・6・Demon meets girl.
その時、ジーンカイルの内に湧きあがった感情は、彼にとって全く未知のものであった。
初めに、自分の真下に人間がいて、それに気づかなかった事に驚いた。
乙女の魔力と魔法陣の魔力は同じであるため、気配が完全に同化してしまっていたのである。
次に、白い柔らかそうな肌についた切り傷、そこから滲む赤い血、そして引き攣れた火傷を見て、ジーンカイルは猛烈な恐怖に襲われた。
悪魔には、主に戦闘における快楽と怒り、退屈と死に対する恐怖などしか感情と呼べるものはないのであるが、ジーンカイルは自分以外のものが傷ついている事に恐怖した。
それも、乙女が負った傷は自分のせい、という事に怯えた。
そして、目隠しをされているにもかかわらず、じっとこちらを見上げる乙女の態度に狼狽えた。
恐怖し、怯え、泣き叫び、失神する人間たちの中で、泰然自若としている乙女。
よく見れば、その口元は薄っすら微笑んでさえいる。
ジーンカイルは瞬時に魔力を抑え込んだ。
結界に火花を散らしていた魔力風がおさまり、なびいていた乙女の月色の髪がふわりと床に落ちる。
まるで上位の悪魔に狙われた時のようにぴたりと動きを止め、唐突にジーンカイルは姿を変えた。
漂う黒い霧が巨大な目玉を覆い、蠢く触手もするするとその中へ沈んでいく。
そして黒い霧が溶けるように消えていくと、そこには一人の男の姿があった。
紫がかった黒髪に、血のように紅い瞳。
背が高く、引き締まった体を持ち、凍るように美しい顔をしている。
ジーンカイルの人型であった。
人間に使役される時、悪魔は人の形をとる。
もちろん人間以外の姿にもなれるが、人の姿をとるのは中級以上の悪魔の基準であり、高位の悪魔ほどこの世のものでない美貌を持つ。
紅い瞳で乙女を凝視しながら、ジーンカイルは立ち尽くした。
どうすればいいのか分からなかった。
自身の内に湧く感情が、彼には理解できなかった。
"この人間を傷つけたくない"
"この人間を失いたくない"
"この人間に拒絶されたくない"
"自分の本性を見られたくない"
悪魔が抱くはずもないそれらの思いがぐちゃぐちゃになって、彼を動けなくした。
月色の髪の乙女は、彼が変身した事が見えているかのように、顔をジーンカイルの方へと向けた。
微笑みは変わらず。
僅かに首を傾げてみせた。
ジーンカイルの胸がまるで炎で焼かれたように熱くなった。
それに加えて、彼の視界が滲む。
一瞬何らかの攻撃を受けたのかと思ったが、体のどこにも異常はない。
己は泣いているのだと、ジーンカイルはしばらく理解できなかった。