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海賊と人魚

 船乗りたちが集まる酒場でいつでも話題になるのは海賊たちの動向だ。

 東の海では海神が貴族の船を襲っただとか、北の海では翠鳥がある洞窟から財宝を掘り当てた。西では白魚が海軍の艦隊を沈め、南では金獅子が客船を襲撃した。ある船は幽霊船に出くわしたとか、クラーケンに襲われたとか。真意の程は分からないが船乗りたちは口々に自らの船の航路の心配をした。

「海賊と言えば、最近賞金首の手配書が更新されてたじゃねぇか」

「おうおう、白魚の金額がまた上がっていたっけなぁ」

「それより例の、生け捕りで手配書が回ってる海賊だよ」

「ああ、死神の船か……」

 死神の船、と単語が出た途端に酒場の中は水を打ったように声を潜めての会話が始まった。

 出会えば死を意味する海賊船。何処からともなく此方の航路情報を探り当て、突然、しかし的確に襲撃を行う。からくも生き残れるような事はない。船は沈められて海の藻屑。搭乗員は全て殺されて死体も上がらない。そこに船が航行していた事実すらかき消してしまう死神の船。

 まるで煙の様に、死の臭いだけを残して消え去る。そこには血と硝煙の臭いだけが残る。

 背後に銃と爆弾、口元には弾丸、その瞳に金環蝕の光が宿る割れた髑髏と言う派手なジョリー・ロジャー。そこ描かれた弾丸にちなんで、その海賊たちを船乗りたちは『死弾海賊団』と呼んで恐れていた。


 一隻だから襲われる。何の抵抗も出来ないままに殺されるのだ、と商人たちは己たちの非力を改めて認識し、手を取り結託する事で力を合わせようとしている。そうしてどうにか生存率を上げようと我々は手を取り合った。海賊など恐れるに足りない。多勢に手を出す事は致すまい。

 そう一昨日の出航間際、三隻の船長たちは大きく背を逸らせたと言うのに。

 ぽたりぽたりと見張り台の上から降り注ぐ鮮血に、我々の思考は停止していた。隣の船ではどしゃりと落ちて来た見張り番に押し潰されて、船員が巻き添えを喰らって死んだ。何処にも船影は見えない。何処からともなく訪れた死の恐怖に、三隻の船はあっと言う間に統率を失った。程なく見えて来た二隻の海賊船に、船上のパニックは最高潮になった。

 ああ、我々が船団を組むのだから、海賊にそれが出来ない訳がなかったのだ。




 大小様々な海賊が跋扈する大海で、商船たちはせめてもの抵抗に船団を組んで航海する、古来からの航海術に立ち返った。小賢しいと言えば賢しいが、そうなれば海賊もそれなりの手段を執るだろうと想像が行き着かなかったのは、やはりその程度の物しか奴らは考えられないと言う事だ。自分の命、自分の富、自分の保身の為に疑心暗鬼の商船団が海を行く。

 付け刃の商船団と違い、海賊たちは掟によってその結束を図る事を知っている。取り分をきちんと決め、役割を決め、作戦を立てる。そうして行われる襲撃は、海軍の作戦の様に統率の取れた物に昇華する。

 さあ、ヴィカーリオ海賊団の出撃だ!今日の獲物を狩りに行こうぜ!


 副船長エトワールが見張り台の上からその銃を構える。

「イベリーゴ、フールモサジターリオ!」

 失われた超文明の遺産、十二星座の名を冠した強力な武器。海賊稼業の中で手に入れたお宝。それを構え、先を行く商船団の様子を伺い、そして超遠距離からの狙撃で商船団の見張りを的確に始末していく。

「まったく、何て物を振り回してるんだか」

「あげませんよ」

「あんな化け物じみたブツは、流石のアタシらんところでも扱えないよ」

 狙撃の様子を見ていた白魚海賊団船長の女海賊オリガが、砲撃手長メーヴォを相手に何とも楽しそうな顔で話している。砲撃手副長カルムがエトワールの狙撃に合わせてカウントタウンを始めた。

「ウチのも行くよ!」

「ハイ!姐さんいつでも行けます」

 隣に並んで走る船にオリガが声を上げ、威勢の良い女海賊たちが今か今かとその号令を待っていた。

「風力部隊!行くぞ!」

「アイサー!」

「さん、に、いち、風力部隊、ブロー開始!」

 二隻の海賊船は、船尾に構えていた風属性を得意とする者たちの魔法で、一斉に進み出した。

「往け!狙うは真ん中の船だけだ!後は派手に壊せ!」

 その商船団については前の港で情報屋によって既に調査済み。船団の出港に合わせてコチラも距離を置いて洋上を目指し、そしてようやくの襲撃だ。三隻の商船はその中央に位置する船に荷物の大半を乗せており、それ以外の船は囮であり壁に過ぎない。無駄な壁とは言え、今の俺たちにとってはそれすらもお宝を積んだ宝船なのだが、船団を相手にすればどうしても取り零しが多いのが常だ。

 砲撃手長メーヴォとその部下による的確な砲撃によって右舷の壁の動きを封じ、更に左舷は白魚の船の砲撃に沈黙する。左舷の船は白魚の砲撃に火柱を上げて沈んでいった。なかなか派手にやる事だ。

 航路を絶たれた商船は沈んだ船の残骸の中をどうにか航路変更しようともがいていたが、それも死弾と白魚の船に挟まれてあっけなくその動きを止めた。

「行けお前等!船長以外の船員は全部殺せ!積み荷は奪え!供物への祈りの時間も惜しいぞ!」

「アタシらも行くよ!死弾の男共に遅れを取るんじゃあないよ!」

 二隻の海賊船から海賊たちが商船に雪崩込み、そこはあっと言う間に地獄絵図と化した。動きを止めた商船にも鉤付きロープを渡し、身軽な特攻部隊が完全な制圧に向かった。程なく抵抗の術を大して持たなかった商船は海賊たちの下に完全に沈黙した。

 戦闘の終了と共に、非戦闘員の仲間が一斉に商船の中を探索に行く。料理人たちは備蓄されている食糧を探り、最終的に船を沈める為に船底に爆薬を仕掛けに技術部隊が船に潜る。この戦闘で多少の怪我をした者を手当する船医たち。そして商船の船長を生け捕りにして縛り上げ、殺した船員たちの遺骸を甲板に積み上げる。情報屋レヴがようやく自分の出番と死体の山に駆け寄った。

「素晴らしい量ですね。これだけあればまた魂篭の玉も作れましょう」

 小柄な少年の足下がぐにゃりと歪み、その影がヒトガタを形成して立ち上がった。フードを目深に被って顔を隠している青年は、それが生きて活動しているのが不思議に思える程痩せこけ、まるでミイラのような風体をしていた。

「玉の生成は程々にしますから。コール、貴方の食事の余りで作るって言う約束でしょう?」

「分かっておりますレヴ様」

 影から出て来た吸血鬼コールが、その細い腕からは想像も出来ない怪力で男の死体を持ち上げ、おもむろにその首に喰らい付いた。じゅる、と水分を吸う音がして、喉を鳴らしてコールがその血と水分を飲む。手の中にあった男の死体はあっと言う間にミイラになった。

「っぷはー!美味しい!」

 ガゴン、と投げ出されたミイラの上に、次々に血液を吸われたミイラが積み重なる。仕舞にはコールのその長い髪が死体の山を覆い、髪から血を吸い上げ始め、その肌に張り艶が戻る一方で、大量の死体の山はミイラの山へと変貌していた。

 その様の一部始終を目の当たりにした商船の船長はいつの間にか白目を剥いて気絶していた。同じくそれを傍観していた白魚船長オリガも、その顔を残虐な笑みに変えていた。こんなにも非人道的な事を堂々とやってのける海賊が現れた。その惨状を目の当たりに、彼女の殺戮を楽しむ残虐性が騒ぐのを感じていたに違いない。

「ごちそうさまでした」

 両手を合わせてミイラに一礼をしたコールの姿は、すっかり見違えてツヤツヤと張りのある肌をしていた。食事を終えて日差しを避けるようにレヴの影の中へと再び姿を消したコールを見送った頃、粗方の負傷者の治療を終えた医療班がミイラの山の前に陣取る。船を襲った後の後片付けは、迅速に効率良く流れ作業だ。食料を各々の船に運び出す各調理班を横目に、手の空いたヴィカーリオの船員が医療班を筆頭にミイラの解体をしていく。鋭く砥がれたナイフで表面の肉を削ぎ落として骨だけを回収する。削り取ったカラカラの肉はフカの餌だ。組まれた樽は次々に放り込まれる骨で埋まっていく。

「アレはどうするんだい?」

「企業秘密ってヤツなんですよねぇ……こればっかりは白魚の姐さんにも教えられないんですわ」

 えっへっへ、と笑ってやれば、オリガが不敵に笑い返してくる。おぉ、おっかねぇ……。

 ミイラの解体と、回収した積荷を両海賊で分け合う作業を眺めていると、船内から戻った副船長のエトワールが渋い顔をして俺の肩を叩いた。

「ラース、ちょっとお話が」

「ハナムシでも噛み潰したみたいな顔してるけど、なに?」

「アナタの裁量とレヴくんの情報、どちらも信じて居ますが、何か私に伝え忘れた事があったとか、そう言う自己申告を今の内に受け付けたいと思うのですが」

「……またそう言う、回りくどい言い方、止めてくんない?」

 思い当たる節はないと?と再度のエトワールからの質問に、何も思い当たらない、と正直に答える。俺は何時だって正直だよ?ゴホン。

「なら、この船の積荷について、事前に情報は掴んでいましたよね」

「そうだよ?アウリッツに輸出する宝石の原石だろ?あとコスタ織物の絨毯と、蒼林の食器類」

「では、本当にこれは想定外だと」

「何だよ一体!何があったってんだよ、早く案内しろ!」

 クダクダと説教を聞く時間は無いんだっつーの!しっし、と払うようにエトワールに案内させて船倉へと潜る。

「ったぁく、ちょっと位予定外の物だって積んでるだろうが……イチイチそんなんで」

 薄暗い船倉に下りて、そこにあった異様な光景に俺は言葉を飲み込んだ。

 削り出された一枚水晶の板で作られているのだろうか。とにかく透明度がとんでもなく高いそれで作られた、箱だ。巨大な箱だ。角の部分には金で豪華な細工が施され、大振りの宝石も嵌め込まれている。それだけで相当な価値のありそうな箱だ。大きさは、大人が折り重なって入れば五・六人は入れそうな大きさだ。船倉の三分の一はそれで埋まっている。

 その箱の仰々しさよりも、更に俺の度肝を抜いたのはその中身。金色の髪、白い肌、青い大きな瞳、たわわな乳房、くびれたウエストと張り出た腰。その先に続く、淡い色の翠の尾鰭!

「おいぃ!」

 思わず俺はエトワールの背中を叩いた。

「何で人魚が乗ってんだよ!」

「だから、こっちが聞きたいんです。この人魚はゴーンブールの南東の海域に生息する希少種ですよ、恐らく」

「それって最近何とかって条約で輸出入禁止されたヤツだろ?」

 おい密輸かよ!上で呆けてやがるこの商船の船長叩き起こして尋問しろ!


 叩き起こした商船の船長は命乞いも程々に、確かに人魚は密輸の品だとあっさり白状した。

「コッチも人の事はとやかく言える立場じゃねぇけどよぉ、何だってこんな面倒な荷物乗せてやがんだよ」

「……条約で禁止されてから、バルツァサーラの貴族連中が見目麗しい人魚共に大金を積んでるんだよ。それで一攫千金を夢見て、ようやくコイツを捕まえたんだ。それなのにアンタらに船を狙われたなんて、オレもツイてねぇよ」

「そうやって金に目が眩んでると、ツキも逃げるってもんだぜオッサン」

 てめぇに言われたかねぇや、と叫んだ商船船長をうっかり撃ち殺しそうになったが、足下の甲板を射抜くに止めた。

「で、どうするよアレ。抱けねぇ女に用はねぇんだ。海に投げちまえば良いよな?」

「船長!」

 揃って俺を呼ぶ声が二つ。話を聞いていた船医マルトと料理長ジョンが揃って挙手までしていた。この二人が人魚を前にして言うであろう言葉と言えばなぁ。

「船長!ワシに人魚を捌かせちゃくれんか!」

「人魚は霊薬の材料にもなると聞きます。是非私も解剖したいです」

 ですよねー!好奇心旺盛と言うには度が過ぎるぞ。

「念のため、人魚の意見も聞いてみたらどうですか?」

 供物へお祈りするくらいは出来そうなエトワールの慈悲深い一言で、俺とマルト、ジョン、エトワールは再び船倉へと移動した。

 船倉の更に下。いつものように船を沈めるための爆薬を設置しに行っていたクラーガ隊が、急遽取りやめになった爆破の後処理をしていた。設置した爆薬の撤去作業だ。その作業から離れた隊長のメーヴォが、人魚の居る船倉で俺を待っていた。

 メーヴォが微かに、シィ、と口元に指をやった。何だ?

「どうしたメーヴォ。お前までその人魚で何かしたいとか言い出すのか?」

 何事もない顔でメーヴォは俺に向き直った。

「そうだな、人魚の流す涙が極上の宝石になると言う検証実験はしてみたいが、それより僕が興味あるのはこの箱だ」

 人魚をどう処分するかは任せるので、残ったこの容器が欲しいと言うのだ。

「これだけの透明度で一枚板に削り出された水晶は珍しい。あと装飾の金や宝石も欲しい」

 お前は花より団子より皿か。箱も丁重に扱う事を約束して、メーヴォを作業に戻らせた。

「さぁて」

 ようやく人魚と対峙をした訳だが、人魚さんお話出来ます?

「おい、こっちの話が分かるかどうか、そっちが話が出来るのかどうかも兎に角置いておくが、人魚さんは俺たちが身柄を預かる事になった」

 ちゃぷり、と水面に浮かび上がって顔を出した人魚が、困った顔をして此方に視線を投げる。

「言葉は分かるな。今から俺たちがお前さんの進退を決定する。アンタに拒否権は無い」

 むっとしかめっ面をした人魚が水からその白い腕を突き出して何かを指差す。何度も同じ方を指差して腕を振るっている姿は、何かを訴えているようだ。

「……言葉は話せないのか」

「どうするんです?ラース」

 どうするったってなぁ。俺の背後にいるマルトとジョンは物珍しげに人魚を見つめている(恐らくどう捌いてやろうかとか考えいるに違いない)。船倉の入り口にもなんだなんだと既に人だかりだ。

「面白いモンがあったもんだねぇ」

 オリガが船倉に降りつつニヤニヤとその唇を歪める。

「人魚はまだ喰った事がないのよねぇ。アンタの所の料理人なら捌けるかしら」

「おう、任せちょけ!」

「ジョン、切り身とか内臓とか、鱗だけでも良いんでこっちにも回して下さいよ」

「人魚の何処の部位が薬になるんやて?」

「色々文献は読みましたが、よく聞くのはやはり心臓とかですね」

 食材を前にして楽しげに歓談する三人を前に、バシャバシャと水を叩くようにして人魚が抗議を始めた。未だ彼女の視線はチラチラと別の所を向いている。それを追った先でしかめっ面のメーヴォと視線が合った。

「あれ?お前作業は?」

「クラーガ隊に任せて来た。何よりこの金切り声じゃ集中出来ない」

 ギロリとその視線が人魚に注がれる。

「少し黙れ」

 そう叱咤したメーヴォを前に、人魚は嬉しそうに破顔した。


「ああ、声帯を潰されていますね」

 マルトの診断を受けて、人魚はようやく息を吐いた。風の魔法で声帯を裂かれ、人語を話す事が出来なくなっていた。人魚の歌に船員が惑わされてしまっては元も子もないからだ。声は出ずともその容姿には莫大な金が積まれる事だろう。それ程にこの人魚は美しい。

 ちゃぷん、と水の中に身を翻した人魚が、水晶の壁にペタリと手を付いて此方を伺う。

「で、メーヴォは割りといつものアレでソレな感じに、お嬢さんの声が聞こえると?」

 アレソレで事を済ませようとするな。

 僕、メーヴォ=クラーガは特殊な瞳を持つ古代人の末裔だ。その古代人たちは、特殊な言語を人間たちには聞こえない魔動波、念波に乗せて会話する事が出来たと言う。現に僕もその念波に乗せて従者であり、魔法生物である鉄鳥(てつどり)と会話をしている。

『お父様の言う、多種多様な言葉を覚えておきなさいって教えの意味がようやく分かったわ!お父様の教えは間違ってなかった。私は命を救われたんだもの』

 勝手に頭の中に流れ込んでくる特殊な言語で、人魚が誰に向けるでもない独り言を呟く。その顔が命拾いしたとニコニコ笑っている。その笑顔が何処まで続くかな。

「じゃあ取り敢えず、メーヴォを通訳にしてその人魚さんと交渉と行きますかね」

 ラースがいつもより偉そうに人魚の水槽の前に立った。面倒なので会話を掻い摘んでおこう。

「俺はヴィカーリオ海賊団の船長ラースだ。アンタお名前は?」

『私はパメラ。パメラ=サッフィールス。ゴーンブールの東の海に住んでたの』

「ほぉ……お嬢さん一応今の立場は分かってるな?」

『そうね!アナタたちが私を助けてくれたのよね。私おうちに戻りたいの!此処からだと海流が逆だから、私の事を運んでもらいたいわ!』

「ちょっと待てよ、俺はさっきアンタの事はウチが預かったって言ったよな」

『だから交渉の場を与えてくれたんでしょう?ねぇ、お願い!おうちに帰れたら、私の持ってる海石全部あげるから!』

「……それは本当か?」

 思わずその言葉を確かめてしまった。

「メーヴォは口を挟むなって!」

「海石は強力な魔法石の一種だぞ?」

「そんなのは俺だって知ってるって!今交渉してるのは、俺!」

「……海石の数や質によるが、あればかなりの値打ちだし、良い武器も道具も作れると言う事だけは言っておくぞ」

 水の中で身振り手振り、動きの大きなお嬢さんはバシャバシャと水が零れるのも構わず自分の価値をアピールし出した。

『私を此処で食材とか薬剤にしちゃうのは!勿体ないぞ!絶対に!』

「分かった分かった!で、アンタの持ってる海石ってのはどのくらいの大きさで、どのくらいあるんだ?」

『えぇとね、こう言う小さいヤツから、こう言う大きいヤツまで、えぇーと……何十個かはあるよ!私の大事なコレクションなの!』

 小さいヤツは一つまみ程度の大きさを指していたが、大きな物に関しては握り拳を指したぞ今!しかも何十個もだと?

「……それマジ?」

『うん!おおマジ!』

 ラースの目が物欲と金欲に塗れて輝き出していた。まあ、そうだろうよ。

「決定だな」

「よぉし、野郎ども!この船を僚船として帆走させる用意をしろ!」

 ションボリと肩を落とした約二名を横目に、ラースはエトワール副船長に海図を持って来て場所の確認をするように命じ、船を出来るだけ軽くする為の作業に取り掛かった。

「残念、人魚の肉を食い損ねちまったねぇ」

 ニヤリと蠱惑的な笑みを浮かべたオリガは、水晶の壁越しに人魚を一瞥し、命拾いしたねぇと嗤った。

「ラース船長、アタシらはあの人魚に興味は無い。アレを取り分にした分の分け前、コッチに頂こうと思うんだが、いいかい?」

 首根っこを掴まれたラースにその拒否権は無いように見えた。

「……何をご所望で?」

「アンタらの砲撃手長が作った便利な道具を一つお寄越しよ」

「えぇーっとぉ……」

 おっと、いけない。そう簡単にライバルに塩を贈られても困るんだ。

「オリガさん、便利な道具とは言いませんが、良い物があります。少し待って下さい」

 言って僕はエリザベート号の自室に走った。

 蝕の民の技術を用いた強力な武器や便利な道具を作る傍ら、宝石商を偽る船らしく端材を使って彫金師の真似事をしていたのだ。そんな中で作った物に、幾つかの試作があったのを思い出した。

「月の羅針盤、と呼んでいる道具です。月の位置を正確に示すペンデュラムです」

 赤い石のはまった振り子をオリガに手渡せば、不思議そうな顔をしてそれを下げて見せた。

「そうやって吊り下げて、少し魔力を篭めて下さい」

 ほんの少しオリガの周囲の空気が熱を帯びた。四つになってしまった大海賊の中で最も血気盛んな女海賊オリガ、炎狐族特有の炎の魔力が漂う程に彼女の魔力は高い。その髪色と相まった青の炎がちかちかと走るように彼女の手からペンデュラムの赤い石に向けて、魔力の波が走り石に吸い込まれた。振り子が震え、それは真っ直ぐに上空に浮かぶ昼間の白い月を指した。

「新月でも月の位置が正確に分かります。航海士に渡せばそれなりにお役に立つかと」

「ウチにはもっと上等な羅針盤があるんだけどねぇ、まあ面白い。コイツで今日のところは勘弁してやるよ」

「……そう言って頂ければ、幸いです。では、コレは僕個人から、貴女に」

 青の薔薇と羽根細工を施した髪飾りを手渡すと、これだから色男は、と彼女はくっくと笑った。



 航行予定の進路を真反対に取り、白魚の船と航路を別つ。男に飢えた女海賊たちには随分別れを渋られた。此方は奴隷上がりたちの集まりで、妻帯者が多い珍しい海賊団だ。女たちを優しく諭すくらいの器量を持ち合わせた者が多い為か、女海賊たちは別れを惜しんだと言う訳だ。

 そんな白魚との分かれの後、人魚の少女、パメラから事の経緯をこと細やかに通訳させられた。エトワール副船長が海図を手に彼女を送り届ける先を確認しながら、彼女の鬱憤を晴らすための会話相手になったのだが、通訳として駆り出されるとは思わなかった。

 ゴーンブールの東の海、大陸から少し離れたゴーンブール領の島があり、その近海に彼女は住んでいたらしい。昨今の人魚高騰の知らせなど知る良しもない彼女は、好奇心の囁くままに浅瀬の岩場で遊んでいたのだと言う。そこを見つかり、何らかの魔法によって捕縛された。それが慈悲であったかは兎も角、痛みの伴わないまま風の魔法で声帯を裂かれ、そして見知らぬ土地に売り払われる末路を辿るところだった。それを救ったのが僕らヴィカーリオ海賊団だ。

『素敵な人間の王子様って本当にいるのね!』

「残念な事に、私たちは海賊で、誰一人として貴方をお姫様として迎える事はで来ませんけれどね」

 苦笑したエトワール副船長を見て、そんな所も素敵よ副船長さん!とウインクしたパメラに、彼はぞっと青い顔をしていた。その性癖も厄介者ですね。


 アジトにいる海賊団員の家族を数に入れず、エリザベート号の搭乗員だけで言えば、ヴィカーリオ海賊団は総勢で六十人程度しかいない小さな集団だ。僚船を同じように帆走させる事は難しく、何にしても人手が足りなかった。情報屋レヴの持つ海軍や商船たちの航路情報を元に、多少の遠回りを覚悟し、エリザベートは帆を半分たたんで、二隻は並んでゆっくり帆走した。

「こげな航路取ったら、食料がちっとも足りへんやないか!」

 さっさと捌いたら良かったんや、と航路変更に愚痴を零す料理長ジョンを宥めると、気を取り直した彼は結局、人魚は何を食うんや?と彼女の事を気にかけた。何だかんだでこの強面の男は根が優しいのだな、と思うも。

「……これで船長の気ぃが変わったら、つやつやに肥えさせた肉を捌いたるわ」

 と目を光らせていたから前言は撤回する。商船から奪い、白魚と折半した食料品でもまだ足りない分は、彼を筆頭とする調理部隊が連日商船の後ろから釣り糸や網を降ろしていた。

 パメラは無加工の生魚を頭からバリバリ食べていたから、人魚と言えど人外の魔物なのだと再認識させられた。


「残念ですが、あの傷は治療不可能です」

 再度パメラを診察した船医マルトが、酷く残念そうに診断結果を口にした。

「複雑な魔法だったんでしょう。声帯はボロボロで、尚且つ既に傷口が塞がっていて、再手術をするには私の技術では無理です」

 相当高度な技術を持った外科医でも、この手術は無理だろうと告げる。何故なら彼女は人魚で、数分なら兎も角、長時間水から上がる事は出来ないからだ。

『……残念だわ。でもお父様となら問題なくお話出来るし、もし婚約を迫られるなら、私の言葉を理解出来ない人はお断りする理由が出来たわ』

 ポジティブなのか何なのか。

『人魚に身分や階級があるかどうかは知らないが、お前の出自は悪くないんだな』

『分かる?』

『複数言語を学ばせるのが人魚の一般的な教養レベルだと言うなら僕の憶測もそれまでだが、言語学に精通させるのは貴族や身分が上の者の嗜みだ』

『うんうん、通訳さんは流石だナァ!何を隠そう、私は人魚のお姫様なんだよ!』

『……なるほど、そいつは報酬が楽しみだ』

「メーヴォさん、彼女は何と言っているんですか?」

「自分は人魚の姫君なんだと」

「ははぁ、なるほど。可愛らしい事ですね」

『あぁー!信じてないでしょ?本当なんだから!』

『分かった分かった』

 その姫君に診療のお礼にと、自然と離剥した鱗をマルトが何枚か貰っていたから、人魚の鱗にどれほどの効果があるのかを実験するだろう。捕虜にした商船船長で。


 航行中、商船側の食事を運ぶのにレヴの影を操る能力が存分に発揮された。

 コールとの契約後、影の中にコールが居座るようになった事で、多少ならば物を仕舞い込む事が出来るようになったレヴは、出来上がった食事を影の中に仕舞い、僚船へと影を使って飛ぶと言う曲芸じみた事までやってのけた。どれだけ揺れようとも、影の中は微動だにしないらしく、食事がひっくり返る事もないようだ。結果、彼は毎食毎に食事を運んで船を行き来していた。

 ちなみに僕は基本的にパメラの言葉が分かると言う理由で、商船側に乗っている。

「人魚は生かしておいて、時々鱗や肉を少しだけ削いで使えれば良いんですけれどね。流石にエリザベートにこの水槽は持ち込めないですよね」

「私は是非その血を味見したかったですねぇ」

 魔族のレヴと高位吸血鬼のコールは、ヴィカーリオ海賊団の良心的存在だと思っていた僕が間違っていたな、と考えを改めた。青い顔をして怯えたパメラを宥めつつ、船で出来なくてもアジトに連れて行けば良かったかもな、と口に出してやった。

『もう!通訳さんも、みんな意地悪!』

 泣き真似と共に水槽の端に逃げてしまったパメラだったが、その日の夕食にと鰯がバケツいっぱい差し出されると、あっと言う間に機嫌を直していた。


 楽師のエドガーとアリスも人魚の下を訪れ、老紳士は彼女の美しさを誰よりも褒め称え、パメラの機嫌を最高に良くしてくれた。

『私、ちょっとオジ専に目覚めそう!』

 多感な人魚の少女は頬を染めてキャアキャアと黄色い声を上げる。耳に痛いから静かにしてくれ。

「人魚さん、声出ないんっすね」

「下手に歌われたり、船員を誘惑されて逃げられでもしたら、商人たちも困っただろうからな」

 自分たち海賊が、これまでどれほど残虐非道な行いをして来たかを問われれば、天秤もどちらに傾こうか悩むレベルの話だが、音楽隊のアリスが悲しそうに人魚の水槽に寄り添った。

『何て可愛い子。それに素敵な声。ねえ、アナタの歌声を聞かせて』

「歌っすか?良いっすよ!」

 その日は商船側で長く歌が繰り返された。

『こんな素敵な女の子が良く海賊船でやっていけるわね』

 アリスの歌を聞きながら、パメラが何処か心配そうな顔で呟いた。

『……アリスは男だぞ』

『嘘でしょ?』

 ごぼ、と口から大きな泡を吐きながら、パメラが目を剥いた。だってこんなに可愛いのに!と続けざまに驚きの言葉を口にした。僕も初対面では女の子と間違えるほど、アリスは小柄で少女のように愛らしい。十八になると聞くが、見た目は十六かそこらの無垢な少女に見える。

 とは言え、その裏側に中々凄惨な過去を持っていて、その美しい歌声のために十になる前に去勢されているのだ。成長期を迎えても中性的で愛らしく、その歌声は少女の美しいソプラノだ。

「ワシが長く家を空けている間、娘たちには苦労をさせた。そして可愛らしい孫はこの有様じゃ。娘を狂わせたのはワシなんじゃ」

 強い後悔の表情で重い口を開いてくれたエドガー老を思い出して胃が竦んだ。楽しげにアコーディオンを奏でるエドガー老は、今ようやく罪滅ぼしと共に自らの最後の役目を全うしようと懸命に生きている。それに答えるように、それを許すようにアリスの歌声は波間に響く。

『素敵な歌声ね。悲しいのに、力強い』

 再びパメラは水槽の外に向けて呟いた。そうだな、と同意の言葉だけを返した。


 パメラの入る水槽の水は、毎日入れ替えてやらなければならなかった。海水の入った小さめの樽を力自慢の男たちが何度も運び、水を入れては汲み出す作業を繰り返す。最初に幾分少なくしておいて、水を足す事で海水の鮮度を保つのだ。

 水はあっと言う間に腐る。航海する上で真水は貴重品。一般的には大量の水樽を積載して海に出る。しかしそれも時間と共に腐る。水の魔法を駆使したりもするが、大所帯の真水の確保は生命線だ。

 ヴィカーリオ海賊団の船、エリザベート号には超超高級品である『浄化の樹』が船底に根を張っている、その樹は濁水を真水に変えて幹の中に蓄える性質があり、船底から海水を吸い上げ真水に変換してくれる。決められた枝から毎日真水を放出させている為、基本的にエリザベート号には水樽と言う物を積載しない。その分は全て食料品が乗せられるため、毎日料理長が腕を振るった美味い食事が口に出来る。

 力仕事は得意ではないが、人手不足の中手伝わない訳には行かず、水樽を何度も抱えて甲板と船倉と往復した後、ぐぅっと鳴った腹を恨めしく思う。ラースに助けられて殺人鬼としての処刑を免れ、ヴィカーリオ海賊団に入団して本当に良かったと思う事の要因は幾つもあるが、長い海上生活において美味い食事を口に出来る事はこの船の特権だと思っている。

『人の食べる物って不思議ね。とってもカラフル』

『……そうだな』

『ねえ、一口頂戴?』

『止めておけ。海に戻った後、食事に困るようになるぞ』

『そう、そんなに美味しいの』

『そうだな、お前たち人魚に、この焼き魚の美味さは毒にしかならない』

 火を起こして作る料理の味を知れば、人魚は少なからず新たな知恵の実を口にした事になる。それはやがて人魚の身を滅ぼす毒だ。

『好んで毒を口にしたりはしないわ。私結構、我慢強いのよ』

 ふふっと笑った少女に、かつて傍にいた妹の幼い笑顔を思い出した。


 そうして二隻で航海をしておよそ二週間。乾物の肉が尽き、米も乏しくなり始め(勿論金曜のカレーもこの二週中止だった)、魚介メインの食事の回数が多くなって来た頃、目的だった海域へと船は到達した。

「で、このお嬢さんはどうやって海に運ぶんだ?」

『抱き上げてってくれても良いわよ船長!私こう見えて素上がり得意なのよ!』

 素潜りの反対が素上がりか?息は五分は止めていられるから、と息を巻いて目を輝かせているパメラを他所に、船大工のルイーサがこんな事もあろうかと!と通常の倍ほどもありそうな巨大な樽を用意して来た。その樽ならば海水とパメラを入れて移動させるくらいなら出来そうだった。問題は、その大きさでは海水とパメラを入れて運び出せるか、と言う点だが。

「どうせこの船はこの辺りで沈めると船長から聞いてます。重くなった分は天井を破って、マストから滑車で持ち上げれば良いです」

 なるほど正論だ。

『どうして!乙女心を分かってくれないの!』

 そりゃあ僕らは海賊だからな。効率が一番重視されると言う物だ。

 島の近くまで移動し、岩場に近い沖合いに投錨する。

『じゃあ、絶対に此処で一晩待っててね。明日の夜にはお父様を連れてお礼の品を持ってくるから!』

 マストに付けられた滑車で海水とパメラの入った大樽を吊り上げ、それをそのまま船外へとゆっくり下ろす。樽が海面に付くと彼女はその美しい肢体を翻して海の中に消えて行った。

「さて、ようやく通訳の仕事に一区切りだ」

 とは言え、僕の仕事はまだ残っている。クラーガ隊を引き連れ、商船に残された巨大な水槽の解体を開始した。

 巨大な削り水晶の板を程ほどの大きさに切り分けたり、四隅に施されていた金や宝石の装飾を丁寧に解体する。同時に船大工たちが商船のマストから帆を外して予備帆としてエリザベートへ積み込んだり、使えそうな部位の解体をしていた。どの道、エリザベートに積めない分は木っ端微塵に爆破して海の藻屑にしてやるんだ。

「よう、メーヴォ。皿の回収は順調か?」

「皿?」

「あ、いや、コッチの話。水槽の解体順調そうだな」

 ぼちぼちだよ、と返して、切り崩した水晶板を、どの船室の船窓に嵌め込むべきか考えていた。まずは船長室かな?この水晶は硝子より強度があり、尚且つ軽い高級品だ。あの商人の取引先は相当な富豪だったに違いない。

「あの嬢ちゃん、来ると思うか?」

「お前が彼女との約束を信じたから、此処までわざわざ来たんだろう?僕はお前のその判断を信じるよ」

「……そっか。なら、俺もあの嬢ちゃんを信じ続けるとするよ」

「所でラース。あの島に港は?この船を持ち込んで売っても良いんじゃないか?」

「そう言う変な貧乏根性は止めろよ。船の特徴で色々足がつく」

「……そうだな、すまない。ところで、この商船の船長は?」

「ああ、お前はずっとコッチだったからな……凄いぜ」

 ヴィカーリオ海賊団では、此処しばらく猛毒を持った特殊な虎鯨と言う名の鯨を何とか調理出来ないかと、料理長ジョンと船医マルトがその調理法、また万が一の解毒法を模索している。厄介な食材だが、食糧事情を左右する重要な魚でもある。定期的に捕虜を捕まえ、その料理の人体実験を行っている。商船船長も例に漏れず虎鯨の食事を口にし、その特徴でもある中毒症状を起こした。しかし、パメラの寄越した鱗をほんの少量使った解毒薬が効果覿面。商船船長は今も存命していた。

「人魚の血肉ってのは霊薬の材料になるってのは本当みたいだ。マルトがもっとあの鱗を剥いで置けば良かったって嘆いてたぜ」

「定期的に人魚狩りをしたいとか言い出されたら、厄介じゃないか?」

「なら彼女が本当に人魚のお姫さんであると信じようじゃねぇの。人魚の王族に貸しがあるとなりゃ、鱗くらいたんまりくれそうなもんじゃねぇか」

 確かにその通りだ、と僕は屈託無く笑う少女の顔を思い出して苦笑した。



 人魚を待つ間に、小型艇で調理部隊を先発隊として島の港に向かわせる。主に補給物資や食料品の手配をさせる為だ。三日経っても港にエリザベートが停泊手続きを取りに来なかった場合、海軍の軍艦の停泊があった場合は使役便でやり取りする。そう決めて、ジョン率いる調理部隊と情報屋レヴと従者の吸血鬼コールを同日の夕方に送り出した。

 その晩、甲板で暗い海を眺める俺にメーヴォが声をかけて来た。帽子を取ってコートを着ていないメーヴォはやけに小さく見える。

「気になるか?」

「ま、多少はな」

 苦笑した俺を、メーヴォの赤い目が射抜く。

「もし来なかったらどうするんだ?」

「そうなったらアレだ、その商船の残骸をこの辺りに沈めてやろうぜ」

 あの人魚の言う事を全部信じるなら、この辺りにあの人魚の住んでいる海中王国か何かがある訳だから、船の残骸をばら撒かれたらさぞかし困る事だろう。

「海賊をダシに使ったらどうなるか、きちっと知ってもらわねぇとな!」

「なるほど、やはり出向いて正解だったようじゃな。船を沈められると畑の片付けが大変なのだよ」

 突然、その声は甲板に響き渡った。

 腰に下げていた銃を手に声の方へ銃口を向けて構える。横でメーヴォが鞭を構えた気配がする。振り返り銃を向けた先に、長い白髪とたっぷりの白髭を蓄えた老紳士が佇んでいた。豪奢に整えた身なりの老人が、船主側の甲板に立っている。突然の事で、俺もメーヴォも臨戦態勢のまま固まってしまった。

「おっと、すまない海賊よ」

 ところでどちらが船長かね?と口にした老人の気配に殺気や敵意は無い。そこではたと気が付いた。老人の足元が濡れて水溜りが出来ている。

「……俺がヴィカーリオ海賊団の船長ラースだ。おじいちゃんねぇ、突然人の船に乗り込んで来るのはマナー違反だぜ?」

「おお、人の世間の事はとんと疎くてね。娘を助けてくれた礼に訪れたのだ。無作法を詫びよう」

 マジかよ、と内心で毒吐くと同時に、メーヴォが船縁から下の海面に目を向けた。

「彼女だ」

『やっほー!今晩和、通訳さん!今そっちにお父様が行ってるでしょ?善は急げって言うから、早く来ちゃった。お礼の海石コレクション持って来たよ!』

「……だ、そうだ」

 メーヴォの通訳を聞いて、俺はようやく銃を下げて深く溜息を吐いた。

「人魚のお父様よ、危うく撃ち殺すところだったぜ?海賊はマナーに厳しいんだ」

「ほっほっほ。これは大変失礼した。改めて感謝を述べる場を用意して頂けるかね、ラース船長殿」

 パメラの父と言う老人は、名をモーゼズと名乗った。沢山いる娘たちの中でも特に好奇心旺盛だったパメラの海上好きには予てから危険予知はしていたと言った。

「ついに人間に誘拐されたと知った時には、一帯に捜査網を引いたのだがね、既に時遅し。もう二度と娘と会えぬと思っていた。本当に感謝しておるよ」

 ちなみに甲板で立ち話もなんだと船長室に案内しようとしたら、海から離れられないからと断られた。

 一部の早寝船員たちが既に寝息を立てている中、夜更かしの船員たちに海に向かってロープ付きの樽を下ろさせ、パメラからの海石を受け取った。現物を手に取った時のメーヴォの不細工ぶりは笑いを堪えるのが辛かった。鼻の穴広がっちゃってるぞ……ぷっくく。

「す……っ……何だこの、大きさと、この透明度。これだけの物が存在するなんて……信じられない」

「我が王国には、海流に含まれる魔力が集まる場所がある。その程度の海石ならば、子供の幼稚なコレクションに過ぎん。パメラにはそんな物は捨て置けと再三言っていたのだがな、人間にとって良い物であれば、命の代償に娘の宝をお渡しするべきであろう」

『私の命の次に大事なコレクションなんだからね!大切にしてよね』

 深い青色で、尚且つ夜空の星すらも透けて眺められる透明度の海石で、大きい物は本当に拳ほどの大きさがある。フェリペ司祭の蒼石も霞む程のとんでもないお宝だ!

「娘からの礼はそれ、儂からの礼はこれじゃ」

 言ってモーゼズは俺にペンダント状に加工された海洋石を寄越した。海石の中でも特に上質な超高級品の海洋石!その奥には何かの紋章が刻まれている。

「人魚の王国、マグナフォス(Magnafos)の王家の紋章を封じた海洋石じゃ。身に付け易いように首から下げられるようにした物じゃ。それがあれば、人魚には大抵の口が利ける。旅に困った時に役立てなさい」

「……良いのか?海賊無勢にこんな物渡しちまって」

 もう返さねぇぞ?悪用したって知らねぇぞ?と視線で訴えれば、モーゼズは貫禄のある老人特有の余裕を持って高らかに笑った。

「娘の言う事を馬鹿正直に信じた愚かな海賊に、これ以上の何を信頼しようと言うのだ」

 ああ、なんてこった。大した自信だよ国王様。

「所で船長よ。アンタ方がパメラを取り返してくれたその悪徳商人とやらは、皆殺しにしてしまったのかね?」

「いいや?丁度主犯格の商船船長が生き残ってるぜ」

「なるほど。その捕虜、我々の国で裁きたいのだが、受け渡して頂けるかね?」

 まあそう言う事なら仕方ないだろう。マルトを呼んで、商船船長を甲板に連れて来させた。

 が、何やら様子がおかしい。足取りがフラフラとしていて、目が虚ろだ。

「おやおや?船医殿よ、こやつに何か薬物でも盛りましたかな?」

 思い当たる節しかない、と言う顔のマルトが、怪訝そうな顔で事情を口にする。

「私は虎鯨の毒の解毒剤を日々研究しておりまして、先日お嬢様から頂いた人魚の鱗を解毒薬に混ぜて彼に飲ませたのです」

「ああ、やはりそうですか」

「……今になってこの現状の説明がついたのですが」

「申して御覧なさい」

「虎鯨の毒と、人魚の鱗は何らかの相乗効果、または反発効果があり、一時的な毒の分解は出来る物の、最終的に取り除く事は出来ず再度中毒症状を起こす……で、間違いないでしょうか?」

 人間の医者の癖に良くやるわい、とモーゼズが再び高らかに笑った。

「良い線をいっておるが、ちょいと違うのぅ人間の医者よ。まず虎鯨の毒との関係性は無い。次に、人魚の体組織には大概の毒を消し去る作用があるのは確かじゃ。ただそれにも理由があってな」

 言ってモーゼズが海面に浮かぶ人魚のお嬢ちゃんに声をかけた。繰りなさい、と。

『はーい、悪人さんこっちおいでー!』

 音無き声で彼女が商人船長を呼ぶと、男は突然走り出し、船縁から何の躊躇いもなく海面へとダイブした。

「正解は、人魚の奴隷として魂を繰られると言う事じゃ」

 あぁ、と顔を覆ってマルトが肩を落とした。人魚の血肉や体組織が万病の霊薬になるのでは無い。人魚に取って便利な死人を作る薬になるのだ。

「いや、結構結構。此方で無理にでも薬を飲ませ海に連れ込む手間が省けたと言うものじゃ。最近は船が沈んでも死骸が中々沈んでこなくてのぅ。人手不足に悩んでおったのじゃ」

 海底畑の作業用奴隷が不足気味で、キチンと五体満足の人間は重宝する、と人魚の王は笑う。海で死んだ人間を奴隷として自在に操り労働力にしていると聞いて、何処の国でも富める者の下には過酷な環境で働く人材がいるのだな、と何故か納得した。

「主らも良い体格の者が多い。海で死んだなら、我が国はお前たちを歓迎しようぞ」

「は、はは。暫くは遠慮しておくわ」

 言って俺は青い石のペンダントを首に掛けた。


 親子が海の底に悪徳商人と共に沈んでいくのを見送って、俺たちは遅い夜に就寝した。

 翌日の昼過ぎ。マルトが海に使えなくなった人魚の鱗入り解毒薬を撒いて捨て、しょんぼりと肩を落としていたのを慰めつつ、島の港へと船を走らせた。

 沖に放置した元商船から煙が立ち上り、浸水した船は真っ直ぐ海に沈んで行った。アレは海の底で、幼い人魚たちの格好の遊び場になる事だろう。

「あぁー、何だかドッと疲れたわ」

 伸びをして仰いだ空は、憎らしくなるくらいに真っ青に晴れ渡っていて、胸に下げた海洋石にも負けない輝きを放っていた。


おわり

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