21 「ジャダとファルナーク」
100年ほど前、ある所に小さな街があった。
その名をユーピガルという。
当時はただの地方都市のひとつであり、
商隊が麦を始め良くある収穫物を買い付けるついでに宿泊する程度のどかな街であった。
そこには一人の若く、新進気鋭の魔法使いが居た。
名をジャダといった。
彼は魔力を増幅しより大きな魔術を使うための、
マナと魔力を蓄積する魔力装置の改良に心血を注いでいた。
天才肌で人付き合いを疎ましく感じるきらいのある彼は
師の元を離れた後、穏やかなこの街で研究に没頭していた。
その日、とあるキャラバンの一行が街を訪れ商いをしていた。
食料などの日用品と雑貨をそろえるためにジャダも街の中央広場へと向かった。
そこで彼の目に留まったのは奴隷市であった。
貴族や金持ちが少ないこの街では珍しいものだったのだ。
ソーサリスでは勝手に人を奴隷として売買する事は認められていない。
犯罪者や戦争捕虜、多額の借金を背負った者などが国の「公式な」奴隷として
貸与される形で売買されている。
ジャダは手元の重い雑貨や家の惨状を思い出して考えた。
使用人やメイドと言った人は煩わしいが、奴隷ならばあるいは…と
奴隷市に寄ったジャダの目に留まったのは一人の少女であった。
痩せこけてはいるものの、普通の少女だった。
ただ一点、獣のような耳を持っていることを覗いては。
いわゆる獣人である。
魔族の一種で今は遥か西の地へと追いやられてソーサリスで見かける事はまずない。
「お客さん、良いモノに目をつけたな。それは獣憑きの女でさ。」
獣憑き――
遠い祖先が獣人と交わり、何代か後に先祖の特徴が顕著に現れる遺伝現象である。
失われた言葉で<セリアンスロープ>と呼ばれていた。
「ある貴族のお古なんですがね。前は尻尾もあったんですが、お楽しみ過ぎて切り落としたとか何とか。」
ボロ布一枚から覗く痩せきった彼女の肌にはあちこち酷い疵の痕がある。
余程酷い事をされてきたのだろう。
彼女の目は光を失っており、全てを諦めた虚ろさだけに満たされていた。
だがジャダはそこが気に入った。
人嫌いの彼は人から最も遠い人、希望を失った獣人が自分にはふさわしいと思ったのだ。
ジャダは有り金をはたいて獣人の少女を買った。
有意義な買い物であった、としかその時は思ってなかった。
彼女に一から家事や掃除の事を教えねばならかったし要領も悪かったが、
余計な事をしゃべらず反抗する事も無く、逃亡も企てない所がジャダを大いに満足させた。
彼女も虐待や夜伽のために買われた訳ではない事を知ると、
言われた仕事をしっかりとこなすようになった。
子供の料理、掃除に等しい拙いものではあるが
元よりジャダがそんなに気にしない性分であった。
ジャダは彼女にファルナークという名前を与え信頼するようになった。
ファルナークの目に光が宿り、控え目な性格ながらも懸命に家事をこなしていった。
そんな生活が少しずつジャダを変えていった
ジャダはファルナークを縛る奴隷の証である鎖と重しを外してやった。
いつしか主人と奴隷から、主人と使用人へ
いつしか主人と使用人から、研究者と助手へ
いつしか研究者と助手から、研究者と相棒へ
いつしか研究者と相棒から、青年と親友へ
そしていつしか、一人の青年とその恋人へ――
5年余りの幸せな月日が流れた。
だがある日突然、破滅は訪れた。
ユーピガルの街にある貴族が訪れていた。
彼は大変不機嫌だった。
彼の一族が所有する商船団が嵐に流され、船ごと積荷と多くの船員を失ったのだ。
その程度では彼の家が傾くわけは無かったが、港まで自身で商品を受け取りに行ってたため
何日も無駄に待たされた挙句、手ぶらで戻らなければならなかったのだ。
従者や奴隷には散々当り散らしきって、新しい八つ当たり相手を求めていた。
そんな彼の目に留まってしまったのがファルナークだった。
貴族は瞬間沸騰し、獣人奴隷が脱走しているではないかと街の衛兵を責め立て剣の鞘で小突き回した。
衛兵はジャダの事を説明したが、貴族はそんな事情など取り合わなかった。
八つ当たりをしたかっただけなのだから。
渋々ながらも衛兵はファルナークを捕らえ、貴族の前に差し出した。
彼は散々にファルナークを罵倒し、殴り、服を破りさった。
騒ぎを聞きつけたジャダが貴族に嘆願するも、それは怒りの炎に油を注ぐ結果にしかならなかった。
ジャダは研究者。魔法使いとはいえ、戦う力は無かった。
泣き叫ぶジャダを見せしめに、ファルナークは火刑に処された。
汚らわしい獣人の血脈を浄化する、という名目で。
火あぶりであれば死んだあたりで放っておかれ亡き骸は残るものだが
名目上、徹底的に焼かれた。骨と灰だけにされ、骨も砕かれた。
その灰は街の教会の鐘楼から撒かれ、風に乗って消えていった。
ジャダはひとしきり泣き、数日家に閉じこもった。
不思議と貴族に対する復讐をしようとは思わなかった。
元々人嫌いだったジャダは完全に人間に対する興味を失っていたからだった。
彼は研究に没頭した。
魔力集積装置を改良し、繋ぎ合せ共振させる。
装置に高密度に集積された魔力は、周囲のまだ魔力変換されていないマナへと波及しより大きな現象を起こすようになる。
圧縮された魔力を開放し、波打つマナを広く拡散させる事により途方も無く遠くまでマナが刺激され大きく波打つ。
彼はこの性質、自身で名付けた<魔力波とマナ津波による振動>を利用して、
史上かつてない大魔法を使う野望を持っていたのだ。
世界中に散ったファルナークの灰を、
世界中に散ったファルナークの煙を、
世界中に散ったファルナークの魂を、
世界全体に魔法をかける事で、彼女を蘇らせられる。
そう狂気に囚われていたのだ。
ファルナークの意識や構成していた灰や煙を識別できるのは自分の脳しかない。
ジャダは自分の体に通る魔力と魔力集積装置を一体化し、
いつしか自身が魔力装置と化していた…
魔力結晶の体と化したジャダはその異変に気付いた住民や衛兵を全て殺した。
元より人間に興味を失っていた彼に殺す事への迷いも何もなかったのだ。
ジャダは自分の名を捨てた。
ファルナークを蘇らせるまでは。
そして長らく使うことも無かったドルゲスタという名字で名乗った。
彼は西の魔族の地へ逃れ、魔力集積装置の研究を続けた。
魔族の地は彼にとって安全だったが、研究は進まなかった。
魔力を集積する作業は順調だったが、それ以上に圧縮し開放する手段が無かったのだ。
ならば、複数の魔力集積装置を集め、それを物理的に衝突させれば良い。
魔力増幅装置があるのは…彼の故郷、忌まわしの地ソーサリス。
彼はあふれるほどの魔力を使い魔族を増やし、挙兵した。
魔力王ドルゲスタの誕生である。




