・7・契約
魔法陣の中で起こった出来事を、かろうじて意識を保って見ていた道士は、自分は狂ってしまったのかと思った。
先程まで激怒していた悪魔が、生贄の乙女を見た途端、急激に大人しくなり、ついには泣き出したのだ。
道士の常識をはるかに超えるそれらに、もうまともに考える事もできない。
ただ目が開いているから見ている、という状態で魔法陣の中を眺めていると、悪魔が乙女に近づいていく。
そろそろと、酷く慎重に歩み寄った悪魔は、これまたそっと乙女に手を伸ばした。
乙女の顔にできた一筋の切り傷に触れると、ポゥと青い光が生まれ、傷が癒えていく。
"悪魔が人間の傷を癒した"
それも命令でもなく、主人でもない生贄に!
道士は、襲ってきたあまりにも大きな衝撃に、それこそ意識が飛びそうになった。
悪魔は次々と傷や火傷に触れ、癒していく。
乙女は初めこそ驚いた様子だったが、しまいには悪魔の手に身を委ねているように見えた。
悪魔は片膝をつくと、乙女の右手をとった。
その手に軽く口付けると、悪魔は静かに言った。
『オレは"先見の悪魔"ジーンカイルという。お前の生ある限り、お前を守る盾となり、お前を支える杖となり、お前の敵を屠る剣となる事を誓う。どうかお前の僕となる事を許してほしい』
ありえない。
道士の粉々にされた常識が憤慨する。
あの高位悪魔が人間にへりくだるなど。
ましてや、服従の誓いを自ら乞うなんて。
まずい、と道士はぼんやりと思う。
それは、誓願の言葉。
本来なら、とっくの昔に失神してしまった国王にするものである。
通常、召喚された悪魔は召喚した悪魔使いとこれを行い、主人はその悪魔使いになる。
しかし、高位悪魔のみ、召喚するのは悪魔使いであるが、服従の誓いは国王になされ、国王が主人となるのである。
もっとも、多大な代償を払った上で、一時の"労働"をしてもらう立場であるが。
『どうか"許す"と言ってくれ』
悪魔の懇願する声。
止めなくては。
思いながらも、道士の体は動かない。
生贄の乙女は理解しているのかしていないのか、しばし黙っていたが。
「・・・・・・許し、ます」
小さく発した言葉と共に、魔法陣が光を放つ。
――――儀式は完成してしまった。
『有難き幸せ』
悪魔は満面の笑みを浮かべ、乙女を抱き寄せる。
そして、衣装の胸元を不意に裂くと、心臓の位置に口付けを落とした。
魔力が渦巻き、光が乙女の胸元へと吸い込まれていく。
光が飲み込まれたそこには、紅い契約の刻印が刻まれていた。