全ては連還の輪から外れる為
ヴェルリッツの北部のとある港街。良質な鉱山を内陸に抱えた、武器庫の異名を持つ国内で、知る人ぞ知る武器を専門に扱う鉄工の街。国の政策により、技術者は多くが国の息がかかった工房に集められ、その技術は隠匿されている。
故に、力を求める者たちは政府の目を盗み、国内の工房に大枚を叩いて武器の製作を依頼するなど、結果的に水面下で金だけが動く事態が多々起きている。
未だに世界は冷たい戦争の中にあった。
その街で、一・二を争う腕利きたちがいると噂だった工房が閉じて一年と八ヶ月程経つ。国からの援助と言う名の買収を逃れ、その技術力一つで工房は大きくなり、決して法外な値段を付けず人々に護身用の武器を売り続けた工房は、ある時凄惨な事件と共にその名を消した。
引き取り手のない工房は今でも街の一角に廃墟として佇んでいる。クラーガ工房の名を掲げた看板が外され、門の内側に下ろされて久しい。
ようやく春の訪れが近付こうとする季節の変わり目。北の大地の春はもうしばらく先と言わんばかりの北風が吹き荒ぶ中、その廃墟を前に立つ二人の男女がいた。
長身で細身の男は、長い緑の髪を一つに結んで背へ流し、身に着けた濃紺のスーツと毛皮のついたコートが気品すら漂わせ、一目でその出自の良さを伺わせた。
女は少し背のある風で、質素ではあるが仕立ての良いドレスに身を包んでいる。肩に掛けたストールを掻き抱いて寒さに身を縮ませている。長い緑の髪を背に、ただその顔につけた仮面だけがほんの少しの異様さを放っていた。
濃紺色の仮面で目元を隠し、左の耳元に羽根飾りをつけたそれは、何か魔術的な雰囲気を醸し出していた。
「手はず通りやってくれ」
女がハスキーな声で、何かに命じた。が、命じたところで横の男が動くわけでもなく、ただ二人は変わらずそこに立っている。ただ時折、廃墟の中で物音がしたように思えた。
「何か残っていると思いますか?」
「いいえ、恐らく野党や浮浪者が粗方の物は質に流したでしょう。彼らにすれば技術者たちが暮らした工房にある物は、みな日銭になると考えるでしょうからね」
実際、その廃墟からは多くの物が浮浪者たちによって質に流された。武器作りの指南書、鉄を打つための製鉄技術が書かれた本、果ては技術者たちの覚え書きの手記までもが質に流され、そしてこのご時世を鑑みた値が付けられて何処ぞなりへと流れていった。中には他の技術者たち、他の工房へと流れていった物も少なくないだろう。クラーガ工房の技術書、と銘を受けたそれらは、後に広くヴェルリッツ内で特別な技術として伝えられた。
「何処まで荒らされているか、問題は散見しますが、はなから無い物として探さないのは愚考です」
「その通りですね。流石は我が船の技術者殿だ」
「今はアトロです、クロトお兄さま」
そうだったね、と男が微かに笑った。
「さて、君たちはいつまでそこにいるつもりかな?私たちもそう長々と見物されるのは困るんだが?」
男が振り向いて視線を投げた先々で、他の建物の影や路地からぞろぞろと野党まがいの男たちが姿を見せた。
「言っておくと金目の物なんて持ち合わせてはいないぞ。私たちは長旅の後でスッカラカンなんだ」
「言うねおにいさん。なぁに、あんたみたいな美男ならそれだけで金になる」
「この辺りの治安は良いと聞きましたが」
「残念だったな、このご時世何処に行っても治安が良いなんてところはないぜ」
「この辺りは連続殺人事件が起きてからと言うもの、俺たちが住みやすくなる一方さ」
「……僕が原因だとでも言うのか?責任転移じゃないか」
ぼそぼそと何かを話し、ちっ、と微かに女が舌打ちした。
「そっちの女の顔は知らねぇが、その体格ならそこそこ値も付くだろ。俺たちに目を付けられたのはラッキーだぜ?俺たちは紳士的なんだ。悪いようにはしない。何せ俺たちは領主様に顔が利くんでな。領主様は美男美女が大好きなんだ。きっと良い生活が送れるぞ?おい、お前等連れてけ!」
「口上が長い」
男がイラッとした口調と共に右手を前に構えると、その腕についていた腕輪が次の瞬間には大きな銃に変わっていた。短い発射音で弾丸が打ち出された時には、口上を述べていたリーダーらしき男が脳天を打たれ絶命していた。
「供物に祈る間も惜しい。そろそろ正午の鐘の頃でしょう?食事に行きたいので終わってもらって良いですか?」
腕を引いた先でしゅるりと大きな銃が腕輪に戻る。魔法の銃の登場、リーダー格の男の喪失で野党たちは浮き足立った。
「貴方も相当短気なんですね。初めて知りました」
「私は優しいですよ?一応全部口上を聞いて上げたでしょう?」
「全っ然優しくねぇじゃん!」
男女の会話に突然声が混ざった。それは野党たちがいる路地の奥からで、声と同時に銃声が響き、路地で構えていた男が数人、前のめりに倒れた。
「大体こっちの意見を聞く振りして話させて、結果的にはゲンコツが決まってんじゃんエト……えぇーと、そう。クロト兄さんはさ」
路地から飄々とした口調で話しながら出て来た男は、二人の男女と似た緑髪の男で、目深にウエスタンハットをかぶって、ウエストコートに鞄を提げた冒険者風の出で立ちをしていた。
「遅いですよ、ラキス兄さん」
「はっはは。真打ちは遅く登場するもんだろ。で、こいつらの始末はどうする?」
「あとは彼らに任せましょう。そろそろ食事に行きたいので」
「だとさー!先に行ってるぜ」
冒険者風の男が何処へ向けてか口にした後、気が付けば路地の男たちは姿を消していた。
「今日はこの街で噂の料理屋に行こうと思ってまして。絶品のシチューが売りだそうですよ」
「まあ、楽しみです」
「へぇーウチの料理人以上なら認めるけどな」
和気藹々と三人の兄妹は、今し方の惨劇など無かったように廃墟の前を後にした。
料理屋のあると言う大通りに移動した兄妹たちは、クロトと呼ばれた男の持つチラシを片手に大通りを歩いていく。やはりすれ違う人々は妹アトロの仮面に視線を投げていく。それすら慣れたものと女は凛とその姿勢を崩さなかった。
程なく通りは食堂が並ぶ箇所へ差し掛かり、右に左にと立ち並ぶ屋台や軒先へと目が移る。どの店からも昼の鐘に合わせて良い匂いが漂ってきて、道行く人々を誘った。
「新しい店が増えてるわ。何処も美味しそう」
「あそこの酒場のアヒージョが美味かったのは覚えてるぜ」
「だから、今日はこの先の料理屋だと決めているでしょう?」
「へーいへい」
談笑を交わしながら歩いていく兄妹たちは『アホウドリの餌場』と看板の掛かる料理屋の前で足を止めた。
「おお、良い匂いだなぁ」
「此処です。ここのシチューが絶品だとかで……」
「うん、なるほど。止めとこうぜクロト兄さん。此処じゃなくてさっきの酒場で飯にしよう」
兄の言葉を弟が突然遮り、二人の手を取って来た道を戻ろうとする。
「何ですか唐突に。今貴方良い匂いだって言ったじゃないですか。何が駄目なんてす?」
「そう、良い匂いだから駄目なのさ。アレは、とぉっても良い匂い過ぎるんだよ」
言ってラキスと呼ばれた男が下げた鞄をポンポンと軽く叩いた。
「いつだったか浜で嗅いだ、俺の大好きな匂いに似た、良い匂いがする」
にやり、と男が笑ったのを見て、兄妹は何かを察したように、料理屋を見やった。目元の見えるクロトは、その表情が分かりやすい。目が落ちそうな程見開かれて、それはやがて嫌悪へと変わった。
「……本当ですか?そうだとしたら、この店相当危ないですよ」
「国軍に通報するレベルだぞ……いや、しないけど」
そんな二人の反応を見て、いっひひとラキスが嗤う。
「誰かさんが先導しちゃったんじゃねぇの?人々の狂気をさ」
「だから、責任転移だって」
むっと頬を膨らませた妹たちの背を押す。これ以上この場に留まりたくない、そんな雰囲気を強く感じさせる行動だ。
「さあ行こうぜ。触らぬ殺人鬼に流血なしだぜ」
そうして三人は料理屋の前を後にし、来た道を戻って酒場へと入っていった。三人のやりとりを一頻り眺め、軽く笑った何も知らぬ人々が、アホウドリの餌場と書かれた料理屋へと入って、二度とその扉を開けて出て来ることはなかった。
意気揚々と酒場へ入った兄妹は、安くて大盛りの食事を出すと人気の店内でようやく席を確保して座った。カウンターの奥に掲げられたメニューをざっと見ながら注文を決め、長兄クロトが席を立った。
「この街も変わったな」
「路地裏は相変わらず歩きにくいけどな」
「人が増えた。そんな印象を受ける」
「へぇ」
「それだけ技術者や鉄工工房が必要とされている。世界情勢が未だに変わらない上に、水面下で多くの人が兵器や武器を必要としている証拠だ」
席に残った兄妹の会話は、工房の働き手たちでごった返す酒場の中で誰に耳に止まるでもなく消えていく。
「注文してきました。この後はレヴくんたちと合流待ちですね」
「あっいっけね。場所変えたの伝えてねぇ」
「そうだろうと思って、先ほど店先に目印を置いて来ました」
「流石お兄さま!」
「貴方にそう言われるのはやっぱり気色悪いです」
ひでぇの、とラキスが笑ったところで、ウェイトレスがご注文の品です、とグラスのエールを運んできた。
「貴方たち見ない顔ね。旅の人?」
「ええ、バルツァサーラから貿易を兼ねて此方に」
遠路遥々お疲れ様、と笑ったウェイトレスはナッツとドライフルーツの盛り合わせをサービスだと言ってテーブルへ置いた。
「そちらのお姉さんのドレス、素敵ね。派手じゃないし動きやすそうなのに、とっても可愛いわ」
「ありがとう」
その仮面を着けた出で立ちにも関わらず、ウェイトレスは気さくにテーブルへと居座り、妹と話を始めた。仕事はどうしたのだ。
「パラダイスピーコックのドレスよ。この辺りに工房があると聞いて来たのだけれど、本当に閉じてしまっていたのね」
「あぁ、あそこの工房のね……残念ね、もっと活躍出来たはずなのに」
「やっぱり、噂には聞いていたのだけれど、本当に亡くなってしまったのね、ピーコック」
気落ちしたように見えるアトロを見て、ウェイトレスが気を落とさないで、とポケットからメモ用紙を取り出して何かを走り書きした。
「ここの呉服店に行ってご覧よ。生前のピーコックの服とか、工房に残ってた在庫を買い取って販売してるって話なの」
掘り出し物が出てくるかもよ、と笑ったウェイトレスはメモを残し、カウンターから店主に呼ばれて急ぎ足で戻って行った。
「……お前凄いよな、時々心底思うぜ」
ナッツを摘みつつ、ラキスが妹を見てくっくと声を押し殺して笑った。
「何が?」
「役になりきる演技力」
「何事も抜かりの無いようにするのが信条ですから」
ふふ、と嗤ったアトロの笑みを他所に、二人の兄弟たちは頼もしい事だ、と苦笑いを浮かべた。
「おまちどうー!」
程なく満面の笑顔のウェイトレスが両手に料理を持ってテーブルに配膳して行った。
ファバーダ(チョリソとインゲン豆の煮込み)、カルデレタ(山羊肉とレバーペーストをトマトベースで煮込んだシチュー)、海老のアヒージョ(ガーリックオイル煮込み)、そして塩漬けウニのパテ付きパンが並んだ。どれも皿にたっぷり大盛で、三人で食べ切るには丁度良い量だった。
「美味そうー!」
「頂きましょう」
「いただきます」
この辺りでは珍しく、三人の兄妹は手の平を合わせる合掌スタイルで食前の祈りを捧げ、そして食事を始めた。
熱々の料理に舌鼓を打つ三人の元に、先ほどのウェイトレスが再び訪れ、飲み物のお代わりは?と問いつつ、またも妹アトロへと話しかけた。
「ねえ、この後は何か商談に行くとか、予定はあるの?」
「さっき聞いた呉服店には行ってみようかと思っていたの。それくらいなら、時間も平気よね、お兄様?」
グラスのエールを空けつつ、クロトが良いですよ、と合図をする。
「そっか。アタシの紹介だって言えばきっといい物出してくれると思うよ。あそこのご主人、ウチのツケが溜まってんのよ」
冗談の様なウェイトレスの言葉にふふっと口元だけで笑って見せたアトロは、そうだわ、と小さく口を開いた。
「ねえ。こんな事を聞くのは失礼だと思うんだけど、クラーガ工房のご一家……ピーコックのお墓って、何処だかご存知?」
少し不安そうな口調で、アトロはウェイトレスへ問うた。その心境を察したのだろう。ウェイトレスも少しだけ声のトーンを落とし、けれど何処か慰めるような声で続けた。
「だったら街の西に行きな。あそこに共同墓地がある。入り口に墓守の爺さんがいると思うから、やっぱりアタシの紹介でって言えばいいよ」
「墓守さんも、此処の常連さんなの?」
「そうさ。何だったらウチで一番出てるラム酒を買って持って行きなよ。花を手向けるくらいなら、余所者でも入るのを許してくれるわ」
「何から何まで、ありがとう。このお店を選んでよかったわ」
「旅人さんには親切にしておかないとね!」
旅人が金を落としていくのだから、と本音のところはウェイトレスは口にしなかったが、交易が盛んな土地ではそれが常識だ。
程なく三人の兄妹たちは食事を綺麗に片付け、二杯目のエールもナッツも平らげた。食事代とラム酒の瓶一本、ウェイトレスへチップも含めたそれらの代金を支払い、彼らは店を後にした。
「やっぱりこの酒場は良かったろ?」
「ええ、噂の料理店があんな事では仕方ありませんからね。此方の料理も地元のエールも大変美味しかったです」
「前に来た時も、此処で飯食ってる時にレヴから色々情報が来てよ。お前の事も此処で始めて見かけたんだぜ」
え?と呟いたアトロがラキスを見やった。
「それって、つまり檻の中の?」
「そうそう。懐かしいなぁ。あっちの塔だったっけ?」
「見られていたのか……もう、一年半か」
ふふ、と笑ったアトロは何処か楽しげで、弾むような足取りで兄たちと雑踏の中に姿を紛れさせた。
彼らの横を国軍兵士の一団が走り去って行く。みな必死の形相で大通りを駆け、やがて一件の料理屋へと雪崩れ込んで行った。
西風が吹く時は洗濯物を外に干してはいけない、と言うのはこの街の通説だ。西の外れには共同墓地が並び、無縁の死体が野晒しにされる事も少なくない為、周囲一帯には死臭が漂っていた。山から吹き降ろす西風が強く吹くと、死臭が街に流れる。故にこの街で西風は嫌われ者だ。強い西風は商船を始めとした船舶の出航を手助けしてくれるが、人死にがあるから死臭がする、西風は死神の移動する風だと、船乗りたちは悪態を吐いた。
「凄い、俺の目には墓場がお宝の山に見える」
「そう言う口は慎んで下さいません?」
ウェイトレスに教わった呉服店で三人一着ずつ服を新調し、長兄のクロトが荷物を店員に船まで運ばせる先導を買って出た為、ラキスとアトロの二人が墓場に足を運んでいた。途中立ち寄った花屋で白い蘭の花束を買った。若くして亡くなったピーコックと呼ばれたドレス職人に捧げるためだろう。
二人の兄妹が墓守の元を訪れ、酒場のウェイトレスの紹介でラム酒を差し入れに持ってきた事を伝えると、たっぷりの髭と腹に贅肉を溜め込んだ老人は「それじゃあ足りんなぁ」と暗にチップを要求した。小さくラキスがクソ爺が、と呟いて金貨を一枚放った。
「おうおう、足元に気をつけていくんじゃよ。地中からゾンビの手が生えてくるからの」
「そんなのが出て来るようなら、此処にずーっと居るアンタを真っ先に倒しに来るぜ。リビングデッドの親玉って事になるからな」
「……冗談だよ、へっへへ」
ラキスの目が冗談ではないと見えて青い顔をした墓守の老人に、フンと鼻を一つ鳴らして、彼はアトロの手を引いて墓場の奥へと足を進めた。
「ったく、ちっとも面白くねぇジョークだぜ。本当ならマルトとジョンを連れて来なきゃいけないぜ?」
「連れて来たところで、土葬の骨は保存状態が悪いから材料としては低等級だぞ」
「新鮮さに敵う旬は無いってヤツか」
「……そう、うん、そう言う事だけど、もう少し良い例えをしてくれないか?」
会話しながら二人は墓守に聞いた墓地の一角を目指した。比較的整えられた集合墓地の一つ、すっかり風雨に汚れた石碑型の墓には一家三人の名が刻まれていた。
「クラーガ一家ここに眠る、コイツだな」
ラキスが片膝を着いて墓石の汚れを払った。鉄工工房と服飾工房を夫婦で切り盛りしていて、働き者で良い人たちだった、と街の人々がその死を惜しんだ夫婦。その兄妹も腕の良い職人で、将来安泰と微笑まれていた。
「その息子が一家全員殺した上に、女装して墓参りに来たなんて、ひでぇ話だな」
「この眼が特徴的過ぎて、隠すのに苦労するんだから仕方ない」
どうせ死人は何も見なければ何も言わない、と半ば諦めたようにクロトが口にする。ラキスはニシシと笑って、その通りだとそれを肯定した。
「その眼って、家族でもお前だけだったの?」
「真円の瞳は僕だけだ。父の左目に四分の一くらい蝕の光があった。母には無くて、妹の左目にも少しあった。僕は所謂先祖返りなんだろう」
父は奇形眼だと言ってそれを嫌悪していたけどな、と。クロトは口にしながらその仮面を外した。薄化粧をした女の顔は勇ましさや凛々しさと共に美しく、その大きな赤の瞳には真円の、金冠日蝕の光が宿っていた。
「お前に巡り会う為の布石であり苦痛だったとしても、やっぱりコイツらは憎いな。殺した事に後悔は無いし、達成感すら感じてる。今でもあの死に様を思い浮かべると胸が透くよ」
分かるぅ、とやはり緩く嗤い合う兄妹から漂うのは、新月の海の様な漆黒の狂気だった。星の瞬きを写した海面の奥底には、深海が深く深く続いている。そんな底知れぬ恐怖を感じる。
しゃがんで花束を置いたアトロが、何処から取り出したのか、真っ赤な鞭をその手に立ち上がった。それに習ってラキスも立ち上がり、二人は数歩墓石から離れた。
「もう此処には戻らない」
真っ赤な鞭が閃いた先で爆発音と共に墓石が割れ、真っ白な蘭の花びらが舞い上がった。
「二度目の別れの言葉も、供物への祈りもいらない」
「さぁて、景気良く吹き飛ばしたし、こんな所で長話してっと飽きねぇ話も飽きちまう。そろそろ商い話でもしに帰ろうぜ」
「ああ。きっと良い話が入って来てるはずだ」
新鮮な材料もね、と振り返った兄妹の赤い瞳と視線が合っ
「いけませんねぇ、ピーピング・トム。貴方は見過ぎ、知り過ぎた」
「お頭、メーヴォさん。人間界の窃視罪の処罰はどうするんでしたっけ?」
「頭部の爆破だ」
「うっわ。アトロちゃん怖っ。せめて供物へのお祈りの時間くらいあげたら?」
「お前も火傷がしたいか?ラース」
「何でもないでーす」
出歯亀野郎が居た事は港に降りてからずっと分かっていた。恐らくゴーンブール海軍の密偵か、はたまた高額取引が期待出来るネタの収集に熱心な情報屋か。どっちでも結果に変わりは無い。なんせ此方は今まで長い事世話になった偽名と職業の設定を変更してすぐだったもんだから、今回は黒だと思った接触者は全部始末しないといけなかった訳だ。レヴに裏を取らせる為に方々へ遁走してもらったのには、キチンと謝礼を出そう。それと一緒にいつだったかの特別報酬の時のように、菓子ばかり買い込まないように言って聞かせないとな。虫歯は海賊の大敵だぜ。
出歯亀野郎の手帳に火を着け、それを火種に墓守の小屋を爆破した。脂肪分の多い濃い血液でした、とコールの感想を聞きつつ、墓守の爺のミイラも火にくべる。ヴェルリッツ国軍に通じていた墓守も始末し、墓場からはレヴの影を纏って気配を消す魔法を借りて、船までの帰路に着いた。
奇しくも西からの風が強く吹き始め、小屋の焼ける臭いと肉の焼ける死臭を、死神の渡る風に乗せて街へと運んだ。食人料理店の店主が引っ立てられた矢先に、今度は墓場で爆破火災と来れば国軍兵士たちもてんてこ舞いだ。その隙を突いて俺たちは難なく船へと帰って来たのだった。
船へ戻ると、相変わらずメーヴォは一目散に自室の武器庫へと駆け込んで変装を解く。それも支度同様、結構時間がかかる。俺もいつものシャツとズボンに着替え、船長室に要役職員を呼んで待機した。
西風は次第に強さを増し、港に打ち寄せる波は小刻みに船を揺らした。
「遅れてすまない」
メーヴォとマルトが最後に船長室に入って来た。声を変える薬の解毒薬を処方されていたのだろう。
「全員揃ったな。はじめっぞ」
応、と全員の同意を確認し、俺は椅子に深く背を預けた。
「まずはメーヴォの家のお宝だな」
はい、と返事をしたのは、褐色肌に金の髪、長い前髪に目元を隠した魔族で情報屋のレヴ。影を操り、闇を操る少年はこの所活躍が続く成長筆頭株だ。
「メーヴォさんの描いてくれた見取り図に沿って、工房と住居スペースの探索をしました。言われた通り、書斎らしき部屋の隠し戸棚から書簡と本を持って来ました」
ふわっとレヴの手元で影が膨れしゅっと引いた後、その手の中に数冊の本が握られていた。
「ありがとう。やっぱり父の書斎に隠してあったな」
「で、そいつが蝕の民の関連書籍ってワケか?」
「正確に言うと辞書みたいな物だ。曽祖父の残した覚え書きらしいんだけどな。後はクラーガの家系図だ。父はこの辺りの出身だが、祖父はアウリッツの出身だと聞いた事がある。このクラーガの血統を辿れば、蝕の民についての糸口が掴めるはずだ」
後はエルフたちの記した魔法式鉄工技術に関する希少な本などがあったらしいが、その辺りは俺は分からないので聞き流した。隠し戸棚の中なら恐らく暴かれなかったろうと踏んでいた訳だ。次の十二星座の武器か、はたまた蝕の民の新たな謎の解明に繋がれば、それが何だって構わない。
「レヴ、後は国軍の動向を教えてくれ」
「はい。駐在所には先月の廃坑での戦闘の件で、再三の犯人捜索の件が回って来てました。海軍少佐の一斑の全滅ともなれば、やっぱり各国軍の間で重要視されているみたいです。少佐の死体が上がっていないのに関しても、人外の犯行を考慮しろと」
人外!良いねぇ、ついに俺たちのやる事が人外認定か!いや、実際のところ、魔族レヴによる人体を魔石に練成する特別な術が使われてたり、その配下の吸血鬼コールが死体から血液と水分を全部吸い上げて飲んじまうとか。果ては蝕の民の末裔メーヴォが開発した、人骨をダイヤに変えちまう技術があったりと、人がやってない事も多いが、人道に外れた事は俺たちヴィカーリオ海賊団にとっては日常茶飯事だ。
「そうかそうか、人外の仕業か。良いねぇ、カッコいいねぇ!」
「死を運ぶ弾丸、の異名も体を表すようになって来ましたね」
呆れたような声を上げたのは、長兄クロト役を演じていた副船長のエトワールだ。すっかりいつものウエストコート姿、かと思いきや。呉服店で新調したばかりのコートを既に着こなしていた。呆れた口調とは裏腹に、その顔は誇らしげだ。
「ヴィカーリオ海賊団の手配書が更新されるかも知れんと、朝市で商人たちが噂しとったで。武装する為にこの街に来たっちゅうオッサンもおったわ。ああ言うのがむしろカモやっちゅうにな」
銀の髪に紅色の装束の東洋人、料理人のジョンが独特の訛りで見聞きして来た情報を口にする。人の集まるところには情報が集まる。商人たちが何気なく口にする会話も、海賊からすれば有益な情報になる。
商船がどれだけ武装し、船団を組んだところで、ヴィカーリオ海賊団の死の弾丸からは逃れられない。遭遇したら生き延びる術は無い死神の船。最高じゃねぇか。
「私からも少し報告させて下さい」
言って手を上げた船医マルトに皆が視線を向ける。
「以前から調合を進めて来た虎鯨の解毒薬ですが、ようやく一つ、ある症状に関する解毒薬が調合出来ました」
「おお!ついに出来たんやな!」
虎鯨と言うのは鯨の中でも猛毒を持った種類で、食べた部位によって異なる中毒症状を起こす為食用に向かず、厄介な事に最近では捕鯨の際の遭遇率が上がっているヤツだ。以前から襲撃した海軍の船の兵士や商船の水夫を捕虜にして、マルトが新薬開発の人体実験を繰り返してきた。
「ルナーさんの持つ海藻の知識を借りました。クラーケン種が薬草として扱う物の中には、我々人間が毒草と分類する物が多くあるのですが、その毒草をごく微量使用する事で、虎鯨の毒を中和する事に成功しました」
わっと船長室にいた面々がマルトの功績を讃えた。いやぁ、ついにやったか!これで虎鯨の肉の食用化も前進したって事だな。
「海の物は海のモノで中和する、と言う事だったんでしょう。虎鯨の赤身などを食べた際に、一部の人に拒絶反応に似た症状が起きるんです。簡単に言うと肺が開きっぱなしになってしまって、息が吸えなくなる呼吸不全の症状です。特効薬の材料は竜髭草でした」
竜髭草。逆に肺を閉じさせるタイプの呼吸不全を引き起こす毒草だ。毒草として普通なら使用される事の無い竜髭草を用いる事で、その症状を中和する事に成功したらしい。
「竜髭草なら船底に生えた物で、ルナーさんたちが消費する物のほんの一欠けらあれば十分ですし、これで食糧事情も多少は改善される事でしょう」
得意げに報告するマルトに、何だか此方まで誇らしくなって来た。学会に匿名で投書しようと思います、などと殊勝な事をマルトは口にしているが、メーヴォが渋い顔で勿体無いと言っているから、コイツの技術独占欲も相当だなと思わず笑ってしまう。
独占欲が一番強いのは、俺で間違いないんだけどなぁ。航海士としても狙撃手としても腕の立つ副船長に、この世紀の発見をしてしまう有能な医者。美味い物への探究心は人一倍の料理人。魔族だ人外だと言うのに人の下で働く事を良しとする情報屋と吸血鬼、必要だからと人と馴れ合うクラーケンの親子。そして古代の民の謎とお宝の鍵である技術者。船と海賊団の強化に余念のない船大工と技術者集団がいて、俺を船長と慕う水夫たちがいる。
みんな、全部俺のものだ。俺が手に入れた宝物たちだ。絶対に、俺はこれを失う訳にはいかないんだ。猛烈な痛みを放っていた左胸の傷跡に思わず右手が動く。
『お前の為にこの命を使おうと決めた』
そう言っていた相棒の言葉が脳裏に反響する。死にかけた。いや、恐らく一度死んだのかも知れない。改めて失う恐ろしさを知った。改めて、仲間に必要とされている事を知って、改めてエリーの愛の深さを得た。
左胸の上、右手の人差し指に嵌められた金の指輪。青の宝石がついたその指輪に、エリーが宿っている。俺が持ち帰っていたエリーの遺骨を材料に作り上げられた骨ダイヤを内蔵した魔法銃。小さな指輪はその名を詠ぶ事で銃になり、強く想像すればどんな属性の魔法弾も撃ち出せる、メーヴォの作った最高の武器。
ヴィカーリオ海賊団は、今まさにその強さを確固たる物として得たのだ。
蝕の民の十二星座の武器。超遠距離射撃銃フールモサジターリオ、全ての生き物の命を尊ぶ刀オーストカプリコーノ、死者に最期の祈りを捧げる槍コルノアリエーソ。セイレーンや人魚の歌すら掻き消す音色を奏でる魔法の竪琴フントハールポ。
そして蝕の民の末裔、技術者メーヴォの作り上げた、弾道を自在に操れる黄金の魔法銃カノーノロヤレッソ。そして俺の多重属性魔法銃イディアエリージェ。
手に入れて居ないお宝はまだまだ世界中に散らばっているはずだ。もう俺たちはせせこましく稼ぎを立てるだけの弱小海賊じゃない。その名を世界中に轟かせる五大海賊のうちの一つだ!
「メーヴォ、その家系図だのを解析するのにどれくらい時間がかかる?」
「正直これだけじゃ何とも言えないな」
「あれ?そうなの?」
「クラーガの血族……蝕の民はどうやら世界中に点在しているらしいんだ。レヴに頼んで各地の目撃情報や、過去の伝承みたいなのも集めてもらってるけど、今のところ決め手に欠ける」
何だ、と半ば残念に思っていたところで、あっとレヴが声を上げた。
「そうですメーヴォさん!実は鳥老から使役便が来る予定なんです。面白そうな話があるとかで」
「いいねぇ、やっぱりメーヴォの周りには良い風が吹いてるぜ」
何だそれと笑った当の本人に、ニヤリと笑ってやる。
「お前は俺の宝の鍵だって事だよ」
「知ってるよ、お前は僕の大船だ」
俺の目の前には、宝の鍵も、冒険に必要なものは全部揃っていた。
「次のお宝を探しに行こうぜ」
海賊寓話第二章・終幕
初稿20160110




