海賊と海洋魔物
人魚との取引を控えたお頭たちをエリザベート号に残し、僕は調理班の皆さんと先行して港へ上陸しました。上陸する頃には夜も深く帳を下ろしていました。
小さくも活気のある港に、何時ものように偽造身分証明書を使って停泊します。調理班の二人と料理長ジョンと僕の四人で、まずは宿に部屋を取りました。四人一緒に寝泊り出来る大部屋です。久々のベッドでぐっすり眠って、疲れを癒しました。
翌朝、宿で出された朝食の味に文句を付けつつもあっと言う間に完食し、息吐く間も無くジョンたちは食料の買い付けに町へと繰り出して行きました。
船に積み込む食料品は数日分などと言う小さな話ではない為、事前に食料品店を回って大量発注をお願いしなくてはいけません。長ければ一ヶ月は洋上生活を送る僕らの食事を賄ってくれるジョンたち調理部隊は、日持ちする食料品の買い付けに回り、予定に満たない気配があれば、港に停泊している間に自分たちで保存食を作ってそれを補います。保存食、保存食作り用の食材、調味料の買い付けと、彼らの仕事は船の中の調理に留まりません。
彼らの仕事ぶりに負けないように、僕も情報収集に酒場へと向かう事にしました。
どんなに小さな町にも酒場はあります。娯楽の類と言えばお酒が一番に出て来るのが定石。賭博場や娼婦宿も娯楽の内ですが、施設や元手がかかる為、それなりに大きな町でないとありません。小さな町の小さな酒場は、ささやかな娯楽として町の人たちに愛される場であるのが一番良い形だと僕は思います。人が集まる場所には自然と情報が集まります。お酒で気分が良くなれば、元から口に立てられない戸口は更に箍が緩くなる物です。
そっと酒場の戸を開き、僕はその場の空気に溶け込むように肩の力を抜きます。そこに在る事が当たり前で、そこに無い事が当たり前のように、僕は空気に溶け込みます。魔族として持ち合わせた『人間に知覚し難い』と言う体質を生かし、僕は会話するお客さんたちの話題に耳を寄せた。
今年も作物の成長具合は悪くない。先月は雨が少なかったが、今月に入って雨が多い。ハリケーンに注意が必要だ。畑の作物が風でやられると困る。牧草地帯じゃ草が雨でやられたらしいじゃないか。今年の牛は出産率が良いらしい。今年の馬は子沢山だったねぇ。牧草が不足すると困るねぇ。
この辺りは山が近い事もあって農耕や畜産業が盛んなようです。町の人たちは皆今年の作物の心配事ばかり口にする。作った作物を売って日々を過ごす人たちにとって、日々の空模様は気まぐれで、ただ良い天気になる事を祈る他ない。
そしてそこに混じる近頃の国の指針、各国家の交易情報や国交問題の話題。国軍の動向、演習情報、更には政治家や貴族、国軍将校たちの噂話まで。国が安定していないと物資の売買は滞る為、人々は国の動向にも敏感です。
特に昨今彼ら一次産業従事者や商人の頭痛の種になっているのは、海賊たちの動向です。僕の乗る船、エリザベート号を駆り海を行くヴィカーリオ海賊団も、人々が動向を気にする海賊の筆頭です。特に僕たちが襲うのは商人たちが諸外国へ行く貿易船を狙う為、五大海賊として数えられるようになってから、特に名前を聞くようになりました。少し照れ臭いような、誇らしいような気分になります。
人間たちの言うところの残虐非道な海賊家業ですが、弱肉強食が真理のこの世の中では、力無き者、知恵無き者は喰われて当然の事ですし、それを気にしていたら魔族の中では生きていけません。僕は弱い存在だったから、特に分かるのです。僕は一人ではやがて喰われていくだけの弱い存在でした。おばあ様が僕を護る為に人間界へ導いてくれて、雑踏の中此処でも何も出来ないと思われた僕をラース船長が導いてくれました。僕はそれに報いたい。手の届く範囲の人たちを護り、彼らの役に立ちたい。それが僕の目標です。
酒場で一頻りの話に耳を傾け、掲示板に張られた指名手配書を確認し、大して収穫のなかった事に肩を落としつつ、僕は情報収集の場所を変えました。それは町にある国軍の詰め所です。
どんな小さな町、集落にも国軍の兵士が待機する詰め所があります。彼らは辺境の町の警備を任された言ってしまえば左遷組です。田舎の詰め所に収まらねばならぬ鬱憤を抱えた者、田舎の生活を受け入れて平和ボケしてしまった兵士がいたりと様々です。
この町の詰め所にいた兵士は、ふわぁと大きな欠伸を隠そうともせずに緩い顔をした、平和ボケ組のようです。ウトウトと定まらない視線の兵士を横目に詰め所へ入ります。ご覧の通り僕の姿は見えていません。
詰め所には国からの通達が少なからず来ているものです。キチンと整頓された机に並ぶ手紙の束の中から、王家の刻印のされた物を探し、中身を確認します。
とは言え、それを手作業で行えば流石に兵士に見つかってしまう為、作業は影を紙の隙間に這わせてやります。シュルっと影を紙束の隙間に入れて抜き取れば、それで情報収集は完了です。
大体は海賊の目撃情報を提供するようにと言う通達、税金の徴収に関する物、土地の豪族の動向の報告義務の確認など、大した情報はありませんでした。
酒場でも詰め所でも大した情報が手に入らない時は、情報屋たちの秘密の情報網を駆使します。どんな町にも、どんな集落にも、情報屋たちが秘密裏に仕事をする場所があります。
詰め所を出て、僕はもう一度酒場へと向かいます。今度は少しだけ気配を表に出して、せめて声を掛けて気付いて貰えるように気を張ります。
「こんにちわ、シャーリー・テンプルを一杯頂けますか?」
一応お酒も嗜む僕ですが、外見の人間年齢的には未成年に見えるので、酒場ではアルコールは頼めません。魔族であるとか説明するのは時間の無駄なので、いつもシャーリー・テンプルと言うアルコールの入っていないカクテルを頼みます。僕のお気に入りです。
「おう、坊主が一人でこんな所に何の用だい?」
「海猫の巣に鴉からの届け物を」
言えば、酒場の店主の顔色が変わりました。
「こんな子供がねぇ」
小さく呟いた言葉と共に、カウンターにカクテルのグラスが置かれます。
「お前みたいな子供も、食うに困って身を落とすのか?」
「いいえ、僕は好きでこの仕事をしてるんです」
「……そうかい、こんな偏狭の町だ。得られる物があれば良いがな」
「どんな場所にも、実りはあるものです」
一息にカクテルを飲み干した僕に、はは、と酒場の主人は笑いました。ご馳走様、と言って金貨を一枚支払って、カクテルグラスに敷かれていたコースターを手に、僕は酒場を後にしました。
次に僕が向かったのは仕立て屋です。小さな仕立て屋ですが、中では新しいドレスの仕立てをする町娘の親子で賑わっていました。
「すみません、ご主人はいらっしゃいますか?」
やはり僕は少し声を張って、仕立て屋の中に入ります。
「はいはい、お使いかね?」
「ええ、これをお願いします」
言って僕は酒場で失敬したコースターを主人に渡しました。水滴に濡れたコースターには、海猫の絵が浮かび上がっていました。おやおや、と小さく言って、仕立て屋の主人は棚から小さな鍵を僕に渡してくれました。お礼にまた金貨を一枚渡します。
「気をつけて行くんだよ」
「ありがとうございます」
特にそれ以上の会話はなく、僕は海に向かって足を進めます。
『こんな偏狭の町にも、情報屋たちの網は張られているのでありますな』
『偏狭の町だからこそ、だよコール』
辺境の町は国からの監視も手薄。詰め所の兵士は大抵あの有様だし、むしろ情報網を仲介させるにはもってこいの場所だ。そして酒場と仕立て屋と言うのは、どんな小さな町にも存在する生活の必需店。だからこそ情報屋は金貨を対価に店主たちと取引をして、こっそり情報屋たちの仲介をしてもらうのです。
信じられる物は、価値の明確な金貨銀貨だと言う事です。
『合言葉と金貨がその証明なのですね』
『そう。僕ら情報屋と言う鴉は、何処の町にも蔓延っているって事なんだ』
合言葉にも法則性があるのだけれど、それはまたの機会に。
港に向かう足で、途中にあった甘味屋で干菓子を二つ買いました。これは僕からの差し入れです。
さて、港近くには必ず灯台が存在します。灯台守も情報屋たちの網を紡ぐ者たちの一人です。灯台の管理扉の前に立って、手にした鍵を使います。中に入ってもそこは変哲もない灯台の内部で、管理室には難しい顔をした老人が一人ロッキングチェアに揺られていました。
「こんにちは、海猫に鴉からの届け物です」
言って手にしていた鍵を近くのテーブルに置くと、老人は難しい顔のまま上を指差しました。
「ありがとうございます」
金貨一枚と一緒に干菓子を渡せば、ようやく老人はほんの少し微笑みました。
管理室から梯子を上って灯台の天辺に行き、今は火の灯されていない燭台の横を通り過ぎると、そこで足音の違う響き方をする床を踏みました。
『此処ですか?』
『うん』
隠し扉を見つけ、僕はそこから長い梯子をゆっくり地下に向かって降りて行きます。降り切ったそこにある扉を開いた先に、情報屋たちの秘密の会議室が待ち構えていました。既に五人ほどの男たちが顔を寄せてひそひそと情報交換をしているところでした。中に居た全員が、扉の開いた気配に此方を振り返りました。
「こんにちは」
言って僕は部屋に入ります。途端に男たちは破顔しました。
「おぉ、お前死弾のところの情報屋だな?」
「よう影踏み坊主。達者にしてたか?」
皆口々に僕の渾名を呼びます。顔見知りの情報屋たちが揃っていました。
「皆さんもお元気そうで何よりです。本当に何処の灯台にもいますね」
「そりゃあ神出鬼没が情報屋の特技だ」
「今日は何の情報を探して来たんだ?」
「特にコレと言った情報が欲しい訳じゃないです。いつも通りですよ」
「金環蝕の瞳の民の情報か」
ええ、と笑いかけつつ、どうぞ、と買って来た干菓子を広げて、情報屋さんたちとの歓談の開始です。
ある情報屋さんからは古い手記の紙束を、ある情報屋さんからは一枚の地図をそれぞれ金貨五枚で買い取りました。僕の持つ情報を同じように金貨で取引して、あとは他愛の無い世間話に花を咲かせました。
人魚の輸出禁止条例が発令されてからと言うもの、他国への密輸で多くの地方の豪族が財を成したとか。人魚の歌封じに風の魔法を使って声帯を切るやり方で闇医者が儲けているとか。
『何処かで聞いた話のような』
『うん……』
こっそり影の中に潜んでいるコールと話をしつつ、さあそろそろお暇しようか、と思った時だった。
コツンコツンと鉄製の梯子を降りて来る音が、二つ。がちゃりと入り口の扉が開かれ、ふさふさした羽根飾りが入って来ました。あ、違う。
「……すみませんねぇ、海猫さんたちの井戸端会議に俺も混ぜちゃあくれないかい」
長く伸ばした金髪を結って背に下ろした長身の男が、入って来るなり、部屋の空気にたじろぎました。立派な仕立ての赤いコートは海風に若干のくたびれを見せるものの、その出来の良さをそこはかとなく漂わせています。タレ目の薄い顔に見覚えがありました。そう大きくない地下室の中は水を打ったようにシンと静まり返っています。それもそうです、コレだけ顔見知りの集まっているこの場所に、普段見ない顔が訪れたのですから。
「ありゃ、本当にご新規さんには冷たいのね。俺だけが困ってる訳じゃなくてさ、この子の話を聞いてやってくんない?」
困ったように言う男の後ろから、小さな影が姿を現しました。大きな青の帽子に鷹の羽根飾りが目を引く。銀の髪とその間から覗く青と紫色のオッドアイも特徴的な少年です。こざっぱりしつつも、やはり出自の良さを伺わせる良い仕立ての物を着ています。そこに金目の匂いを嗅ぎ付けた情報屋たちがチラリチラリとその視線を巡らせます。
「ちょいと特殊な探し物をしてるらしくてね。港で頼み込まれて困り果ててんのよ」
『面倒事になりそうですね』
『関わり合いたくない?』
『そも、彼は人の気ではありません、レヴ様』
『分かってるから、気になってるんだ』
面白そうだと思う物に対して貪欲になったな、と自分でも不思議に思う事があります。きっとお頭やメーヴォさんの影響です。
「情報を売っちゃあ貰えないかい……?」
「失礼ですが、貴方は海神海賊団の副船長さんで、間違いないですか?」
相手にされていない、と言う雰囲気に音を上げかけた男が、僕の一言にその表情を強張らせました。
「……こんにちは、何処かで会った事が?」
「海神の大旦那には色々お世話になりました。僕は死弾の情報屋です」
地下室の中の空気が一変して、ピリっと張り詰めました。他の情報屋たちが背を丸めて出口へと足早に移動します。
「またな坊主、どうぞごゆっくり」
言って男たちはぞろぞろと退出して行きました。え?と困惑する海神海賊団副船長アンドレ氏を横目に、僕は少しだけ得意げに、そして交渉をする相手を威嚇するように声色を強く言葉を紡ぎました。
「この部屋に居た情報屋の中では、僕が一番の情報通だって事ですよ。アンドレ=キアシュ副船長」
以前の僕なら、こんな風に相手より優位に立とうと言うのに虚勢は張らなかった。あくまでも冷静に、情報を持つ者の有利さだけで対峙していた。どんな些細な事でも、相手よりも有利に立つようにと虚勢でも良いから大きく構えて、そうして嘘を本当に変えて来たお頭のように。あんな風に強くなりたい。
「お探しの情報を、僕が売りましょう」
『あぁー!レヴ様勇ましいです!格好良いです!』
すみません、少し静かにして下さいコール。
小さいとは言え山も近い港町じゃと言うのに、困った事に買い付けに回った店ではどうにも食料が足りん。乾物も少なければ生の食品も不足気味のように思えた。皆口には出さなかったが、どうやらワシらと同じ目的の同業者に先を越されてような気配があった。
「あっかんなぁ……入荷待ちしちょったら船長が干からびてまうわ」
「隣町まで足を伸ばしますか?」
「それでもそう大差ないら」
買い付けられる食品を出来るだけ集め、最短で次の港に行くのがええっちゅう事や。船長と合流して相談せなアカン。
事の真相は、港近くの鮮魚店で分かった。
「ああ……その、海賊がね。アレもコレもと買って行っちまった。随分奮発してくれたもんでね、店の物を全部売っぱらっちまった」
やはり同業者かと渋い顔をしたワシの後ろで、突然低めの声が響いた。
「店主!店の物が全て無いと言うのは真か!」
振り返ると、全身に鎧を纏った見上げる程の巨漢が、コミカルな身振りで隠し切れないショックの様子を表現していた。その巨体は巨人族の船医マルトや船大工のルイーサよりも大きく見える程だ。最近は巨人族も巷へ進出をしていると言う事なんかな?
ドシャ、と両膝を付いて項垂れた男は突然悲痛な叫びを上げた。
「なんと、何と言う事だ!これでは息子の食事が用意出来ないではないか!人魚の里にも断られ、この先何処に頼れば良いと言うのだ……!」
「なんやなんや……けったいなオッサンやな」
思わず口に出してしもうた。おいおいと泣くような仕草がピタリと止まり、取り乱した事が嘘のように男はシャンと立ち上がった。
「旅の御仁であったか。無様な姿をお見せしてしまった。私はコレで失礼する」
「おみゃあさん、何か探しもんか?」
「……旅の方、一期一会の袖の触れ合うも何かの縁、それがしの探す物の情報をお持ちでないか、お話をさせて頂いて結構ですかな?」
何とも古臭い、しかし紳士的な男の言葉に息を吐いた。
「ワシはある宝石商の船に料理人として乗っちょるジョンシューて言うんや。ウチの船には中々の情報通がおんねんから、アンタの探しモンの情報も見つかるやろ」
初対面相手に海賊とは流石に言い出せんから、船長直伝の宝石商人の船を偽ると言う寸法や。この嘘が何故か良く通る。
「中々独特のイントネーションで話される。旅ももう随分長いのでしょう。それがしはルナーと申し上げます。このご縁に感謝いたしますぞ」
差し出された手をきつく握り返して、ワシらは町の小さな酒場に移動した。この巨漢が扉をくぐるには難儀しそうやったから、酒だけ買うて酒場の外にあったベンチで話を聞く事にした。
兜の瞼甲を上げてエールを飲む様はある意味徹底されておって、この鎧姿に相当な誇りを持っちょるっちゅう事や。中々の武人さんやなぁ。
エールを仰いで息を吐いたワシらは、改めてルナーの話を聞いた。
「それがしは海を旅する者。息子と二人、当てのない旅を……いや、息子の為の旅を続けておるのです」
エールを飲み終えると同時に再び瞼甲を閉じたルナーに話を促す。ついでに減った分のエールを瓶から注ぐ。
「かたじけない。それがしたちは海から海へある物を求めながら旅をしております。息子は生まれつき体が弱く、それを薬に命を繋いでいる状態」
「それを押してまで海で船旅とあっちゃあ、息子さんも大変じゃろ」
「十分承知しておるのです。しかし昨今の海洋、潮模様。ほんの十年前まではそれがしの住む海域でも豊富に採れ、
何処にでもあった竜髭草は今や希少となってしまいました。」
りゅうぜんそう?どっかで聞いた事があるんやけど、なんやったっけ?
「あれは息子の病を少しでも和らげてくれる薬も同然。めっきり減ってしまった竜髭草を探して、それがし共親子は旅を続けております次第。ジョンシュー殿は料理人とお伺い致しました。竜髭草について何かご存じでは御座いませんか」
りゅうぜんそう……竜髭草……?それがワシの知る海草なら、薬どころか毒草やぞ?……なんぞ、話が繋がらへん。
「ルナーはん、どうにも合点がいかんのや。あんさんワシらに話してない事があるやろ」
鎧のバイザー越しにルナーがコチラへ向けていた視線に変化を感じた。瞼甲を上げて、再びエールを流し込む。
「料理人としてだけではなく、貴方は何かを見る力をお持ちのようだ。それがしの話から嘘を見抜く、料理人以上の博識さを信じてもよろしいか?」
「旅人が見ず知らずの相手に、己の事情を全て話さへんのは常識や。ワシはそこまで頭が良うない。ただ、口に入れるもんに関しては譲れんところがあるっちゅう事や」
エールジョッキを置き、瞼甲を閉じたルナーが居住まいを正した。
「では包み隠さずお話しましょう。まず、それがしは人ではありません。人間たちの言うところのクラーケン族小型種に相当します」
ワシはこれまて結構あちこち行っとるし、船長よりも旅をしとった時間も長いじゃろう。獣人の世話になったりして来とるし、それなりに経験も積んで来とると自負もある。陸上生物の獣人が海賊やっとるのもこの目で見て知っとる。そもそも強大な力を持った魔族やら吸血鬼やらの魔の物たちも仲間におる。
だが、何やて?クラーケン?海洋魔物がどうやったら陸で活動出来んねん!
「ジョンシュー殿、どうかなされたか?」
「……待っとくれルナーはん。まずアンタの事について理解を深めたいんや」
「ふむ。何でも質問してくれたまえ」
「クラーケンて陸でも呼吸平気なん?」
「体表を鎧に擬態させて、水を蓄えております。海水の補給は必要ですが、数日なら陸での活動が可能です」
「……便利やな。クラーケンは竜髭草の毒の分解が出来るんやな?」
「竜髭草の成分は人間には強力な毒性を示しますが、我々海洋生物の一部では鰓の過呼吸を沈める薬になるのです」
ほほう。竜髭草の毒は呼吸困難を引き起こして死に至らしめるもんやと思っとったんじゃが、人に対しては呼吸を沈める効果がデカすぎるっちゅう事か。マルトが知ったら喜びそうな話やな。
「で、アンタの息子が鰓過呼吸を定期的に起こす疾患持ちで、その薬となる竜髭草を探し回って世界中を回っとるて事なんやな」
「そのとおりで御座います」
ようやく話が繋がったわ。
「それならそこらの海で見なくなって当然や。竜髭草の除草剤が開発されてそろそろ十年経つんや」
「じょっ!除草剤ですと?」
「せや。竜髭草は海岸縁に、その名の通りながぁく伸びて成長するやろ。そうすっと何処の海域でも船の航行に支障が出て、長い事迷惑被っとったんや。南西にアウリッツて魔法の国があるやろ。あの西海岸の辺りは特に船の座礁被害が多くて、除草剤の開発に躍起になっとたもんや」
「……そ、そんな事が」
しゃんと伸びていた背筋から見る見る内に力が抜けて、ルナーはその巨体を丸めてしもうた。
「ジョンさん。あんまりガッカリさせても可哀想じゃないですか?」
「そうっすよ。厄介物のクラーケンの髭なら、いくらでもくれてやりゃ良いんですよ」
何や、そう簡単にネタバラしすんなや。耳聡く部下たちの言葉を聞いていたルナーが、バイザーの下から何事かと視線を投げてくる。
「ジョンシュー殿……」
アンタが最初に嘘を吐いたんや、と言いかけて、宝石商だと名乗った事を思い出して、言葉を租借した。
「悪ぃな、コッチもカマかけとったんや。ワシらは宝石商やなくて海賊なん。んで、ワシらの乗る船には、浄化の樹が使われとってな。例の除草剤入りの船喰い虫の殺虫剤が使えん」
つまり、とルナーが震える声で呟いた。
「つまり、ワシらの船じゃ相変わらず厄介物の竜髭草……クラーケンの髭がようさん伸びよるんじゃよ」
船乗りは竜なんてたいそうな物の髭じゃのうて言うて、クラーケンの髭っちゅう呼び方をしよる。正式な名前なんぞ久々に聞いたわ。
「……これが天の導きと言う事か。それがしは神などと言う物を信じた事がなかったが、これからは何かに感謝しながら生きねばならんな」
またしゃんと居住まいを正したルナーは、コチラに向き直って頭を下げた。
「それがしを船長殿に会わせてはくれまいか?せめて今船底に生える分の竜髭草だけでも、お譲り願いたい。その旨を直接会ってお話したいのだ」
船大工が毎回頭を悩ます厄介物を、好き勝手に除去してくれるっちゅうんなら、何も断る理由はないやろ。何かの縁やし、一度案内してやっかの。
「ルナーさんよ、今ワシらの船は沖に停泊しとる。あと数日で入港してくるはずやから、少し時間を貰うで」
「ああ、何の問題もない。ではそれがしは息子の元に一度帰ろうと思う。この朗報を伝えてやらねば」
「おお、そうしたれ!」
エール二杯で酔っぱらったのか、立ち上がったルナーはフラフラと足下のおぼつかない様子で、港に向かって歩き出した。あれじゃ危なっかしくて見てられへん。
酒場に返すエールジョッキを部下に預け、ワシらはルナーの後を着いて港へ足を向けた。
灯台地下の秘密部屋で改めて三者三様に自己紹介し、僕は二人が探す情報について聞きました。
「わたしが探しているのは、竜髭草と呼ばれる海草です。最近めっきり見なくなった物ですが、わたしには大切な薬です。父と一緒にあちこち旅して探していますが、有力な手掛かりもないので、コチラの船乗りさんなら何かご存じかと声をかけたところ、コチラに情報屋さんたちの集まりがあるからとご同行しました。何処かに生えていたかなど、情報が欲しいのです」
『流石、人の者ではない気を放つだけあります。あの毒草が薬とは』
『彼がどんな人外の者かは計れないけど、マルトが知ったら喜びそうな話だね』
そこそこに知識のある船乗りなら、竜髭草が何であるかは分かるはずです。アンドレさんが自分の横に座る少年に驚愕の目を向けました。人外だと気付いていなかったのでしょう。
「その海草についてなら、僕の乗る船の船大工に頼めば話が早いです。特に問題がなければ、僕が船長と船大工に話を通しますから、船との合流まで少し時間をもらえますか?」
「本当ですか?是非お願いします!」
「死弾程の船で、クラーケンの髭対策をしてないのか?」
「うちの船は少し特殊なんで」
あまりエリザベートについての情報をくれてやっては困る。適当に話をすげ替えよう。
「アンドレ副船長のお探しの件とは、何ですか?」
「ああ、ウチはな……この地方でコソコソ海神の名前を語ってデカい顔してる没落貴族だか豪族だかが居るってんで、お灸を据えに来たってワケ。ところが海神の名前を出す奴らにこの事を喋るなって箝口令でも引いてんだろ。何か知ってるって顔しながら、みぃんな口じゃ知らぬ存ぜぬだ。そんなワケで俺が調べられる範囲じゃ手詰まりなのよ」
『レヴ様。海賊と豪族の動向と言えば』
『……まさか、ネタになる情報だったとはね。調べ物はキチンと無駄なくってのは本当だ』
僕は先ほど国軍兵士の詰め所で読みとった書簡の内容を思い返します。
海賊の動向についての報告命令。主に東の海で活動していた海神海賊団がこの海域一帯にも進出しているらしい。手配書にある海神関係者を見かけた際は、速やかに逮捕・連行、国へ報告をするように。また海賊船目撃情報の定期連絡も欠かさぬよう。
土地の豪族に課せられた納税義務の監視。国に報告、許可を得ている収益以外で荒稼ぎしていないかの監視と報告について。
つまり、この土地の豪族とやらは海神の名を語り、この一帯で取り引きする際に不当な利益を得ていた、と。そう言う事でしょう。正直な話、海神を相手に取引が出来るとは思っていませんでした。じわりと汗が背を伝います。
「何か情報はあるのか?」
「そうですね。もちろん相応の対価を頂きますけど」
「あっ、あの、わたしの情報の対価は……」
はたと思い出したように少年、サチは声を上げました。そうでした、忘れていました。と言っても、厄介物のクラーケンの髭を欲しいと言う子供を相手に、むしろ引き取り料金を払わなくてはいけない案件です。対価も何もありません。でも此処はいくらか貰っておくとしましょう。
「金貨は持ってますか?南北共通金貨だと助かるんですが」
「あります。お父さんがもしもの時に使うようにって持たせてくれた物があります」
「ではそれを三枚下さい」
ポケットの中から取り出した金貨は若干くすんでいましたが、間違いなく南北共通金貨でした(南北共通金貨は南北の同盟国家、北のフレイスブレイユ、南のゴーンブールで共通通貨として広く使われている貨幣の事です)。
人外の少年サチとの取引に金貨三枚を要求した僕に、アンドレ副船長は何を思ったのでしょうか。もちろん相場より多いとは言え、良心的な設定です。
「……俺からは、このくらいで良いか?」
コートのポケットから取り出したのは、一枚の金貨と丸められた地図でした。
「ウチの大旦那は何処まで先見しているんだか不思議になるよ。もしヴィカーリオと会う事があればこの地図を対価に渡してやれって言ってたぜ」
ウチの海賊団に渡せと言う地図となれば、それは間違いなく蝕の民にまつわる情報や宝の地図と言う事でしょう。
「……拝見しても?」
「ああ。そいつの真偽は俺には分からんが、実のところこれ以上の持ち合わせはねぇんだ」
安い賃金で働いてるんでね、と海神海賊団の副船長ともあろう人が、笑えない冗談です。
丸められた羊皮紙の地図を広げ、そこに描かれている大陸と海を、頭の中の世界地図に重ね合わせます。
「これは随分……東の方の地図ですね」
「何があるかは分からん。俺には推し量れない事だ」
東の大陸と特徴的な小島が一番西に描かれているから、この地図についてはジョンに見て貰うのが良さそうです。正直、土地の豪族の情報も他の情報屋たちにとっては二束三文の他愛ない情報です。ただそれが海神本人に対しては価値が出て来る、とそう言うだけの話です。だから本当はタダでくれてやって恩に着せたって良いワケですが、アチラからもこうやって僕らにしか価値の付かないであろう品物を対価に渡して来ると言うのですから、この副船長も、そして海神の船長も底が知れず恐ろしさだけが積もるのです。
「分かりました。金貨一枚とこの地図で結構です」
いやあ良かった、と息を吐いたアンドレ副船長の顔からはただ純粋な安堵だけが見えたような気がしました。実は何も考えていなかったらどうしよう。
『大丈夫でございます、レヴ様の判断に間違いは御座いませんよ!』
『……なら、良いんだけど』
こっそりとコールと話しながら、僕は手持ちの小さな紙に影のインクで土地の豪族の名前と屋敷の位置を記します。
「この紙を溶けない程度に水に濡らして下さい。情報はすぐに覚え、紙は海に捨てて下さい。絶対です」
僕の噂は彼の耳にも入っているだろう。こうして警告しておけば、指示に従ってくれるはずです。
「ありがとさんよ」
さて、これで取引は終了です。サチくんを連れて、ひとまず彼のお父さんに報告をして上げさせないと。
「サチくん、お父さんは何処で待っているんです?」
「たぶん港にいると思います。使いの者を置いて来ているから、心配はしていないと思います」
とは言え、すぐに帰った方が良さそうです。此処で随分時間も過ぎてしまいました。僕もジョンに合流してサチくんの事を説明しないと。
灯台の地下から専用の出口で外に出ると、港近くの砂浜に出ます。岩場も近いこの場所は、人気が少なく身を隠しながら町に戻るのに最適です。暗い通路を抜けた先の、夕暮れの西日に目を細めながら、僕らは歩調を合わせて港近くの宿を目指しました。
「レヴさんはお若いのに情報屋としてお仕事なさってるの、カッコいいですね」
「僕も君と同じ人外種だから、思いの外長生きしてるよ?」
「でも、自分の意志と力でお仕事が出来るのって凄く憧れます。わたしは、父上がいなかったら、発作で死んでしまうんです」
「お前さんたち人外種が未成年で居るの期間がどんなもんかは知らないけどな、子供の頃の病気なんてのは成長と一緒に消えて無くなっちまったりするもんだぜ」
僕らの後ろについて歩いていたアンドレ副船長が何処か達観したような口調で言いました。
「若い子供たちだからこそ、成長した先に変化が待ってるってもんよ」
それが良いか悪いかはともかくな、と彼は笑います。彼にも、時の流れと共に変化した何かがあったのでしょうか?そう言えば、お婆さまが変化を迎えるのに年は関係ない、と良く言ってらしたっけ。
「おい、そこの赤いコートのおっさんよ」
宿の近くまで戻って来た途端、数人の柄の悪い男たちが声をかけて来ました。正確には、アンドレさんに詰め寄っています。何だかちょっと嫌な予感がします。
「オレたちの事を嗅ぎ回ってるってのはてめぇだな?」
「何を企んでるか知らねぇが、ちょいと痛い目にあってもらうぜ」
ああ、やっぱり。そんな気がしました。つまり彼らはこの土地の豪族と手を組んでいるゴロツキか何かに違いありません。情報を聞き回っていたアンドレさんを始末しに来たと言うところでしょう。
「ちょ、ちょっと待ってよ!お、俺じゃないよ人違いだよ!」
「人違いかどうかは、詳しく聞かせてもらえば良いんだよ」
「争い事は好きじゃないんだよ、やめてくんないかなぁ」
半ば丸腰のアンドレさんに対して、男たちはナイフや短刀を持ってじりじりと距離を詰めます。
『レヴ様、危険です、早く身を隠しませんと』
『……コール。僕には、今目標があるんだ』
頭の後ろの方が熱くなる。じんわりとしたその熱に頭を溶かされない内に、僕は手を地面に着けました。
僕だって、手の届く範囲の人を助けたい!戦闘力になりたいんだ!
「アンドレさん下がって!」
叫ぶと同時に、詰め寄る男たちとアンドレさんの間に影を伸ばして壁を作ります。
「なんだこりゃ!」
「あのガキ!」
一瞬たじろいだ男たちの足に、間髪入れずに影を絡めて勢い良く引きます。とっさの事で受け身も取れず、男たちは一斉に天を仰いで転びました。
「……わぉ」
「凄ぇ……」
僕の後ろのサチと、影の向こうのアンドレさんが尻餅を付きつつ感嘆の声を上げます。
「さ、早く行きましょう」
僕の影で出来る事は、こう言う奇襲的な事と防御が少しなだけです。影で殴ったりする力はまだあまり無いのです。
「それで済むと思ってんのか小僧!」
転んで卒倒しなかった男が若干名、すぐに体を起こしてコチラを睨み付けて来ました。あ、やっぱりまだ怖い。
「流石、ヴィンツェンツ家の男児で御座います。その勇ましさ、内に秘めた力への渇望。素晴らしい」
コールの肉声と共に銃声が響き、男が再び地面に突っ伏しました。
僕のマントの下に出来ている影から、ヌッと黄金色に輝く銃が、青白い手に握られて姿を見せています。
「レヴ様の影が盾であるなら、私が敵を屠る剣となりましょう」
まだ日があるので、脇から失礼しました。と言い残して、コールの腕は影の中にするりと引っ込んでいきました。
そうか。僕一人で力が足りないなら、コールと一緒に戦えば良いんだ。メーヴォさんが剣であり、その従者鉄鳥さんが盾であるように。
「おい、おっさん待てや!そのかっこはアカン!」
「止めてくれるなジョンシュー殿!何処だぁぁサチぃぃぃ!パパは此処だぞぉぉぉ」
港の方から何やら聞き覚えのある声と、聞き覚えのある名前を呼ぶ声がします。同時に裏道とは言え、銃声が響いたのもあってか、宿の近くにいた僕たちの周りにも人が集まり始めました。
「大丈夫かね、お若いの」
「そっちのオッサンも平気かい?」
何も知らないであろう町の人たちは、元々この辺りで評判の悪かった暴漢たちに運悪く絡まれた旅人程度に僕たちを見てくれたようで、特にそれ以上の詮索をして来ませんでした。
何よりサチくんを呼ぶ声の主に、町の人たちも僕らも度肝を抜かれました。
「おおお!サチ!一人で勝手に出歩くなとあれ程言ったではないかぁ!」
「わっ!お父さん、顔!顔の擬態が!」
「ぎゃあああ!」
「きゃあああ!」
人々は思い思いの悲鳴を上げて、町の中に散って行きました。
大きな体のサチくんのお父さんの顔は、まるで軟体生物を取って付けたような触手に覆われていて、世にもおぞましい形相をしていたのです!
「も、勘弁して……」
ヘたり込んでいたアンドレさんがついに気を失ってしまいました。
アンドレさんを放置する事も出来ず、またルナーさん親子の姿が知られてしまったところで宿に泊まる事もはばかられ、アンドレさんは巻き込まれただけで関係者ではないと嘘(と金貨)で宿の主人を丸め込んで、僕らの取った部屋にアンドレさんを寝かせて、僕らは身を隠すように灯台地下室の出口付近に足を向けました。
ジョンと今日一日の状況報告を行い、ルナー親子の進退を船長に相談する事を確認しました。僕らはこのまま砂浜で野営を決め、ジョンの部下が港へエリザベート号の入港がないかを確認しに行きました。もし入港してくるようならそのまま合流して大まかに事情を説明してもらい、明朝改めて此処に合流する手筈を整えました。
驚いて擬態の解けてしまったルナーさんが改めて厳つい鎧姿に戻っていたのには少し驚きました。
ベッドではないけれど、砂の上に布を引いて寝るのも結構好きです。潮風か鳴るのを子守歌に、僕たちは眠りにつきました。
翌日上陸したラース船長とルナーさん親子を対面させると、お頭は上機嫌で一緒に上陸した船大工のルイーサさんと賛成の声を上げました。
「船底に根ぇ張ってる厄介物が役に立つなら、いくらでも持ってけってんだ。いや、むしろエリザベート号の船底に住み着いて、いつでも綺麗に掃除してくれりゃ、手間が省けるってもんだよな!」
と半ば冗談で笑ったお頭の言葉を、何故かまるっと信じてしまったルナーさんが、
「おお、それは良い案に御座いますな!では、我らルナー=クルートゥルーと、サティー=クルートゥルー親子、ヴィカーリオ海賊団のご厄介になると致しましょう」
と言って、親子が新たにヴィカーリオ海賊団の船員になる事がとんとん拍子で決まってしまいました。
「よく拝見いたせば、船長殿は人魚の騎士殿でござったか」
「人魚の騎士?」
「マグナフォス王家の紋章入りのペンダントを身につけておられる。それを持ちえる人間が居た事に驚いておりますぞ」
マグナフォスは海底の一大王国。その紋章を人間が偽造しようはずも無いのだから、それを持つ人間はつまり人魚に忠誠を誓った騎士か、はたまたマグナフォスに多大な影響を与えた人物と言う事になる。
「……騎士とか、やめろよ。ただ俺は上手い事使えそうな駒を運用しただけだって」
騎士様なんざ柄じゃねぇ、と苦い顔をするお頭を、ルナーさんは何処か納得したような顔で、なるほど、と笑っていた。
「よろしくお願いします、レヴさん」
僕はと言うと、自分より年下の見習い水夫が出来た事で、ほんの少し次の旅路にやる気とワクワクを感じているのでありました。
おわり