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海賊と技術者

 海賊団の朝は厄介な事に早い。日の出の頃、一番最初に特性目覚まし時計でお掃除隊(クラーガ隊)の当番と平水夫が起き出し、甲板の掃除を始める。その足音に調理班の面々が起き出して朝食の支度を始める。朝食の良い匂いが船内に漂い始めた頃、音楽隊のエドガー爺さんが起き出して朝の演奏を始め、残りの連中が身支度を始める。そう広くない食堂で、大勢いる船員が一度に食事を取る事は出来ないので、早番・遅番と二回に分けて食事をする。先に掃除をしていた面々が食事をして持ち場に着く頃に、俺はようやくベッドから起きる。船長ラース様の朝はゆっくりなのだ。

 役職付きの面子は大体遅番飯。調理班と一緒に朝食にしようと席について、ふとそこにいるはずの男が居ない事に気が付いた。

「メーヴォは早番だったか?」

 隣に座っていた調理班のウォーターハートに聞けば、今朝はまだ顔を見ていないと答えられた。

「彼、結構早起きなんで、珍しいなぁとは思ってましたけど、寝坊っすかね?」

 あいつが寝坊とか、明日は海上で雪が降るぞ。

 そんな冗談を口にしていたら、後ろからエトワールが口を挟んできた。

「メーヴォさんなら、ここ最近思うように制作が進んでないって悩んでましたよ」

「へぇ。ってか何でお前が知ってんの?」

「サジターリオの構造について何度か確認したいと私の所に来ていましたから。魔法式物質圧縮と相互解凍の理論が組めないと。あと事務仕事などで定期的に顔は合わせます。ちょっと疲れてる風でしたね」

 エトワールの口から呪文のような言葉が出て来るも耳に留まらず、ただメーヴォの不調と言う言葉だけが妙に耳に引っかかった。たった一年ちょっと前から横にいるようになった相棒の不在に、心臓がほんの少し、浮いた。ひやりとした指先が腰に下げた頭蓋のカツラを撫でる。

「……ちょっくら起こしてくるわ」

 朝飯前の一仕事だ、と俺は食堂を後にして、メーヴォの個室として割り当ててある武器庫に向かった。

 ノックもせずに扉を開けると「うわっ」と小さく悲鳴を上げてメーヴォがハンモックから飛び起き、バランスを崩して床に転がった。

「よう、メーヴォ。お前ともあろう者が寝坊とは、世も末……」

 ふんぞり返って嫌みもたっぷりに朝の挨拶を口上してやろうと思ったのに、その口も凍り付いてしまった。

「ラース……って、もうこんな時間か」

「うぎゃあああああ」

「えっ」

 俺の悲鳴に驚いてコチラを見るメーヴォの顔が、カタカタと口を開いた。眼球が眼孔に収まっただけの真っ白な頭蓋骨がコチラを見上げていた。

「め、メーヴォ、お前、頭が」

「は?頭?何か付いてるか?あ、ハナムシか!」

 言ってツルリとした頭蓋骨の頭を払っている姿は滑稽だが、もう何がどうなっているのか分からない。

「違う!ちげぇよ何だよその顔、頭!頭蓋骨!」

「何を言ってるんだ?もしかしてお前また魔薬を」

「だーかーらぁちげぇって!」

 鏡!鏡を見ろと叫んで、武器庫の中から研ぎ澄まされた剣を手に取ってその刀身にその顔を映してやった。

「ほれ!」

「……いつもの僕の顔じゃないか」

 はぁ?

 一緒に覗き込んだ刀身には、とても知的だとかクールと言う言葉には程遠い無精顔ではあるが、確かにメーヴォの顔が移り込んでいた。

「嘘っ!何で?」

「やっぱりお前変な魔薬を……」

「違うって!」

 なかなか戻って来ない俺を心配したのか、繰り返される会話が気になったのか、船員たちがちらほらと武器庫の中を覗いていく。皆、小さく悲鳴を上げて引っ込んでいくその反応に、メーヴォも異変に気付いたらしい。ついでにようやくお目覚めの鉄鳥が、寝起きの羽根を広げて驚いている。

 あ、と声を上げたメーヴォが、胸ポケットの中から大降りの宝石、人骨から作り出した人工ダイヤを取り出した。すると何がどうなっていたのか、メーヴォの顔が先ほど剣に写っていた無精顔に戻っていった。

「……すまない、ラース。幻術石の実験をしていたのを忘れてた」

「幻術……?今のは幻だったのか?」

「そうだ。後で説明する。先に朝食に行こう。片づけられてしまう」

「……ったぁく、ホントに頼むぜ相棒」

 溜息と一緒に手に持ったままだった剣を戻し、俺はメーヴォの後を付いて食堂へと向かった。

 噂をすれば廊下にヒラリと飛ぶハナムシを見つけて、ペシリとそれを叩き落とした。ハナムシってのは船内に飛び交う蝶の様な魔物の事で、麻や人の衣服、更には人の頭髪を食ってしまう事もある厄介な奴だ。帆の布なんかがよくやられる為、虫除けの香を定期的に焚く。そろそろ香を焚いてやる頃合なのだろう。

 床に落ちたハナムシを踏み潰して止めを刺し、何て心臓に悪い朝だと悪態を飲み込んだ。


 朝食のドライフルーツのスコーンとコーヒーを片手に、身支度をしていないメーヴォの顔を物珍しげに眺めつつ、幻術石とやらの説明を受けた。

「骨ダイヤの魔力に幻術の魔法を封じ込めて、限定的に幻術を映し出す技術の実験をしていたんだ。ルナー氏の擬態の役に立つと思ってさ」

 ただ、メーヴォ自身は体内魔力がまったく無いタイプの人間なので、魔力を持って発動させる道具は、実験に他者の手助けが必要になる。それを誰かに頼むんだ、と忘れないように胸ポケットに入れて眠ったところ、魔法生物で魔力の固まりのような鉄鳥が胸の上で眠った。結果、幻術石が発動。そのためメーヴォの顔に骸骨が映って見えたと言う事らしい。何てはた迷惑な!

「疑ってかかった事は悪かった」

 言ってデザートのオレンジを一切れ寄越して来たから、まあ良しにしてやる。

「幻術を映すったって、人の頭くらいのサイズにしか投影出来ないんだろ?」

「一つの幻術石だと、そうだな」

 大きな事をするなら数と相応の魔力が必要、は最近のメーヴォの道具の説明に必ず付いてくる一文だ。

「まあそれなら俺が使う事は早々ないだろうし、好きにやってくれ」

「ああ、そうするよ」

 無精面のメーヴォ何て珍しい物を見たわけだ。やっぱり近い内に雪でも降りそうだ。

 そんな事を頭の片隅に追いやったところで、レヴが声をかけてきた。

「お頭、お知らせしておきたい事があります」

「おう、何だ」

「明日予定している商船の襲撃なんですが、少し様相が変わりそうです」

 今日は珍しい事が続くな、と冷えたままの指先が腰に下げたエリーを包む絹布を滑る。指先に熱を送り込むように飲み干したコーヒーのカップをテーブルに残し、俺は立ち上がった。

「よし、作戦会議だ。エトワール、船長室に面子を集めろ」

「分かりました」

 その一声に、戦闘に参加する主要面子が船長室に顔を揃えた。

 襲撃の際に一番最初に狙撃を行い、敵の目を潰す役割を担う狙撃手の副船長エトワール。急速接近するために、風の魔法で船を走らせる風力部隊を仕切るマルト。接岸の際に相手を黙らせる為の砲撃を行う、砲撃班を仕切るメーヴォ。切り込みの合図は船長である俺が出す。

 そして商船の情報を掴んでくる情報屋レヴだ。

「今回の商船は反物と焼物を運んでるって話だったろ?」

「はい。この船は単独航海の商船で、僕たちが一番カモにして来た部類の商船だったんですが、今朝の使役便で新しく情報が入って来て。どうやら先の港で商品の仕入れと同時に、傭兵を雇ったとか」

「傭兵……何人だ?」

「それが、一人らしいんです」

「一人……」

「大勢の雑魚より一人の手練れ……余計に薄ら寒い感を覚えますね」

 エトワールが怪訝そうな顔で眉根を寄せる。商船が海賊対策に傭兵を雇う事は多々ある。そう言った情報もレヴが調べあげてくるので、相応の対策を練ってから襲撃に臨むものだ。俺たちヴィカーリオ海賊団はそう言う奇襲作戦を最も得意としている。真っ向からの力勝負は苦手な部類だ。

 俺を含め、平水夫に至るまでメーヴォ率いる技術班の特製魔銃を皆携帯しているし、そこそこの戦闘能力は確保している。が、腕っ節の強い元本職の戦士や強力な魔法を操る魔導師はこの船にいない。殆どの水夫は元奴隷だし、剣の腕も独学だ。

 だからこそ、頭を使った作戦を講じる必要があるわけだ。傭兵が居るのであれば先の狙撃に時間をかけるし、先に粗方の兵隊を殺ぐために砲撃も念入りにする。もし抵抗が弱まらない場合や、強力な魔導師が傭兵の中にいて防御されるようならば、深追いはせずに撤退する。その引き際を予め決定しておくなど。万が一を想定していくつもの対策を練るのだ。

 つまり、傭兵の数が一人、と言うのは逆に焦臭いと考える。有象無象の雑魚を大勢雇うより、手練れの熟練傭兵一人を雇った方が安全に、かつ安く付く事も多い。強力な戦士や魔導師を一人雇ったと言う挑発か、それとも単なるブラフなのか。その判別は難しい。

「エトワール。念のため先発の狙撃に時間を取る。今日はなるべく仕事もしなくて良いから魔力を温存。マルト、明日の襲撃の際に、相手からの攻撃を想定して防御の布陣を第二フェーズに。第三フェーズに防御と撤退を備える。レヴ、その傭兵についての情報は今からどうにかなるか?」

「正直キツいです。いつもなら相手の情報が一緒に送られてくるんですが、それがなかったと言うのは、きっと良くない相手だったんじゃないかと」

「だろうな……あとでルナーのおっさんに防御と撤退について作戦を伝えるか」

 絹布の滑らかな手触りが酷く指先に軽く、俺の心が静かに渇いていくような、そんな気配を感じていた。


 翌日の空は嫌な予感を増長させるような曇天。襲撃に備えて皆、朝から臨戦態勢で気が立っている。

 変わり種船員の一人、小型クラーケンのルナーと襲撃の際の防御と撤退の段取りを話し合った。彼らの従えている巨大クラゲはその内部に居住用のスペースを確保している優れモノで、彼らは普段そのクラゲの内部に入って海の中だ。襲撃の際には船は急加速して進むため、それに合わせてクラゲも進行してもらわないとはぐれてしまう。

 特に今回は敗走の可能性も考えて、商船側の足止めにルナーには特殊爆弾の設置を依頼した。

「メーヴォが作った特製爆弾で、魔法石を使ってて海の中でも起爆出来る優れモノだ。もし撤退の時にはコイツを商船の船底に設置して爆破させて欲しい」

「コイツは時限式で、このピンを抜いて五秒で爆発する。その間にルナー氏はコチラの船に戻ってくればいい」

「ほほう……便利な物を制作される。その発想と技術力には頭が上がりませんな。流石は蝕の民の末裔」

 海中爆弾の爆破は小規模な物なので、敗走の時間稼ぎにしかならないが、メーヴォによる今後の改良を期待しよう。

 作戦は万全。もし強敵がいても即時撤退が出来る。だと言うのに、指先の冷える感覚は未だにぬぐい去れず、もやもやと頭の片隅に霧がかかるような、胃が落ち着かない不快感を残している。

「……嫌な風だ」

 海上を吹き抜ける僅かな風が、酷く生ぬるく感じた。

「船長、各員配置に付きました!」

 どんなに悩んでも時間は無情に過ぎ去り、予定していた海域、時間、配置へと全ての準備が滞り無く進んでしまった。

 砲撃手副長のカルムが、何処で覚えたのか敬礼付きで俺の後ろに立った。操舵手が覇気に満ちた顔で前を見据え、その後方では風力部隊がマルトを中心に待機している。見張り台では副船長のエトワールが、ウエストコート姿でやはり待機している。その腕には既にフールモサジターリオが展開されていて、目標である商船を捉えているはずだ。船倉では砲台が今か今かとその砲門が開くのを待っている。

 嫌な予感を振り払う事は出来なかったが、腹は括らなければいけないようだ。

「よし、作戦を開始するぞ野郎ども!」

 鬨の声に男たちの咆哮が返ってくる。往くぞ!

「エトワール、狙撃開始!甲板にいる船員の半分を黙らせろ」

「任せなさい!」

 十二星座の名を冠した蝕の民の強力な武器、フールモサジターリオ。そのテイルと呼ばれる自在に動く魔法のロープがエトワールの体を見張り台の手すりに固定し、スコープによって大きく拡大された人影を的確に射抜いていく。一発一発の威力は小さいが、恐ろしいほど遠距離から、怖ろしいほどに的確に脳天を打ち抜く。それを可能にするのは、武器の優秀さか、抜群の集中力を持つエトワールの技量か。

「あと三」

「風力部隊、カウント行きます」

 小さく言ったエトワールのせん滅状況をその耳で聞き取り、兎の獣人カルムが風力部隊にカウントを告げる。

「十、九、八……」

 カウントが進む間も、エトワールの狙撃は進む。三、と言った弾丸が撃ち出されると同時に、カルムのカウントがゼロを告げる。

「風力部隊、ブロー開始!」

 マルトの合図で、円陣を組んでいた四人が一斉に風を起こし、セイルに風をはらませて船を押し進めた。波の向きも申し分ない。船は驚くべきスピードで商船に向けて滑る。波間には併走する巨大なクラゲも見える。

 間もなく船は商船を捉えると、風力部隊は風を弱め、惰性で進みながら砲撃を開始する。一斉に開いた砲門から砲弾が放たれる。

「ラース!しくじっ……!」

 砲撃の音にかき消されそうな声が、微かに聞こえた。

「船長!」

 その微かな声をカルムが的確に聞き取っていた。

「副船長が、一匹逃したと」

 その言葉の意味を頭が理解するよりも先に、轟音と共に船が横に大きく揺れた。

 的確に商船のセイルを狙って放たれた砲弾が、船の手前で爆発した。その衝撃波が、エリザベート号の横顔を手酷く撫でたのだ。

「何だぁ?」

「ラース!恐らく例の傭兵です!やばいのがいます」

 見張り台からサジターリオを構えたエトワールが、第二波の砲弾に合わせてスコープを展開した。

 ほぼ同じ軌道を描いて飛んだ砲弾は、何者かの反撃によって、再び船の手前で爆破した。きっと船倉でメーヴォが歯噛みしているに違いない。

 ぬるりと頬を撫でていた生温い潮風が、文字通り肌を刺すようにキンと冷えた。商船から強烈な冷気が漂ってくる。

「コイツめ!」

 何かを捉えたエトワールが、見張り台からサジターリオの銃口を向ける。爆煙が風に流れて互いが見えるようになった海賊船と商船が顔を合わせた。その甲板に立つ異様な姿に脳が焼き切れそうになって、胃が竦みあがる。

「止めろエトワール、撃つな!」

 言っても既に遅く、ドゥンと重低音を響かせたサジターリオが魔法の弾丸を甲板の男めがけて撃ち出していた。

 長い黒髪が顔を覆い隠し、その表情は見て取れないが、ゆらりと動いた柳の葉のように、男が剣を振り上げた。

「エトワール、頭下げろ!」

 空気を切り裂き、魔法の弾丸すらも真っ二つに切り落とし、氷の剣戟が見張り台の上を切り裂いた。バキバキと音を立てて吹き飛んだ木片が甲板に降り注ぐ。見張り台のあった場所に、テイルで辛うじてかすり傷だらけのエトワールが引っかかっていた。

「何ですかアイツは!」

「海賊狩りの男だよ。アイツには貸しがあってね!」

 いつだったか、港で悶着を起こした時に世話になった海賊狩り、氷の妖刀使いのアウグストだ。

「見つけたぞ、魔弾のラース!」

 轟くしゃがれた声はいつぞやの火炎が喉を焼いたせいだろうか。地獄から響くような声、見張り台を一撃で粉砕したその力量に、コチラは完全に飲まれていた。

「船を沈める勢いで撃て!」

 船倉から雷のようなメーヴォの声が響く。すぐさまエリザベート号の右舷十門の砲台の内半分が火を噴いた。砲弾は射角を変え、完全に商船の横っ腹に穴を開ける軌道を描いて行く。

「蝕眼のメーヴォ!貴様はそこか!」

 男の吼える声が砲の音を切り裂いて、氷の剣戟が船に迫った砲弾を全て切り捨てた。

「借りは返させてもらうぞ!」

「怯むな!二射、撃て!」

 十門ある砲台の残り半分を時間差で撃ち、防御に徹させ、反撃の暇を与えないつもりだ。

 メーヴォの時間稼ぎが通用している今の内だ。

「マルト!第二フェーズ!防御円陣!」

「はい!」

 俺の指示に合わせて、左舷側に駆け寄った風力部隊が、防御用の風魔法を展開させ、風の魔法が甲板を覆う。これで多少は攻撃を緩和できる。

「野郎ども!やられっぱなしで引き下がれねぇぞ!初弾に六発分込めてアイツを狙え!突一番隊から順に時間差でやれ」

 甲板で突撃準備をしていた水夫たちが、その手のカトラスを腰に戻し、一緒に下げていた魔銃を手に取って左舷側に集まる。

「コール!」

「此処に!」

 足下から声が響き、レヴの操る影が船倉から延びて来ている事を確認する。

「水夫たちの銃撃に合わせてカノーノロヤレッソでアイツを撃て」

「承りました」

 その言葉を聞いた影が、しゅるりと水夫たちの中に紛れていく。

 さあ、これだけの銃撃をどう防ぐ。

 水夫たちの一斉射撃、砲台からの砲撃。それを前にして、尚海賊狩りの男、氷の妖刀使いアウグストは笑っていた。

「小賢しいわ!」

 風の鳴く音が響き、空気が震え、波が凍てついた。

 デタラメに振り回された氷の刀から剣戟が飛び、コチラの銃撃を全てかき消した。弾丸は全て真っ二つに切り裂かれ、船の手前で爆発四散した。

「そこだ」

 しわがれた声が耳元で囁いたように聞こえ、俺の心臓が竦み上がった。全部読まれた。コールが自在に操ったカノーノロヤレッソの弾丸すら、アウグストの後頭部でその刀によって弾かれてしまった。

「第三フェーズ!」

 ガンガンと鳴り響く脳内の警鐘に、俺は叫び、振り返って二歩で操舵手と代わり、舵を握っていた。

「メーヴォ!撤退の時間を稼げ!」

「言われずとも!」

 操舵輪の横にある連絡用のパイプに叫び、そこから返事が帰ってきた事、自分の後方にマルトともう一人が手を組んで魔法陣を展開させた事を確認して、俺は最大音量で叫んだ。

「撤退だ!」

 同時に右舷の砲台が再び火を噴き、商船へ攻撃を仕掛ける。

「エトワール!コール!牽制しろ!ルナー!行け!」

「逃がすかぁ!」

 怒号と共に剣戟が砲弾を切り落とし、辺り一帯が冷気に包まれる。

「うおおお!死ねぇ!」

 アウグストが背をしならせ、振りかぶった刀が全魔力を伴って剣戟を放った。

「させるか!」

 メーヴォの声が負けじと船倉から響き、船を震わせた。

 重低音を響かせて発射された弾丸が、どう言う計算方法を使ったのか、ぴったりと剣戟の行く先を捉えて、両船の間で爆発した。真っ二つに切り裂かれた砲弾から、バチバチと音を立てて小さな弾丸が弾け飛び、商船に向かって襲いかかる。しかし剣戟の勢いは殺ぎきれず、しかし軌道を逸れた一撃がエリザベート号の船首部分を轟音と共に破壊した。

 バキバキと木材が飛び散り、付近にいた水夫の何人かが悲鳴を上げた。それとほぼ同時に、商船の船尾で煙が上がった。

「うひぃあー!火、火が!消せー!船が!積み荷が燃えちまう!」

「マルト!ブロー!全員何かに掴まって供物に祈れ!」

 商船側の船長だろうか。太っちょの男が情けない声を上げたのを合図に、すかさずマルトへ指示を送る。

「強風の陣、展開!」

 風が巨大な塊になってセイルを打ち抜く。背後からの暴風に体ごと舵に押しつけられそうになるのと、急速前進を始めたエリザベート号の重力に押し潰されそうになりながらも、俺はまっすぐ舵を取った。

 強風の魔法で風を纏い、エリザベート号はあっと言う間にその海域を脱した。

「クソ……奴ら、命拾いしたな」

 残された商船の上で、アウグストは苦々しく水平線の彼方へ消えたヴィカーリオ海賊団を見やっていた。



 完全に俺たちの負けだ。がっくりと肩を落とし、舵に寄りかかった俺はそのまま意識を飛ばしてしまいたかった。

 弾丸のように波間を爆走し海域を離脱したエリザベート号は、その惰性の中でどうにかセイルを広げて風を掴み、微速で無人島まで辿り着いた。すっかり日が落ち、辺りは薄闇に包まれている。月明かりがあるのがせめてもの救いだ。

 あの動乱の中、キチンと海図を読み、的確に航路を指示してくれたエトワールと見習い航海士には謝礼を出す必要がありそうだ。

 船員は皆、満身創痍。中には初めての敗走を味わった者も少なくない。それもそうだ。俺たちの名が売れ、実力も付いたとは言え、まだまだ奇襲による不意打ちを常套手段にする手前、あんな風に剣一本で強力な中距離攻撃を仕掛けてくる相手なんて想定外だし、相手にしないように避けてきた案件だ。

 かく言う俺自身も、久々の敗走と痛手に頭痛が痛い。しかし下がった志気を奮い立たせ、次へ備えないといけない。既に棟梁ルイーサを筆頭に、船首部分の応急処置が行われている。負傷者の手当も救護班が行っているし、調理班はこの状況にありながらも夕食の支度を始めている。

「負傷者は速やかにマルトのところに行け。手の空いている者は大工班と調理班の手伝いに行け」

 指示を飛ばし、これからの事を考えると重さばかりが増す頭を休めるために、後の事を主要役職者に任せて船長室に引き篭った。

 この敗走に誰よりもダメージを受けているのは俺自身だ。ああ、何て日だ。

「ラース、お疲れ。今いいか?」

 銃を置き、ベッドに転がって愛しいエリーを絹布から解いて頬を寄せていると、気の利いた相棒の声がする。俺が返事をしない事を気にしてか、扉の外から声は続いた。

「奴の登場には肝を冷やしたが、コチラの被害は最小限だ。死者、重傷者はいない。船首の損傷も軽微だ。個人的には、新作の武器がなかなかの性能だったのを誉めてもらいたかったんだけどな、またにするよ」

 よく言うぜ蝕の民の技術者様よ。お前が居なけりゃきっと戦意喪失して負けてたんだぜ?冗談を聞き流し、メーヴォの気配が消えたあと、俺は少しだけ眠った。

 料理長ジョンが甲板で夕食を告げた声に目を覚まし、船のあちこちに点けたランタンの明かりの中で夕食をとった。気落ちしていても腹は減るし、ジョンの飯は美味い。

 ナンの中にカレーが詰められた簡易カレーパンで腹を満たし、その晩は皆早く床に就いた。


 翌朝、いつものように掃除班が甲板を掃除し、音楽隊が目覚めの曲を奏でる。海賊の朝はどんな出来事の後にも、きちんと訪れるのだ。

「船長、船首の修復について相談があります」

 朝食の後、ルイーサが真剣な顔で食堂を訪れた。遅番で朝食を食っていた俺は、少し待てと指示してコーヒーを流し込んだ。

 船長室に俺とエトワール、ルイーサが顔を揃え、渋い顔のルイーサが口を開いた。

「船首部分の修復には積み荷の木材じゃ圧倒的に足りません」

「えっ?この無人島に生えてる木じゃダメなのか?」

「悪くはないですが、もしこの土地の木を使うのであれば、あくまで応急処置に済ませたいです。この辺りの木ではすぐにダメになってしまう」

「ふむ。木材の調達が必要になると、この辺りからだと……もう少し北上して行けば大きな港町があります。そこに入港すれば、きっと良い木材も手に入ると思いますよ」

 エトワールが海図を広げながら、次の予定地になりそうな港を指さす。フレイスブレイユの北東にある大きめの港街だ。蒼林からの貿易品や、フレイスブレイユ北部の森林地帯からの良い木材が流通しているはずである。

「海賊に襲われたといつものように宝石商を名乗れば、この港なら問題ないでしょう。此処は商業第一主義の領主が、国に内密で海賊とも取引をしていると噂もあります」

 次の目的地、及び木材調達の目処は付きそうだ。

「エトワール、メーヴォに次の目的地と、骨ダイヤで資金調達をする旨を伝えてくれ。今回の水夫たちの銃撃でいくつかダメになった銃もあるだろうが、修復に使うのと別に、骨ダイヤを少し残しておくようにってな」

「分かりました」

 言ってエトワールが一時的に船長室を後にした。

 それを見送り、俺は再びルイーサに向き直る。

「で、ルイーサ。木材調達はこれで良いとして、あと相談事ってのは何だ?」

「えぇと、今回の戦闘で破損したのが船首部分と、船首像も一緒に吹き飛ばされたんです。次の船首像のデザインを、俺ら大工衆で決めるわけにはいかないんで、船長の意向を確認しておこうと思って」

 船首像。主にその船の守護を願い、勇敢な騎士であったり獅子であったり。航海の無事を願って女神や人魚、海の供物レヴィアタンを象って船首部分に設置される彫刻の事を言う。

 今までこの船には、譲り受けた当時のまま何処だかの国の女神像がついていたのだが、この度の戦闘で役目を全うした訳だ。

「今まで通りに女神像か、それとも勇敢な騎士も良いんじゃないかって大工衆の間では意見が出ています。俺は獅子が良いなぁとか、思ってますが、船長に良い案があれば、やっぱりそれに従いたいと」

 元奴隷だけあって、その根底に主へ忠義を尽くす事を植え付けられているな、と大柄な美丈夫にほんの少し闇を感じた。とは言え、船長としての意見を求められるなら立派に返答を返してやってこそだ。

「ルイーサ。俺に良い案がある」

「おお、流石です船長!」

 目を輝かせるルイーサを横目に、俺は手元にエリーを引き寄せた。

「やっぱり、エリーの名を関した船には、エリーがふさわしい。そうだろ?」

 エリーの像を船首に掲げよう!それが良い、凄く良い!

「つまり、ドクロの女神って事ですね!おおお!海賊って感じでかっこいい!」

 だよな!目を輝かせてどんなデザインにしましょう、と盛り上がった俺たちの言葉は、船長室の扉を開けたエトワールの盛大な咳払いに押し潰された。

「おっほん……馬鹿かあんたら!」

 続いて罵声が飛ばされ、俺たちは揃って目を丸くした。

「あのねぇ、アナタたちもう少し頭を働かせて下さい。この船は何です?何の乗っている船です?」

「なにって、ヴィカーリオ海賊団だろ」

「そうです。そして、そのヴィカーリオ海賊団が得意としているのは何です?」

「お前さ、そう言う先生の誘導尋問みたいなの、やめてくんない?」

 ムスッと渋い顔をしたエトワールが、腕を組んでツカツカと部屋を横切り、尊大にソファに背を預けた。

「分からないですか?我々ヴィカーリオ海賊団は、奇襲、詐欺を得意として暗躍する海賊団です。船首像に骸骨の女神像があったら、怪しさしかないじゃないですか。港で宝石商を偽るのにどうするんです?」

 ……あ、……あぁ、……そっすね。すっかりそんな事は頭から抜け落ちていた。確かに、今のエリザベート号は武装を施した商船、または一般帆船に見えるような仕様になっている。

「我々がこの船をレガルド氏たちから譲り受けて、幸いにも何処かの王族の所有物だっただけあって、見た目にも美しく品のある船だったから宝石商として身分を偽る事が出来ていたんです」

 ゴモットモです。

「そうでなくても最近は港で特徴が似ていると警戒される事が多々あったじゃないですか。せめて一般的に見ても品のある船首像にして下さい」

 品があるって何だよ、エリーの女神像は品がないってか?

「……ですね、確かにそうです。船長の意向に添えなくて残念です」

「例えば港に入る時に船首像が変えられれば話は別ですが……そんな大がかりな仕掛けを施すほどの資金も船内のスペースもないですし、そんな高度な幻術魔法が使える人材も居ませんからね」

 相応の物にして下さい、と言い切ったエトワールの言葉に、俺の脳内で何かが閃きかけた。

「……ちょっと待てよ、エトワール。港に入る時に船首像が変えられれば良いんだよな。で、船に大がかりな設備はつけられない。つまり小さな仕掛けで船首像が変わればいいワケだ」

「え、えぇ。その通りですが」

 ぱちんと鳴らした指でエトワールの鼻先を指さす。

「あるじゃねぇか良い手が」


「可能だ」

 使用した銃砲の整備をしていたクラーガ隊を訪れ、その隊長である技術者メーヴォに事の次第を告げれば、造作もないぞそんな事、と言わんばかりのドヤ顔で簡潔に返事をくれた。

「例の幻術石で船首像の頭の部分だけ女神の顔を投影しておけば良いわけだろ?クラーガ隊と大工衆が集まれば簡単さ」

 流石だぜ相棒!俺の宝の鍵!お前はいつだって俺の前に立ちはだかる壁の扉を開けてくれるんだ。

「なら、色々と考えなくちゃならないな。幻術石を発動させるには一定以上の魔力を蓄積させる必要があるから、その仕掛けに、魔法陣を組み込む場所を……あとはそれを解除する機構と……」

 あ、これ以上の話はやめさせよう。俺の頭痛が加速する。

「改めるぞ。船首像はエリーの頭蓋を模した女神像で、必要な時に幻術石で普通の女神像に化けさせる。次の港まで十日ばかりあるから、その仕組みを考えてくれ。港に着いたら、ちょいと金を払う事になるが、造船所を探して船を全体的に強化させるぞ」

「ちょ、ちょっと待って下さいラース!船体の強化の話は聞いてませんよ?そんな予算何処から捻出するんですか!」

 顔を真っ赤にしてエトワールが俺の肩を掴んだが、振り返りつつ指を翻す。

「そりゃあ、エトワール副船長。お前のポケットマネーから?」

「ぶちころす」

 目がマジだやばい。肩を掴む握力が本気だ痛いやめて。

「嘘です嘘です。もしもの時の貯金があります」

 フシューと獣のように息を吐いたエトワールに周囲が苦笑し、水夫たちが口々に俺のヘソクリも出しますよ、と言い出した。

「ヴィカーリオ海賊団のエリザベート号でさぁ。俺たちにも資金提供させてくだせぇ」

「パトロンってやつになるんですよね」

「パトロンとはちょっと違う気がするぞ……?」

 口々にそんな事を言い合いながら、すっかり船内はいつもの空気に戻っていた。



「こんな感じに、船首像の頭蓋骨の下顎に魔力を蓄積しておく魔法陣を刻んで、上顎の魔法陣で制御、魔力を幻術石に送り込むんだ。で、口の中に幻術石を仕込む。下顎を支える支柱を操作して口の開け閉めをすると、幻術が発動する仕組みだ」

 これだけならスイッチ一つで幻術が発動出来る。スイッチは船首方面の何処かに繋げるようにしよう。あと魔力を蓄える魔法陣何だが、一度組んだら半永久的に空気中の魔力を吸収する画期的な方陣だと話題になった物だが、吸収量があまりにも微量過ぎるとすぐに忘れ去られた方陣だ。こいつはクラーガ隊の中で魔法に関する技術習得を目指しているのがいて、魔法学会の発行している古い定期読本を大事に持っていてくれたおかげで解決したんだ。最初の発動に必要な分の魔力は誰かに注いでもらうとして、その後継続的に発動状態を保つのになら、航海中に魔力を自然吸収した分で事足りるだろう。幻術石は元々そんなに魔力を使用せずに済むように設計してあるんだ。

「……お、おう?」

 新しい技術開発が楽しくて仕方ないのだろう。港に着く前に設計図が出来たと、メーヴォが嬉々として設計図とワインを持って船長室を訪れた。酒の力も借りたメーヴォの口は呪文のような説明を延々と俺に聞かせた。

 俺の新しい武器の制作が滞っている事、商船の襲撃が不完全燃焼だった事。色々溜まっている物があったかもしれない。いつになく饒舌に語ったメーヴォが酔いつぶれてベッドを占領されたが、明日からまた頑張ってもらうために、今日の所は見逃してやろう。


 二週間後、少々予定より時間がかかったものの、俺たちは無事に寄港。いつものように宝石商を偽り、途中海賊船に襲われたと話し、土地のお偉いさんの懐の下に失敬して造船所の一角を借りるに至った。

 大工衆は木材を調達し彫刻を彫り上げたり、船首だけでなく船の各部の補修と強化に追われている。造船所の一角にクラーガ隊が何やら大がかりな新型砲台の開発実験を始めていたり、何かとウチの技術者たちは研究や実験に余念がない。

 こんな海賊見た事がない。海軍よりも統率が取れて、どんな魔導師よりも研究熱心な技術者たちが集まっている。いいや、そんな好奇心を持っていた海賊に火をつけた技術者がいた。

 メーヴォ、やっぱりお前は最高のお宝だったんだぜ。

 この所ずっとひんやりと痺れるようだった指先にその感覚はない。腰に下げたエリーの髪の感触は滑らかで、俺の指先は燃えるように熱かった。

 船を強化したのなら、海神の大旦那が寄越した地図にも挑めるだろう。さあ、頼むぜお前ら。

 造船所の入り口に立ち、せっせと働く船大工とクラーガ隊を見て、俺の胸は熱くたぎり始めていた。


 次に目指すは、北東の海。船の墓場と名高い北の海だ。



おわり


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