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海賊の宴Ⅱ

 海で稼いで陸で遊ぶ。海賊とはそう言うものだ。

 生まれてこの方、世界の国同士が仲良くしている時期なんてこれっぽっちもなかったし、海は海賊が己の望むように暗躍する場所だった。

 大海賊と呼ばれる海賊団があちこちの海で活躍する、事実かホラかも分からないような噂話が街中で囁かれる。海賊は恐ろしいと言う言葉を聞く一方で、大した力のない海軍を打ち倒していく彼らは強者に見えたし、汚職だのに染まった国に比べたら彼らはストレートで格好良かった。職人に金を出し渋る国の役人に比べて、彼ら海賊は金を出し惜しむことをしなかった。奪った金品で、食料や油、航海に必要な物に大金を積んでくれたのはまさに英雄だった。国に安く買い叩かれるのであればと、俺の出身国コスタペンニーネでは海賊を歓迎する者の方が多い。不思議なことに一次生産が潤えば国が自然と潤うもので、南東の諸国群コスタペンニーネは独立国として強固な地位を保っていた。

 そんな国で育った訳なのだから、普通の船乗りになぞなるわけもなく、俺はこうして海賊として名を上げるために、愛するエリーの導きを頼りに航海をしているわけだ。自称だった魔弾のラースが本当に通り名となり、自らが率いる海賊団に死弾などと二つ名が通るようになった。小さな頃は何をするにも上手く行かなかったものだが、エリーとの出会い、そして相棒との出会いが俺の風向きを変えた。

 ベッドに寝転がったまま、横に置いたエリーの髪を撫でる。ツヤツヤの髪はさらりと指先で散る。にこりと笑ったような頭蓋にキスをして、俺は机に広げてあった海図のところへ移動した。海図と共に何枚かの手配書がある。ちっとも似ていない俺たちの手配書を見て、そこに記された金額に口元が緩む。

 せせこましい宝石偽装だの小さな商船を襲って宝石を転売していたチンケな海賊が、今じゃどうだ。その名を聞いた者は竦み上がり、海上で髑髏女神のフィギュアヘッドを見た者は生きて帰ることが出来ないと噂の海賊だ。この金額を見てみろと過去の自分に自慢してやりたい。

 銀狼海賊団の解散に伴って、五大海賊として最近では俺たちの名が上がる。ついに此処まで来た。此処から更にのし上がってやる。目標は未だ高い。人間種でありながら世界の海を征したと謡われる、伝説の海賊王アランのように、その高みへと俺は上り詰めるんだ。

 良い波が打ち寄せることもあれば、悪い風も吹く事がある。それが海だ。時折吹く悪い風なんてすぐに行き過ぎてしまう。そうしてまた良い波に乗れば良いだけの話だ。

 さあ、次の港はどんなイイ女と美味い酒が待っているかな。気を取り直し、俺は広げた地図を丸めて書類を積めてある壷に戻した。ベッドに戻った俺は、エリーを抱いてぐっすりと眠った。夢も見ないほどにぐっすりと眠れるようになったのは、いつ頃からだったろうか。少し前は不眠に随分悩んだというのに。

 人とは変わるものだなぁ。


 海軍提督たちにコチラの進路がある程度把握されていた結果、大陸の北、フレイスブレイユの提督別荘で執り行われた例の晩餐会。無事に潜入作戦を成功させた俺たちは、そのまま航路を西に、隣の大陸であるリッツ大陸へと向かった。その北側に位置する、良質の鉱石を産出する鉱石の国ヴェルリッツへと向かっていた。

 ヴェルリッツは相棒メーヴォの生まれ故郷であり、俺たちが出会ったあの港町がある国だ。故郷に近寄りたくはないが、あの土地の鉱石がどうしても欲しいと言う相棒の言葉で航路を取った。

「はぁ……」

「何だよメーヴォ。盛大な溜息だな」

 海図を見ながら途中の食糧補給に立ち寄る港を検討していた最中だ。珍しくメーヴォがあくびをかみ殺し、大きく溜息を吐いた。

「……あぁ、少し眠いだけだ」

「なんだそれ。また夜遅くまで本読んでんだろ?」

「いや、寝れなくて」

「え、お前が不眠?まじで?」

「こう見えて僕は繊細なんでね。マルトに相談するよ」

 健康優良をモットーにするメーヴォの珍しい症状と、それでも変わらず出てくる悪態に心配など何処かへ行ってしまった。

「ちょいと余裕持って近場の港にいくのがいいかもな。お宿で一晩運動すれば不眠なんて何処吹く風だぜ」

「それは丁重に断る」

 ちぇ、連れねぇの。

 そんな訳で、ヴェルリッツへ向かう航路の途中で小さな島の港町に立ち寄った。

 海賊やゴロツキも多く、俺たちも港の監視に立ち往生することなく寄港した。

「じゃ、俺はお宿で遊んでくるわ」

 はいはい、と呆れ顔の水夫たちに見送られ、同じく宿へ遊びに出かけるやもめ共を連れだって船を下りようとした時だ。

「ラース、僕も行く」

 はっ?と思わず声が裏返った。

「メーヴォまじで言ってんの?」

「そうだ」

「どういう風の吹き回しだ?」

「用事が出来ただけだ」

「お宿に用事?お前が?」

「ああ、お高い宿の方にな」

 お高い宿、と言われてなるほどと合点がいった。

 俺たちが女を買うために行く娼婦宿と違って、高級娼婦たちの宿がある。政府高官だのお役人もお世話になるお高い女たちの宿だ。役人の相手をすると言う事は、少なからずそこに役人たちの情報が集まっているという事だ。

「何よメーヴォったら、どんだけの金を一晩に積むワケ?」

「気持ち悪い話し方をするな。レヴの紹介だ。金額は察しろ」

 おやおや、魔族のお子さんは悪い子だなぁ。

「何処のお宿だって?ちょっと俺も気になるなぁ……」

「行くなら好きにしろ。ただし金額とサービスに責任は持たないぞ」

「よっしゃ決まり!行こうぜ!」

 お宿でやる事なんて一つだろ?と腹の中で笑い飛ばして、俺は遊びに行く水夫と別れ、メーヴォと共に高級娼婦宿へと向かった。

 豪奢なお屋敷風の建物のエントランスに入り、受付で「人魚の宿に、鴉から届け物だ」と口にしたメーヴォが、宿の女将に笑顔と共に連れられて奥の部屋へ姿を消すまであっと言う間で、「じゃあまたな」とメーヴォがあまりにもあっさりと、勝手知ったる我が家と言わんばかりに行ってしまったのに驚いた。

「で、お兄さんはどうなさるの?」

 言われて提示された金額に目を剥いて、中の下の比較的普通の娼婦を買って部屋へと移動した。

 いやぁ……高級を謡うだけあってやばいわこの宿。中の下の金額で、普通の娼婦宿なら五人は一晩囲って過ごせる値段だ。とは言え、こちとら泣く子も黙る海賊船長だ。そのくらいの金ポーンと使ってやるさ!

 腰に下げたエリーが不意にカタカタと鳴って、怒るなよ愛しい人、とその包みの上から頭を撫でた。


 翌日の朝は九時には女に起こされ、値段を取るだけのことはある豪華で美味い朝食が運ばれてきた。朝から美味いワインとガーリックのバケットを胃に収め、ベーコンと野菜が入った上品な味付けのトマトスープに舌づつみを打つ。新鮮なフルーツも食べ放題で、朝からたらふく食ってしまった。

 飯の後にゆっくり風呂に浸かり、やっと身支度を終えた頃にはもう昼に近い頃合いだった。

「船長サン、連れの方がもうロビーでお待ちよ?」

「はぁー……相変わらずアイツは早ぇな」

「連れの方、変わり者なのネ。姉さんがお話相手した後に部屋を出されたって、さっき言ってたわ」

「はぁ?部屋を出された?」

 何でも、女と部屋を使う時間は金を出した、どう使おうと僕の勝手だ、と言って女には待合室にでも戻れと閉め出したらしい。

「アイツらしいっちゃらしいけどな……」

「やっぱり変わり者なの。良いけどね、姉さんも一晩ゆっくり寝れたって言ってたし」

 そうやって定石から外れることで、何処か自分も相手も少しだけ救うような、そんなメーヴォの行動は嫌いではない。結局俺自身もそうやって押し上げられたのだから。

「さぁて、お嬢さん一晩楽しかったぜ」

「またきてね」

「金を貯めてくるぜ」

 部屋を出てロビーに向かえば、手帳とにらめっこをしているメーヴォがすぐに目に付いた。

「よう、よく寝れたか?」

「遅かったな。こちらは快眠とまでは行かないな。お高い宿でも香の臭いがきつすぎる」

 だろうな、と同意の言葉を合図に、俺たちは宿を後にした。

「欲しかった情報は取れたのか?」

「大方な。ヴェルリッツの鉱山に、お前の銃に使う氷水晶を取りに行こうと思うんだ」

「おお、そう言う話なら酒場にでも行ってゆっくり計画すっか!」

 酒が飲みたいだけじゃないのか、と睨まれたが、上品な朝飯で舌が浮ついてるから口直しだ、と笑ってやれば、メーヴォはいつも通りに仕方ないな、と苦笑した。

 高級娼婦宿のあった通りから商店などの並ぶ表通りへ出て、さらにそれを通り過ぎて裏通りへ入る。

「わざわざこんなところに来る奴があるか」

 表通りで良いだろう?と愚痴るメーヴォを、秘密の良い店があるんだ、と宥めて俺たちは先を急ぐ。少し進んだところに『海鳥の糞』と看板を出してある店が見えてきた。あそこは年代物の酒や美味いチーズ、高い煙草の試飲をさせてくれる良い店なのだ。

「おい、メーヴォ。あの店……」

 振り返った先にメーヴォの姿はなく、遙か後方でぼさっと立ちすくんでいた。

「おい、どうしたんだよ。面白いもんでもあっ……?」

 何かを凝視するメーヴォの目がくわっと見開かれ、その横顔からも殺気が溢れているのが分かった。メラメラと瞳の中の蝕の輪が燃えているようだ。呼ぼうと息を吸った瞬間、メーヴォの視線の先の路地から女の悲鳴と男たちの怒声が響いた。

 メーヴォ、と呼ぶ声が喉の奥につっかえた。殺気に彩られ、愉悦さや快楽もなく、ただ純粋で純然な怒りを纏ったメーヴォの姿はとんでもなく、目を惹いた。

 それが演劇で決められた動きのように、腰に下げた真っ赤な鞭に爆弾の導火線を擦り、人形が操られてなめらかに動くように、メーヴォは路地に向かって爆弾を投げた。

 どばん、と轟音が鳴り響き、爆風が路地を吹き荒れる。白昼堂々、裏路地とは言え遠慮なしに本気の爆弾をかましやがった。爆風で飛び散った赤い飛沫に染まった路地に、濃紺のコートは酷く鮮明に見えた。

「おい、メーヴォ!何してんだ!」

 怒声と共に腕を掴むと、はたと正気に戻ったような顔で、あ?とその顔が不安に変わった。

「……僕、は……あぁ。やってしまったのか」

「馬鹿!とにかくずらかるぞ!鉄鳥、サポートしろ。イベリーゴ、ヴェンデーゴ!」

 メーヴォの腰に腕を回して抱きかかえ、魔法のワイヤーを屋根の上へ向けて放ち、俺たちは裏路地から身を翻した。屋根から屋根へと飛び、最短距離で港へ、エリザベート号へと俺たちは逃げるように帰った。

「おい、憲兵が来たら船長不在で適当にかわしてくれ!」

 逃げ帰るやいなや、人の少ない船内で悠々と過ごしていたエトワールに申し訳程度に頭を下げた。

「またやらかしたんですか!」

「ちげぇよ今回はメーヴォがやったんだぞ!」

 逃げてくる間ずっと放心状態だったメーヴォを、自室としてあてがってある武器庫に放り込んで、俺もそのまま船倉の奥へと身を隠した。

 幸いにも憲兵や事情を聞きに来るような者は訪れず、船首像も魔法で擬態させている事も幸をそうしたのか、何事もなく日没を迎えることが出来た。その頃には一度船を下りた船員も戻ってきたが、中には爆発騒ぎを聞きつけて早々に予定を切り上げてくる者も少なくなかった。

「また船長が何かやらかしたのかと」

「お前ら開く口言う口全部それな!」

 いつも通りの夕食を食堂で皆と囲む際に、町から帰って来た水夫たちが口々に騒動の原因が俺ではなかったのかと口にするのは、日頃の行いの結果という奴か?くそったれ!

「珍しい様子だったそうですが、当のメーヴォさんはどうしているんです?」

 もぐもぐと骨付き肉を食べながら、船医マルトがメーヴォの心配をする。武器庫に放り込んだ後、夕食の前に声はかけたが返事はなかった。戸の隙間から鉄鳥が筆談の歪んだ文字で『ひとりになりたいそうです』と書かれたメモを寄越してきた。

「その路地で何があったんですか?」

「さあな。俺が見る前にアイツが吹き飛ばしちまった。ただ、予想するところはレイプだろうけどな」

 言葉として聞き取れなかったが、確かに女の悲鳴と男の怒声は聞こえた。大方酒場の踊り子か歌い子が、良くない輩に目を付けられたと言うところだろう。

「あれかな……背中の傷跡と関係するんですかね」

 ぽつりとマルトが呟くが、アイツの背中に何かあったか?と考えを巡らす程度に俺の記憶にその絵はない。

「……本人がいないところでアレコレ推測しても答えは出ねぇな」

 そう言えばいつだったかは、俺が随分と荒れている時に笑わして貰ったっけなぁ、などと思い至り、俺は食堂を横切ろうとしていた調理長ジョンへ声をかけた。


 翌日。流石ならず者が多く集まる町なだけあって、国軍憲兵たちによる現場検証も程々に切り上げられた。死亡した者の身元調査も犯人探しも随分適当で、チンピラ同士の痴情のもつれの末、誰かが爆弾で道連れに自爆したのだろうと適当な調査結果がまとめられた。

「殆ど現場状況からの推測で片づけてしまっている怠惰ぶりです。正直ここまで末端の憲兵が腐敗しているのには驚きました。あと路地裏での爆破だったこと、爆風で巻き上げられた砂埃で、周囲が一時的にスモッグに覆われたこと。幸いにもお頭とメーヴォさんの姿を見た者はいなかったようです」

「じゃあ追っ手が此処にたどり着く可能性も低いと」

 そうですと笑ったレヴの情報に、俺の横に座っていたエトワールがようやく眉間から力を抜いた。

「分かりました。停泊予定に変更はなく、出航は四日後です。それまで、今度こそ静かに過ごして下さいね」

 だから今回はメーヴォが、と反論しようとして、その鋭い目つきにそっと口を噤んだ。あれは本気でヤバい時の目だ。触らぬ副船長に説教なしだ。

 安全確認はできた物の、エトワールの監視に俺は船内で大人しく時間を過ごすことに決めた。残っている水夫を相手に無駄話をし、時には要望を直接聞き、悩みの相談にも乗る。やっている事は航行する時と大して代わりはしないが、港にいると言う安心感は、普段口にしないような事まで自然と吐き出させてくれる。

 そう言うのを自然と俺たちは繰り返して来ていたはずだ。本音も建前も耳に入れて、胸にとどめる言葉があれば、聞き流す言葉も忘れる言葉も多い。

 たた、時々その『いつものこと』を忘れてしまう時がある。自分のことで手いっぱいになってしまう時、考えがまとまらなくなる時。色々不調が重なる時ってのは少なくともある。それを、船員が支えてくれていた。触れぬと言うことで船員はそれを支えてくれたから、俺はエリーを抱えて不調なときが過ぎるのを待った。果報は寝て待てと言う奴だ。

 ところがそれを、メーヴォの奴がひっくり返した。飯を食って酒を飲んで、全部話して笑ったとき、俺の中の蟠りが消えていた。

 だから、次は俺の番なんだろう。なあ、相棒よ。


 丸一日部屋から出ずに引き篭もっている相棒はきっと腹を空かせていることだろう。その点うちの調理班は優秀だ。どんな国の料理も、どんな味付けの料理も何でも作り上げてくれる。料理の腕だけに留まらず、その調達能力も優れている。

 トレイに乗り切らなかったからと、大きめの平笊に布を敷いて簡易バスケットにし、メーヴォの好物だというアレコレをめいっぱい差し入れにしてやる。こんな辺鄙な港町だと言うのに、調理班の面々に「メーヴォの為にいい物を揃えて来い」と命令しただけなのに、アイツの好きな蔵本のワインだのとびきり新鮮な野菜だのを仕入れて来て、最高の宴の支度をしてくれた。なあ相棒よ。これがお前が仕上げてくれたヴィカーリオ海賊団だぜ。

 ノックをしても相変わらず返事のない扉を前に、半ば脅迫するように開けないと扉をぶっ壊すぞ、と言えばカチンと鍵の外れる音がした。

「調子はどうだメーヴォ!」

 開けて入った武器庫の中は相変わらず綺麗に整頓されている。その部屋の対角線上にロープが渡され、ハンモックが吊されている。毛布にくるまって横になっているメーヴォは、もっそりとした芋虫のようだ。起きあがった気配はないから、恐らくさっき鍵を開けたのは鉄鳥だろう。従順な従者は何処か心配そうな顔をして、主の上に降り立つ。

「よう、二枚目が台無しだな」

「……なんの用だ?」

「飯!それとお前が好きな銘柄のワイン。あと、俺!」

 ポーズを決めて笑ってやれば、ようやく毛布からボサボサ髪のメーヴォがコチラを睨みつけてくる。その視線は、いつかの俺の視線なんだろうな。

「飯食って、酒飲んで、話しようぜ。いつだったかみたいによ」

 今の俺、あの時のお前みたいな、穏やかな顔で笑ってっか?相手を労るとか、慈しむみたいな、そう言う気持ちが、これなのか?イマイチわかんねぇけど、きっと今度は俺の番なんだ。

「……わかった」

 言って起き出したメーヴォは、昨日からの着のみ着のままのようで、クシャクシャのシャツにボサボサの髪だ。いつものブーツは部屋の隅で、何処からか出してきたつっかけでペタペタと足音をさせながら、ハンモックをたたみ、片付いていた部屋の至る所から折り畳み式のテーブルと椅子を用意してきた。

「お前の部屋すげぇな」

 まあな、と素っ気なくも答えが返ってきてほっとした。用意されたテーブルに次々に笊の中から差し入れを広げる。

 熱々の陶器に入れられた、チーズとトマトソース、挽き肉たっぷりのラザニアに、細かく刻まれた野菜と豆がごろごろ入っているチリコンカルネ(豆のピリ辛スープ)。港ならではのミルクたっぷりのミルクコーヒー。子供が好きそうなメニューだと言えばメーヴォはきっと拗ねるだろうけれど、俺からしても何となく胸躍るメニューだ。バターがたっぷり染み込んだバケットも香ばしい匂いを放っている。

「たっぷり食って、たっぷり飲んで。話をしようぜ、相棒」

「……すまない、ラース」

「礼は後だ。冷めない内に食おうぜ」

 テーブルと椅子に陣取って、まだ熱いラザニアを取り分ける。スープボウルに入ったチリコンカルネを、暖を取るように抱え込むメーヴォが深く溜息を吐いた。

 はふはふとラザニアを口に運び、バケットも頬張る。この際パラパラと散らかるバケットの破片は気にしないようだ。そりゃ腹も減っていたんだろう。メーヴォは行儀も二の次に大口を開けて食事を頬張り、もぐもぐと頬を揺らす。

「うん、やっぱりジョンの料理は最高だ」

「ほんとそれ」

 そうか、こうやって飯を食える相手がいるってのは大事なんだな、と。腰に下げたエリーを布越しに撫でる。物言わぬ美しい女も大事だが、こうして肩を並べられる相棒も必要なんだ。

「聞かないのか?」

「うん?」

「今回の僕の失態について」

「馬鹿だな。美味い飯の時に、美味い話はするもんじゃねぇよ。そいつは酒の肴だ」

 ニヤリと笑って、俺も豆のスープを口にする。ぴりっと辛いスープに、豆の優しい甘さが引き立ち食が進む。

「格好付けて……」

「お前からの受け売りだろ」

「そうだったかな?」

 知らん顔したメーヴォは、もう殆どいつものいけ好かない技術者の顔をしていた。

 ペロリと飯を平らげ、ミルクコーヒーで一服したところで、メーヴォが先に口を開いた。

「あそこで爆破したのは、過去の自分だったと思ってる」

 突然の話口調に、何だって?と思わず聞き返してしまった。

「僕の背中の傷は、見たことあるだろ?」

「さあ、どうだったか」

「父親からの折檻の痕がある」

 あまりにも包み隠さず、直球で投げられる言葉にコチラが身構えてしまう。

「父は、腕の良い武器職人で、銃なんかの精密機械を作る技術も高い人だった。で、その一人息子って事で僕も小さい時から周りに期待されてた」

 良い跡継ぎになるようにと、機工技術について教え込まれた。それはそれで、物を作る事の楽しみの方が勝っていた。だからどんどん新しい技術を使って、新しい物を作りたいと思った。

「ところが、父は古い考えの人間でさ。新しい技術を取り入れて新しい物を作る僕に嫉妬したんだ。その上自分がスランプに陥って、古い技術を使って最新の物を作れって僕に文字通り鞭打った」

 メーヴォがコーヒーカップを仰いでテーブルに置いた音が、湾内に打ち寄せる波の音に消える。だから、真っ先に親父さんを殺したわけか。

「で、今回の爆破強行に至った原因ってのは、その親父さんなのか?」

「まだ続きがあるんだ。ワイン、開けないか?」

 腹一杯だろうと思ったが、そう言う話じゃないんだよな、こればっかりは。良いぜ、と言ってワインオープナーを手にコルクを抜き取る。ワイングラスに透明な金の滴を注ぎ入れる。白葡萄を皮や種を取り除いてから絞り発酵させる、手間のかかる方法で作られるワインで、酸味が薄く飲みやすい逸品だ。

「ツマミにはフライドフィッシュと、チーズのフリッターがあるぜ」

「ホントか?チーズのフリッター大好きなんだ」

「お前本筋忘れんなよ」

「さあ、どうだろうな。どうせすぐ終わる」

 ふわりと香る白ワインは口当たりも優しく、するりと喉を焼いて胃に収まっていく。塩胡椒の利いたフライドフィッシュにも、少し甘い味付けのチーズのフリッターにも、癖なく合う。

「はぁー……良い夜だ」

 馬鹿言え今の今までふてくされてた癖に、とは言わなかった。

「……父からの折檻が始まって程なく、工房に勤めていた父の部下からも嫉妬されたんだ。端から見れば特別な技術を教え込まれてるように写ったんたろ」

「子供に嫉妬したってなぁ……それいくつ頃の事よ」

「十越えて……十三くらいの時かな。嫉妬に狂った男たちにレイプされたんだよ」

「ぶっぐ、ぶぇほっ」

 口にしてたワインを吹き出すところだった。ところが我慢したところで気管の方に吸い込んでしまって盛大に噎せた。

「おい、大丈夫か?」

「おえっ、げほっ……お前もさらっと重大な事言うなよ。でも合点がいったぞ」

 男たちに組み敷かれたトラウマのせいで、他人だろうが何だろうが、そう言った場面に出くわすと色々思い出すって事だな。だから昨日、あの場で爆破したのは『過去の自分』だったって事か。

 だがもう一つ答えが出たことがあるぞ。

「俺ね、前々から気になってた事があったんだけどよ、答えが出たぜ。お前客船襲う時、絶対に女子供から殺してるだろ。あれそう言う性癖なのかと思ってたけど、そうじゃねぇな。下手に女子供残して船に収容して慰め物に出来ねぇようにって防止策だろ」

「気付いてたのか。ご名答だよ。この船は、奴隷上がりでレイプなんか御免だってやつとか妻帯者が多いから最近は気にしていなかったんだけど、もう癖だな」

「良いけどな、さっさと殺しておいた方が静かだからよ」

 実は時々残しておけよと思っていた事は海に沈めよう。

「で、親父と工房の男たちぶっ殺してやるってなった訳か。母親と妹は生かしといても良かったんじゃねぇの」

「殺人鬼の家族と罵られるのなら、殺人鬼に殺された悲劇の家族の方が世間的にも悪くはないだろ?」

「余計なお世話じゃねぇのそれ」

「お前の家族だって、息子が凶悪海賊の親玉だなんて知ったら嫌な顔をするんじゃないか?」

「ウチは、ウチはなぁ……。どうだろうな。名を上げるなら海賊王にでもなれくらいの事言いそうだけどな」

 何だそれ、とメーヴォは驚きつつ笑った。ワインを一口飲み直し、次は俺の番だな、と口を開く。

 ウチの親父は政府と裏で繋がって賄賂だの密輸だのの便宜を図ったりして財を成した、正真正銘の悪人だ。正妻の他に女を沢山抱えていて、俺だってその沢山いる女の内の一人が産んだ子だ。同じ境遇の兄弟がゴロゴロいる。

「俺が普通の船乗りだったのは知ってるよな。あれも親父の側には居られない……と言うか居て欲しくないって親父の意見で、母方の親戚に奉公に出させれたってのが正しい」

 下宿先の商家には母の姉の息子、三つ上のエトワールがいた。根っからの同姓愛者のエトワールは、跡取りの一人息子と言うこともあり大事に育てられていたが、そんな物が通じなくなるのは後の話である。

「親父は俺たち子供の中から、特に娘と能力の高い男だけ引っこ抜いて自分の側に置いていた。取引先だの要所へ出す嫁、婿養子って言う政策の鉄砲玉さ」

 親父からの愛を受けることは叶わなかった。当時の俺は部屋の中で大人しく図鑑を眺めて楽しんでるようなモヤシっ子だったんだ。

「お前が、読書?」

 何で爆笑の構えなんだよコイツめ!拳骨をくれてやる仕草をしつつ、すっかり冷めてしまったフライドフィッシュをかじって、ワインを飲み干す。

「お袋は潔癖性っての?綺麗な物が好きだって変な女でよ、俺が精一杯の勇気で外に出て取ってくる虫だの花だのを毛嫌いして、時々庭で燃やす人だった」

 メラメラと炎の中に消えていく花や虫たちを見ていて、最初は泣いたけれど、次第にそれに慣れていった。

「なんだろな、今覚えてるのはあの炎は綺麗だったって事くらいだ」

「お前は、欲しい物を手に出来ずに、ずっと来たんだな」

「まあ、そうなるな。だから俺は何でも欲しいと思った物は手に入れるし、それを手放そうとは思わねぇ」

 あの女、船、アジト、海賊団、仲間。そしてこの相棒。

「お前とあの塔で出会ってから、ずっと良い風が吹いてた。けどよ、この所不調も続いたろ?正直な事を話せば、俺自身が不安定だったんだ」

 はあ、とこみ上げてくる溜息を抑えきれず、溜息を隠そうと口元を隠した。

 こうして弱音を吐き出すことに抵抗はある。けれど、言葉は今すぐにでも飛び出していきたいと願っている。弱さも弱みも、闇も全て共有して良い。そうしてまだ足る信頼がある。信頼を寄せている。コイツを信じている自分を信じている。だから、俺は口を開いた。

「あの傭兵野郎に対峙して、戦った時に俺は死ぬかもしれないって恐怖で、諦める瞬間を初めて経験したんだ。助からないって絶望しかなかったんだ」

「……お前なら、もっと死に近い瞬間を経験してると思ったぞ」

「俺が大して名を上げられなかった理由を考えて見ろよ。俺のハートは硝子製で繊細で……臆病なんだよ」

 手に入れられなかった人生で、ようやく掴んだと思ったものがある。それを無くすかもしれない。そう思ったとき、臆病者の心臓は前進することをやめたいと願う。

 だから船を手に入れた後、船を失いたくないと宝石の転売以上のことは出来なかった。レヴが加入して海軍の動向が伺えるようになってから、中規模商船を襲うようにもなったが、それでも成功率は五分五分。射撃に関しての知識が乏しすぎたのだ。

「だから、お前が加入した後の快進撃の理由が分かるだろ?」

 重い、重い口を開く。今最も恐れていることを口にする。

「今は、船や仲間を失うのが怖い。手に入れた安寧はここが最も高い場所で、これ以上はない。手に収まらないのにそれ以上を望めば、今ある物を失うのが道理だ。だから、俺は怖い。宝の鍵を、お前を失うのが怖い」

「馬鹿か、お前は」

 俺の一大告白を、馬鹿の一言で一蹴する奴があるか?

 居るんだよな、此処に。この相棒がそれをするんだ。

「お前な、俺かなり真剣に話してんだぞ」

「ああ、だから真剣に馬鹿かと罵ってやってるんだ」

 こちらを見るメーヴォの顔つきは、もうすっかりいつもの嫌味ったらしくて、自信に満ちた顔をしていた。

「お前みたいなポンコツ海賊は、僕らみたいな優秀な部下がいないと真価を発揮できないんだ。お前のポテンシャルはそう高くない。けどな、優秀な人材を動かすその指揮能力、一人一人の能力を最大限に生かす作戦を練るそのずる賢い頭は天下一品だぞ。切り札が幾重にもある自信、虚勢でも大きく構えていられるその姑息さが、人間だからこその弱さを抱えたお前の虚勢だからこそ、僕たちはお前を支えるし、お前のために働けるんだ」

 なんだそれ、誉めてんのか馬鹿にしてんのかどっちだよ。

「一年半、沢山の海賊を目の当たりにして思ったんだ。お前ほど無茶な野望を持つ者もいなければ、お前ほど一人の人間として弱いやつも居なかった。アイツらは一人でどうとでも出来る実力を持っている。だけどお前は違う。得体の知れない古代人の遺産だとか、そう言う物にすら縋らないとまともにやっていけない、そう言う弱い奴だ。だからこそ、お前は僕を絶対に裏切れない」

 心臓が跳ね上がった。俺は、メーヴォを絶対的に信じている。その能力、その技術力、その瞳、その希少な血。俺の追い風。だから手放したくない。

 そうじゃない。俺が求めるから、メーヴォは俺を選ぶんだ。

「お前は本当に自分の為だけに僕の能力を欲している。他の奴らは僕でなくても、何の力だって良いと言うだろう。けど、お前はそうじゃない。僕と言うチャンスが、最初で、最後だ」

「……お前な、自分の事でかく言い過ぎ」

「本当の事だろう?」

 そうですけど!

「僕にとっても、お前というチャンスは最初で最後なんだ。お前が望み信頼するから、僕はこの船を、この仲間を、お前を裏切らない」

 ついでに、この船以上に自由に研究が出来て、上手い飯が食える船なんぞないだろうしな、と付け加えて、メーヴォはワイングラスを空けた。

 その頭の上で、ぐるぐると鉄鳥が嬉しそうに飛び回っている。

 何だ、結局のところ俺たちはやっぱり似たもの同士で、足りない部品同士なんだな。

「やっぱお前はそうやって高飛車でいた方がいいな!」

「高飛車ってお前な」

「じゃ高慢ちき」

「うるさい、すっとこどっこい」

 ぷは、と笑ってやったら、メーヴォもいつも通りの笑顔で、ははっと笑った。

 新しくグラスにワインを注ぎグラスの底を差し出せば、ボサボサ髪のだらしない風貌の、けれど強い光が灯った蝕の瞳がこちらを見返してくる。お互い無言のまま笑いあって、グラスの底で乾杯した。


「で、ヴェルリッツに氷水晶を取りに行くんだって言ってたな」

「ああ。エリーの氷の魔銃の整備に使うんだ」

 メーヴォの部屋で飲み食いし、試作中の布団袋と言う、敷布と掛け布団が一緒になった蓑虫のミノのような袋状の寝具で寝て起きた。さすがに背中が痛くて快眠とはいかなかったが、野宿の時には役立ちそうだと話しつつ、遅めの朝食をジョンに頼んで食堂に陣取っていた。

「鉱業地区の少し内陸になるんだが、既に遺棄された廃坑があって、今でも少量だが氷水晶が採れるそうだ。国の連中も殆ど寄りつかないど田舎で、監視の目も届かないだろう」

 昨日までとはうって変わり、すっかり身支度をして小綺麗な身なりになったメーヴォが、いつものように言葉多く次の目的地の説明をした。

 俺の記念品でもあるエリーの氷の魔銃の出力が落ちている、と整備の際にメーヴォが診断した。使い心地にそう差異は感じないのだが、整備士長殿のお言葉は絶対だ。内蔵している氷水晶の魔力が枯渇しかけているのだろうと診断したそれを、再使用するために新しい氷水晶を採掘しに行こうと言うわけだ。

「戦闘中に魔力が尽きて撃てなくなる事態だけは避けたいからな」

「だったら何処かの港なりで氷水晶を買っちまえば良いんじゃねぇの?」

「氷水晶を含め、最近属性水晶の値段が高騰しているんだ。元々宝石の数倍から数十倍していた値段が、今じゃいくらだと思う?八ミリ玉で金貨五袋だ」

「マジで?そんなすんの?金貨一枚で上等なエールが二杯か三杯は飲めるんだから、エール何杯分だよ!」

「三百からそれ以上だな。僕が欲しいのは十ミリ玉で五・六個。玉の大きさが上がればそれだけ金額も跳ね上がるからな。エールの樽が何十個買えるやら」

 あぁー、そりゃ採掘にも行こうってなるな。

 骨ダイヤで稼ぐにしろ、此処までの高額な出費になると、船の財務大臣、副船長エトワールが流石に良しとしない。事情はよぉーく分かった……。

 お待っとぉさん、とジョンが鯨肉ベーコンとチーズのパニーニと、ミルクたっぷりのカフェラテをテーブルに並べた。

「ジョン、次は内陸に移動して探険だ。食料の調達を頼んだぜ。あとマルトにも医薬品の補充を余分に確保するように言ってくれ」

「おお、了解じゃ船長」

「エトワールにも後で説明頼むぜ、メーヴォ」

「ああ。その前に」

「おお」

 俺たちは同じように手を合わせ、同じように口を開いた。

「いただきます」

 頬張ったパニーニは、やっぱり最高に美味かった。


おわり


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