第九話
ベッドで横になっている少女。その顔は赤い。
別に恥ずかしいわけではない。単純に熱があるだけだ。
「うう…頭痛い…」
額には氷嚢が乗せられ、何枚も毛布が重ねられた少女。
その姿はまるで、彼の有名なコタツムリを連想させるようだ。
ノソリと体を起こし、部屋を見渡す。
壁際にベッドが置かれ、脇には小さな机と簡素な椅子。それ以外には何もない。
傍の窓から見える景色だけが気分転換になる。
まるで病室の様にも思えてしまうこの部屋は、屋敷の隅に存在する隔離部屋だ。
誰かが風邪をひくなど体調を崩したりした時、この部屋に送られる。他の皆にうつさないよう、部屋に入れるのも看護役の一人だけだとも聞いた。
「風邪ひいたのなんて、いつ振りだろ…」
ここに来る前に、一度だけ高熱を出した記憶がある。
意識が朦朧として、自分がどこにいるのかもあやふやになった。
それ以来、僅かに体調を崩すことはあっても、ここまでの高熱を出すことはなかった。
あの時は、母親が忙しい仕事の合間を縫って看病をしてくれたが、今はその母親もいない。
なんというか、心にぽっかりと穴が空いているような…
―――なんだろ、寂しいのかな…
風邪を引いた時は弱気になると言うが、これはいけない。
気をしっかりと持たないと、治るものも治らない。
しかし、皆が働いている中、自分だけが休んでいると申し訳ない気持ちになってしまう。
そのままどれくらい時間が経ったのだろう。数時間かもしれないし、数十分かもしれない。
扉の外からは声が聞こえた。声からしてメイド長だろう。
『あなたの言い分は分かります。しかし、部屋に入れるわけにはいきません』
『で、でも、メイド長!』
『あなたにはあなたの仕事があるのでしょう。一つが終わったからと言え、休む暇などありません。すぐに持ち場に戻りなさい』
『は、はいぃ…』
どうやら誰かと話しているようだ。
扉に遮られたせいか判別はつかなかったが、臆病そうに詰まるような言葉で、すぐに思い当たった。
―――マリーさん、私になにか用事かな?
あの人にしては珍しく声を荒げていた。
具体的に言えば、文の最後に感嘆符が付いているような。
そんな事を考えていたら扉が開いた。
入ってきたのはメイド長だった。
カートのような物を押しながら部屋に入ってくる。
「目が覚めたようですね。今朝、あなたが門の前で倒れていて―――」
―――そうだった。私は、あの小屋で…
あの時、あの男の凶器が、少女に刺さることはなかった。
顔を逸れ、背もたれにしていた箱に突き刺さり、男は項垂れたままピクリともしなかったが。
とりあえず親方の店の場所を告げておき、小屋を出て森の中を彷徨ったのだ。
なんとか日が明ける頃に屋敷に着くことが出来たが、濡れた服を着て肌寒い中を歩いていたせいか、門を開けることも出来ずに倒れ込んでしまった。
その口ぶりから、発見してくれたのはメイド長なのだろう。
「―――驚きました。しかしどうやら、熱が出ていたようなのでこの部屋に」
そう言うメイド長の表情が変わることはない。
ただの社交辞令なのだろうと少女は思った。
よく見ると、少女が来ている服が違う。
「衣服が汚れていましたので着替えさせておきました。支給した衣類と休日に着ている衣類以外、持っていなかったようなので。私の古い衣服ですが。幸い、あなたにはピッタリのようです」
なんということはない質素な服だ。
取り立てて飾り気がなく、メイド長の様な美人が着るには、釣り合いが取れないような服だ。
とはいえ、メイド長がメイド服以外を着ている場面を、少女は見た事はないが。
ちなみに、メイド長はピッタリと言っているが、一部に少しの隙間が見られた。
どこが、とは言わないが。
「あ、いえ。ご迷惑をおかけしました。あの、それで…」
「昼食は用意しました。薬は食後に三錠を。白湯もあります。水分を取るのは忘れずに」
「は、はい」
「汗をかいたら声をかけなさい。着替えは用意してあります。夕食もこちらに運んできますから、それまでは体を休めなさい」
矢継ぎ早に言葉を続けるメイド長。少女は目を白黒させてそれを呑み込む。
カートに乗っていた土鍋をベッドの隣の机に置き、簡素な椅子に座るメイド長。
「消化に良い物は体への負担も少ないと聞きました。口を開けなさい」
土鍋の蓋を開けるメイド長。匙で掬い、少女に口元に近づける。
恐らくお粥だろうと見当をつけた少女。
メイド長の言葉通りに口を開け、ムグムグと咀嚼する。
少し強めに塩味が効いたお粥に、少女はなんというか懐かしい気持ちになった。
咀嚼し、嚥下すると匙が少女の口元に添えられる。次々と繰り返すとあっという間に空になった。
その間、メイド長は一言も喋らず、ただ黙々と少女にお粥を食べさせていた。
食後、白い錠剤を白湯で飲み下し、一息つく。
一息ついている中、メイド長はジッと少女を見つめている。
そんな空気に耐えきれず、少女はメイド長に話しかけた。
「あの、メイド長さん、このお粥…」
「先日、買い付ける機会がありました。コメと言うらしいのですが、メイド商会で今後販売される物です。しかしなるほど、オカユと言う料理なのですか」
「え…あ、はい。メイド長さんが作ってくださったんですか…?」
「この屋敷での料理はマリーに一任してあります。マリーが作ったと思うのが自然でしょう。何故そう思うのです?」
「いえ、休みの日に、主人さんに料理を作っているのは誰かな? って思いまして。それに…」
「それに?」
「あの、怒らないでくださいね? マリーさんの、ちょっと物足りない味じゃなくって、その…お母さんが作ってくれた味に似てるんです。私が寝込んだ時に作ってくれたお粥とそっくりで。ありがとうございます」
あの時の情景が瞼の裏に浮かんでくるようで。けど、戻ることが出来ないあの場所。
不思議と、そんな気持ちを思い出してしまった。
やはり、風邪を引いて弱気になっているのだろう。
クラリと、頭の奥から眠気が襲ってくる。薬が効いてきたのだろうか。
「あ…すみません。眠く、なって…」
「病人に負担を掛けるほど愚かではありません。何故あなたが倒れていたのか、それは後日聞きます。言い訳を考えておくようにしなさい」
柔らかな暖かみが眠気を誘い、開けていられなくなる。
呼吸が深くなり、徐々に意識が遠くなる。瞼が重い。
「…はい、ありがとう、ございま、す―――」
眠りに落ちる直前。その時に見えたメイド長の顔は、まるで母親のようだとだと。
そう、少女は思った。
※以下、登場人物について。
・少女 [] 16歳 161cm
種族:人間
髪色:茶色
瞳色:茶色
人物像:在住する地域では一般的な茶髪に平凡な顔立ちの、いたって普通の少女。
雨が降る森の中をさ迷い、意識が朦朧としながらも屋敷に辿り着くことができた。
案の定次の日には風邪をひき、看病を受けることになった。
薬を飲み眠りに落ちる直前、メイド長の顔に、今は居ない母の面影を見た。
コタツムリ亜種。弱点はコルン。
・メイド長 [] 歳 172cm
種族:
髪色:金色
瞳色:碧色
人物像:詳細なプロフィールは不明。
少女が風邪を引いたことを受け、屋敷の業務へ支障を来たさせない為にその看病を行った。
親方の店で買った『コメ』という穀物で快復に良いという料理を作った。
料理はかなり上手。マリーが来るまでは食事を作っていたため。