海賊と海軍晩餐会
大枚を叩いて大きな賭けをしたものだな、と改めて思う。提督と言う地位がありながら、自らの属する国に隠れて暗躍する窮屈さと、その危機と好機を理解しようとしない大臣たちに溜息の数だけが増していく。
放った番犬たちからの連絡が途絶えたのが一ヶ月前。奴らの足取りが掴めなくなったのも一ヶ月前。足取りの掴めぬまま、賭けの日が訪れた。
滑稽なものだ。吊した餌の目論見も、その滑り止めも今や私の手を放れている。完璧な作戦など立てられるはずはないと常々思っていても、こうして段取りの初期にうちに綻びが出れば不安を覚えざるを得ない。
女中が髪を梳いて纏める間も、ずっとこの後に訪れるであろう失敗の苦みを思って溜息が止まらなかった。
「クリストフ提督、溜息は幸せが逃げると言います」
「そうは言ってもねぇ、ケンドリックくん。流石の私も自分のいたらなさに深く反省をしているんだ」
溜息くらい許してくれたまえよ、と苦笑してみせれば、真面目な部下は困ったように、私の真似をして溜息を吐いた。
「万全は尽くしました。何事もなければ、それはそれで良かったと致しませんか?」
「そうだね」
こうして私が後ろ向きになっている時、もう一人の部下であるヴィヤーダくんがいれば、さぞ気合いの入った一撃を私に見舞ってくれるに違いない。あの恍惚とした一撃……いや、渇が無いことに一抹の寂しさを覚え、彼に任せた海神ニコラスの追跡任務の成功と無事を祈った。
ノックされた扉から、中年の執事が顔を出した。以前雇っていた初老の執事は、ある一件で賊を見破れなかった責だと執事を辞めてしまった。新しい執事もとても有能だ。
「旦那様、間もなく来賓の方々の馬車を屋敷にお招きいたします」
「わかった。所定の位置に着こう。ケンドリック、来なさい」
「はっ!」
短い返事をした部下を伴い、私は屋敷を出て庭園の一角にあるテラス席へ向かった。ここは入り口の辺りからは死角になる。今日訪れる客人たちを観察するには絶好の場所だった。
新年の挨拶を兼ねた晩餐会を毎年開いている。それは同時に私の持つ宝石コレクションのお披露目場所であり、宝石愛好家たちによる品評会の場でもある。
昨年の事だ。この宝石品評会にある賊が侵入して大惨事になった。屋敷の一部は破壊され、私を含めた参加者にしびれ毒が仕込まれた。動けなくなっていた私たちをあざ笑い、金獅子を名乗る賊たちが私の宝石を奪おうとした。そこに颯爽と現れ、賊を倒し、そして私のコレクションと、参加者たちが身につけていた宝石類、そして私の心を根こそぎ奪っていった、女海賊がいた。
パセーロ=ローゼスと名乗った薔薇の女海賊。翠の髪と赤い瞳の美しき悪魔。一年間ずっと探し続けてきたが、ついぞ有力な情報は得られず、一度として邂逅を果たす事が叶わなかった。
私は考えた。彼女の目的は宝石だ。ならば、またこの品評会を狙うに違いない、と。だから私は情報屋に大枚を叩いて彼女に招待状を送ったのだ。
親愛なる薔薇の海賊パセーロ=ローゼスへ、宝石品評会へ是非起こし頂きたい、と。
金さえ出せばどんな情報も集め、何処へでも届けると豪語した鳥使いの老人にそれを託した。
その結果、特徴のよく似た女が宝石商の男と街に繰り出している情報を入手した。その宝石商の男も、どうやら海賊と繋がりがある宝石商ではないかと噂の男だった。そこへ密偵を送ったのだが、顛末は知っての通りだ。
確実なのは、彼女の元に招待状は届いていると言うことだ。しかし、彼女もその名を偽らずにこの場に現れるほど軽率な事はしないだろう。賊には賊なりの流儀がある。招待状に書かれた名前など意味はない。恐らくそれも偽造されてくるだろう。だからこの目で確かめるしかない。私は来客の一人一人の顔が見える場所でこうしてパセーロ=ローゼスが現れるのを待っているのだ。
大柄な従者が手綱を引いた馬車が到着し、そこから一組の男女が降りてきた。淡い緑の髪の男と、深い緑の髪をした女。結い上げた髪に羽根飾りをあしらった女は、優雅そのものと表するにふさわしい。
「いた」
私の直感が告げている。彼女だ。遠目から見ても分かる。優雅さと内から溢れる力強さを感じる。あの鞭捌きを思い返しても興奮す……いや、違う是非叩いてじゃない、ご教授願いたい。
「提督、口元が緩んでおります」
「おおっと……よし、今の女を覚えたな、ケンドリック。屋敷へ戻るぞ。次の準備だ」
「はい」
屋敷へ戻り、なに食わぬ顔でホールへ足を向ける。既に客人たちが食事や踊りを楽しむ一方、昨年同様飾り付けたショーケースの宝石をつぶさに観察する者たちも多い。
今年はより強力な防御魔法を施した。彼女の持っていた爆弾は小さく強力だった。今年もより威力の増した爆弾を持ってくるに違いない。
ホールを見渡し、大勢の客人たちの中から女の姿を探すが、他の客人に呼び止められて足を止めた。社交辞令を交わし、その間も視線はパセーロ=ローゼスを探る。緑の髪は南のコスタペンニーネ出身の者に多い。きっと彼女もあちらの出身なのだろう。客人の中にも緑髪の者は多い。
「旦那様、よろしいですか。お二つ、お伝えしたいことが」
客人たちに囲まれていた私に、執事のマルクスが低く声をかける。客人たちに外してもらい、私は扉の影に身を寄せた。
「まずは良い知らせです。宝石商ヴァレンタイン商会の若旦那を名乗る招待状、確かに入場の際に確認しました」
「よし……」
「ですが、悪い知らせです。回収した招待状の中に、同じ名前を確認することが出来ませんでした」
それはどう言うことだ。
「全て、本当に確認したのか?」
「はい。入場時に回収した枚数ともきちんと合っています。ですが、ヴァレンタイン商会の招待状を再度確認できませんでした。その代わり、情報屋に託したパセーロ=ローゼス宛の招待状がありました」
招待状がすり替えられた?内部に間者が入り込んでいるという事か?そんなバカな。最も新人にあたるこのマルクスですら、昨年の品評会後に雇い一年この屋敷で働いていた。新たな使用人の補充はしていない。では内部の者が金で雇われたか?いや、今その事を憂うのは早計だ。
この屋敷内にパセーロ=ローゼスとその息のかかった海賊を囲うことが出来ている。屋敷の警備は去年の倍。私の私用警備兵を投入している。客人がホールとトイレ以外に行く際は見張りが着くように手配している。招待状が摺り返られた程度で動揺することは無い。
最高の舞台で、最高の取り物劇と行こうではないか、薔薇の女海賊!
さあと意気込んで、私は今日の品評会の主役の入ったケースをホールへ運び入れさせた。
プラチナの輝き、ダイヤの煌めき、中央にあしらわれた天空の滴を閉じこめたような、大粒のホワイトサファイアがその存在感を誇示するティアラ。
金で施された竜の装飾の重厚さ、張った弦の透き通る光沢、奏でる音の涼やかさが聞こえてきそうな美しいハープ。
二つの品が納められたショーケースがホールへ運び込まれると、客人たちの間から溜息と賞賛の声が挙がる。海を跨いだ西の大陸バルツァサーラの教会に収蔵されていた骨董品。それを口説き落としてようやく買い取ることが出来たのだ。
昨年、パセーロ=ローゼスを間近で見た瞬間、私の目に焼き付いて離れなかった、あの金環蝕の瞳について調べれば、不思議な伝承やおとぎ話のような口伝が見つかった。
十二の使徒が世界の変革の為に武器を振るう。伝説の武器が伝わるとか、その蝕の瞳で生物の魂を操るとか。眉唾物、誇張された口伝ばかりのように思えたが、最近巷を賑わすある海賊の存在も考慮すると、全てが嘘とは断言できないと判断した。
メーヴォ=クラーガと言う、一時期ヴェルリッツを賑わした殺人鬼にして海賊になった男が、やはりその蝕の瞳を持っている。そしてメーヴォ=クラーガの加入した海賊船が不気味な暗躍をしていると言う噂だ。ヴィカーリオ海賊団とヴァレンタイン商会がどうやら取り引きしているらしい事も掴んでいる。
いくつかの情報をまとめ、私は至ったのだ。蝕の瞳をした二人の海賊は、この伝説の武器を集めているに違いないと。別々に行動しているようだが、彼女らの目的は恐らくそれだ。
だからこそ、こうして堂々と蝕の民の遺物として伝わるティアラとハープを公開し、彼女へ招待状を送ったのだ。彼女はきっと、メーヴォ=クラーガのいるヴィカーリオ海賊団と何らかの形で協力してくるに違いない。
客人たちの歓声や質問、興味の目を受けながら、さあ仕掛けてこい、と私は内心で叫んだ。
初めの違和感は、大柄な従者が馬車の扉を閉めるのが遅かったことだ。男女が降りた後、少し間をおいてから扉を閉めたように思えた。他の者たちは気に止めていなかったようだが、兎に角私にはそれがこと不自然に思えた。
その次の違和感は、会場となっているダンスホールに入った時だ。高度な知能を持った魔物たちが作り上げる結界の中に入り込んでしまったような寒気を感じた。会場の何処を見ても、術式に必要な法陣も法具も見えない。だと言うのに、他人の作り上げた空間の中にいるような不快感を感じた。
見張りにホールの端に立つ私は、客人たちの同行に注視し続けた。提督がホールに入り客人たちと歓談し、程なく場を立った後、本日の目玉となるティアラとハープのケースを伴って再びホールで注目を集めたときだった。
私は見たのだ。ホール全体に影が這うのを。それで何か変化があったわけではない。ただ何かが動いた気配を感じた。影が這っていった、としか形容出来ない、不穏な空気。何かが起こる、と言う嫌な緊張感が全身を強ばらせた。
「ねえ、あなた。なに?あれ」
提督に向かっていた客人の視線を、一人の婦人が発した言葉が、指さした方向に向けさせる。
天井に下がるシャンデリアの影に、一匹の蝙蝠がいた。き、き、と鳴いた蝙蝠がドロリ、と溶けた。
え、と誰かが声を上げた瞬間、その蝙蝠が指さした婦人に襲いかかった。
「きゃあ!」
婦人の悲鳴が上がると同時に、闇色の滴を落としながら蝙蝠が姿を消した。
「パーヴォ!首飾りを取りなさい!」
「いや、なに?あなた、取って!」
反狂乱の婦人の胸元から、大降りのダイヤが付いた首飾りを男がもぎ取り、それを床に投げつけた。
じわり、とダイヤに闇色が広がり、溶けて滴を落とした次の瞬間、バヂン、と耳障りな音を立てて爆発した。
「きゃああ!」
「何だ!今の爆発は!」
「蝙蝠です、今、蝙蝠の魔物が!」
男が他の客人に向けて声を上げたところで、爆発した所から、闇色の蝙蝠が再び飛び出した。ぽたぽたと闇色の滴を落としながら、蝙蝠が別の客に襲いかかった。
「きゃああ!」
「爆発するぞ!それを、早くその首飾りを取りなさい!」
「いや、取れないわ……いや、これ、なに」
首飾りを外そうともたもたと女が慌てる内に、宝石に闇が灯った。ばぢん、と音がして、女の首が弾け飛んだ。
その惨状、再びの悲鳴に、ついに場は混乱へと陥った。蝙蝠が次々に客人の身につける宝石に飛び移り、客人を爆破して回っている!あまりの事態に、提督の私兵ではない、海軍兵である我々ですら一歩も動けずにいた。出口に向かって殺到する人々。響く悲鳴、上がる爆音。辺り一帯が血の海に化す。混乱の中でショーケースがいつの間にか割られている!ティアラとハープは?視線を向けた瞬間だった。
「グロウ・オブ・ライティング!」
高らかに提督の声が響き、天井のシャンデリアに仕込まれていた魔法陣が展開した。ホール中を目映い光が照らし、闇色の蝙蝠がその姿を焼かれ、消滅した。
「流石ですパセーロ=ローゼス。これだけの混乱をよく作り上げました」
その光の下に、一組の男女が佇んでいた。まるで二人のためのスポットライトのように、シャンデリアの光が二人を見下ろしている。毛色は違うが、二人とも長い緑の髪が美しい男女。困惑した顔で周囲を見回している。
客人の合間を縫うように走る兵士が三人。二人を囲って武器を構えた。
「何事ですか!提督閣下!」
「君がヴァレンタイン商会のエルク殿……いや、ヴィカーリオ海賊団のラースタチカ船長とお呼びするべきかな」
声を上げた男に、提督が静かに言い放つ。男は不審そうな顔をして、横にいた女を抱き寄せた。
「ご婦人、いや、薔薇の女海賊パセーロ=ローゼスとお呼びしようか。その金環蝕の瞳、この一年想い描いて止まなかった」
恍惚の表情の提督が、大人しく従って頂きましょう、と二人に声を投げかける。
「ふふ」
兵士が三人、武器を構えたまま数歩詰め寄ったところで、女が微かに笑って、その瞳で提督を見返した。それを合図に、目にも止まらぬ早さで男が二丁の銃を抜き、三人の兵士の頭を正確に撃ち抜いた。
銃声の残響がホールから去った後、女がハスキーなその声で高らかに笑った。
「あっははは、素晴らしいわ、クリストフ提督閣下!やはり、貴方はすてきよ。私が影の力を手に入れたこと、何処で知ったの?」
「やはりそうか。とある筋からね、影を操って書面を改竄している海賊がいるらしいと噂は耳にしていたよ。まさか君がそうだったなんて……。今日も、私が送った招待状を改竄したのだろう?その力で。……やはり大人しく捕まっては頂けませんか」
「大人しくティアラとハープを寄越こして頂ければ、これ以上の人死にも出なくってよ」
「恐ろしく美しく、いい女だよ、パセーロ=ローゼス」
来たまえ!と叫んだ提督の言葉に、ホールの外で構えていた兵士がなだれ込んだ。私も武器を構えてそれに続く。
盾兵を前に、男女を囲って武器を構える。二丁の魔銃があろうとも、これだけの数の盾兵を相手に大立ち回りができるものか。確信を持ってこの海賊を捕らえる、これで終わりだ、と思った。
「これだけいれば銃撃も爆弾も防げるでしょうね。銃撃と、爆弾だけ、ならね」
「薔薇の君よ。これだけの光の魔法を持って影を相殺しているというのに、まだこれ以上があるとでも言うのかい?」
「あるから、私が此処に来たのよ?私はね、無駄な賭けはしない主義なの。あなた、行くわよ?」
「いつでもどうぞ、レディ」
「そのティアラとハープ、頂くわ、愛しの提督閣下」
再び、影が蠢くような気配を感じた。薄く広がっていた気配が凝縮する。
女が、ドレスを脱いだ。胸元からドレスが生き物のように口を開け、青の布地の裏に隠れていた漆黒の生地が宵闇を切り取ったように閃く。兵士たちが一斉に取り押さえようと走り寄る波の中から、男が女を抱えて宙を舞った。シャンデリアに掴まった女のドレスが、ばさり、と翼のように羽ばたき、床に、兵士たちに影を落とした。強い光の下には、強く濃い影が落ちる。落ちた影が歪み兵士を包むと、悲鳴を一つ落として兵士が崩れ落ちた。それは一瞬で体内の水分を蒸発させられたかのようにカラカラのミイラになっており、装備の重さに耐えきれずにぐしゃりと潰れてしまった。
更に天井付近から男が二丁の拳銃でがら空きの兵士の脳天を打ち抜き、また氷の魔法弾で兵士を氷付けにしていた。氷の、魔法銃だと?まさか、と言う思いが胸を突いた。
「さあ、行ってらっしゃい!」
一瞬足の止まってしまった私を他所に、シャンデリアの上から女が声を上げ、ドレスの中から五羽のファイアーバードを放った。炎が燃え盛るようにボウと鳴いた鳥たちは兵士たちに火を噴き、影と共に兵士たちを次々と打ち倒していく。放たれた火炎を防御し、影に剣を立てながらシャンデリアに向けて魔法を放とうとするも、影の動きを止めることが出来ない。その間にも、次々に兵士がミイラにされ、焼かれ、凍らされ、蹂躙されていく。提督も影から逃れるようにホールの隅に避難していた。
ばしゃん、と硝子と魔法陣の割れる音が響く。間違いなく、奴の爆弾だ。男女が宙を舞い、割られたケースの中からティアラとハープを手にした。
「貴様ら!」
何とか影から逃れ二人に向かって走るが、こちらに見向きもせず、二人は再び宙を舞って窓辺へと駆け寄った。
「提督閣下!この度は蝕の民の遺物、回収して下さって助かりましたわ。聖歌教会に収蔵されていたこれ、すっごく欲しかったのよ」
提督へ向けてにこりと満面の笑みを浮かべ、女は優雅に一礼した。
「また何処かで、提督閣下」
黒のドレスに、緑の髪をなびかせ、ホール中に広がっていた影を一手に纏って、男女が窓の外へと五羽のファイアバードと共に身を投げた。
窓へ駆け寄った時には、既にその姿は通りの先。影の翼で滑空し、通りで待っていた馬車の上に乗って走って行った。
「伝令!検問を設置して、奴らを追え!動ける者は負傷者の救護だ」
提督が雷のように鋭い声で一喝した。その顔が何処となく、嬉しそうに笑っているように見えた。
してやった、と言う二人の赤い目が閃くのが、悔しさと共に脳裏に焼き付いていた。
エリザベート号に戻るやいなや、帆を掲げて港を出港した。馬車は港で鳥老こと、情報屋のエートゥ氏にファイアーバードと共にお返しした。
「ありがとうな、お前たち。立派に成長していて驚いたぞ」
パチパチと炎が爆ぜるように鳴く鳥たちに囲まれながら、僕は束の間の再会と、再びの別れを惜しんだ。
「奇抜な作戦を立てると噂の海賊にこんな縁があったとはな。面白いものを見させてもらったよ」
「鳥老、ご尽力ありがとうございました」
「なぁに、マリーベルの孫になら、返さにゃならんもんがたんとある。影踏み坊主、また連絡を寄越しなさい」
はい、と頭を下げたレヴを伴い、僕らは小柄な鳥人族の老人と、立派に成長したファイアバードたちと分かれた。いつだったか助けたファイアバードたちが、老人の下で育っていたのには、僕に纏わる鳥との奇妙な縁であるに違いなかった。
出航した船で自室の武器庫を面会謝絶にし、独特の匂いがして苦手な化粧を落とし、カツラも、体にぐるぐるに巻いていた布も取っていつもの身軽な服装に着替える。女装しての潜入作戦なんて金輪際お断りだ、と言いたい所だが、パセーロ=ローゼスと言う口から出任せた女海賊の存在は、ある意味僕らヴィカーリオ海賊団の隠れ蓑になっているのかもしれないと考えを巡らせた。居もしない女海賊をあたかも協力者のように見立てることで、相手の作戦の裏をかける。
「……いや、駄目だ。こんな手は金輪際使わない」
部屋の隅に置いたチェストに脱いだドレスやカツラを放り投げて、僕は変声薬の解毒剤を飲み干した。
事の発端は、レヴの元に鳥老から届いた一通の使役便。
パセーロ=ローゼスと言う女海賊に宛てられた晩餐会の招待状だった。手配書には見る名だが、その情報が一切出回らない、存在すら怪しまれる女海賊に宛てられた招待状を、大金を積まれて届けて欲しいと海軍提督直々に承った鳥老エートゥ氏。さて困ったと頭を捻った横で、五羽のファイアーバードたちがこぞって口にした。
『パセーロ、美しき海賊。ヴィカーリオの蝕の瞳』
親を亡くしたらしいファイアーバードたちの兄弟を発見して保護し育てて一年。エートゥ氏はその言葉を信じ、情報屋の繋がりからレヴへとそれを送った。
紆余曲折したものの、堂々と送りつけられた招待状を誰が信じて招待されてやるだろうか。誰もが見向きもしないはずだった。ところがその宝石品評会の場に、蝕の遺物が並ぶと記載されており、それもバルツァサーラの国立聖歌教会に収蔵されていて、到底手出しの出来そうにないと諦めかけていた代物だったのだから、話は一転した。
遺物の中でも珍しくその価値を認められ、歌の宝具として観光の目玉に奉納されている代物。また観光の国と称される西の大陸バルツァサーラまでは少し距離があって、航海するにも時間を有すると渋っていたそれが、こうして近場に取り寄せられて並ぶとなれば、考える点は大きい。
蝕の民の十二星座の呪歌法具『フントハールポ(天秤座の竪琴)』と、その魔力伝達装置であるティアラのセット。どんな生き物でもその呪歌の音色からは耳を逸らす事が出来ないとされる、呪歌専用の法具。戦力としてではなく、その魔力伝達、増幅機構に興味の合った僕は、出来ればそれを解析してみたいと思っていたのだ。ただ奪還する危険性と遠距離航海のリスクを見ると、そこまで重要視する事も無いと判断していた。しかし、海軍提督自らがお宝を手近な場所に用意してくれるというのであれば、何か策を練ろうと至ったのだ。
最初は使用人に変装して裏方から攻める方法。しかし昨年予想外の乱入があったせいで、裏方も警備は厳重になっているだろうと言う事で却下。
そこで折角招待状が用意されているのだから、それを使って潜入作戦に打って出ることが決まった。そこで再び僕がパセーロ=ローゼスに扮するという作戦が持ち上がった。幸いにも、パセーロ=ローゼス、イコール、メーヴォ=クラーガの正体はばれていない様だし、何より海軍提督クリストフ=アンダーソンは薔薇の女海賊にぞっこんだと言う噂は有名だ。
ローゼス海賊団とヴィカーリオ海賊団が協力体制にあり、この晩餐会で事を起こすだろうと勘違いさせておけば、作戦の裏をかける、と。満場一致で採決されたラースの作戦に、僕一人がギリギリまで反対の声を上げていたのだが、海賊の掟たる多数決の前ではそれもあえなく掻き消された。
今回の潜入作戦には、船長のラースがいつも使っている偽名『宝石商エルク=ヴァレンタイン』に扮し、その奥方である『パーヴォ=ヴァレンタイン』を僕が演じて表向き潜入する。そこに姿と気配を消したレヴが同行し、更に彼の影の中に吸血鬼コルネリウスを同行させた。協力を申し出たらしいファイアーバード五羽も伴っての大掛かりな潜入だ。
その事前準備として宝石商ヴァレンタイン商会の夫婦として晩餐会が開かれる街の近隣でわざと目撃されるように仕向けた。その事前作戦の間に、ラースがペテンにやられて意気消沈していたのだが、それについては割愛しよう。
潜入後、目的の物が登場した後に騒ぎを起こして、お宝を頂き脱出。騒ぎの仕掛けはレヴに持たせた小型の爆弾。影を使って何か魔物が人々を食う、襲うように仕向ければ良い。まず僕が変装した女に取り付き、それが危険な何かであることを周知させ、そして次々に人々を爆破させつつ、乗り移ったように見せた宝石類を根こそぎ頂戴する。爆弾が爆発するまでの五秒間に外せなければ、それはのろまなソイツに運がなかったと言うだけだ。取れやすく細工しておいた僕の首飾りには、爆破しても惜しくない骨ダイヤを使用して、爆破の印象付けをする。
そうして起こした騒ぎの中でお宝を頂戴する、と言うのが理想の作戦。そこで一筋縄では行かないだろうと用心に次の策も練っておくのが海賊と言うものだ。
ヴィカーリオ海賊団、通称死弾海賊団の情報は昨今迷走しつつも確信的な情報も流れるようになって来ていた。その内のひとつがレヴの影を使う能力だ。情報屋である彼はその筋には知られた存在で、それが死弾にいる、となれば彼の正体よりもその能力だけが噂の一人歩きを始める。影が人を喰らうとか、どんなに離れていても影の中から監視されるとか。そんな大した能力じゃない!と赤面していたレヴも、今では影に大人一人くらいは隠して運べるし、遠隔操作して小さなコインを掠め取る事だって出来る。死弾成長筆頭株は伊達ではない。
ヴィカーリオとローゼスが手を組むのであれば、影を使った術式の対策に、影を打ち消すような仕掛けをしてくるのでは?と言う指摘に対し、レヴの能力は『影』を操るだけの能力ではないと言う事を改めて再認識した。
「ぼくの能力は、平面状の黒いものを操る能力です。だから」
言ってレヴが真っ黒な布をテーブルの上で操って見せたのには目を剥いた。強い光の魔法で影を相殺されても、新たにそこに黒いものを出してやればどうとでもなる、と胸を張ったレヴを信じた。
ドレスの裏側に黒い生地を隠し、手品や出し物の早着替えの要領で変身する方法を選んだ。裁縫が得意なアジトの主婦たちに特急の使役便で物資をやり取りして、一月で何とか準備を終えた。最後の一週間は、早着替えの練習に明け暮れたものだ。黒い生地のドレスをレヴが操って窓から滑空するのも練習した。僕とラース、レヴも一緒に滑空するのだから、それはそれは肝が冷えた。もちろんラースの魔法ロープの腕輪『ヴェンデーゴ』も存分に活躍した今回の作戦だった訳だ。
事を構えて立ち回りとなればラースの二丁拳銃に、僕の爆弾、レヴの影で足止め、レヴの影の中に身を隠したコールの吸血攻撃と、実に多彩だ。
種を明かしてしまえば至極いつもの事なのだ。しかし、相手に悟られずにそれが不可思議な力であるように見せるのは事の他手間だし大変だ。けれど、それをやってのけるからこそ、ヴィカーリオ海賊団は死神の船であり、正体不明の海賊であり続けられるのだ。
「メーヴォさん!見て欲しいっす!似合うっすか?」
戸を叩くアリスの声に、手記を書く手を止めた。頭の上をゆっくりと旋回していた鉄鳥が、案内するように扉の前に飛んでいく。
ペンを置いて武器庫の扉を開けると、大粒のホワイトサファイアを掲げたティアラを頭に載せたアリスが、満面の笑顔で立っていた。
「よく似合ってるよ」
中性的で女の子にも見える彼がティアラを付けていると、僕なんかが女装するよりよっぽど見栄えが良いように思える。
「ジョンさんが作戦の成功を祝って宴の準備をしてくれたっす!メーヴォさんも行きましょう」
耳を澄まさなくても、上甲板からは陽気な男たちの声と、涼やかなハープの音色が聞こえて来た。フントハールポを託した音楽隊のエドガー老の演奏だ。
ふわりと鼻を掠めた料理の香りに誘われて、僕は鉄鳥を左耳に誘い、アリスと共に上甲板へと上がって行った。
おわり