4 「2つの太陽と期限」
目が覚めたのは何とも言えない良い香りのせいだった。
どうやら朝食の香りが漂って来たらしい。
あくびを一つ宙に向かって投げかけながら大きく伸びをする。
何か疲れが残ってる気がするぞ。
リビングの窓から差し込む光の暖かさが心地よい。
窓から外を眺めてみると本当に別世界に来たんだなって風景だった。
広い庭越しに見える石造りの町並み、遠くに見える高い城壁…
木と漆喰造りの家、そして井戸が見える。
チュニック姿で麻袋を背負い仕事場へ早足で駆けていく男達。
エプロンスカートで腕まくりをし、噴水近くで洗濯にいそしむ女性達。
水場に立っている槍と兜と革の鎧で武装した兵士達…
そして…二つの太陽。
なんだこれ?
この世界って二つも太陽がああるのか。
夏場は地獄かも知れないな。
大きく白いまでに輝く太陽。
それを追いかけるようにやや下にいる小さな青白い太陽。
まあ同じ軌道を描いてるとは限らないか…
魔法とか平気で出てくる世界のようだから、俺の世界の常識に当てはめるのは危険だ。
そもそもからして大地が丸いとも限らないんだからな。
この分だと月は7つあるんだろうな。
ふふん、もうその程度じゃ驚いてやらないぜ。
「おはよ。 何だ、起きてたの。」
ルビィがやってきた。 先に目が覚めていて助かった。
不意打ち失敗だな! ざまぁ
「ああ、おはよう。 起こしにきてくれたのか。」
「そうよ。 寝てたら蹴り起こしてあげようと思ってたのに。」
やっぱりか。
どうやらルビィは竜種の怪力を俺に使う事にためらいを感じてないようだ。
優しくして欲しいなあ…される理由はまだ無いけど。
ルビィは俺の胸に右人差し指を突き立てる様に挿し、左手の甲を腰に当てて前屈み気味になって言う。
「海はずいぶん弛んでるようだから、早めに起こしてあたしが鍛えてあげようと思ったのよ!」
わあツンデレポーズだあ…リアルで見るとそれほど嬉しくないや。
八重歯の覗く美少女の甘い声だから楽しめたけど。
しかしファーストネームで女の子に名前を呼んでもらえる日が来るとは!
その感動に免じて、売り言葉を放つのはやめよう。
一応この子よりは遥かに年上なんだしな。
「いやぁ。 運動はちょっと…俺インドア専門なんで。 頭脳派だしマジで。」
逃げるようにルビィの脇を通り抜け、匂いに釣られて食堂へ辿り着く。
クリスタとアクエリアスがエプロン姿で朝食を作っていた。
俺に気付いた二人が朝の挨拶をしてくれる。
何これ感動。 こんなエプロン姿の美少女からおはようと言ってもらえるなんて。
食器を運んでいた婆様の姿を見つけ、俺は昨日聞き忘れた事を思い出した。
「婆様、ちょっと尋ねたいんだけど、いいかな?」
「なんじゃ? 食事しながら聞くから、お前も支度を手伝うがいい。」
おっとこりゃ失礼。 料理も出来ない俺だ。
せいぜい言われるままに動くとしよう。
パンは出来合いのものか作り置きなのか、暖めなおされたものだった。
野菜中心の具が浮いたスープと、芋的な穀物と緑の葉物野菜を炒めて茶色いソースをかけたものが用意された。
かなり黄色がかった牛の乳に近い飲み物も温められている。
一通り支度が終わる頃に、ルビィが腕に絡みつきかれながらうとうとしているエミィを引き摺るように連れて来て朝食が始まった。
なるほど、この暖めてもやたら硬いパンはスープに浸して食べるのか…
この芋もホクホクというよりモサモサしてる上にやたら芯があって食べづらい。
二人が料理下手なだけならいいけど、こりゃ辛い食生活になりそうだわ。
エミィがパンの耳をスープの上に浮かべて遊んでいる。
あっ婆様に小突かれた。
そのまま婆様のエプロンの端で口に付いたソースを拭われてニコニコしている。
婆様はエミィを世話しながら今日の修行のメニューらしき連絡をクリスタ達に伝えている。
クリスタが食があまり進んでいない俺に気付き、申し訳なさそうな口ぶりで話しかけてくる。
「ごめんなさい。 こっちの食事はあまり海くんの口に合わないでしょ。」
「そ、そんな事ないよ。 ちょっと環境の変化に身体が追いついてないだけで。
枕が変わると寝れないタチだし。」
それを聞いたルビィが付き放すように言う。
「これだって結構贅沢なメニューなんだからねっ!
海の世界じゃあ美味しい物ばかりかもしれないけど!」
「いやいや、食べてますって。 美味しく頂いてるよ。」
にぎやかな朝食の中、タイミングを見計らって話しかける。
「それで婆様。 聞きたい事なんですがね。」
「おお、すまん。 そうじゃったな。 話を聞こうじゃないかい。」
「俺は一体どうやったら帰れるんですかね。」
「やはり帰還を望むか。」
「今すぐって訳でもないんですがね。 帰れる手段があるかどうかだけは確かめておかないと。」
「なるほど。元の世界に帰る方法はあるぞ。」
「マジか! 教えてくれ! ください」
「わしは星振魔術をそれなりに修めておる。 場所と時間と魔力が揃えれば星門を開いてやろう。」
「場所と時間と魔力の揃え方は…?」
「場は門を開く場所で極端に言えばどこでもいい。
より正確な時と場所へ送還するためには厳選したほうが良い。」
「時間ってのは? 準備に手間隙かけろってことか?」
「星の位置じゃ。 星振魔術は星と星の位相から世界と世界の距離を定める魔術。
時を待つ、これが一番重要じゃ。」
「何かつかめてきたぞ…要するに、俺がここに来た時と同じ星の配列の夜を狙うわけだな?
つまりきっかり一年後か。」
「ほう…理解が早い。じゃが一年後ではなく、約三年後じゃ。
陰の太陽との距離があるからの。」
三年! 俺は思わず大きな声を出した。
そりゃ、別に向こうに戻ったからって無職生活が待ってるだけだが…
俺は唸った。ぐぬぬ…バカンス気分でいたが、これはサバイバルかもしれない。
「あとは魔力じゃが、これはわしが一年かけて魔力を練り上げれば何とかなる。」
「婆様が一年かかりきりですか…」
「ま、昨晩話した通り、魔力王が攻めてくる地じゃから最後まで付き合えぬ可能性が高いがの。」
「あ…」
俺は言葉に詰まった。
自分の事ばかり考えていたが、彼女達の残された生の時間はそう多くないのだった。
何と言葉をかけて良いのか迷っていると、婆様はエミィの頭を撫でて言った。
「気にせずとも良い。 それにお前には頼みがある…このエミィの事じゃ。」
その言葉と表情だけで、婆様が言いたい事はほぼ分かった気がした。
エミィだけは連れて、戦地になるこの街を離れよ、と。
それが送還に協力する事の対価だ、と…
「昨晩ここに来たばかりの俺を、そこまで信用するんですか。」
「エミィはな。 こう見えて人に怯えるんじゃよ。 滅多に外にも出ようとせん。」
言い返す言葉も、説得の言葉も思い浮かばず俺は押し黙ってしまう。
なんでこんな逼迫した状況の所へ落とされたんだ…
勘違いひとつで酷い災難だ。
騒がしいキャラのはずだったルビィも無表情で黙々と朝食を摂り続けている。
お前こういう時ための賑やかキャラじゃないのか。
食器を置き、汚れてもいない口元をナプキンで拭ったアクエリアスが俺に向かって言う。
「海さん。 魔術を習ってみませんか? まだ勘違いと確定したわけじゃないですから。」
「お願いするよ。 他にやる事もないしね。」
婆様が肩眉を吊り上げて口を挟む。
「何を言うか。 お前さんにはやる事がごまんとあるぞ。 まずは道場と庭の掃除からじゃ。」
「えぇ…何で俺がそんな事を…」
「だまらっしゃい! わしが老骨に鞭打って魔力を練り上げるのじゃ。
家事のひとつもやらない怠け者に用は無いよ!」
えー…
俺は異世界で新しい職を手に入れたのだった。
「家事手伝い」という仕事を。
ジョブチェンジだよやったね海くん。
って、やかましいわ