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海賊と不死者

 ルナーさんとサチくんの親子がヴィカーリオ海賊団に入団し、彼らの従えていた巨大なクラゲの魔物がエリザベート号の船底後方に住み着いたのが一ヶ月前。

 船底に生えていた海草や藻を、まるで宝の山だと喜んだ親子が、日々の食事にせっせと消費してくれているお陰で、エリザベート号の速度が劇的に上がりました。スピードを出して航行する際は、船の後ろに巨大なクラゲの魔物を引き連れている状態です。船医として船を預かる身としては、毒草だと思われていた海藻が魔物の薬草として使われる事に驚きを隠しえず、新たな研究材料としてその生活ぶりを日々観察しています。

 そして我々は、その一ヶ月を北へ向けて航行しました。フレイスブレイユとゴーンブールが居を構える東側の大陸、森海の大陸と呼ばれる大陸の東側には、蒼林国との間に大海が広がっています。蒼林国の東から西へ、そして森海大陸の南東から西に向かって大きな海流が流れており、森海大陸の東を北上する事は中々に困難です。海軍や一部の王族が持つような大型船なら兎も角、一般の船が海流に逆らって航行するのは簡単な話ではありません。ですが、夏のこの時期にだけ南からの貿易風が強く吹くので、それに乗って北へ向かう事が出来ます。ほんの一月程度の間にしかこの貿易風は吹かない為、時期をあわせる準備が必要になります。

 情報屋レヴが買って来た情報を元に、ヴィカーリオ海賊団は海峡の北を目指して航行をして来ました。目的は森海大陸東側にある、小さな集落が点在する有人島です。最近そこに不思議な音を放つ槍があると噂になっているそうです。

「なるほど、面白いな」

「馴染みの情報屋です。信頼出来る物だと思います」

「例の一件で海神の旦那が副船長経由で、コッチの情報の対価になるって渡して来たシロモノの情報じゃあ、何が待ちかまえてるか分かったもんじゃねぇ。此処は慎重に万全の準備をする為に、この地図は後回し。その情報屋の言う槍とやらを探ってみようぜ」

 そう言った船長の判断で北を目指し、途中食糧補給に港町を経由して、ようやく目的の島が見えて来ました。

 水夫たちは上陸の準備に追われています。私はと言えば、今回は上陸組に任命されてしまった為、追加常備薬の調合に大わらわです。船医を勤める私、マルトの特性飲み薬は、船に残る船員たちに万が一があった時の為に、少し多めに常備するようにしています。

「先生、解毒薬の調合終わりました」

「ありがとう。次は胃薬も少し多めに調合してくれくれますか?」

「はい」

 先日アジトに寄港した際に、医者を目指したいと言う青年を助手として乗船させ、こうして簡単な調合から手伝って貰っています。まだ時折失敗しますが、とても頼もしい助手です。

「私は今回上陸しますから、留守の間を頼みますね」

「は、はい!」

 とは言え、船には副船長エトワールさんや、調理長ジョン、砲撃手長のメーヴォさんが残るので、少しの事では問題は起きないでしょう。ラース船長に、私、船医マルト、そして情報屋レヴとその従者コールが、今回の上陸メンバーです。既に偵察隊として小型艇でレヴとコール、一般水夫から三人程が島に上陸して、周囲の状況を偵察に行っています。明朝にも使役便の連絡が入り、我々も小型艇で上陸する予定です。

 今回、船長の右腕として常にこう言う場面では同行していたメーヴォさんが不在なのは驚きました。その代わりと言う具合に、船長のバンダナにはメーヴォさんの従者である魔法生物の鉄鳥さんがくっ付いています。

「何かあれば鉄鳥を飛ばせば良い。筆談の練習もして来たから、意志の疎通も出来るだろう」

 確かに最近鉄鳥さんがその羽根にインクを付けて文字を書く練習をしてるのは何度か見ていました。

「その槍とやらに興味がない訳じゃないが、今は少し手が放せない」

 ラース船長の新しい武器の試作やらで作業を中断したくない、と言う、砲撃手長であり、技術者である彼の意見はかなりの確率で船長に受理されるのです。

「……あと、森の中は気を付けろよ。一度痛い目に遭わされているんだ。何かあれば絶対に応援を呼べ」

「わぁかってるって!案外心配性だなメーヴォは」

「僕の失態も数あったろうが、お前の失態も少なくはないんだぞ」

「何だと?」

「あーはい、はい!分かりました。明日は万全の体勢で出発しましょう」

 うっかり喧嘩を始めそうだったラース船長と、何だかんだで自分が共に行けない事を悔やんでいるようなメーヴォさんを仲裁して、私は常備薬作りを始めたのでした。


 予定通り、翌朝使役便(使役している小型の魔物を使った伝達便)で上陸可能との連絡が入り、真っ黒な蝶の後を追って小型艇で上陸を開始しました。小型艇には船長と私、水夫数名が搭乗し、彼らは船の見張りを任されます。

 小さな入り江の先の砂浜に船を止め、先発隊と合流、先に得た情報を聞きます。

「手分けして近隣の集落で例の噂について調べてきました。島の奥にある小さな洞窟で、数ヶ月程前から定期的に耳鳴りのような音がすると、住民は不気味がっていました」

 洞窟の場所は此処です、と情報屋レヴは島の地図を広げ、そのほぼ中央を示しました。

「行って一日、探索して一日、帰りに半日ってところだな。食料は問題ないな?」

「ジョンに作って貰ったショートブレッドがあります。三日以内なら大丈夫です」

 私の回答に、船長は再び沖合に泊まるエリザベート号へ向けて使役便を送りました。

「お前等は交代で船の見張りと近隣の探索だ。ファイヤーアイ、お前が分かる範囲で食えそうな物があったら回収して、船に運ばせろ」

「合点承知の助!」

 搭乗していた調理班所属の水夫に新たに仕事を任せ、我々は暗い森の中に視線を投げかけました。

「さぁて、何が出るか楽しみだな」

 言った船長が、腰に下げた絹布の包みを、エリーの髪を撫でていました。あれはラース船長が不安だったり、落ち着かない時にする癖です。ほんの少し幸先の悪さを感じつつ、我々は森の奥へ進軍を開始しました。


 森の中は生い茂った木々が日を遮り、鬱蒼としています。体格の大きな私が殿に付き、ラース船長の前をレヴが影を使って索敵しながら歩きます。背の順に並ぶ事でなるべく前方の視界を確保しますが、殿を勤める緊張感に正直なところ心臓が破裂してしまいそうです。

「私は船医であって、戦闘要員ではないんですよ?」

「んなこと言っても、お前の後ろじゃとっさに動けねぇだろ?」

「大丈夫ですよ、マルト。あなたの後ろにも影を配ってコールに見張らせています。後ろからの襲撃があればコールが対処します」

 言われて振り返ると、確かに自分の影が自分のシルエットとは別の形をしていました。

「鉄鳥さんの明かりもあるんで、楽なもんです」

 自慢げにピカピカと点滅する鉄鳥さんに一同が和み、再び足を進めた先で、やはり頻りに船長がエリーを撫でている事が目に止まりました。背を預けられる確固たる仲間の不在が、船長のメンタルにこんなにも影響する。成長した水夫も沢山いた。ヴィカーリオ海賊団は変わった。しかし、あなたはまだ歩み出していないと言うのだろうか。

 黙々と歩き続けて半日。突然森が開けると、そこには切り立った崖が壁のように立ちはだかりました。

「此処からこの崖沿いに行きます」

 レヴの案内で、崖を右手にさらに進みます。少し進んだところで、目的の洞窟が見えて来ました。

「私が先行します」

 何処からともなくコールの声が響き、レヴが影を伸ばした先にゆらりと人影が浮かび上がりました。

「レヴ様の影と合わせればほぼ探索は完了するでしょう」

「お頭とマルトは少し待ってて下さい」

 冒険と言うには彼らに頼りすぎる感は否めないが、少しでも安全に出来るのであればそれ越した事はない。私が望むのは必要最低限に流される血だ。それも出来れば海軍が流す血であれば良い。仲間に無駄な血を流させる訳には行かないのです。

 洞窟の暗闇に分け行ったレヴとコールを見送り、こちらは背後の森へと注意を向ける。訪れるのが現地の人なら良いが、こんなところで商売敵や海軍に出会ったらと思うとヒヤリとします。武器の槍は持っていますが、これも半分は銛として使っていた代物で、所々錆び付いているのです。大きな体とそれなりの力はありますが、戦闘に関しては素人。ああ、せめて此処にもう一人戦闘要員であるメーヴォさんやジョンが居れば心強いのに。……ジョンだって料理人で、生粋の戦士ではありませんが、彼の刀捌きなら並の戦士より強いのです。

 ヒヤリ、と洞窟から流れ出した冷たい風が背を撫でて、心臓が飛び跳ねたのと同時に、同じく背後から声がした。

「お頭、マルト。探索完了です」

 声を上げる事は免れましたが、私の心はほぼ直角に折れ曲がりました。早く帰りたい。


 洞窟の内部は案の定真っ暗で、鉄鳥さんの明かりが無ければ私たちは松明を用意する一手間と、空気燃焼による酸欠の危険を伴って進まなければならなかったので、鉄鳥さんの存在はとても重宝します。

「天井が低いところも多いです。マルトは気を付けて」

 足下に気を取られていた私にレヴが注意喚起した途端、目の前に迫り出した天井の岩が迫って、私は間一髪それを避けました。が、避けた先にまた岩が垂れ下がっていて、私はしこたま右の即頭部をぶつけてしまいました。

「あいったぁ!」

「だ、大丈夫か?」

「はい……大丈夫です……」

「今回はお前も戦力なんだから頼むぜ?」

「あ、はい……」

 船長に手を差し出され、それの力強さに少しだけ私の折れていた心が持ち直すような気がしました。

 再び奥へ向けて歩き出したところで、まるで人の悲鳴のような低く呻くような音が響きました。

「奥に例の槍を見つけているんですが、嫌な空気がして近くで確認していません。この音はさっきから定期的に響いているんです」

 何の音でしょう?と少し不安げに口にしたレヴに、私は敢えて明るい口調で話しました。

「これは恐らく空洞音……笛の原理と同じで、洞窟の何処か外と通じているところから風が入り込んで音を出しているんです。現に、此処の空気は淀みが少ない」

 海岸か、川の近くか。洞窟内の空気は僅かに水の匂いがした。

「あぁ、そう言う事なら……少し安心しました」

「でもよ、その槍からは嫌な予感がしたんだろ?」

「……そうです、お頭。あれは人の物の気ではなかったです」

 現地の人々がこの空洞音を知らぬはずはないのだ。それで尚、現地の人々が『音を発する槍』と噂するのだから、何かあるのは間違いないのだ。

 あぁ、出来れば穏便に終わりますように。

「あれです」

 先を行くレヴが鉄鳥さんを呼び寄せて、少し先の空間を照らし出させます。

 大人が数人円陣を描ける程度には広く取られた空間に、一本の槍と思わしきシルエットが浮かび上がった。地面に突き刺さった刃先の地面が、明らかに異様に盛り上がっていた。

「……確かに嫌な感じがするわ」

「あからさまにそこに埋まってますよね、何かって言うか成人男性サイズの何かが」

「それ的確に言わなくて良い!」

 洞窟の中、槍の刺さった死体が放置されていて、それが声を上げる。となれば、槍の刺さっている相手は人外種の、それもあまり今対峙したくない類の物であると想像に難くない。

「レヴ様、船長、船医殿。少しお下がり下さい」

 せめて私が参りましょう、と言って影の中から真っ白な長い髪の青年が姿を現した。この一ヶ月ほど大して血液を摂取していなかった彼の顔はすっかり痩せこけて、僅かな明かりの中に浮かぶ顔は、それだけで心臓に悪い程度の恐ろしさがある。

「コール、僕の影を使って調べれば……」

「いいえ、いけません。闇と合わせた影と言えど、それはレヴ様の体と繋がっています。魔の物であると仮定すれば、同属性の物の攻撃は通ります」

 その点私の体は多少無理が利きますので、と言ったコールが薄暗がりの中に進み、槍の横に立ち、鉄鳥さんがそれに従います。極端な猫背とは言え、そこそこに身長のある彼が横に立って、その槍の大きさがようやく把握出来ました。およそ二メートルはあろうと言う長さ、ジャンビアに近い形の刃先、その刀身には僅かな装飾しか無く、それが実戦向けの槍であると分かる。

「……」

 近くでジッと槍を目にしていたコールが、いざ手をかけようとしたところで、何やら渋い顔で小さく舌打ちをしました。狭い空間によく響きます。

「申し訳ありません、これは私では無理でした」

 足下のレヴがほっと息を吐くのが分かりました。そうですよね。貴方も自分を慕う仲間を案じているんですね。

「この槍には清き者の念が強く込められています。信仰にも似た、私が一番恐れる念の類です」

「戻って下さいコール。貴方がそこに立てただけで収穫です」

 そう言ったレヴが急ぎ足で通路から広い空間に足を進めました。その槍を抜かなければ、恐らく変化は起きないだろう、と。確かにそれは一つ確認出来た事です。

「鉄鳥。此処からじゃ確認出来ねぇんだ。その槍の石突部分に何か装飾はないか?」

 何か思い当たる節があるのでしょう。船長が鉄鳥さんを呼んで槍を調べさせています。くるくると槍を観察した鉄鳥さんが柄の先端部分を確認すると、ぱっとその羽を広げる不思議な動きをしました。

「鉄鳥、そこにあるのは、蝕の民のエンブレムだな?」

 確信を持っていたのか、と驚き半分で船長と鉄鳥さんを交互に見ると、鉄鳥さんが強く点滅しました。

「よぉし、マルト!出番だぜ!」

 突然の指名に頭の中が真っ白になりました。

「えっ?」

「だから、コールが抜けねぇって言ったんだ。お前の出番だろ?」

「ナンデ!」

「お前くらいの図体のデカさと力が無きゃ抜けねぇだろこんなデカい代物は」

「だから連れて来たんです?」

「そうだよ?」

「初耳です!」

「今言ったもん」

 変な悲鳴を上げてしまったけれど、確かにこの大きな槍を引き抜けるのは今のメンツの中で言えば私くらいのものです。だったらルナーさんを連れてくれば良かったのにと後悔してももう遅いです。

「レヴ、せめて君の影で防御して下さい。槍を抜いた途端に足を掴まれるとか、絶対に私死んじゃいますから!」

 風の流れは僅かにあるものの、空気の篭もったところでは、私の得意な風の魔法も効果は薄い。防御魔法は得意ですが、このフィールドは不利すぎる。

「分かりました、足下に待機させます」

 ふわふわと実体を持たない影が足下に渦を巻くのを確認し、深呼吸してそおっと私は槍に手を伸ばします。

 恐る恐る震える指先が槍に触れた途端、空気の鳴る音が一帯に響きました。鉄鳥さんが飛ぶ時の音に似ています。その音が、槍から響いているのだと分かったのは、その『声』が頭に響いてからでした。

 ただ、その言葉が何を言っているのかは理解出来ませんでした。次々と響く声に、私は恐怖して手を引きました。

「おい、何だ今の」

 目を丸くした船長がコチラを伺っています。

「分かりません、ただ……今私の頭の中に声が響いたんです」

「声?」

「はい。ただ何を言っているかは分かりません」

 私の知らない言語だった、としか言えませんでした。

「マルト!退いて!」

 突然レヴが叫ぶと同時に、私の足下に渦巻いていた影が私を押し退けるように膨れ上がりました。

 はっと槍の刃先に視線を向けると、案の定土から真っ白な人骨が手を出していました。同時に広くない空洞に低い慟哭が響き渡ります。コレが噂の『声』か。

「ぎゃああ!」

 頭から血の気が引いて行くのと同時に私は悲鳴を上げ、影に押されて後ろに転がりました。その直後、船長の早撃ちで放たれた氷の魔弾が骨の手を氷漬けにしました。体勢を立て直したところで、コールが私の横に並び、入り口から右手に待避しました。

 槍が大きな音を立てて地面に転がると、予想通りに盛り上がった土の中から崩れ掛けた死体が動き出しました。

「此処までこの槍が動揺したのを初めて見たぞ。おかげでまた日の目を見れそうだ」

 のっそりと起き出した死体は半ば白骨化しているにも関わらず、しっかりとした声で話しました。顔は半分白骨で、頭蓋が割れている。中身などとうの昔に土に還りそうなものを、その死体の中身はキチンと揃っているようです。

「……あぁ……再生者か」

 忌々しげにコールが呟きます。再生者、とは呪術や肉体改造によって驚異的な治癒能力を持った者たちをそう呼びます。一部の聖職者が、魔族や闇に属する者を討伐するためにその体を代償にすると聞いた事があります。コールが憎しみの篭もった声をこぼしたと言う事は、つまり彼にはそう言う因縁めいたものがあるのでしょう。

 再生者と言われただけあって、半壊の死体は土から出て来ると同時に、みるみるその体を再生させていきます。氷漬けだったその手から氷が割れ落ち、骨しかなかった手に筋肉が再生し、皮膚、爪までもが急速に再構築されていきます。

「おいおいおい、何だよコイツは」

 船長が嫌そうな声を上げます。それはそうでしょう。半ば死体だと思われたそれが、あっと言う間にキチンとした人の姿に戻っていったのですから。

「忌々しい浄化の槍だ。我の再生を此処まで抑えるとはな。蝕の瞳の民、侮れぬ存在よ」

 再生が終わった男は、がっしりとした体躯をローブに包んだ牧師のような出で立ちをしていました。皆一定の距離を置いて防御態勢です。彼が敵か味方か、判断が出来ないのですから当然です。しかし、確実に今この男は『蝕の瞳の民』と口にしていた。

「聖職者が浄化の槍に刺され朽ち果てようとしていたとは滑稽な事だな」

 均衡を崩すように、何処か棘のある物言いで、コールが男へと言葉を投げます。

「……こんな狭い空間で、鼻に付く臭いがすると思えば、ヴァンパイアか」

「その修道服の背に刻まれた十字の剣、シャルロットの薔薇十字教会の再生者だな」

「……ほう?」

 牧師の男はまっすぐコールに目を向け、二人は静かに対峙した。

「誰かと思えば、もしやドラクロア卿かね?何年経ったのかわからんが、貴様も随分枯れたな」

「私はコルネリオス=フォン=ドラクロア卿、貴公等が必死に息の根を止めようと躍起になったアッシャー=スカイ=ドラクロアの息子だよ」

 ほう、と感嘆符を口にした途端、牧師の体が一回り大きくなったような錯覚を覚えました。気が膨らんだ、と言うのでしょうか。そこに怒りの気が満ちています。

「忌々しい血が未だこの世に蔓延っていたのだな。貴様等をこの地上から抹消するまで、我々は再生を繰り返すのだ。貴様等に荷担した魔族も、蝕の瞳の者たちも、全て消し去ってやる!」

「あれから何年経ったと思っている。私たちが仕えたヴィンツェンツの血も代替わりした。貴様の慕った聖女シャルロットも既に土に還ったろうよ」

 ぶわ、と牧師の男の周りの空気が熱を持って膨れ上がりました。

「シャルロット様を侮辱する気か!」

「事実を言ったまでだ。聖女などと言う欺瞞に仕えると呆気ないものだな再生者」

「貴様が言うか汚れた血のヴァンパイアが!」

 何もなかったはずの牧師の背から、一振りの剣が飛び出し、触れてもいないのにそれがコールめがけて一直線に空を切ります。ひゃ、と頭を下げたその上で、金属が激しくぶつかり合う音が響き、剣が洞窟の奥の壁に突き刺さりました。

「ちっ……貴様このヴァンパイアの肩を持つつもりか?」

「悪りぃねぇ坊さん。そいつはウチの大事な船員なんでね」

 銃を構えた船長が男を睨みつけます。放たれた剣を船長が撃ち、弾いたようです。流石魔弾の二つ名!

「おい坊さん。アンタは随分腕に自信があるようだが、コッチは四人。多勢に無勢だと思わねぇのか?」

 武力的なもので見れば防御一辺倒のレヴと完全に外野の私で二対一ですが、此処は戦力の振りをしておきましょう。戦闘を避けられれば何でも良いです。

「我々薔薇十字教会の戦人が再生者であるか、闇の者に対抗する力がどう言う存在であるか、貴様等の方が無知なのではないか?」

「レヴ様!」

 コールが叫んだ途端、レヴの影が彼と船長を飲み込んで防御壁を作り、コールが私の前に立ち、その髪を壁の様に広げました。それとほぼ同時に、男の背後に大量の剣が出現し、四方八方に向けて放たれました。影が剣を飲み込み、コールの髪がその軌道を変え、剣は洞窟の壁に突き刺さります。床に転がっていた私の槍が粉々に切り刻まれています……。僅かな差で防御が勝り、私たちは無傷で牧師に対峙しています。

「薔薇十字教会の再生者、私は貴様の攻撃方法を熟知している。父上から散々教え込まれました。貴様らの攻撃は昔と何ら変わっていない。無駄です、大人しくもう一度その槍に刺されて眠っているのがお似合いですよ」

 時代遅れの再利用者さん、とコールが牧師を煽ります。まったく、この人も大概に戦いに熱くなる人なのだ。ウチの人たちはどうしてこうなのだろうか。

「私の実力を知らずに吠えるなよ若造が」

「父ならばなんと言ったでしょうね。人知を越えて化け物に成り下がってまでして、闇の者の排除を望んだ貴公を」

「闇の者が人の世に悪をもたらすのだ」

「その視野狭搾、薔薇十字教会の理念には反吐が出る。闇も悪も、人の心の中に存在すると言うのに」

「黙れ!シャルロット様の教えを否定する事は許さん!」

 吸血鬼を排除しようとした聖女シャルロットとそれを崇拝した薔薇十字教会。その教えを全うする為に人知を超える力を手にした使徒たち。そして排除対象に選ばれたのがコールの一族だったと言うところでしょうか。四百年前の因縁が未だに尾を引いている。人外種に流れる時間の長さに目眩がしそうだ。

 私も巨人族ではあるが、一般的なヒト種よりも体が大きく、力が強いと言うほんの些細な差でしかなく、寿命は平均的なヒトのそれと同じだ。彼らの持つ因縁の根深さは計れない。

「船医殿」

 小さな声で、コールが私を呼びます。

「隙を作りますから、あの浄化の槍で奴にトドメを刺して下さい」

「……む、無理ですっ」

 医者の私に殺生をしろと言うのか。

「大丈夫。あれは必要な殺生です。……そうそう。思い出しました。薔薇十字教会は昔から冤罪処刑が常套手段でしてね。四百年前から海軍と手を組んで、罪のない人々に冤罪を着せ、無惨に処刑を繰り返していたのです」

 ……ああ、この人も相当私の事を理解しているんですね。流石ですコール。

「……分かりました」

 海軍にこんな面倒な戦力をくれてやる訳にはいきませんからね。

 ほんの僅かなやり取りの後、誰が最初に動いたのか私には判別出来ませんでした。

 コールの黄金銃が閃き、船長の両手で魔銃が火を吹き、レヴの影が膨れ上がるのを視認した瞬間、私は一目散に地面に転がる槍に向かって身を低く走り出しました。

 レヴの影が牧師の足元を固め、船長の魔弾が足元を更に凍らせ、もう一発の魔弾が膝を打ち抜こうとした途端、牧師はその足を宙に浮かべ、恐ろしい笑顔のまま体を後転させました。コールの放った弾丸が真っ直ぐに牧師の額目掛け飛んで行ったのも、全部読まれていて、全て同時に避けられた事になります。

 とは言え、既に走り出した私の巨体は勢い付いて止まるはずもなく、手を伸ばして槍を掴もうとしたところで、男の反撃が始まりました。

「ハンドレッドソード」

 今まさに地面に倒れようと宙に浮かぶ男の背から剣が現れ、四方八方へと放たれます。背中や足元を掠めていくそれに止まる事も出来ず、勢いのままに槍に向かって転げました。その間ほんの数秒。

「マルト、今です!」

 コールに名を呼ばれ、はっと私は顔を上げます。

「何故だ」

 ドサリと地面に倒れた男のこめかみから、血が噴き出しています。無我夢中でした。手にした槍を振り上げ、大股で二歩。勢いを付けて刃先を振り下ろすと、銀色の刀身が牧師の心臓に吸い込まれていきました。

「私の弾丸が、真っ直ぐしか飛ばないと思った貴方の負けです、愚かな再生者」

 ぴゅん、と空気を切る音がして、牧師の額に穴が開きました。一度の発砲音に聞こえたそれは、コールの早撃ちで二発放たれていたのです。しかも彼はその魔法銃を自在に使いこなし、弾丸の軌道すら自在に操るのです。

「黄金銃、と呼んでいましたが、思い付きました。カノーノロヤレッソ。彼の人らが使った言葉で『忠義の銃』。どうです?良い名でしょう?」

 くるり、とその大振りな銃を指先で回し、コールは腰に下げたホルスターにそれを収めました。カッコ良い。

「何と言う……ことだ……われわれが、はいぼくする、など」

「時代は変わったんです。哀れな老人は眠りなさい」

 脳を破壊され、心臓に浄化の槍を突き立てられた牧師は、程なく灰の様に白くなり、くしゃりと崩れ落ちました。

「……ひゅぅ、おっかないヤツだったな」

「まだです、船長殿。船医殿、その槍で、洞窟内に刺さっているその剣も破壊して下さいませ」

「剣を?」

「そうです。その剣は、再生者の骨で作られているのです。そのまま放置すれば、骨からヤツが再生する可能性があります」

「何それ怖い」

 聞けば、その驚異的な再生力で肋骨を急速生成して骨の剣を自在に操るのが奴の能力の正体だったのです。

 渋い顔をした船長にも背を押され、私は空洞の中に刺さる骨の剣を一本ずつ破壊して回りました。レヴが影に飲み込ませた剣も全て吐き出させて破壊しました。

「……凄い、結合してる」

「これは再生すると言われても不思議ではありませんね」

 レヴの影が吐き出した何本かの剣は、既に結合を始めていて、再生者の執念を見るようで肝が冷えました。

「よし、全部壊したな。じゃあ、その槍を頂いてさっさと帰ろうぜ」

「蝕の民の、恐らく十二星座の武器の一振りでしょう」

 怪我人もなく、今回の探索が終わった事を心底安堵して、私たちは船への帰路に着きました。

 とは言え、洞窟の探索に時間を掛けた事もあり、外はすっかり日が暮れており、洞窟の入り口で翌朝を待ちました。


「船医殿、何をされているんです?」

「どぅわっ!……コール。脅かさないで下さい!」

 突然後ろから声を掛けられ、思わず上げてしまった声が空洞の中に響きます。

「こ、コールもどうして此処に」

「私はそもそも夜行性ですから、夜は遅いのです。洞窟の中に入って行かれたので、迷われては困ると同行しました」

 既に船長もレヴも眠っている。そんな中抜け出して、一人洞窟の中に入り込んだ。気が付いていたのか、と驚きを隠せなかった。昼間の喧嘩っ早そうな口調と違い、すっかり従者としての口調になっているコールがニコリと痩せこけた顔で笑います。肩の上に作り出していたウィル・オ・ウィスプの明かりで浮かび上がる彼の顔は、少しだけ疲れているようだった。

「……弔いを、したくて、来てしまいました」

「あの再生者に、弔いですか?」

「ええ」

 苦笑した私に、コールが不思議そうな顔をします。

「敵であった者に弔いが必要か、と言う点では、不要だと思います。ですが、私は医者ですので、個人的に死者を弔いたいだけです」

 それが偽善である事も分かっている。この男が自分たちを殺そうと牙を剥いた事も分かっている。もしかしたら死んでいたかもしれない事実がある事も理解している。けれど、やはり。

「私は、全ての命に弔いを捧げたいんです」

 それがどんな命であっても、その魂に貴賎はないと思いたい。

「船医殿は、とても不思議な方です。貴方の行動は全てに矛盾を孕んでいる。なのに、貴方の心はいつも真っ直ぐ前を向いていて、力強い」

 レヴ様がいつも貴方の事を尊敬していると仰ってますよ、と言われて恐縮だった。

「マルト、で良いですよ。私とはもっと気楽に接して下さい」

 そうして船員の心のケアをするのも船医の勤めだと思っている。どんな事でも良いから、私は支えになりたいと常々思っている。体格ばかりが良くて、戦力としてはほぼお飾り。船医として出来る事は体調管理くらいのものだ。

「私たちは仲間ですからね」

 仲間のために出来る事を、小さな事から積み重ねたい。この一年、船員たちが成長する中で、私も少しは何かを志す事が出来たと言う事だろう。

「……では、マルト、と。呼ばせてもらいます」

「ええ、どうぞ」

 言って、私はコールに背を向けて、白い灰の山の前に膝を付いた。教会の者であったならと、胸の前で十字を切って祈りを捧げた。

 敵であれ何であれ、失われた命を弔おう。それが命を預かる者に出来る最後の役目だ。

「貴方が医者であり続け、そうして弔いを続けるのであれば」

 その声が何処か、幼い子供の懇願のように聞こえて、私は振り返らずに耳を傾けました。

「……いつか、私がこうして灰に戻る時に、祈りを捧げてもらえますか?」

 再生者と、吸血鬼と。不死であると言う不死の病を抱えた体で、いつか穏やかに死を迎える事を望むのだろうか。

 不死の者であろうと、長命種であろうと。感じる時の長さや、流れて行く時は違えど、彼らもまた子供であった大人なのだ。私たち短命種と何の変わりもないのだから、自分が死ぬ時は穏やかにと望んで、当然なのだ。

「そうですね、私が生きている間なら、惜しみない祈りで弔いますよ」

「ありがとう、マルト」

 小さな洞窟の中は、まるで聖堂のように静謐な時間をしばし湛えていた。


 翌朝。朝靄が晴れるのを待ってから船の停泊する岬へ。停泊していた小型船で船に戻ると、ジョンとメーヴォさんが駆け寄って来た。

「おうおう、やっぱりそいつか」

「マルト、その槍を見せてくれ」

 持ち帰った槍を差し出せば、ジョンの持っていた『オーストカプリコーノ』が共鳴をする様に空気を振動させて、文字通り啼いた。

「やっぱり、この音が異音の正体だ」

 メーヴォさんが言うには、十二星座の武器には幾つかのグループ分けがなされていて、相性の良い武器同士は共鳴すると言うのだ。昨日からジョンの持つオーストカプリコーノが何度もこの共振を起こしていて、島で何かが起こっていると皆気を揉んでいたそうだ。

 ふわりと船長の耳元から離れ、定位置に納まった鉄鳥さんが、嬉しそうに二振りの武器の共鳴に歓喜の光を放った。

「その槍は『コルノアリエーソ』、牡羊座の角と言う名の武器だ。マルトを所有者として認めているらしい」

 鉄鳥さんの言葉をメーヴォさんに通訳してもらい、私は改めてその槍を握った。随分大きくて重いはずの槍は、適度な重さでもって手に馴染んだ。

「あなたは羊の名を冠しているんですね。どんな闇の者にも、平等に平穏な眠りを運んで下さいね」

 空気の震えるような『声』で、槍が僅かに答えた気がした。



「ラース、お疲れ」

 船長室に戻って装備を外し、漸く一息と言う具合にベッドに転がろうと思ったところで、メーヴォが部屋を訪ねて来た。

「おう、凄かったぜ、俺の活躍」

「……詳しくは、後で聞くよ」

 呆れたように肩を竦めたメーヴォに、相変わらずだなぁと此方も深くは踏み込まない。この距離感が楽で良い。

「今回は同行出来なくて悪かったな。で、ラース。誕生日おめでとう」

「は?」

 言って差し出された小さな包みを凝視して、何事かと思案したが答えは出て来なかった。

「なに?」

「だから、九月二十五日。お前の誕生日だろう?」

 え?何で知ってんのお前。聞き返せば、エトワールに聞いたと至極真っ当な答えが返って来た。ってかお前そう言う律儀な事するタイプだったの?

「今日に合わせたくて、急いで形にしたんだ。それで今回は同行出来なかった」

 半ば放心状態の俺に、メーヴォはほぼ一方的にその包みを押し付けて来た。しかもわざわざ包みを開いて説明付だ。

 包みの中に入っていたのは、真っ赤な宝石を連ねたイヤリングだった。

「この赤い石は、レヴが魔術を使って人間の血液や魂を結晶化させた物だ。魔力の回復に役立つ」

「……へぇ」

「お前は体内魔力の貯蔵量が多いタイプだから、そう簡単に魔力切れは起こさないと思うけど、万が一の備えにしろ」

 キラキラと輝く赤い石は、確かに鮮血のようにも、固まった黒い血の様にも見えた。大きな物でも一センチに満たない小さな石だが、その存在感は強い。

 レヴの使う魔術って事は、随分前に聞いたばあさんが財を成したって言う魔術の事だろうか?そう言えば最近コールの食事と別に何体かばらしていたような気がする。

 まったく、ウチの船員どもは錬金術使いばかりか?

 儲ける事しか浮かんでこないぜ。

「メーヴォ、さんきゅーな!良い事を思いついたぜ」

「どうせ、客船とか搭乗人数の多そうな船を襲って、人骨や血液を集めて荒稼ぎするとか、そう言う話だろう?」

「嫌か?」

「とんでもない。大歓迎さ」

 嗤ったメーヴォにつられて、俺も口元に弧を描いた。

 ヴィカーリオ海賊団は年中無休、休んでる暇なんかない。次の襲撃の計画を立てるぜ!

 早速新しいイヤリングを付け、俺はメーヴォと共に船長室を出た。



おわり

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