・16・試練
【まだらの国】。
悪魔とその主人が暮らすそこは、そう呼ばれているらしい。
『あっちに行く前に、二人にはやってもらう事があるの』
そう言ってキュべルージュが告げた事は、ジーンカイルにとって忘れていたい事であった。
"悪魔としての本性を主人に見せる"
彼の本来の姿。
巨大な紅い虹彩の目玉に、黒い霧をまとい、四方から紫の触手を伸ばしている、あれ。
「召喚の間」でアジュリーンに出会ってから、彼はずっと人型のままであった。
自分の本性を見られたくないと強く思い、とっさに変化してからすっかりその気持ちを忘れていたのである。
彼女が目隠しされていた事をいいことに、まるで人型こそが本当のように、見ないふりをしていたのである。
異形そのものの姿を見られたら、きっと彼女は自分を拒絶するだろう。
あの微笑みを消して。
その身に触れる事も許されなくなる。
ゆっくりした口調で「ニコ」と呼んでくれる事もないであろう。
それは、ジーンカイルが抱える最大の恐怖であった。
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『・・・・・・本当に、しなければいけないか?』
これまでになく沈んだ声で、ジーンカイルは問いかけた。
次の日の真夜中。
王宮の庭園に三人はいた。
空には中途半端に膨らんだ月。
周囲には結界が張られ、人の気配はない。
『絶対にね。誰もが通る道よ』
キュベルージュは突き放すように肩をすくめた。
彼の隣で、アジュリーンは表情を凍らせているジーンカイルを見上げていた。
心配げに眉根が寄っている。
左腕をそっと握り、彼の注意を引いた。
「・・・・・・ニコ、怖いですか?」
『アズ・・・』
昏い目で彼女を見下ろして、茫然としたようにその名をこぼす。
ジーンカイルは口を開こうとして、しかし、わななくそれを抑えるようにぎゅっとつぐんだ。
こころなしか、体も震えているようである。
「ニコ」
呼んで、アジュリーンは掴んでいた腕を引っ張る。
力なくかがんだその体を受け止め、ジーンカイルの頭を胸に抱いた。
しっとりと髪を撫でる。
「・・・大丈夫ですよ」
ぽつりとした、優しい声。
ジーンカイルはそろそろと腕を回し、縋るように彼女を抱きしめた。
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二人から少し離れた位置で、キュベルージュは微笑ましくそれを見ていた。
懐かしい光景であった。
かつて、己れが主人と【まだらの国】へ行くと決めた時、同じような事をしたのである。
キュベルージュが召喚されたのは、今と同様の戦争の規則からだった。
召喚の儀式に偶然立ち合わせた、当時騎士だった主人を見つけ、すぐさま人型をとり契約。
戦争が終わり、その身の置き場がなくなった時、【まだらの国】へと誘われた。
悪魔の本性をしっかりと見せ、主人がそれすらも受け入れるならば、【まだらの国】で暮らす事を許される。
けれど、もし万が一主人が悪魔を拒んだのなら、【上位悪魔】の権限で契約は破棄され、悪魔は強制的に魔界へ還されてしまう。
究極の二択。
"絆の試練"と呼ばれるそれを彼女と騎士は行い、無事乗り越えたのである。
悪魔はみな共通して、終生を誓う主人に対してのみ、本性をさらす事にとてつもない恐怖を感じるらしい。
その恐怖を克服した悪魔、そしてその姿さえも受容した人間だけが、その先の生を正しく過ごせるのだという。
よって、この試練は【まだらの国】へ行く者に必ず行われるのであった。