第六話
「ふぅ…一息入れますか」
太陽が真上に位置する頃。
少女の仕事にが一段落が付き、今は休憩の時間だ。
部屋で休憩をしていると、置かれている姿見に自分が映る。至って平凡な肩にかかる程度の茶髪に、至って平均的な顔立ち。そして、平均より少し貧相な体躯だ。
そんな自分にイヤになりつつ、着用しているメイド服に目を通す。
着用しているメイド服は、基本的に仕事中は着ていなければならない。特に嫌というわけではないのだが、数週間ほど着ている今でも、この姿には慣れない。
黒い生地のワンピースに白いエプロンを組み合わせたエプロンドレス。膝程までの長さで、所々にフリルが縫い付けてある。白いカチューシャも支給されてはいるが、それを着用しているのはメイド長だけだった。
特定の嗜好を持つ人にとってはグッとくるのであろう、と少女は思った。
サラサラとした手触り、良い生地を使っているのは一目瞭然だ。
コルンに聞いた話では、この衣装の製造・販売元はメイド商会という大手の商会だとか。
『あなたの暮らしを作りだす』を標語として掲げ、コンロやファン、フリーザーといった魔具の製造元である。それ以外にも、装飾品や衣料品の製造・販売、食料品の生産・販売、中級~上級階級へのメイドの派遣業など、数え上げればキリがない。
更に、このメイド商会は、ここ十年の内に立ち上げられた、未だ新しい商会だ。しかし、瞬く間に勢力を広げ、今では一、二を争うほどの商会にまで成長したとか。
そして最も驚くべきことは、代表として公の立場に出てくるのは、亜人の女性であることだ。
亜人としての偏見や差別を実績で跳ね除け、今ではどこの街にも支店が一つはあるのだとか。
しかしこの街にあっただろうか、と少女は思い返したが、まだこの街には無かった気がした。
メイド服を作っているからメイド商会なのか、と思ったのだが、どうやらそうではないらしい。
作る方のメイドか、と少女は納得した。
「それにしても…ジーナさん、片付けるの下手だなぁ…」
ジーナのベッドを見るとそこには本が散らばっており、この屋敷に来た当初の少女のベッドの様になっていた。
よくみると、細長い形で本がどかされている。恐らくはこの隙間に体を詰めて眠っているのだろう。
本棚があるのだからそこにしまえばいいのに、と少女は思うが、いくら言っても片付ける気配がない。
少女は潔癖症ではないが、あまりに散らかっているのを見ると片付けたくなってしまう性癖を持っていた。
断じて潔癖症ではない。掃除の時には落ちている埃一つ見逃せなかったり、汚れている窓を見るとムズムズしてしまうが、断じて、決して、潔癖症などではない。
「またメイド長さんに怒られるのもイヤだろうし、片付けておこうかな」
以前片付けた本もあるが、今度は魔法教本や武術全集などの分厚い指導書も混じっている。レシピ集やお菓子全集など、食品関係は食品関係でまとめ、指導書は指導書でまとめて本棚に揃えておく。これで次に読みたいときに探す必要はない。
―――うん、分かりやすい。
とりあえず種類ごとに分類してみたが、自分でも上手くできたと思う。とはいえ、数十冊の本を本棚に纏めただけだが。
そろそろ休憩を切り上げて仕事に戻ろうとする。埃など落ちていないか、ジーナのベッドを最終確認した。
すると、一枚の紙が落ちていた。
―――あれ? こんな紙切れあったかな?
恐らく、本の間に挟んであったのだろう。片付けに夢中で落ちたのに気が付かなかったのか。
四つ折りにされた灰色の紙に細かい文字が印刷されている。
確か今朝、ジーナさんが読んでいた物だ、と思い出す。買い物に行く前、薄暗い中でランプを灯して読んでいたのだが、少女が起きたと気付いたら隠してしまったのだ。
―――新聞? ここにもあったんだ。
新聞を開き、読もうとする。すると…
『会員番号ヲ入力シテクダサイ』
「え…? な、なに!?」
機械的で無感動なアナウンス音が聞こえた。
いきなりの事に、少女は狼狽する。
『会員番号ヲ入力シテクダサイ』
「か、会員番号って!?」
いつの間にか、開いた新聞の前には半透明のパネルが現れていた。
九つの数字と下に向けられた矢印がある。恐らくこれで入力するのだろう。
『会員番号ガ未入力デス。現時点デ非会員ガ閲覧シタ可能性ガ考エラレマス。魔力照合ヲ行イマス。許可ナラバマルヲ。拒否ナラババツヲ。タッチシテクダサイ』
様々な考えが頭を巡っている内にパネルの様子が変化する。数字と矢印は消え、マルとバツの図形だけになった。
―――魔力の照合ってなにそれ!?
『アクションガ行ワレナイ場合、記憶隠滅及ビ当新聞ノ消去ヲ行イマス。魔力照合ヲ行イマス。許可ナラバマルヲ。拒否ナラババツヲ。タッチシテクダサイ』
―――き、き、記憶を消す!?
この世界に記憶消去の魔法などあったのか!? と少女は思い出そうとするが、そもそも自分が知らないだけで存在はするのかもしれないのだ。確信など持てるはずがない。
そう考えている間も、聞こえてくるアナウンスは止まらない。
―――ととと、取りあえずマルを押さなきゃ!
少女はマル印を押す。すると、聞こえてくるアナウンスが変化した。
『魔力照合ノ許可ガ得ラレマシタ。魔力照合ヲ行イマス。魔力ノ減少ニ伴ウ眩暈ヤ頭痛ニゴ注意クダサイ』
魔力が少女から失われていく。しかし、その途端少女の顔色が変わっていく。
眩暈や頭痛どころではない。恐ろしい程の吐き気、目の前が眩むほどの虚脱感が襲ってくる。貧血が何十倍にもなったかのようだ。
少女は立っていられなくなり、床へと倒れる。呼吸が出来ない、息が詰まる。
「う…あ…」
力を入れることが出来ない。体の中から何かが流れ出ている感覚。意識が朦朧とする。
『データベース【075v】及ビ【1-131】トノ照合…終了。2万8837人ノ会員ト一致シマセンデシタ。非会員及ト断定シ―――対象ノ状態ヲ確認…終了。生命維持ヘノ著シイ障害ガ見ラレマス―――魔力ノ異常低下ヲ検知。対象ノ生命維持ヲ優先シ【機密指定】ヲ発動シマス』
完全に意識を失った少女を中心に、複雑な形をした図形が展開される。三角形と円形、放物線などが緻密に描かれた、一見すると芸術品の様にも見えてしまう魔法陣だ。
虹色に。赤から橙、橙から黄、黄から緑、緑から青、青から藍、藍から紫、紫から赤へと。
光り続け、光が部屋を呑み込んだ。
『対象ノ【機密指定】を観測…終了。下限式閾値存在型ト断定。例外体No.2ヲ発見。対象ノ魔力波長ヲデータベース【X0v】ヘト登録シマシタ。以上ヲ持ッテ プログラム【機密指定】ノ起動ヲ終了シマス。ナオ 当新聞ハ規則ニ基ヅキ自壊シマス』
新聞の端が赤熱する。赤熱が全体へと広がり、徐々に白く変わっていく。
その白色光が最高潮に達した瞬間―――
―――
破裂音に目を開ける。今までの不快感はない。
嘘のように体が軽く、むしろ体調が良いくらいだ。
しかし、目の前には消し炭が落ちており、今までの事が夢ではないことは確かだ。
「いま、のは…」
この世の終わりかとも、死んでしまうかと思うほどの絶望感。
あんな感覚を味わったのは久しぶりだった。
冷や汗が止まらない。
もう、あんな絶望を味わうのはゴメンだ。
バタバタと廊下を走る音が聞こえる。廊下を走るのは危ないのに誰だろうと、少女は思った。
「ちょっと! 今の音はなによ!?」
乱暴にドアを開けて入ってきたのはジーナだった。
既に昼は過ぎているだろう。ジーナの仕事は、食事の材料の買い出しだけだ。
それも、朝と夕に市場へ行くだけだ。だから、基本的に昼は暇なのだ。
「あ、ジーナさん。廊下を走っちゃ危ないですよ?」
「え、ああ、ごめんなさい…じゃないわ! なによ今の音は!?」
「えっと、なんといいますか…」
新聞を読もうとしたら記憶を消されそうになって、急に倒れて死にそうになったなんて。
さすがに言えない。
「わたしのベッド片付けてくれたの? ありがと新入り…って、何よこの炭!」
「あ、いえ、その、実は…」
少女は嘘が嫌いだ。
吐くことも吐かれることも、大嫌いだ。
少女は自分の信念に基づき、全てを打ち明ける。
「あのメイド新聞を見たって…大丈夫だった? 会員じゃない人が見ると大惨事になるって…」
―――大惨事って!? というか、あの新聞ってメイド新聞って言うんだ…
「えっと、どこだったかしら…ああ、あったあった。ほら、これよ」
片付けた本棚から本を投げ捨て、散らかし始めるジーナ。しかしどういうことか、本には折れ目一つ入っていない。
そして、少女に見せつけたのは一枚の紙だった。
「契約書…ですか? けど、それにしては内容が…」
そこには一文だけ、こう書かれていた。
『メイド新聞に関する内容を、いついかなる状況においても、他者へと口外しない』
それが紙面の真ん中に綴られており、その下には名前を書き込むのであろう空欄が作られている。
「これだけ、ですか?」
「ええ、これだけ。このメイド新聞ってね、お城で働くメイドとか貴族の屋敷で働くメイドさんまで、結構な数のメイドさんが会員になってるの。まあ、メイドさんの職場ってやっぱり、噂話が広まるのよね。閉鎖的な環境だからかしら? で、その噂話をまとめたのが、このメイド新聞って訳なのよ」
その言葉を聞き、少女は不安に思う。
メイドとは、主人に仕える関係上、重大な機密まで知ってしまうことが多々あるのだ。
というより…
「…なんか顔色悪いけど、大丈夫?」
「え、ええ、大丈夫です。続きをお願いします」
「いいけど…まあ、それでね―――」
ジーナの喋りを右から左へ受け流しつつ、少女は頭を回転させる。
機密性の高いであろう情報を発信するなんて、危険すぎる。いや、そうなった時の為にあの仕組みを作ったのか。
何故だか私は回復したが、確かにあのような状態に陥るのは勘弁してほしい。というか、もう二度と陥りたくない。
大抵の事には慣れてきたつもりだが、あの感覚には慣れようがない。慣れたくない。
メイド新聞という位なのだからメイドだけに情報の開示を、と考えたところで、ふと気が付く。
―――あれ? メイド、新聞? なにかつい最近聞いたような…
「まあ、これもメイド商会の商品なんだけど」
―――これもメイド商会か!
少女は思う。民間の商会が機密情報を手に入れ、経済の頂点に立つのだ。
これは大分危ない事なのでは?
「新入りも会員になりなさいよ。二週間に一回で月額10Sなんだから。それに、紹介すると特典が貰えるのよ」
「ええっと、入るのは吝かではありませんけど…」
―――なんというか、規約が少なすぎて逆に怪しいというか…
「それに、わたしの新聞を燃やしちゃって…あーあーまだ読んでなかったのにー」
わざとらしく語尾を伸ばし、少女を煽っているジーナ。
炭化した新聞を弄りながら、少女へとチラチラ視線を向ける。
「うう…分かりました。会員になりますよ…」
「ホントに? やった! やっと特典が手に入るわ! それじゃ新入り、この紙にサインお願い。それと、ここの片づけもね」
ジーナにしては珍しく、ウキウキと鼻歌を歌いながら部屋を出て行った。
「はぁ…けどまあ、10Sなら痛手でもないか」
―――会員を紹介すると特典が貰えるって、なんて現代的な手法なんだ。
少女は部屋の掃除を開始した。
その後、部屋に入ってきたメイド長に事情を説明するのに、多大な労力を要したのは言うまでもない。
※以下、登場人物について。
・少女 [] 16歳 161cm
種族:人間
髪色:茶色
瞳色:茶色
人物像:在住する地域では一般的な茶髪に平凡な顔立ちの、いたって普通の少女。
お仕着せのメイド服にようやく慣れてきた様子。
良かれと思い、ジーナのベッドに散らかっている本を片付けた。しかしそれがきっかけとなり、おかしな事態に巻き込まれた。雉も鳴かずば撃たれまい。
最終的に、ジーナにメイド新聞の購読を強いられた。
案外、押しに弱い。
・ジーナ[Jena] 17歳 162cm
種族:人間
髪色:黒色
瞳色:黒色
人物像:珍しい黒髪を後ろで縛り、スラリと伸びた体躯と併せ、一見するとイイトコのお嬢様の様にも見えてしまう雰囲気を持つ。
ベッドは本で埋まっている。しかし寝る部分だけはきちんとスペースが空いており、本人に特別不自由はない。
購読していたメイド新聞が少女が原因で燃え尽きた為、少女にメイド新聞の購読を強いた。購読者を紹介すると貰える景品が目当て。
案外、片付け下手。
※以下、登場用語について。
・メイド商会
十数年前に突如として立ち上げられたのを契機に次々と画期的な製品を世に輩出し続け、大躍進を遂げた商会。
『あなたの暮らしを作りだす』を標語に掲げ、生活が豊かになるような魔具や製品を販売している。(コンロ・ファン・フリーザーがその筆頭)
更に、装飾品・衣料品・食料品の製造や販売も行い、そのシェアは60%にも及んでいる。
特筆すべきは、その代表人物は亜人であること。また、積極的に亜人を雇用しており、今まで虐げられてきた亜人の救世主となったことで支持を集めている。
少女の働く屋敷でメイドが着ているメイド服はメイド商会製。
・メイド新聞
メイド商会の、メイド商会による、メイドの為に作られた新聞。月二回、月額10S
城の内情や各地の貴族の裏話などが事細かく記載されており、その情報収集能力は特筆すべき点がある。それを信じるかどうかは本人次第。
もし会員が、会員以外の者に新聞の内容を漏らした場合、ペナルティが双方に与えられる。(記憶隠滅処理を基本とした情報秘匿)
同じ職場のメイドを紹介するとポイントが得られ、特定の人数に達すると景品が贈呈される。
購読していたのはジーナだけ。コルンは難しい文字が分からず、マリーは興味がないため。