい」
「具体的に話してください」
僕は布団に強く包まった。眠いのだ。だけど、目の前で、みーちゃんに「なおーん」と鳴かれると、微笑むしかないわけで。
「『亡国の騎士団』って知っているかい?」
「なんちゃってのテロリスト集団です。得意技はちんけなサイバー攻撃」
「その通りだ。しかし、そろそろ真剣に相手をしてやろうと思ってね」
「警察に期待はできないんですか?」
「僕達に必要なのは実績だ。実績がないと、満足に予算も計上されない」
「それは何度も聞かされていますけれど」
「いろんな要素がいろいろと偽装されているんだけど、巧妙さには欠けていて、だから奴さんらの居場所はそれなりに特定できている。でもね、今回の件については、オフィス街にあるビルの七階で店をやっていることから、そう派手な手法を用いることはできないんだ」
「僕一人でまかなえる規模の作戦なんですか?」
「規模は問題じゃない。君は言われた通りにすればいいんだ」
「万一に備えて裏口の備えくらいは徹底してください」
「それくらいは合点承知だよ。応援は送る」
「今次作戦において、スピード感は必要ですか?」
「さっさと終わらせようよ」
「わかりました。これから向かいます」
「そうしてほしい。尚、なにがあっても驚かないように」
「期待はひしひしと感じています」
広い中庭を取り囲むようにして、ビルが建っていた。建物と建物との間には、窮屈さを感じさせないほどの空間がある。密集させるのではなく、ゆとりを持たせて設計された一帯らしい。
十四時。傘のマークが目印の某銀行が入っているビルの七階を訪れた。エレベーターホールを出てすぐ左折する。両開きの自動ドアをくぐったところに受け付けがあった。担当の女性が二人、カウンターの向こうに座っている。彼女らの背後には『ユニーク・テクノロジー』なる白地に青文字の看板。
僕は身分証の手帳を見せつつ、「警察です」と述べた。『治安会』などと言ったところでピンと来るはずがないので、警察を名乗ったほうが話は早い。受け付けの女性二人は顔を見合わせ、揃って戸惑ったような様子を見せる。僕が「社員の出入りは管理していますか?」と訊くと、一人が「い、いえ、そこまでは……」と口籠った。まあ、そうだろう。社員一人一人のスケジュールを把握している受付嬢なんて聞いたことがない。
次の瞬間、思わぬ出来事が発生した。受話器を耳に当てていた受付嬢の一人がいきなり「警察です!」と相手に告げたのだ。ちょっと油断していた。まさか窓口の女性までが構成員だとは思わなかった。後藤が言う通り、若い組織に実績が必要だというのは理解できる。とはいえ、今回についてなりふりかまわず数で押し込み、圧し潰すべきだったのではないか。
とにかく嘆いたところで始まらないので、僕は懐から九ミリを抜き払った。通路を走り、オフィス内へと踏み込もうとする。案の定だ。ドアには電子ロックがかかっている。ICカードによる認証つき。こういう場合、敵はどう動くか。今一度、冷静さを心掛けて思考する。真っ先に表に飛び出してくるとは考えにくい。非常用の抜け道を使うはずだ。執務室から直接階下へと出ることができる。それくらいの構造は把握している。そして、だ。後藤は応援を寄越すと言っていた。その言葉の通り、ウチのメンバーの誰かが裏口を封鎖していると考えて間違いないだろう。となると、だ。僕が目の前の出入り口を張っていれば、自然と挟み撃ちする格好になるはずだ。
五分ほどが経過。すると、こちら側に男が飛び出してきた。裏口が使えないことから一か八かで表口に姿を現したのだろう。早速、僕は男の肩を撃ち抜いた。後続のニンゲンの動きを止めるにあたっては、まず丁重な挨拶が必要だ。
オフィスへと踏み入る。裏口へと続く鉄扉の前に、目を見張るほどの大柄の男がマシンガンを携え、立っていた。金髪のクルーカットに青い瞳をした彼の名は、ライアン・ミウラ。『治安会』の一人だ。あだ名は”ビッグ・ダディ”。やはり黒いスーツ姿だ。
ミウラが野太い声で、「よーし、おまえ達、逃げられんことは理解したな? だったら大人しく床に伏せろ。両手を頭のうしろで組むんだ!」と指示を出した。言うことを聞くかたちで、男も女もうつ伏せになった。人数は計二十人といったところ。マシンガンが相手であるわけだ。もう逃走の意思はないことだろうし、反撃してくることもないだろう。
銃をショルダーホルスターにおさめ、少し離れた位置からミウラに、「警察の手配は済んだんですか?」と尋ねた。「ああ。もうそろそろ到着するだろう」との返答があった。実際、まもなく警官がぞろぞろと訪れ、僕達は彼らに仕事を引き継ぎ、現場から去ることになった。
ビル街を抜けたところにある片道二車線の道路の路肩に黒いハマーがとめられていた。右ハンドルだ。ミウラは「悠、乗れ」と短く言い、だから僕はナビシートに座った。
着いた先は市街地から離れた郊外にある住宅街。その一角に、三角屋根の大きなログハウスがある。ミウラが所有している自宅兼店舗だ。彼は『治安会』のメンバーを務めながら、喫茶店を営んでいる。後者が本業だと本人は言う。建物の裏手にあるイングリッシュガーデンの手入れが行き届いていることを僕は知っている。
ミウラに続いて喫茶店の口から入る。鍵はかけていないらしい。どうしてだろうと思っていると、カウンター席の丸椅子に知り合いの姿があった。本庄だ。彼は首を回してこちらを向いた。「お疲れさまッス、忍足先輩」と小さく頭を下げた。相変わらず礼儀正しい。しかし、ミウラに対しては、「なあ、オッサン、コーヒー淹れてくれよ」と偉そうな口の聞き方をする。親と子ほど歳が離れるのに不思議な話だ。否、それほどの年齢差があるからこそ、かえって気軽に接することができるのかもしれない。
ミウラはカウンターの内側にあるポールハンガーに上着とネクタイを引っかけ、黒い前掛けをつけた。僕は彼ほど迫力がある喫茶店のマスターを他に知らない。
本庄の隣の席に僕が座ると、ミウラが「俺は二人に店番を頼んだはずだが、伊織はどうしたんだ?」と訊いた。訊かれた本庄は、「ただ待ってるってのは退屈だってんで、泳ぎに行ってくるとよ」と答えた。「俺も行きたかったんだけど、オッサンの言うこと聞かねーと、あとでうるせーからな」と続けた。
やがてコーヒーが並べられた。カップに口をつける。苦みがほどよく、香ばしい。常連客やファンは多いわけだ。
同情する気はない。本庄だってそうだろう。しかし、ミウラには悲しい過去があることは事実だ。自衛軍を退役後、ミウラは奥方の夢であった喫茶店をここに開いた。幸せだったはずだ。喜ばしかったはずだ。けれど、その生活は長くは続かなかった。数年前、ここに強盗が押し入った。彼が不在の時に起きたことだった。抵抗したのか、無抵抗だったのか、だけどそんなことはどうでもよくて、とにかく奥方は銃弾に倒れた。
強靭なメンタリティを有するミウラが激しく絶望し、取り乱す様子は、正直、まったく想像できない。しかし、たくさん悔いたことだろう。彼がどうして、またどうやって『治安会』のレギュラーメンバーになったのか、その経緯まではよく知らない。ただ、本庄と同じく強く強く犯罪を憎んでいることだけは間違いない。
以前、本庄がミウラに向かって言ったことがある。
「女房を殺されたってんなら、俺は犯人を殺すぜ?」
対して、ミウラはこう答えた。
「殺しはせん。俺のプライドにかけてな」
ミウラの言うプライドがなにを指すのかはいっこうにわからない。けれど、僕は彼のことを敬っている。頼もしい仲間だとも思っている。有体に表現してしまうと、『治安会』のおじいさんが後藤で、おとうさんがミウラなのだ。そんな序列が自然に成立している時点で、組織は健全だと言えるだろう。
腕を組んで、いつの間にやら眉根を寄せて険しい顔をしていたミウラが本庄に対して、「朔夜」と呼び掛けた。彼は「なんだよ、オッサン」と返事をした。
「俺はな、神崎のことがゆるせん」
「それがどうしたよ」
「ちゃんと聞け」
「聞いてるよ」
「煙草を捨てろ」
「なんでだよ」
「とにかく捨てろ」
「はいはい」
本庄は肩をすくめると、まだ長い煙草を灰皿にこすりつけた。
「で、なんだよ。真面目くさった顔しやがってよ」
「俺は軍属だった時分、神崎のことを知っていた」
「察するに、奴さんは有能だってことで有名だったんだろ?」
「ああ、そうだ。俺も横断的な訓練があった折に話をした。賢い男だった。体技にも優れていた。その反面、しょうもない男だとも思わされた」
「そりゃまた、どうしてだ?」
「なんのポリシーも感じられん奴に見えたからだ」
「ノンポリだってか。でも、生き方としちゃ、そういうのもアリだろ」
「俺がいよいよ見損なったのは、奴には女房があったと耳にした時だった」
「真面目なオッサンらしい意見だな、ライアンさんよ」
「神崎はゆるせん。奴に惚れた伊織もゆるせん」
「つまるところ、なにが言いたいんだよ」
「俺が神崎を捕捉した時は、奴が死ぬ時だ」
「人殺しは嫌いじゃなかったのかよ」
「それとこれとは話が別だ」
「ってぇと?」
「俺は伊織のことを自分の娘みたいに思っている」
「だからっつってな」
「伊織を二度と神崎になびかせるな」
「それはアイツ自身が決めるこったろ?」
「おまえは馬鹿だ」
「言われ慣れてる」
「物事を客観視してみろ」
「そいつもわかってる」
「悠。おまえもなにか言ってやれ」
コーヒーをすすっていた僕は、いきなり話を振られて、短いの間のあと、口を開くことにした。
「本庄君」
「なんスか?」
「神崎という男は、癌で亡くなった奥さんのことをまるっと骨までたいらげたって話だったね。言わば、究極的なカニバリスト」
「それがどうかしたッスか?」
「君は神崎に伊織さんをむさぼってほしいのかい?」
「また難しいことを訊いてくるッスね」
「鎖の役割。それは限られたヒトにしかできないことだよ」
「鎖ッスか」
「逃げるな。向き合え。僕は君にそう言いたい」
「だ、そうなんだけど、オッサン、まだ言いたいことはあるか?」
「悠はクールでドライなくせに、時々、いいことを言う」
「実は俺って、アンタらのことが苦手なのかもな」
僕とミウラは顔を見合わせ、小さく肩をすくめたのだった。




