暇つぶし
何もさせてもらえないのは、ある種の拷問だ。手足を縛られ、こんなところに閉じ込められているくらいなら、ずっと仕事をしていたほうがマシだ。何も給料が欲しいわけではない。拘束が嫌なわけでもない。このまま時間が過ぎて、野垂れ死にしてしまうのが怖い。じゃあ何で私は死のうとしたんだろう?
暇な時はこんなふうに、頭の中で文章を組み立てる。そうでもしないと、正気を保っていられない。何かの数を数えるとか、そんな単純な作業でもいいのだが、手足を拘束されているのであたりを見回しても数えるものはもうあまり残っていない。私から見えるフローリングの木目は二重五個、隣で寝ている女の子の髪の毛は…
百九十六本まで数えたところで、誰かの足音が聞こえてきた。音の聞こえ方からして、下の階から階段でこの階に向かっているのだろう。歩き方は至って普通。強いていえば少しのんびりだ。履いている靴はスニーカーや革靴などの、靴底の柔らかいやつだろう。
久しぶりの、音というちょっとした刺激から、色々な想像をふくらませる。近くを人が歩いている、それだけの事実が私を安心させた。
その時、私はあることに気が付いた。足音は下の階からこの階に向かっている。そう、この病室は上の階にあるから、飛び降り自殺ができる。いや、正確には、できる「かもしれない」だ。もしここが二階なら、飛び降りても死ねない。せいぜい骨折程度だろう。地下に駐車場がある病院だってある。
考えを巡らせていると、足音が徐々にこの病室に近づいてきた。そして、扉の前で止まる。やっと話ができる人間に会える!私は興奮していた。
ぎぃ、という重たい音がして、扉が開き、その先に立っていたのは、白衣を着て、ひどくやつれた中年の男性だった。
「こんにちは。」
男性は軽く会釈をして、部屋の中に入ってくる。
「ここはどこですか?」と私が聞くと、
「具合はどうですか?」と聞き返してきた。
「具合は悪くないです。そんな事より、ここはどこですか?」まだ全身が怠く、痺れがひいていない。だがしかしここでそう言ってしまったら、何か余計な措置をとられそうだった。だから嘘を言った。
男性は、疑わしい、といったような面持ちで、「そうですか…もう麻酔が抜けたのですね。安静にしていてください。」と言った。
「私は麻酔をかけられて、ここに連れてこられたんですか?ここはどこですか?」私がそう聞くと、男性は「その通りです。ここは精神病院です。」とだけ言い残して立ち去ろうとする。
「ちょっと待って下さい。」ここで逃げられたら、次に人が来るまで待たなければならなくなる。
「何ですか?」男性は少しめんどくさそうな表情でこちらを見てくる。
「拘束を解いてくれませんか?」そう。これを解いてもらえれば、後は飛び降りて死ぬだけ。私の頭は自殺のことでいっぱいだった。
男性は少しの間俯いて考え込んだ後、私に質問をした。
「もう死ぬ気は無いですか?」この質問にはいと答えれば、この拘束を解いてくれるのだろう。
「はい。わかりました。あの時は慌てていて、普通の判断ができませんでした。でも今は大丈夫です。」出来るだけ違和感の無いよう心がけて、出任せを言った。私は嘘をつく事に罪悪感を感じたりしない。ただ何となく楽しいから、という理由で嘘をついたりもする。だからこういう演技には慣れていた。別に悪いことではないと思う。愛想笑いと同じだ。
私の言葉を聞くと、男性は布団をめくって、どこかから伸びている鎖に固定された、拘束具を外してくれた。そしてそのまま部屋を出ていく。ひっそりと耳をすましていると、やがて足音が聞こえなくなる。
これで自由になった。私は立ち上がって、思いっきり伸びをする。自由に生きて、自由に死ねる。なんて素晴らしいのだろう。窓のところまで歩いていくと、ブラインドを無理矢理手で持ち上げる。ステンレス製の窓枠にふちどられた窓の向こうに見えるのは、排気ガスで汚れた、都会の町並み。それでも、夕焼けに照らされて、少しだけ綺麗に見える。ここは多分、十階あたりだ。こんどは、ちゃんと上手に死ねる。私は窓の鍵に手をかけた。
絵とかでもそうだけど、書いてから時間置いて見ると直したいとこいっぱいでてきますね。