1.
麻薬取締局の捜査官、いわゆる『マトリ』の仕事は僕にとってそう難しい職務ではなかった。文字通り、麻薬の流通を規制し、取り締まればいいだけだったから。従順な犯人なら捕まえるだけで済ませるし、聞き分けのない、例えば物理的に敵対してくるような手合いなら迷うことなく撃ち殺す。それだけだった。デスクワークはあまり得意ではないし好きでもないけれど、やらなければいけないことはやっていた。定年まで勤め上げろと言われたらそうすることもできただろう。だけど、そんな僕を引き抜こうとしたヒトがいて。
その居室は薄暗く、木製の本棚にはゴルフクラブが、ドライバー、アイアン、パターと三本、立て掛けられていた。そんな部屋にて設けられた面会の場というか面接のシチュエーションにおいて、僕の正面のソファについた黒スーツの男はまず「ゴトウ・タイゾウだ」と名乗った。それから「ゴトウはよくある後藤、タイゾウもよくある泰造だ」と言い、「『治安調査会議』、すなわち『治安会』の代表だよ」と続けた。『治安会』なんて、僕は名称すら知らなかった。その旨を伝えると、「ま、非公開組織だからね」と返ってきた。だから、表沙汰にはならないような仕事が主なのだろうと予想することができた。
白髪頭の後藤は年老いたニュアンスを漂わせながらも、晩年のクリント・イーストウッドのような得も言われぬ迫力を感じさせる人物で、だからといって僕はその凄みに気圧されることもないわけで。そのへんは僕のタチだ。相手が誰であろうと臆したり怯んだりしないようにできている。
当時の後藤は言った。
「忍足悠君。いい名前だ。悠君と呼ばせてもらってもいいかい?」
僕は「かまいません」と答えた。
「背は大きくないね。何センチだい?」
「百六十八センチです」
「体重は?」
「四十九キロです」
「身長は偶数だけど、体重は奇数なんだね」
「はい」
「ヘアスタイル、イケてるなあ。脱色してるのかい?」
「茶髪は生まれつきです」
「パーマは?」
「かけていません。くせっ毛なんです」
「首にさげてる、大きなヘッドホンは?」
「ジャズが好きなんです」
「大音量で聴いているのかい?」
「たまに周囲からうっとうしそうな目を向けられます」
「好きなアーティストは?」
「”ブラッド・メルドー”です」
「へぇ」
「ご存じなんですか?」
「いわゆる、”ブラメ”だ。君は通だね」
「いえ。ミーハーだと思います」
「悠君」
「はい」
「改めて言うよ。我が『治安会』に、君を迎え入れたい」
「どうしてですか?」
「『マトリ』においてエリートとされる『特別強行班』、略して『特強班』。僕が興味を抱くには十二分に足る集団だ」
「では、なぜ、その中でも僕に白羽の矢を?」
「最も有能とされているからだよ。大した若者なんだろうなというのが僕の予測であり、それは同時に評価でもある。ところで、君にとって仕事とはどういうものだい?」
「業務の内容は重要ではないです。高給が約束されなくたっていいんです」
「そんなふうに言う、君の生き方についてのモチベーションはなんだい?」
「モチベーション?」
「そう。モチベーションだ」
僕が少々眉をひそめたのを見逃さなかったらしく、後藤がソファの上で、にっこりと笑ったことを覚えている。鬼の首を取ったようにとまでは言わないけれど、得意げな顔には見えた。
「悠君。君は神様に選ばれたニンゲンだ。より険しく、よりハードな仕事に身をおくべきだと僕は考える」
「『特強班』は一般的に見ると、それなりにキツい職業だと思いますけれど」
「そうだね。だけど、君は孤独であったりしないかい?」
「話が飛躍しましたね」
「まあ、聞いてほしい。また問おう。君は一人だったりしないかい?」
「そうあることが幸せではないか。あるいはそんなふうに考えています」
「その考えを改めようよ」
「貴方は僕になにを与えてくれようとしているんですか?」
「自由と不自由だ」
「わかりました。そう言われると、ピンと来ます」
「君の上役には話をつけるから」
「局長が僕を手放すとは考えにくいです」
「他愛のない交渉事だ。君はもう、僕のモノだ」
「辞令は?」
「本日中に提示する」
「貴方のことはなんと呼べばいいですか?」
「好きなようにしたらいい」
「じゃあ、やっぱり後藤さんと呼びます。対外的には後藤と呼びます」
「社会人然としていて立派だね。それでかまわないよ」
そんな簡素なやり取りを経て、僕はそう、『治安会』の一員になったのだった。