花火とあの子
2年前の夏に、あの子と見た花火は2年後の今日、独りで眺めている。自らの固定概念を花火が消えるかの様に一つ一つ消し去り、それと同時に花火は今ではもう、二度と触れる事の出来ない、あの子の事を優しく包み思い出さしてくれた。
夏のあの頃、そう…もう2年も前になる。
あの子と二人でみた花火は空に舞い空に輝き空に消えた。
僅かな時間の中で瞳の中に洪水の様に流れ込んだ色彩は一瞬にして星に変わる。
そんな夏から、もう2年。
あの子のお墓参りは毎年夏に行っている、もちろん今年も行った。
あの子の好きな花と、あの子の好きな飲み物を持って富士山の見える霊園に独り足を運んだ。
去年は悲しみを引き摺り無惨にも花火の事や思い出等に浸る余裕もなく、あの子の事ばかりを考えていた。
2年も立てば悲しみが薄れ物思いにふける事も無く自然と前を向いていた。
今年は大学最後の夏を満喫しようと地元から少し離れた旅館に独り旅気分で泊まり始め、もう1週間近くになる。
明後日には実家に帰らなきゃと考えながらレポートに手を進めていた時だった。
窓の外から世界中に響き渡るかの様な凄まじい音が広がった。
風呂上がりの浴衣染みた地味な姿で窓にある障子を開けると
海が広がる、まさにその真上で様々な色彩で円を書いて広がる花火が打ち上がっていた。
懐かしさと、2年前の思い出が花火に乗せて弾けた様に思えた。
そう、あの頃も同じ様に二人並んで、この景色に見とれていた。
『もう、2年か…』
ふと思い出すと悲しみが沸き上がる。
あの子が亡くなってから恋人等作る訳も無く、ただがむしゃらに大学生活を物にしてきた。
息抜きなんて忘れて一休みなんて忘れて、ただ無意味に何かを変えようとしていた気がする。
一つ、また一つと打ち上がる花火。
一つ、また一つと思い出す光景。
まるで床に並べた絵の具を無造作に手に取り様々な色を混ぜ合わせて作り出しているかの様な気持ちになる。
きっとあの子も、今じゃ空から花火を見ているんだろう
そう思うと何故か悲しみが薄れた気がした。
決して遠くに居る訳ではなく、いつも見上げれば様々な姿で広がり続ける空の様に、あの子は側にいるのだと。
やがて花火は終わり殺風景な夜空が後に残る。
花火の爆音のせいなのか耳は暫く耳鳴りを流し続けた。
ふとした瞬間だった。
やっぱり現実から逆らう事は出来ない、馬鹿な自分を知った。
自然と涙が流れてきた。
去年の夏以降、強がる事や泣かない事が強くなる事だと、一人に慣れ一人でも生きて行く事が成長だと勘違いしていた。
現実からただ逃げていた、眠れない夜には無理矢理疲れを身体に流し気付けば朝を迎えていた。
そうして現実という概念から自らを否定して孤立した存在に浸っていた。
それはあの子からも拒絶して自らの意思を強さへと無理矢理向けていた事に気付いた。
気付いた頃には自然と涙が流れ無理に力が入っていた肩から固定概念が崩れ落ちる。
瞳の中に流れ込んだ打ち上げ花火は弾けて消えていった、それと同時に過去の記憶と、現在の醜さに気付かさせてくれた。
そう思うと、自然と笑う事が出来る。
次の日の朝は静かで波音だけが窓から流れ込む。
また来年此処に来よう、そしてまた、あの子に会いに来よう。
花火という景色の中であの子と出会う、まるで誕生日の様に。
無理矢理自分に押し付けた償いを洗い流すかの様に花火は消えていくから…
また来年と小さく空に手を振った
どことなくサヨナラと言っている感覚にも思える
しかしそのサヨナラはあの子に向けて出はなく過去の自分に向けて…昨日、いや1秒前の過去の自分に向けて手を振った。
『また来年、会おうね』と告げて。