海賊と幽霊船1
乾季に入って大分経つと言うのに、まだ寒さに遠い。北の海を航行中だと言うのに、頬を刺すような冷気では無く、じっとりと湿気が体にまとわりつく。甲板に少し立っていると、汗をかいたように肌がべったりと湿気るようで、僕は霧の海の先に忌々しげに視線を投げた。空はどんよりと厚い雲で塞がれ、空は見えない。上空の気流に乗っているにも関わらず、雲は後から後から押し寄せて空を隠し蠢いている。
噂通りの不気味な海域。海神ニコラスが部下を使って僕らにもたらした航路の情報。この海域は難易度が高いと、船長ラース、副船長のエトワールさんまでもが口を揃えた場所。僕らはそこに来た。
蒼林方面からの強い海流が流れ込むフレイスブレイユ北部の海域。海流は東から西へ流れ、余り日の差さない北の地域は湿気が捌けずに空気が重い。霧も多い為、船舶同士の衝突が絶えず、沈みきらなかった船舶に衝突する事も多々あり、小規模な船舶の遭難事故も多発するため、船の墓場とまで揶揄される。
あからさまに不気味で、立ち寄りたくないと本能が訴える海を初めて見た。波すらもドロリと粘度が高く、航行を阻むように感じるほど、この海はよくない気を放っている。首筋から脳幹に痺れるように寒い物が走る。
今回相手にしようと言うのは、そのものズバリ幽霊船だ。何でも巨大な宝石を持ったまま沈んだ船が、幽霊船としてこの海域一帯を彷徨っているらしいと、海神からの情報を貰った。大きな宝石は、大きな力になる。僕らはそれを手に入れるために幽霊船退治を決定したのだ。
正直な話、幽霊だのの類は得意ではない。爆破して終わらない物など、この世に存在してはいけない。それは僕の信条に傷が付く案件だ。
外の空気の重さに嫌気がさして、僕は船倉に降りた。そこに入れば、ずらりと並んだ砲台たちを見ることが出来る。それは僕の誇りであり矜持だ。これでどんな障害だって取り除いてやる。
先の大きな港街で領主の袖の下に大枚を忍ばせ、造船所まで手配して船体の修理と強化を行った。その間およそ一ヶ月。船に乗せる砲台の一部を鉄製から青銅製の物に代えたりした。元あった砲台も下取りとしては良い値が付いた(そりゃあ僕が手を加えたものだからな)。技術者として、クラーガ隊の隊長を任されている身として、この一ヶ月は出来得る限りを尽くした日々だった。
メーヴォ=クラーガの、勇敢なる者の名の下に、何重にも策を練り、どんな難関だって解き明かし、乗り越えてやる。
船倉の一角で、手袋と布で顔を覆ったクラーガ隊の面々が黙々と作業をしている場所へ膝を着く。
「仕上がりはどうだ?」
「隊長!上場ですよ、見て下さい!」
手のひらサイズの砲弾が見事に銀色に鈍く光っていた。
「コールさんが嫌そうな顔をしていましたから、折り紙付きです。あとはオレたちが絶対に勝つって信じてれば、絶対に平気です」
よし、とその仕上がりに満足の声を落とし、砲弾入れに戻した。対ゴースト、アンデット族に対応するための銀弾だ。とは言え、純銀製の砲弾を用意するには流石に懐が保たないため、これは水銀でコーティングした鉄製の砲弾だ。水銀もそれなりに価格は張るが、純銀の弾丸を揃えるより遙かに安い。その水銀を教会で清めてもらい、聖水銀として砲弾にコーティングした。船員で吸血鬼のコールがなるべく見たくないと言う程度には対魔効果はあるだろう。
水銀を使用した弾丸は他にも、一部の水夫たちの持つ実弾銃に六発ずつ装填してある。やるべきことは全部やったと言う自負はある。けれど、対幽霊船を相手にしようとする僕の腹持ちは芳しくなかった。
「よう、捗ってるか?」
「上場です船長!」
船倉を覗いた赤い瞳が光る。船長ラースの登場に、クラーガ隊が自慢げな顔でそれを迎えた。彼らは自分たちの技術が船を支える戦力になっている事を心底誇りに思っている。それは彼らを支える自信と言う力になる。
「ようメーヴォ。相変わらず顔が悪いな」
「顔色、だろうが。何の用だ?」
「邪険にすんなよ。相変わらず気乗りしない感じのお前を励まそうと来てんだから」
ほれほれ、お前等にもあるぞ、とラースが手に持っていた袋をクラーガ隊に投げて、もう一つを僕に押しつけた。
「ジョン特性の聖水仕立てのカルメ焼きだ。砂糖たっぷりの品だから貴重だぜ?」
「甘いもので機嫌を取ろうって魂胆か?」
「そうさ、お前好きだろ、これ」
「もちろんだ、頂くよ」
同じくジョンが煎れてくれた紅茶と共に、船倉の中でおやつの時間を過ごした。
「やっぱ怖いわけ?幽霊」
「怖い」
単刀直入に即答すると、あっはっはとラースが笑い飛ばした。
僕は幽霊だのゴーストだの心霊的な物だの、そう言う物が大っ嫌いなんだ。人事だと思って笑うラースをジロリと睨んでも、こんな子供じみた理由があればそれも半減してしまうだろう。
「いやー、家族だの工房の関係者だの皆殺しにした元殺人鬼が、お化けが怖いってのは愉快じゃねぇか」
「悪かったな。お前は幽霊だろうか何だろうが、美女なら歓迎しそうだな」
「ンッンー、でもあれよ。エリー以外に浮気は出来ねぇからなぁ」
手元に抱えている真っ白な頭蓋骨の金髪を撫でて笑う。港で女遊びに興じるお前がそれを言うのか、と苦笑してやった。
手にした砂糖菓子を口に運べば、優しい味の甘さがサクサクとした軽い歯ごたえと香ばしさを伴って消えていく。美味しい。グルグルと彷徨っていた思考が少しだけ落ち着く。甘い物は脳の栄養だ。
「相手が何であれ、僕の爆弾と武器で浄化してやる。そのために出来ることは全部してきた」
「おおー頼もしいですなぁ」
「お前の援護も期待してるぞラース」
「応ともさ相棒!」
にっかりと笑ったラースの顔に、僕の背を押してもらったようだ。軽くなった胃の中に砂糖菓子と紅茶を流し込んだ。
幽霊船と正直に海のど真ん中で事を起こすような真似はしない。幽霊船の航路上、唯一存在する無人島に最接近するタイミングを見計らって奇襲を仕掛ける。それが上手く行くかと言われれば、僕らは幽霊船とやり合うのは初めてだし、対幽霊船のノウハウなんて誰一人として持っていないから、全ては未知数だ。吸血鬼コールや魔族のレヴに、対魔装備の出来を確認してもらう程度の事はしたが、勝算は低いと考えてしかるべきだ。その勝算を如何に引き上げられるかが、僕ら技術者の腕にかかっている。
無人島に停泊し、白だったセイルを緑の物に代えて島の木々に溶け込む。停泊をしてから今日で三日。海神の情報が正しければ、恐らくあと数日のうちに幽霊船がこの近辺を航行するだろう。
『浮かない顔色でございますな』
『正直ここまで準備をしておきながら、抗戦したくない気持ちもまだたっぷり残ってるんだ……』
自室として宛がわれている武器庫にハンモックを下げ横になっていた。あれこれと気を揉んでいるだけで疲れてしまった。定位置の左耳から離れ、フワフワと飛んでコチラを覗いてくる鉄鳥に、隠しても仕方のない弱音を吐き出す。
『珍しく弱気でございますな』
『笑いたければ笑えばいい。本当に怖いんだ。爆破で対処出来ない相手なんて、考えたくもない。無敵でいたいわけじゃないが、あれだ、自分の弱さを認めたくないんだ』
フワフワと浮かぶ従者が、長く生きている者の慈愛に満ちた声を投げかけてきた。
『そうして弱さを認めていらっしゃるお姿は、強者のそれでございます。強者は決して万能ではございません。足りない物を仲間と言う力で補えるからこそ、人は強い者なのです』
そうか、と曖昧に返事をしつつ、鉄鳥の言葉を租借した。弱いことを、自分に出来ないことを認め、それを仲間に頼ることで、全体の底上げを計れる。
クラーガ隊と武器を作る事。それ以外の出来ないことは、他の船員が補ってくれる。戦いの場でも、前衛で戦う他の船員やエトワールさんの射撃がある。僕が入団したことで、新たな歯車として補ったことで、ヴィカーリオ海賊団は強固になった。そう言うことなのだろうか。
『それに主様。ジョン殿のオーストカプリコーノ、マルト殿のコルノアリエーソがあれば、幽霊も怖くありませんぞ!あの二振りは除霊の名刀でございます』
『惜しむらくは、二人が正規の戦士でないことだよ』
鉄鳥が言うには、ジョンとマルトの手にある武器、オーストカプリコーノとコルノアリエーソは蝕の民の十二星座武器の中でも生命を司る武器としての位置付けになるらしい。幽霊船での戦いの要になる武器だ。故に、涙目のマルトに頼み込んで、今回の作戦では第二陣の前衛隊に組み込んでいる。ジョンはそれよりも先に相手船に切り込んでいく第一陣だ。
教会で大枚の寄付をして、祝福を受けた聖水を大量に譲り受け、船員一人に対して二本は持たせている。本当に万全に万全を期している。
でも怖いものは怖いのだ!
あぁ、とハンモックの上で顔を覆った途端、船内に鈴の音が響き渡った。びくりと体が驚きに跳ね上がり、危うく床に落ちるところだった。
「……来たか」
見張りからの伝令を受け、エトワールさんがフールモサジターリオで、幽霊船を捕らえたと言う合図だ。すぁっと頭から血が引いて行くのが分かる。カッカと熱を持っていた頭が冷却していくのも分かる。やるしかない。
そう思った時には体は動いていた。コートを羽織り、帽子をかぶって、武器を、ヴィーボススカラートを腰に下げて、僕は部屋を出た。
『ついて来い鉄鳥』
『此処に。参りましょう主様』
左耳の上の定位置に鉄鳥が収まって、僕は早足で甲板を目指した。
甲板にあがると、お、とラースが意外そうな顔で迎えてくれた。
「おう、ビビって来ないかと思ってたぜ、メーヴォ」
「こうなったら四の五の言ってられるか。全部吹き飛ばしてやる」
いいねぇ、と笑ったラースが視線を向けた先に目を凝らす。霧も濃くて流石に肉眼での確認は出来なかった。
「幽霊船は十マイル先を微速前進中です」
頭の上からエトワールさんの声が降ってくる。既に見張り台の上でフールモサジターリオを展開していた。
「よし、往くぞ野郎ども!供物に祈りは捧げたか?幽霊どもを全員あの世に送ってやるぞ!」
鬨の声をラースが上げたのを合図に、甲板にいた水夫たちが一斉に作戦の定位置に駆けていく。
「任せたぜメーヴォ」
「ああ、任された」
信頼の視線を受け取って、僕は砲台のある船倉へ下りた。行けば、既に砲撃手一同とクラーガ隊が真剣な表情でその時を待っていた。
「行くぞ」
決して大きくはない声で、僕は口にする。全員がそれを耳にして、瞬きを返事にした。
「風力部隊、ブロー開始!」
副砲撃長のカルムの合図の声が聞こえる。ほんの一瞬後に、船が急速前進する重力に船倉が大きく揺れ、砲台がギイギイと床を軋ませる。右舷十門の砲台に二人ずつ、計二十人が船倉の中で息を整えてその声を待つ。
「ブロー終了!右舷!砲門開け!」
来た。
砲台の前で構えていた砲撃手たちが一斉に戸板を開ける。走る船の上げる飛沫が入り込んでくるその向こうに、霧の海の中に真っ黒な船体が見えた。
ボロボロのセイルは長年の風雨と、何が付着したのか真っ黒で、先端の折れたマストも煤けたように黒く、所々に穴の開いた船体も炎の中で一度燃えてしまったように真っ黒だ。よくその状態で航行が出来ると言う不気味さよりも何よりも、戦意を削ぐのはその空気だ。ぬるりと生ぬるかった風が一転してヒヤリと乾いて冷たい。先の戦いでアウグストが放っていた冷気とはまた違う。刺すような鋭利さはないが、確実にこちらの命を奪おうとする冷たさを持っている。
ああ、クソが。
内心で一つ毒吐いて、僕は船との距離間を計る。
「射角三十五、マストとセイルを狙って足止めをしろ」
あのセイルが航行の役に立っているとは思えないが、船に乗っているであろう宝石を沈めてしまってはいけない。とにかく相手の足を止め、接岸する機会を作るのが僕の仕事だ。
射角が合わせられた砲台が各砲門に備えられる。三つ波を掻いたところで、僕は殺気を乗せて声を上げた。
「一射撃てっ!」
五台の砲台が一斉に火を噴き、轟音を轟かせて撃ち出された砲弾が幽霊船のセイルを引き裂き、マストをへし折った。
「二射、撃て!」
続けざまにもう五発。一撃目で折れかかっていたメインマストにトドメの一撃が入り、元よりボロ船だったそれは完全に沈黙した。
「射撃止め、次弾装填の状態で待て」
指示を出して、パウダーモンキーと呼ばれる少年水夫をラースの元へ走らせる。これ以上は手応えを感じられない。幽霊船からの反撃もないのだから、無駄弾は撃ちたくない。
「接舷用意!」
すぐにラースの指示が聞こえる。砲門を閉じるように指示を出し、待機を言い渡す。僕もこのまま待機していたいが、そう言う訳にもいかない。
船が大きく揺れ、船体に同じ船体がぶつかる衝撃が走る。ドタドタと走り回る足音が響き、第一陣が切り込んだことを告げる。僕は念のための第三陣に当てられている。そろそろ甲板にあがって、突撃準備をしなくてはいけない。憂鬱すぎる。
「撃て!銀弾を使え!」
最も聞きたくなかったラースの言葉が甲板なら聞こえてくる。
「ジョンに続け!背中を守れ」
ああ、つまりそう言うことだ。いるのだ。
『主様、そろそろ参りませんと』
『帰りたい』
『何処に帰られるのですか!』
『アジトとか』
『ご冗談は全て終わってからにして下さいまし』
『……帰りたい』
ぐっと重い足を、気力を振り絞って前に押し出す。甲板に続く階段を昇ることがこんなにも憂鬱だったことはない。ああ、どうせアンタなんか信じてないよ神様供物どもめ。
ちらりと甲板に頭を出して接舷した幽霊船を覗き見る。既に第二陣も半数が乗り込んでおり、おおよその襲撃は終わろうとしている。
「脊椎を、背骨を狙って下さい!」
「腰骨をへし折ったれ!もしくは首の後ろや!立んくしてから銀弾か聖水や!」
マルトとジョンの怒号が響く。よく見ればどうやら幽霊船の船員は実体のないゴーストではなく、生身の肉体を持ったゾンビタイプのようだ。
よっしゃ!とジョンがやるように小さくガッツポーズを決め、僕はヴィーボスカラートを手に甲板へ上がった。実体があるのなら爆破も有効だ。ピンポイント爆破は僕の得意技だ。
「遅れた」
ビビっていたなどと言えるはずもないので、平気な顔をしてラースの横に並ぶ。おせぇぞ、と怒る声にも何処か安堵の気が漂っていた。第二陣の突入で、幽霊船の制圧がほぼ完了しているのだが、油断は禁物だ。
「僕らも行くか?」
「それは内部の探索の時だな。もう少し待つ。おおよその幽霊水夫はぶっ倒したが、船長だのの役職クラスっぽいのがまだ見当たらねぇ」
「なら余計に僕らも行くべきじゃないか?戦力が足りると思うか?」
「逆に言えば有効手段を持たない俺らが行っても足手まといの可能性もある」
「銀弾は?」
「そりゃあるけどよ。どうした、強気に出たな」
「ソンビ系の実体のある奴なら敵じゃない」
なるほど、と言ったラースが歩きだし、僕もそれに続き幽霊船へと乗り込んだ。
既に制圧は完了し、水夫たちはいつものように死体を甲板の一角へと集め始めていた。遠目から見ていた通りの真っ黒な船体。惨状を重ねた色に背筋に嫌な物が走る。
「……これは流石の私でも口に出来ませんね」
厚い雲に遮られて紫外線もあまり届かないこの海域。コールは目深にフードを被りながら、積み上げられた聖水まみれの死体に顔をしかめた。腐った血と聖水のカクテルでは、コールも二日酔いでは済まないだろう。
「マルト、来てくれ。船内を探索するぞ」
「えぇ……」
嫌そうな顔のマルトに、ラースが苦言を呈する。
「甲板で何かあったら対処できるのか?」
「……行きます」
不測の事態を考えたとき、腕に自信のあるジョンの方が何かと対処が出来る。コルノアリエーソの浄化能力があればトドメ以外は僕らが何とか出来る。
マルトを伴って、僕らは幽霊船の船長室の扉を開けた。言うまでもなく埃とすえた死臭が漂う船内は、これまた煤けたように真っ黒で、そこ此処に埃が積もっていて、この船が長く彷徨っていた事を告げている。
船長室には例によって大きな机があり、そこに伏せる死体があった。無言でラースがポケットから聖水の瓶を取り出し死体にかける。何の反応もなく、安堵の息を吐いた途端、その声に心臓が竦み上がった。
「しょくのひとみ」
即座にラースが銃を構え、死体の頭部を撃ち抜いた。乾いた死体の頭部が弾け飛び、机の上に残骸が広がる。マルトが悲鳴とも着かないうめき声を上げている。僕も変な声を上げないように必死に我慢している。
『主様、注意して下さいまし!今、奴は蝕のひとみと』
鉄鳥の声が脳内に響いていた。僕の左斜め前でラースが銃を構えていた。僕も、マルトも武器を構えていたというのに。
その死体の素早い動きに誰一人として反応出来なかった。どう言う原理で飛び上がったのか、死体が弾けたように机を飛び越し、僕らの前に伏せたかと思うとそれは襲い掛かってきた。気が付けば、僕の首にミイラの手が食い込んでいる。
「おっと下手に動くなよ。コイツの首はすぐにへし折ってやれるんだ」
頭部がないのに喋っているその非常識さが頭にくる。朽ち果てかけた腕の何処に僕一人を持ち上げる力が残っているんだ。苦しい。
「聖水が効かなかっただと……」
「良い判断だったが、オレには効かんぞ水夫」
「俺は海賊船長だよ!そいつを離してもらおうか」
「真円の蝕の瞳の持ち主など、海賊には過ぎたものだと思わんかね?」
「思わねぇよ。そいつは俺の物だ」
息が詰まって苦しい。抵抗にと蹴り上げた肋骨が呆気なく崩れていく。
「新しい体を運んでくれて感謝しよう海賊船長。これでもう暫く生きながらえる。お礼に貴様もグールにしてやる」
新しい体?不穏な言葉に思考を巡らせるよりも前に、かは、と息が詰まって口を開いた。その後の記憶はほとんどない。
頭を吹き飛ばしたってのに、死体野郎がとんでもない早さで移動してメーヴォを捕らえた。抵抗するメーヴォの蹴りでどんどん体が崩れていくと言うのに、何がどうなっているのか仁王立ちのままメーヴォを離そうともしない。
真円の蝕の瞳、と口にした事から何かを知っているようだが、そんな事はどうでも良い。早いところコイツをぶち殺してメーヴォを救出する。
そう思って銀弾の込められた銃を構えたところで、死体野郎の頭のあったところから白い靄が立ち上り、苦しげに口を開けたメーヴォの口の中に入り込んで行った。
「おい……」
なんだそりゃ。掠れた喉から声が出切る前に死体野郎の体が崩れ落ち、メーヴォが何事もなかったようにストンと床に降りた。肝心のマルトは俺の後ろで固まってやがる。
「……メーヴォ」
呼びかけにコチラを見たメーヴォの顔つきが、俺の知っているどんな表情よりも、残忍に歪んで笑っていた。
おい、おい!
「ああ、何て馴染むんだ。これだから蝕の民の体は素晴らしい。知っていたか?海賊船長。蝕の民の体はお前等と根本的に違うことを」
その声は間違いなくメーヴォの声だが、あいつはこんなに神経に障る音で話したりはしない。
「御託は良い。てめぇは何だ。メーヴォを返してもらうぞ」
「オレがなにか、だと?この状況でお前は自分がどうなるのか分かって言っているんだな。ならば教えてやろう。オレは薔薇十字教会の使途だ」
「おいおい、その教会の聖女様とやらはとっくの昔にババアになって死んだんじゃねぇのか?でなかったら火炙りだっけか?」
「ああ、あれも可哀想な少女でした。薔薇のような頬のシャルロット様。麗しく、可憐で、残忍で無慈悲で無知な少女。あの断末魔は最高の音楽だった」
「崇拝対象じゃなかったのか?」
「崇拝していたからこそ憎く、その最期に惚れ惚れするものでしょう」
ああ、メーヴォも口にしそうな台詞だなオイ。
「シャルロット様には感謝しているんだ。こうして肉体を持たずとも生きながらえることが出来る存在にオレを押し上げてくれた。そしてお前にも感謝しよう海賊船長。蝕の民は器に丁度良い。これを運んでくれた暁光に感謝せねばな」
「ほぉ……」
どうする?こう言う時のセオリーとして、肉体はメーヴォのままだ。きっと攻撃すればメーヴォが傷つく。現にさっき聖水をかけたのにコイツは問題なかった。そして恐らくあの白い靄が奴の本体だ。
「……マルト。一応聞くけどな、メーヴォの体を攻撃せずに、中のゴースト野郎だけその槍で貫いたり出来ねぇよな?」
「……い、いくらアリエーソが私に力を貸してくれているとは言え、そんな高度な芸当を聖職者でも崇高な戦士でもない私が出来ると思いますか」
だよな。きっとその槍も困ってるだろうよ。
「相談は終わったか?お前たちも直にオレの所有物にしてやる。新しい船も、新しい船員も揃う。大陸に薔薇十字を再び蘇らせることも出来そうだ」
考えろ。何か手があるはずだ。
「ところでアンタよ、この船は何処で手に入れたんだ?随分と財宝を載せてるって話で来たんだが?」
「ああ、オレの武勇伝を聞かせて欲しいか?時間稼ぎのつもりか?」
「おう、そうだよ。このラース様が起死回生の逆転技を思いつくまでの時間稼ぎさ」
「あっははは、面白い男だ!この状況にあって、それだけの大口が叩けるのは立派だよ船長」
見た目がメーヴォのままだからか、いちいち言うことが癪に障る。メーヴォを傷つけずに、中にいるアイツに直接聖水をぶっかける方法だ。ってか飲ませればいいのか?つまりは。
「この船は蒼林の東、魔の海と呼ばれる海域で拾ったのだ。その前、オレの乗っていた船が魔の海で沈んだ後、間抜けにも迷い込んだこの船を頂戴したわけさ。オレのピンチには必ずシャルロット様の導きがある。オレは未だ聖女様の加護を受けているのさ」
「そう言う割に、聖水は怖いんだろ?それは完全な不死身って訳じゃない」
「そうだとして、私にどうやって聖水を浴びせる?さっきもお前はやっただろう?そして効かなかった。もう手立てはない」
無いわけはない。つまり、コイツは魂が入れ替わるとかそう言うんじゃなくて、あれだ、腹の中に入って外側の肉体を動かしてる感じだろ?外側の肉体は鎧であり防護壁だ。その鎧の入口も出口も一つで間違いないよな?
「なあマルト、さっきアイツがメーヴォに乗り移る時に出て来た場所はよ、あれは喉の、気道とか食道とか、そう言う辺りからだったよな」
「……恐らく、そうです」
マルトが何かを察したのか、槍の柄を握り直した。
「良いかマルト。恐らく一瞬だ。絶対に逃がすな」
「……はい」
「何か良い作戦が決まったかね?」
「ああ、とびきりのがな」
「それは良かった」
ニヤリと嗤うその顔はメーヴォのそれだと言うのに、何故こんなにも別人に見えるんだろうな。
「アンタが饒舌で助かったぜ。ところでもう一つご教授願えるか?蝕の民の体が特別ってのは何なんだ?」
「そんな事も知らずにこの男を連れているのか」
「学が無いもんでな」
じり、と一歩距離を縮める。
「蝕の民は魔力の低い者、または魔力を待たない者が多い。それは外的魔力への抵抗がないと言うことだ」
「確かにコイツも魔力を持ってねぇな」
「魔力は壁だ。その体内に魔が干渉しないように防ぐ壁だ。壁がなければ外的な魔が干渉しやすいと言うことさ」
ポケットの中の小瓶の存在を確かめる。ベラベラと喋くる男の声はもう殆ど耳に入ってこない。
「蝕の民で特に魔力のない者はこの真円の瞳を持ちやすい。それはその体内にこの世界の魔が無いことを意味する。純潔たる異界の住人。中に異物を持たないまっさらな体には、いくらでも入り込んで順応できるという事さ。だからこの体は馴染む」
「そうかいそうかい。けど、そいつは返してもらうぜ!鉄鳥!」
俺の声を合図に、ずっとメーヴォの左耳の上で固まっていた鉄鳥が、その羽を伸ばしてメーヴォに目隠しした。
「なっなんだコイツは、魔法生物だと!」
片手でポケットの小瓶の聖水を口に含んで、狼狽えるメーヴォの腕を掴んで引き寄せる。翼を広げて飛び上がった鉄鳥を見やり、小瓶を投げ捨てた手でメーヴォの頬を潰して口を開かせ、そこに口移しで聖水を注ぎ込んだ。オエッ!
まさかこんな手段に打って出るとは思わなかったのか、驚いたメーヴォの喉がごくりと聖水を飲み込んだ。すかさず抵抗する体を突き放して距離を取って様子を見る。口元にこぼれた水を拭ったところで、メーヴォの姿で男が悲鳴を上げた。
「何を飲ませ、うっ、うぐ!これは、う、あああ、焼ける!焼ける!」
ボシュ、とメーヴォの口から白い靄がヤカンの水蒸気よろしく飛び出した。
「マルト!」
「うおあぁぁ!」
その巨体が槍を振り上げ、白い靄を貫く。
「まさか、こんな……バカな」
「人間様なめんなクソゴースト野郎」
改めて構えた銃口から銀弾をこれでもかと空中に放ち、白い靄を撃ち抜く。
「ああ……しにたくない」
断末魔に間抜けた願いを口にして、ゴーストの男は消えた。
まったく、面倒な奴だったぜ。
「お頭!今の銃声は?」
バタバタと足音を立ててレヴとコールが扉を開けた。
「お。今しがたこの幽霊船のボスをぶっ倒したところよ。コール、例の薔薇十字の残党だとよ」
「あぁ……嫌な気が漂っているとは思いましたが、こんなところで……船長殿はお怪我はありませんか?」
「おお、まあ平気だ。メーヴォもすぐに起きるだろ」
言うが早いか、ぐったりと倒れていたメーヴォが意識を取り戻したのかゆっくりと体を起こした。
「よう、目覚めのキッスの味はどうだった?」
起きあがったメーヴォはコチラに目もくれずフラフラと船長室を横切り、棚にあった古いワインの瓶を手に取った。何処からそんな物を取り出したのか、手には工具が握られていて、迷い無くワインのコルクを開けたかと思うと、瓶を一気に仰いだ。
と、同時に勢い良く吹き出した。
「何してんだお前」
「酸っぱい……」
言いながら、何度も酢になっているワインで口を濯いで……濯いでる?
「お前俺とキスするなら酢のワインの方が良いってのかオイ!」
「むしろ海水の方が百倍マシだ!オエッ……」
「コッチだって金輪際お断りだよ!」
折角助けてやったってのに!恩知らずめ!
定位置に鉄鳥を戻し、今度は聖水でうがいを始めたメーヴォに舌打ちを一つ落とし、朽ち果てた死体と埃の積もった机を探る。航海日誌のような手帳を見つけて斜め読みする。
この船は冒険者なんかを載せて各地の遺跡だのを調査、発掘する船だった事、謎の多い魔の海に迷い込んだ事が揺れる筆跡で書かれている。ゴースト野郎の言っていた事はおおよそ確かのようだ。ただ、時間感覚はとんでもなく狂ってそうだ。この船が沈んだのは恐らくここ十年以内の話だろうが、薔薇十字の騒動があったのは四百年前?だとかそう言う話じゃなかったか?それだけ長い時間をあのゴースト野郎は魔の海域で彷徨っていたという事か。あとはいくつかの財宝の目録と思われる記述も見つけた。
「……宝石は何処にあるんだ?」
疲れた顔のメーヴォがそれでも当初の目的だった宝石の事を気にしているらしく、渋い顔で問う。
「それなら船倉や船室から発見しました。エトワールさんが指揮を執って、もうウチの船に積み込みも終わったんじゃないですかね」
レヴが現状の説明をしてくれたところで、再び走る足音が響いた。
「船長!」
バタンと大きな音を立てて扉を開いたカルムが、勢い余って扉を叩き割った。
「なっ何だよおいおい」
「あっあ、壊しちゃった……あ、そうじゃなくて、また船影です!」
「はぁ?」
言われて飛び出すと、既に甲板は綺麗に片づけられ(死体は海に捨てただろう)、財宝もエリザベート号の甲板で樽詰めにされていた。エトワールが見張り台に乗ってサジターリオを展開している。
一帯に漂っていた生ぬるい風が、温度を落としたようにヒヤリと肌を撫でる。何か、この幽霊船以上の何かが近づいている。アウグストの殺気を思い返して竦みそうになる足に渇を入れて、腹の底から撤退の声を上げる。水夫たちは一斉に、けれど順序よくエリザベート号へと乗り移っていく。俺たちもその後に続き、愛しの淑女の背を踏んだ時だった。
オオォォン、と辺り一帯に遠吠えが響いた。獣の咆哮だ。こんな海のど真ん中で獣の声だって?そんなバカな!
「この声は……まさかやろ」
それを聞きつけて甲板に上がってきたジョンが不思議そうに空を見る。続けて、見張り台のエトワールへと声を上げた。
「エトワールはん!船影はどっちからや!」
「十二時方向、およそ三マイル」
「相変わらずの遠吠えや船長」
「は?」
「コッチの話や船長。恐らく遊軍や」
言うとジョンは結んでいた髪を解いて、こめかみの一房だけが異様に長いそれを風に流した。
「マルト、拡声の魔法を一発頼むわ」
マルトが横に並んで風の魔法で声を拡散させる魔法陣を展開させると、ぐっと喉に手を押し当てて、ジョンが鳴いた。鳴いたのだ。
にぃやぉおぉ、と化け猫が遠吠えをするような声が拡声の魔法で辺り一帯に響き渡る。それに答えるように、また遠吠えが聞こえた。
「よっしゃ、返ってきた。船長、きっとワシの知り合いや。鼻の言い奴やから、こっちの何かに気付いてくれたんや」
さっさと髪を元の通り結びながらジョンがにかりと笑う。ジョン、お前本当に何者だよ。料理人のくせにやたら強くて獣と交信できちゃうって何だよそれ。
「……こんなところで出会うってんだから、相当な相手だろうな」
「銀狼海賊団の船長や」
はぁ、流石の交友関係。ん?銀狼海賊団?
「それって」
話を聞いていたレヴが横から声を上げた途端、エリザベート号の前方に商船と思わしき船影が現れた。その船首に大柄な男の影が見える。
オォォン、と言う遠吠えがより鮮明に響く。二本マストの船は小綺麗で、まるで進水したばかりのようにも見え、けれど何十年も航海を続けていたように色褪せても見える。その船の周囲にだけまるで違う時間が流れているような、先ほどの幽霊船とは違った、しかし似た雰囲気を感じた。
「そこの船!ヴィカーリオ海賊団のエリザベート号で間違いないか!」
腹の底に響く爆撃のような声が船ごと鼓膜を震わせる。
「ピエール船長!ご無沙汰やで!」
「おお、やっぱりジョンシュー!アンタか!」
船がゆるゆると左舷に接舷する。大柄な獣人の男が大手を振っているし、ジョンがそれに答えて接舷の指示を出している。程なく二隻は接舷を完了させ、大柄な獣人が乗船の許可を願い出た。
「ヴィカーリオ海賊団の船長殿、お初にお目にかかる。俺は元銀狼海賊団船長、ピエール=カロンだ。乗船の許可をいただきたい」
元船長、と言う言葉が引っかかったが、丁寧な言葉選びをする獣人に少しだけ興味を持った。
「ヴィカーリオ海賊団の船長、ラースタチカ=フェルディナンド=ヴィカーリオだ。乗船を許可しよう」
にっと笑った口元にずらりと鋭い牙が並び、その巨躯からも実力の程が計れた。乗り込んでくるなり、ピエールはジョンと堅く抱き合った。ジョンが潰されないかハラハラする。
「無事そうでなによりや!心配しとったんやで!そっちの船は新しい銀狼の船か?」
「元と言っただろうジョンシュー。俺は最早下っ端水夫さ」
「下っ端水夫やて?アンタほどのお人が冗談を言いよる!」
「冗談じゃない。本当だ」
振り返って船を指すピエールの手の先に、小さな少女と幾人かの船員が見えた。えっ、少女?
「嵐の後に俺を助けてくれた。今はこの船の一船員だ」
にかりと笑ったピエールの笑みに、嘘偽りは見えなかった。
そして、続いた言葉を聞いたヴィカーリオ海賊団の船員、全員が耳を疑ったことだろう。
「今のホーム、幽霊商船ベルサーヌだ」
幽霊船に続く幽霊船って、マジかよ!勘弁してくれ!
つづく