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あなたとおまえの物語  作者: ちょめ介
表話という名の本編
5/62

第五話

「ね、ねえ、ジーナ。き、今日はどこ行く?」


 いつも通り、言葉に詰まりながらもマリーが喋る。

 白い生地に黒いフリルが縫い付けられた、恥ずかしがり屋のジーナからは想像し難い着こなしだ。

 幼女とそう変わらない体躯のマリーがそんな衣服を着ているのだ。なんとも言えぬ背徳感に襲われる。

 いわゆるゴスロリだろうと、少女は思った。

 しかし、不思議なことに、白と黒と金の三色の色合いが異常なまでにマッチしていた。


「それじゃ、お菓子を食べに行きましょ。この前いい店があったのよ。確か…」


 ジーナは裾の長い白いワンピースを着こなし、麦わらの帽子を被っている。白いワンピースと長い黒髪が絶妙に似合っていた。

 元々の顔立ちが良い為か、気紛れに外出をしてきたお嬢様のようだ。

 そんなジーナの腕にマリーが抱きつき、仲睦まじく歩いている。そんなカップルのような二人の会話を背に、少女とコルンは他愛ない話をしていた。


「へぇ、それでミークさんが新人に。けど、そのお饅頭っていうのも気になるな…」


 ジーナの元同僚、ミークと出会って三日後。少女たちにとって、週に一度の休日がやってきた。

 四人で一緒に屋敷を出て、街へと出かける。少女にとってはここ一週間毎日のように通った道だ。

 ジーナはワンピースに帽子、マリーはゴスロリ服。

 絶世と呼んでも過言ではない美少女二人がしているカップルの様な行動に、砂糖を吐きそうになってしまう少女だった。


「たくさん余っていると聞きましたし、よろしければ幾つか頂いてきましょうか? お口に合うか分かりませんが、私が調理をしますよ」

「ホントに!? ありがと! 楽しみにしてるよ!」


 心からの笑顔を浮かべて少女の手を握るコルンも、例に漏れることなく私服だ。

 丈夫な素材の藍色のパンツを穿き、薄いTシャツの上にカーディガンを羽織っている。これでは少年に間違われても仕方がないと、少女は思う。しかし、スカートを穿くコルンはなんだか違うとも思った。


 そんな当たり障りのない会話をしていると、街に着く。未だ昼前だが、活気で賑わっていた。

 

「それじゃあね、新入り。わたしたちは向こうだから。まあ、ミークによろしく」

「あ、あの、頑張ってください。新入りさん」


 それだけ言って、ジーナとマリーの二人は雑踏へ消えていった。

 先ほど言っていたお菓子屋へと行くのだろう。


「それじゃ新人、またな! お饅頭楽しみにしてるよ!」


 コルンはコルンで走って行ってしまった。

 話を聞く限り、孤児院への手伝いに行くのだろう。そこで怪力を生かして力仕事をしているらしい。


 少女も目的の場所へ歩き出す。ジーナによると、街の入り口から歩いて十分程度、一目見れば分かると言われたが…


「うわぁ…確かに分かりやすいけど…」


 確かに、分かりやすい。分かりやすいが…


「デフォルメしたキャラが看板って、先取りしすぎだよ…」


 二頭身ほどしかない亜人の少女があざといポーズを取っている。恐らくミークをモデルにイラストを書いたのだろう。笑顔を浮かべてウィンクをしているそのキャラクターを見ていると、何かが心の奥底から湧きあがってくる。

 これが萌えか、と少女は思った。


 それはともかく、道の真ん中で立っていては通行の邪魔になる。閉店と書いてある札を無視して扉を開けると、覚えのある匂いと共に、楽園が広がっていた。


「うわ、うわわわ! 色々な色のローザがこんなにたくさん!? 凄い凄い!」


 こちらに来て、今まで保っていた平静もどこへやら、飾ってある花を見てテンションが急上昇した少女。

 それもその筈、唯一と言っていい少女の趣味は、植物の栽培と観察だ。特に少女が気に入っているのは、いま目の前にあるローザという花だった。


 長年、難解な栽培法と長い生育期間、広い土地が必要だったことから一般には出回りにくく、シンプルな紅い花しかなかったため、一般での受けはそこまで良くなかった。

 少女も独学で栽培をしてみたが上手くいかず、何度も挫折を味わってきた。枯れるローザを見るたびに苦汁を呑んできたからこそ、ここの場所は少女にとって楽園だった。

 しかし、近年発見された栽培法により、鉢植えでも容易に花を咲かせるようになった。

 少女もそれに習い、この街に来る前の実家で鉢植えで栽培をしたが、花が咲く前にこの街に来ることになってしまった。あの鉢植えはどうなっているのだろう、と少女は思った。

 ともかく、このローザという花は、これまでの不評が嘘のように飛ぶように売れ、主婦の間では家事の合間に思い思いのローザを育てるのが流行っているとか。


「なんだあんたは! 閉店ってのが見えなかったのか!」


 少女が幸福の絶頂に浸っていると、背後から怒号が聞こえた。

 筋骨隆々で、見上げるほどに背が高く、数々の修羅場を潜って来たような大男だ。しかし、少女が感じ取った印象はまるで違った。


「あなたがこのローザを…素晴らしい。数々の色を持ったローザとここまでの種類。一筋縄ではなかったでしょう」

「ああ!? 素人が何を言ってやがる! 知ったような事言いやがって!」


 そう言われた少女の眼が輝く。指で眉間をクイッと触る。まるで癖のようだ。


「ここに飾っているローザ。つい先ほどまで咲いていたかのように水水しい。ここ数時間の内に収穫されたものでしょう。この街からローザの栽培が行われている街までは最短で馬車で数日。その数日の間に萎れ、ここまでの水水しさはあり得ません。恐らく、この建物の裏で栽培されているのでしょうね。広い土地と潤沢な知識、一筋縄ではなかったでしょう」

「な…!」


 筋骨隆々の大男は驚愕した。最近流行りだしたせいで、ロクな知識を持っていない素人が増えている。確かに、最近確立した鉢植えでの栽培法は簡単だ。

 しかし、それでは小さい花しかつけない上、多くの花を咲かせることもない。一番の売りである、色合いの綺麗さと香りを楽しむことが出来ない。

 大体、ローザの栽培を甘く見過ぎだ。鉢植えが簡単だからと、出来合いの知識だけで苗を買い、狭い庭に植え、早々と枯らしてしまう。枯らしてから文句を言われても遅いのだ。


 だがこの少女は、ぽっと出では持ちえない程のローザの知識を持っている。ローザの僅かな萎れが分かる程の眼を。ローザと長く接していなければ分からないほどの差。それを見抜くほどの経験を。


「更に先日! ミークさんからはローザの香りがしました。ここに入った時に漂ってきた物と同じです。」

「それがどうかしたか! 香水なんて何処も同じ匂いだろう!」


 これはブラフだ。少女が本物かどうかを確かめるための嘘だ。


「ダメですよ。プロがそのような嘘を吐いては。バラから抽出したエキスを薄める際の希釈倍率、それによって微妙な差が生まれます。似たような匂いの香水は種々ありますが、全く同じ匂いの香水は存在しません。製法を明かせば同じ匂いを持った香水を作る事は出来ますが、自らが作り上げた製法を明かすことは考えにくい。それに、エキスを抽出するだけでも大量のローザと多くの経験、技術、設備が必要になります。それほどの技術を持ち、大規模な栽培を行うあなたはきっと特別な存在なのだろうと。私は率直に思いました」


 その言葉を聞いて、筋骨隆々の男は確信した。

 この少女なら、この少女とならば、思う存分に語り明かせる。マニアは常に同志を望んでいるものだ。

 自らの知識を共有し合える同志を。自分が持ちえない知識を持つ同志を。


「あんた…なにもんだ! 名を名乗れ!」

「ふふふ…一度ある時ただの少女、二度ある時は宿屋兼食事処の娘、三度ある時はお屋敷で働くメイドさん、しかしてその本当の名は―――」

「…なにしてんの、新入りちゃん」


 ガチャリと扉が開く。筋骨隆々の男性の後ろにある扉を開けたミークの冷たい目が、少女を射抜いた。

 少女は、自らの行動を反芻する。色取り取りのバラを見てテンションが最高潮に達し、筋骨隆々の男性に知識をひけらかし、終いにはドヤ顔で…


 死んだような目をしてこちらを見ているミークを見て、我に返る。そして、少女は思った。


 ―――テンション、上げ過ぎた!




―――




 一通りの賢者タイムが済んだ後、なにやら興奮した筋骨隆々の男―――ミークが言っていた親方だった―――に、少女は奥の部屋へ通された。

 そこで、例のお饅頭についてを話をする流れになるハズだ、と少女は思ったのだが…


「いやー、あの時は冷静な子だと思ったんだけど、まさかねー。あの最後の…ど、ドヤ、ドヤって…ウププ…」


 この店に入って一通りの行動は全て見られていたらしい。と言うのも、当初はミークが早々に出てきて、早々にお饅頭の調理法を教授してもらい、早々に出て行ってもらう流れだったとか。

 なんでも、親方は客でもない素人を店に入れることを嫌がるから、見つかったら面倒になる、とのこと。

 それに加え、お饅頭についてもミークの独断で、親方には一切説明をしていないとか。


「ま、結果オーライね。なんたって…」

「よっしゃ、次はこれを見てくれ。先月くらいに咲いたローザだ。あんたはどう思う?」

「ええ、これも素晴らしい。白い花びらに赤色が混ざったマーブル模様。先ほどの滲み出るような、徐々に薄まっていく赤色も素敵でしたが、こちらも好みです。恐らく、ミールベターとリードウェブの交配種でしょうね。温かみのある赤色と無感動な白色が一切混ざらず、きっちりと分離して独特な色合いです。個人的に思っていたのですが、ローザには寒色系の色合いが少ないんですよね。青いローザと言うのも素敵だと思うのですが…」

「俺もそう思ってんだ! けどよ、紫に近いローザはあるんだが、どう交配して青に近づけりゃいいんだか見当もつかねえ。何度も繰り返してるんだが、そろそろ違う方法も検討するべきだと思ってたんだよ。なんかいい考えでもねえか?」

「…そういった時はやはり、青色に近い野生種を見つけてきて交配をして、徐々に青色に近づけていくしかないでしょうね。それか、本当に奇跡的な突然変異を期待するか」

「うーむ…やっぱりそうか。そんじゃ、次はこれなんだが…」

「親方! 新入りちゃん! そこまでにしてよ! このままじゃ日が暮れちゃうって!」


 親方が新しい鉢植えを出そうとしたところをミークが遮る。ジロリ、と強面の顔で睨まれると、慣れていなければ泣いてしまいそうだ。

 

「ああ!? せっかく同好の士と話してるのに邪魔すんじゃねえよ! 大体よぉ! あの饅頭はてめぇが勝手に注文したんだろうが! 責任転嫁しやがって! 大体てめぇはいつもよぉ…!」


 例のお饅頭、その注文をしくじったのは実はミークだったらしい。聞いてみると、無口で無愛想な親方がここまで出しゃばって来るとは予想外だったとのこと。

 それさえなければ内密に事を進めて、親方にばれなかったばかりか、仕入れ代を除いた利益が自分の懐に入って来たとか。


「親方! お饅頭の在庫処分に協力してもらうために新入りちゃんにお願いしたのに! このままじゃ時間が無くなっちゃうって!」

「けどミークさん、嘘ついてたんですよね? 私、嘘をつく人はちょっと…」

「ええっ!? そんなこと言わないでよ! 親方も説教は後に―――あ、すみませんすみません! 謝るんで関節技はやめてくださーい!」


 いつの間にやらこの店に馴染んだ少女。肉体言語による説教を続ける親方。払腰からの鍛え上げられた筋肉による関節技に悶絶しているミーク。ワイワイと騒いでいるこの場が、少女にとってはどうしようもなく楽しかった。


「うう…この前は払いから足を極められたし。親方ぁ…少しは手加減してくださいよ…」


 ミークは腕が動くか確認しつつ、ノソノソと立ち上がる。あの腕挫十字固は痛かっただろうと、少女は思った。


「けっ! 手加減なしならお前の腕くらい引きちぎってるわ! ふん、少しは気が晴れた。これで同志に嘘を吐いた件はチャラにしてやる」

「助かった…これでやっとお餅を…」

「次は俺に責任を被せた分だ! 喰らえやああぁぁ!」

「うにゃあああぁぁ!」


 犬なのに猫みたいな鳴き声も出すのだと、少女は思う。そういえば、向こうで懐いていた三毛猫はどうしているのだろうと、少女は今さらながら気になった。




―――




 親方による一通りの制裁が終わり、気絶したミークは部屋へと放り込まれてしまった。

 そんなミークは気にせずに、少女と親方は裏手に建っている倉庫へ到着した。

 筋骨隆々の親方といたって普通の少女が並んで歩いているのも、なんというか不気味であった。


「すまねえな、同志よ。不肖のバカ弟子が迷惑をかけちまった。しっかし、俺に黙ってこんなモンを買いやがるたぁ…」

「いえ、そこまで気にしてはいませんよ。それよりもこのお米ですが…」


 一つの袋で20kgほどは入るであろう米袋。それが、数えるのが面倒になるほど詰まれていた。


「まずは数を数えないとな。ああと…45袋もか。どこをどう間違えりゃこんなに買っちまうんだ?」

「合計で900kgもありますか。一つ開けてもよろしいですか?」

「数えるの早いな、同志よ。開けるのは勿論構わねえが…」


 少女はズタ袋を開け、中をのぞき見る。茶色い籾が無数に入っていた。


「ああ、まだ精米してませんね。よかった。これなら日持ちしますから、そんなに急ぐ必要はありませんよ。取りあえず、この一袋だけ使いましょう。親方さん、お願いしますね」

「おう、任せとけ」


 少女が指定した袋を、軽々と持ち上げる親方。そして、何やら探している少女。


「ああ、ありました。ミークさん、お餅を作っていましたから。親方、これもお願いします」


 なにやら、四角い金属製の箱を見つけた少女。いくつかのボタンが設置され、上蓋が開くような仕組みだ。

 そして、いかにも重たそうなそれを、こともなげに抱える親方。見た目に違わぬ怪力だ。

 そもそも、肉体的な強度の高い亜人を気絶に追い込むこと自体、人間を逸脱した行為であった。


「ところで同志よ」

「…あの、親方さん、その同志ってのはなんですか?」

「む? そう呼ぶのが適切だろう。そもそも、ローザが流行りだして数年しか経っていない。専門に栽培する者もいるが、どいつもこいつも変人ばかりだ。まともに語り合える者は皆無だったのだ。そんな中で、同志と初めてローザで語り合えたのだ。これは奇跡だろうが、それを持ってきたのがあいつの不祥事とは…喜んでいいのかわからん」


 ミークが屋敷で働いていなければ。おかしなミスをしなければ。親方に隠そうとしていなければ。ローザが店頭になければ。 この内の一つ、どれかが欠けていれば、この親方と会うことはなかっただろう。少女もミークには感謝していた。


 少女も、珍しい同好の士と出会えたことで興奮したことは確かだ。


「それよりも、だ。この魔具はなんだ?」


 親方が抱えている金属製の箱。どうやら、それは魔具らしい。

 この世界の魔具には、大きく分けて二種類の性質が存在する。

 一つ目は、使用者が持つ魔力と言うエネルギーを元に魔法と同等の現象を引き起こす物。例えば、魔力を消費して火を熾したり、水を発生させたり、地面を変形させたり、風を生み出したりだ。基本的に戦闘で使用されることが多い上、魔具そのものが高額、使用に多くの魔力が必要といった問題点があるため、一般にはあまり普及していない。

 二つ目は、魔力で物理的な現象を引き起こす物だ。例えるのならば、物を冷やしたり、光を灯したり、コンロとして使ったりとだ。使用に際して多くの魔力を注ぐ必要はない。その上、呼び水的な魔力は必要ながらも、継続的に魔力を注ぐ必要はないなど、魔力が少ない者にも使いやすくなっている。そして安価なため、一般家庭にも広く普及している。

 

 どちらにも魔法陣という技術が使用されており、専門的な教育を受けなければ頓珍漢な物だ。

 後者は特に、十数年前から飛躍的な進歩を遂げていて、それを専門に研究・製作・販売する街もあるほどだ。

 

「ミークさんがお米と一緒に買った魔具でしょうね。使った形跡もありますし、臼も杵もなかったですから、籾を精米して浸水、蒸してからお餅をつく工程を一挙に行う物でしょう。ミークさん、お饅頭と勘違いしていましたし」


 親方が店内に入り、少女もそれに続く。抱えているそれらを下ろすと、床が軋んだ音がした。

 金属製の蓋を開けると、そこには薄い冊子が入っていた。


「説明書もありますね。えっと…操作自体は簡単です。お餅が出来るまで1時間くらい、と。十分です。材料を買ってきますので、親方さんは説明書通りに準備をお願いします」

「餅…って言ったか。そのままじゃ食えねえのか?」

「いえ、そのままでも美味しいですけど、もっと美味しく食べ方があるんですよ。市場も近いですし、探し物もあると思います」

「そうか、それなら…ちょっと待っててくれ」


 親方はそう言うと、カウンターの方に向かう。なにやらガチャガチャやっているようだが、少女には窺い知れない。

 少し待っていると、親方から封筒が手渡される。ズシリと重い封筒の中身を見ると、およそ5000Sほどの大金が入っていた。


「あ、あの、これは…」

「アイツのトコで働き始めて短いんだろ? どうせ、自腹を切って買ってこようとしたんだろうが、あのバカの失態だ。ああ、安心してくれ。あのバカの給料から引いた金だ。話を聞いた限り、中々に美味そうだったからな。美味けりゃ十分、それが商品になって利益が出れば言うこと無しだ」




―――




 少女が市場へ買い出しに出て、およそ一時間。

 数々の品物を両手に携え、親方が営む花屋へ戻ってきた。


 扉を開けて店内に入る。そこには魔具を弄っている親方と、その後ろで正座をしているミークがいた。


「親方さん、戻りまし…あ、ミークさん、起きたんですね。それなら、お手伝いをお願いします。私一人では大変ですから」


 少女の辛辣な言葉に、ミークが立ち上がろうとする。しかし、足が痺れているのかつんのめってしまった。

 足を抑えつつ、ゆっくりと立ち上がる。


「ね、ねえ新入りちゃん? なんだか私の扱いぞんざいじゃない? もうちょーっと優しくしてくれても―――あ、すみませんすみません。私が悪かったです…」


 親方がジロリと睨むと、ミークは委縮して卑屈になる。どうやら、親方の肉体言語は相応のトラウマとなっているらしい。


「キッチンはどこですか? 用意をしないといけないのですが…」


 魔具を見ると、なにやら緑色のランプが点滅している。説明書の通りなら赤いランプが点灯すると終了らしい。

 緑色のランプの点滅は確か、浸水~蒸しの行程だったはずだ。


「ミーク、案内しろ。同志よ、魔具の使い方は分かるな?」

「大丈夫です。料理は得意な方ですから」

「そうか。ミーク、邪魔だけはすんなよ」

「はーい、もう痛いのはイヤですからね! 邪魔なんてしませんよ!」


 片手腕立て伏せを始めた親方に言われ、ミークは少女をキッチンに案内する。包丁、まな板、菜箸、お玉、鍋など、複数の調理器具、そして複数の魔具が置かれていた。

 コンロと呼ばれる魔具が2基設置され、ファンと呼ばれている魔具が壁上部に埋設されている。それに加え、珍しい魔具も置かれていた。


「こんなに大きいフリーザーまであるんですか。高かったでしょうに」

「それ? 親方、料理も得意だから。ほら、お魚はそれに入れとかないと日持ちしないから」


 フリーザーと呼ばれている魔具は、小さな物でも数万S、大きなもので10万Sは優に超える。とてもではないが、一般家庭で購入することは難しい高級な魔具だ。

 箱内を低温に保ち、食物の保存を行いやすくするための物だ。


「えっと…ミークさん、すり鉢とすりこぎの用意をお願いします。後で必要になりますから」

「すりこぎはあったと思うけど、すり鉢なんてあったかなぁ…? 探してくるからちょっと待ってて」


 パタパタとキッチンを出て行くミークを尻目に、少女は用意を進める。買い物袋から出したのは、布袋に入ったソーヤビーズと呼ばれる豆だ。広く栽培されており、これを元に様々な食品にも加工される。別名では、畑の肉とも呼ばれている。


 少女は蛇口を捻って手を洗う。ちなみに、この水道も魔具だ。持ち手に魔法陣が刻まれていて、捻った加減によって出てくる水量が変化する。便利な物だと、少女は思った。


 手を洗い終わるとミークが戻ってきた。


「あったよ、新入りちゃん。そんなに大きくないけど大丈夫?」

「ええ、十分です。それじゃ始めましょうか。忙しくなりそうですね」


 すり鉢にソーヤビーズを入れ、すりこぎでゴリゴリと潰す。既に炒られていたので手間が省けた。

 その行動に、ミークがヤジを入れる。


「ちょ、ちょっと新入りちゃん! なんで磨り潰してるの!?」

「大丈夫ですよ。黄粉と言いまして、私のいた場所でよく食べられていましたから」

「へぇ、そんな食べ方もあるんだ…けど、お饅頭と関係あるの?」

「ええ、もちろんです。あ、ミークさん、続きお願いします。ある分を全部磨り潰しておいてくださいね」

「えええ! こんなにたくさん!?」


 黄粉の作製をミークに任せ、少女は次の作業に移る。袋から取り出したるは黒い液体だ。

 それを鍋に少量入れ、シュガを加える。シュガは甘味を出すために用いられる調味料だ。数十年ほど前までは高価な物だったらしいが、現在は大量に出回り安価になっている。


 コンロのツマミを掴み、カチリと捻る。鍋の下に火が現れ、加熱を始める。混ぜながら、プツプツと泡立ってきたところで弱火にした。

 片栗粉や葛粉が無かったのは残念だったが、無い物を言っても仕方ないと、少女は思う。しかし、黒い液体…ショーユと呼ばれている調味料が市場に有ったのは幸運だった。500mL程度の分で500Sと高価な物だったが、これでレパートリーが増えた。


 僅かにとろみついた所で火を止める。完成した蜜を別の器に入れ、次の作業に入る。先に行くほど細く、首の部分が青くなっている。捨てるところが少なく、特に葉の部分の栄養が豊富で、ここではデッシュと呼ばれている野菜だ。

 それを適当な大きさに切り、おろし金で摩り下ろしていく。これもミークにやってほしかったが、彼女は黄粉を作っている最中だ。


 一本を丸々摩り下ろし終わると、腕がパンパンになる。まったく体力がない。

 親方のように筋トレでもしようかと少女は思うが、腕立て伏せなど10回で限界だ。


「新入りちゃーん、終わったよー」


腕を少し休めていると、ミークから声がかかった。


「お早いですね。じゃあ、大きめのお皿に入れておいてください。向こうの様子を見てきます」


 ミークに断り魔具の様子を見に行く。親方が逆立ちしながらの腕立て伏せをしていた。


 魔具のランプを見ると、赤色のランプが点灯している。餅つきが終わったようだ。

 それを確認し、親方に声をかける。


「親方さん、出来上がっているので、この板の上に広げてもらえますか? 三人ですので、1/4くらい十分ですかね」

「おう、任せろ…って、あちぃ! あちちち! ってぃ!」


 熱さに耐えかねたのか、薄い木の板にベチャリと餅を投げつける親方。

 すかさず形を整える。なるべく薄く広げ、四角い形にした。


「これでいいでしょう。さて、それでは食事にしましょう」


 親方が魔具を肩に担いでキッチンへ入って行く。大柄な男が金属製の箱を持っていると、まるで盗みを働いたあとのようだ。


「ミークさん、お餅が出来上がりました。食べましょう」

「やったね! もうおなかペコペコ! でも、この…お餅って言ったっけ? 正直に言っちゃうと、不味かったよ?」

「確かにそのまま食べては味もないです。けれどこうやって…ほら、出来上がりましたよ。どうぞ食べてみてください」


 ミークの言葉も気にせず、少女は丸めた餅に黄粉を塗している。その他にも、蜜を垂らしたり、すりおろしたデッシュを乗せていた。


「黄粉にはさと…シュガを混ぜてあります。そのままでもいいのですが、私は少し甘くした方が好みなので」

「えっと…じゃあ、私はこれを」

「んじゃ、俺はこっちを」


 黄粉を塗した餅を少女が、蜜を垂らした餅をミークが、デッシュを乗せた餅を親方が。

 それぞれを口に含む。


 ―――うん、美味しい。やっぱりお餅はつきたてに限るね。


 かつての記憶を思い出して味を比べる。こちらに来る前と遜色のない味だ。

 磯辺焼きとかも試したかったけど、とも少女は思う。しかし、どこを探しても海苔が見つからなかったのだ。

 甘い味付けしか実現できなかったため、アクセントとして辛みのあるデッシュ卸しを加えてみたが、どうにも反応がない。

 やはり駄目だったか、と少女は思った。その時―――


「うみゃああああぁぁ!」


 その大声に、少女はビクリと体を揺らす。ミークがいきなり奇声を発したのだ。


「み、ミークさん?」

「お、おいし、美味しい! こんなに美味しい食べ物初めてよ!」


 そう喋りながらも、皿に盛られている餅を蜜に落とし、満遍なく塗って口に詰めていく。

 餅に蜜を塗って食べ口に含み、呑み込む。餅に蜜を塗って食べ口に含み、呑み込む。

 そのペースに少女は驚く。


 ―――ほとんど噛んでない!?


 小さく丸めてピンポン玉程度の大きさにしたとは言え、粘り気の高い餅だ。

 しっかりと噛まなければ喉に詰めてしまうかもしれない。


「ミークさん! そんなに急いで食べると―――」

「―――うっ、むぐっ! うぐぐぐ…」


 喉に手を当てて苦しんでいる。健康的な褐色肌の顔が徐々に赤くなっていく。


「親方さん、お水を―――」

「…美味いな、美味い美味い美味い。デッシュの辛さと餅の甘味でめっちゃ美味い。このモチモチなのもめっちゃ美味い。美味い美味い美味い…」


 虚ろな目で、デッシュを乗せた餅を一心不乱に頬張る親方。ブツブツと、何やら呟きつつも食べることを止めない。

 5kgはあった餅も、すでに残り僅かになっていた。

 

 こういう時に焦ってはダメだ。落ち着け落ち着け、と自分に言い聞かせる少女。

 一つ深呼吸をして、室内を見渡す。

 一心不乱に餅を食べる筋骨隆々の大男と、餅を喉に詰めて顔を蒼白にしている亜人の美少女。

 そして、唯一冷静な自分。

 少女は口元に笑みを浮かべ、溜息を吐いた。


 ―――なんじゃこりゃああ!


 少女の叫びが木霊する。それはそれは、腹を血に染めた刑事が叫んだかのような、見事な物だったとか。




―――




「ふう、死ぬかと思ったわ。ありがとね、新入りちゃん」


 少女の汲んできた水を飲んで喉に詰めた餅をなんとか流し込み、一息ついたミーク。

 餅は既に親方が残らず食べ尽くしてしまった。

 あの量をほとんど二人で食べ尽くしたことに、少女は驚きを覚えた。


「まったく、てめえが餅を食い過ぎたせいで俺の分が減っちまった。もっと遠慮しろや」

「親方! 私、死にかけたんですよ!? もうちょっと慰めてくれてもいいじゃないですか!」

「ああ!? 頑丈なてめえがあんな程度で死ぬわけねえだろうが!」


 少女は思う、それはあり得ないと。餅による窒息死は、年明けによくある光景だった。

 その殺傷力を甘く見てはいけない。

 そして、ミークもミークで今の今まで死にかけていたくせに元気いっぱいだ。

 恐るべきは亜人の耐久力かな。


「あの、それくらいで…」

「そんなことより新入りちゃん! お餅もっとないの!?」

「そうだ同志よ! まだまだ食い足りねえ! 向こうにまだあっただろ!」


 今までの事をそんなこと(・・・・・)と切り捨てるミーク、食欲を優先させる親方。

 親方、あなたはあんなに食べてまだ食べ足りないんですか、と少女は呆れてしまう。


「あ、いえ、向こうに出したのは…」

「本当ですか親方! 私取ってきます!」

「てめえ! そういってつまみ食いする気だろ! 俺が取ってくる!」


 脱兎の如く、ミークと親方の二人が駆け出す。今までのいがみ合いが嘘のように抜群の相性を発揮していた。

 全ては食欲を満たすためのものだが…


 ミークが乱暴に扉を開け、親方がドロップキックをしつつ部屋に飛び込んだ。二人の悲鳴が聞こえてきた。

 その悲鳴を聞いて、少女は恐る恐る部屋を覗き見る。

 そこには…


「し、新入りちゃん…お餅が、お餅が硬くなっちゃってるよ…」

「も、餅が…俺の餅が…」


 平べったくなった餅を囲んで、ミークと親方の二人が跪き頭を垂れている。本気の落ち込み様だ。

 それと親方さんあなただけのお餅ではありません、と少女が心の中でごちる。


「大丈夫ですよ。美味しく食べられますから」

「でも…でも! こんなに硬くなっちゃって! こんなの食べたら歯が割れちゃうよ!」

「泥水や雑草に比べりゃ、これくらい…これくらい…!」


 ―――親方さん、あなたは今までどんな生活を送ってきたんですか!?


「い、いえ! こうすることで保存ができるんですよ。キッチンにフリーザーがありましたよね? そこに入れておけば、一週間ほどは大丈夫です」

「え…? で、でも、このままじゃ食べられないでしょ…?」

「いえ、これを火で炙るんですよ。金網はありますか?」

「う、うん! ちょっと探してくるね」


 ミークは再び倉庫へ赴く。あの倉庫には色々としまってあるのだろう。

 その間に、少女はキッチンへ行き包丁を取ってきた。

 意気消沈している親方を余所に、平たく広がって少し硬くなっている餅を切り分ける。細長い長方形に切り分けるが、いかんせん15kg分の餅だ。

 ひたすらに量が多く、十枚ほど切った所で腕に限界が来てしまった。


「ふぅ…あの、親方さん? 暇なら手伝ってほしいんですけど…」


 先ほどからピクリともしない親方に声をかける。しかし反応はなく、なにやらブツブツと呟き続けている。

 さすがに気になったので耳を傾けてみると…


「ああそういえばあの時はヤバかったな一週間も飯食ってなくてやっと見つけた獲物を食えると思ったら魔物が突撃して来てなんやかんやで村を救って一緒に飯食って酒呑んで眠れると思ったら騙して悪いがって生贄にされそうになって…」


 なにやら、親方は親方でヘビーな過去を持っているようだ。

 だからといって、少女の親方への態度はそう変わらないが。


「新入りちゃーん! 見っつけたよー!」

「ありがとうございます。それじゃ、この大きさの通りに切っておいてください。全部」

「ぜ、ぜぜぜ全部ぅ!?」


 ミークから金網を受け取り、少女が切った分の餅を持ってキッチンへ行く。金網をコンロに乗せて火にかけた。

 

 ―――つきたてのお餅を食べるのもいいけど、硬くなったお餅を焼いて食べるのもいいね。


 餅を火にかけてしばらく待つと、表面にヒビが入り香ばしい匂いが漂ってくる。 


「むふぅ…いい匂いだね、新入りちゃん」

「あ、ミークさん。切り終わりましたか?」

「もちろん! それで…」

「もうちょっと待ってください…ああ、そろそろですね」


 ショーユにシュガを入れて少し混ぜる。同じ材料でも、加熱してシュガを溶かした蜜と違い、シュガのザラザラとした甘さとショーユのしょっぱさがきっちり分かれており、また違った味わいがあるのだ。

 餅が膨らんできたのと同時に火から外し、シュガショーユにつけた。

 それを何回も繰り返し、取りあえず十個ほどの餅を焼きあげた。


「はい、出来ましたよ。食べてみてください」

「うん! いっただきまーす!」


 手が汚れるのもなんのその、ベタベタとしている餅を鷲掴み口に入れた。

 ムグムグとしっかりと咀嚼して、ゴクリと呑み込む。今度は喉に詰めなかったようだ。


「ふぅ…まったく、仕方ないよね。うん、仕方ない仕方ない」

「あ、あの、ミークさん? どうしたんです? そんなに遠くを見つめて」


 まるで黄金郷でも見つけたかのような、人生を達観したかのような雰囲気を醸し出し、とても穏やかな目をするミーク。


「…ありがとう、新入りちゃん」


 その言葉は、まるで別れのようだった。

 涙を流し、幸せそうな顔。後悔のない、穏やかな顔。


「えっと…ミークさん? ミークさん? …ミークさん! ミークさ―――」


 いくら呼びかけても反応がない。

 少女はミークの口元へ手を当て、確信した。


「息、してない…」




―――




「一日に二回も死にかけるなんて初めてだったわ。ま、生きてたから気にしないけど!」

「本当に心配したんですからね!? ミークさんはもうお餅禁止です!」


 ケラケラと笑いながら、店の入り口にいる少女と喋るミーク。

 あの時、ミークが心肺停止状態になった後、餅を焼いた時の香ばしい匂いを嗅いで我に返った親方がキッチンに入ってきた。

 少女が必死に心肺蘇生を試みている中、親方の全体重を込めた拳がミークの腹部に入り、それでミークは蘇生した。

 木製の床は割れ、放射状にヒビが入っているほどの衝撃である。それでもケロリとしているミークに、もはや少女はある種の諦めを抱いた。


「まったくだ。もう二度とてめえには食わせねえ。あんな程度で死にかけるたあ…」

「あー! そうやって親方だけお餅を食べようって気でしょ! 絶対に」

「喧しい! ところで同志よ。物は相談なんだが…」

「ええ、なんでしょう?」

「この…餅って言ったか。これをウチの店で売り出したいんだが、構わねえか?」


 ―――へ?


「一口食ってみて驚いた。この世にこんなうめえモンがあったなんて。これは商売になる、絶対にだ」

「でも…」


 このお餅はどこにでも有り触れた物だと少女は考えている。

 それが商売になるのか? 果たして受け入れられるのか?


「正直、ローザの切り売りは俺の趣味みてえなモンだ。客が来ることは来るし、俺自身も満足はしてるが、こんなのは一時の熱みてえなもんだ。いつまで続くか分かったもんじゃねえ。辛うじて浮いてる船だ。いつ沈んでもおかしくない」


 ローザの速成・大量栽培が確立され、安価なローザが進出してくるまであと僅かだ。

 安さと広さでシェアを奪い、競争店を潰してしまえば事足りる。その後は市場を独り占めできる。

 この店の様な個人経営の小売店など生き残れるはずがない。


「その点、この餅は違う。若い頃は世界を旅してきたが、こんな料理初めて見た。多分、つい最近作られた料理だろう。競争相手なんていねえ。これはチャンスだ」


 その言葉を聞いて、少女は考える。独占禁止法などないこの世界。一度独占的な契約を結んでしまえば、あとは簡単だ。

 もちろん、真似をする輩も現れるだろうが、あんなややこしい作り方などまず思い浮かばないだろう。

 少女はその危険性を考察する。しかし…


「ええ、構いませんよ」


 少女はその考えを投げ捨てた。


「ありがてえ。ミーク、あのライザみてえなヤツを売った商人、いつまでこの街にいるか分かるか?」

「えーっと、一週間はこの街にいるって言ってたかな? 新しく作った品種で、まだ珍しい物だって」


 ライザという植物は、東の方のごく一部で主食として食べられている珍しい穀物だ。

 広い土地や適当な雨量など、様々な条件が必要なために少女のいる街、ひいては国で栽培されることはない。

 その改良種となれば、更に珍しいのだろう。


「よし、今すぐ探して連れてこい。他の輩が目をつける前にウチと契約を結ぶぞ」

「えー! もう夕方ですよ! 明日でもいいじゃないですか!」

「お前のヘマが無くなる上に、給料も跳ね上がるかもな」

「―――急いで探してきます! それはもう一生懸命に!」


 親方の言葉を聞いた瞬間、ミークは駆け出していた。

 あっという間に姿が見えなくなる。さすがは亜人だ。


「それでは、私はこれで。親方さん、頑張ってくださいね」

「ああ、本当にありがてえ。同志にも利益を分けねえとな」


 その言葉に少女は袋に詰めた十個ほどの餅を親方に見せる。


「いえ、私はこれで十分ですよ。コルンさんにご馳走してあげる約束でしたから」

「―――本当にいいのか? 俺たちは同志だ。こんな機会なんて滅多にあるモンじゃねえ。利益は山分けするもんだろう。それに、この餅って料理も同志が考えたヤツだ。それでも、か?」

「ええ、もちろんですよ。私は一介のメイドですから」

「…分かった。しかしだ! 困ったときは俺が協力してやる。同志は俺たちにとって恩人だ。報いるにはそれしかねえ!」

「ありがとうございます。それでは、ミークさんによろしくお願いします」




―――




 屋敷への帰路、少女は投げ捨てた考えを拾い上げる。


 農家との直接取引、独占契約が実現できれば、利益は丸々親方へと入ってくる。しかし、それが問題だ。

 他の商人との軋轢、大手からの圧力、農家との関係性、厄介事を数えるとキリがない。

 本当に最低限の法律しかないこの世界だ。ありとあらゆる手段を以て、その権利を奪おうとしてくるだろう。

 後ろ盾のないあの店に、果たして…


「考えても仕方ない、か…」


 少女は逃げたのだ。

 命を狙われる危険性から、様々なしがらみから。


 ―――卑怯だな、私。


 こんな自分が嫌になる。卑怯者の自分が、この考え方が。


「おーい! 新人ー!」


 暗い考えに陥っていると、少女の後ろから明るい声が掛けられる。

 この声はコルンだ。 


「コルンさん、ですか…?」


 タタタッと走ってくるコルン。

 片手には手提げ籠を提げ、朗らかな笑みを浮かべている。


「なんか暗いなー新人。嫌な事でもあったのか?」

「…いえ、そうですね。ちょっと考え事を」

「そうなのか? けど、そんな時は食べ物を食べれば忘れるよ。ほら!」


 そう言ってコルンが籠から何かを取り出した。


「これ、は…」

「んー? お饅頭だって。孤児院の子がいつもありがとう、って。まだ温かいからさ、食べよ!」


 お饅頭を受け取った少女の手には、ほのかな暖かみが広がった。

 白く膨れた生地に四角く切った黄色い物が混じった、とても不恰好な饅頭。

 口に含むと、しっとりとした柔らかさと微かな甘みが口いっぱいに広がる。とても優しく、自然な甘みだ。

 ここに来る前、まだ子どもだった頃、母親がおやつに作ってくれた味。

 母親の暖かみ、故郷の風景が目の前に広がった。


 ―――懐かしい。


「うん、美味しい! どうだ、新入り。悩みなんて―――」


 コルンが唐突に口を閉ざした。

 どうしたのだろう、と少女は思う。


「泣いてる、のか?」


 その言葉に少女は目を拭う。暖かい物が感じられた。


「―――あれ、なんで、私、泣いて」


 なぜ泣いているのか分からない。

 涙なんて、ここに来た時に捨てたはずだ。

 泣いてる暇なんてない。泣いている位ならば働けと、そうやって生きてきた。

 なのに…

 

 少女が困惑していると、力強く抱きしめられる。

 苦しいはずなのに、他人の暖かさが心地よい。


「新入りさ、我慢しすぎだって。泣きたいんなら泣けばいいよ。ほら、あたしたち以外に誰もいないからさ」

「ううぅ…うぇ…うあああぁぁ…!」


 ここに来て初めて、少女は涙を流した。

 今までの悲しみと苦しみを洗い流すかのように。

 そんな少女の背を、コルンは優しく叩き続ける。まるで幼子をあやすようだ。

 

 およそ数十分、少女は泣き続けた。

 そして、泣き疲れたのか、スヤスヤと寝息を立て始める。


「新入り? 寝ちゃったか…」


 気持ちよさそうに寝息を立てる少女を起こさぬよう、ゆっくりと背負う。背丈はほとんど同じだが、亜人であるコルンにとって一人や二人を背負うのは容易いことだ。

 コルンにとって、新人の少女は珍しい人間だった。

 亜人である自分に嫌な視線を向けず、差し出した手を顔色一つ変えずに握ってくれた。


 今でも孤児院へ行く際、嫌な視線を向けてくる人間が多い。

 亜人が蔑まされている世の中だ。徐々に変わってきたとはいえ、その差別はまだまだ根深い。

 そんな中、初見で握手をしてくれた人間は、背中で眠っている少女で二人目だ。


「…あーあ、新人みたいな人間ばっかならなぁ」


 いつもは気丈に振る舞ってはいるが、中身は涙もろい年相応の人間だ。

 自分としても、新人とは仲良くやれているとは思う。友人として、これからも長く付き合っていきたいとも思っている。


 亜人の少女は、ゆっくりと屋敷への道を歩む。今はただ、この少女の温もりを独り占めしたいと思いながら。

※以下、登場人物について。


・少女 [] 16歳 161cm

 種族:人間

 髪色:茶色

 瞳色:茶色

 人物像:在住する地域では一般的な茶髪に平凡な顔立ちの、いたって普通の少女。

     ミークとの約束通り、屋敷での仕事の休業日に店へ赴いた。そこには少女の好きな花である、色彩豊かなローザが飾られていた。同じ趣味を持つ者との思わぬ出会いにテンションは有頂天へ。思う存分語り合えたことで満足した模様。

     ミークが言うお饅頭を作り、その作り方から食べ方、保存法までを親方に伝えた。しかしその利権を巡る争いから逃げ出したと自分を責め、卑怯だと自嘲した。

     屋敷への帰り道、なんの思惑もないコルンの優しい笑みに、僅かながら救われた。


     好きなことには饒舌になるタイプ。そして後から後悔するタイプ。


・ジーナ[Jena] 17歳 162cm

 種族:人間

 髪色:黒色

 瞳色:黒色

 人物像:珍しい黒髪を後ろで縛り、スラリと伸びた体躯と併せ、一見するとイイトコのお嬢様の様にも見えてしまう雰囲気を持つ。

     休日にはマリーとともに甘味処巡りをしている模様。

     二人の仲を、少女は恋人のようだと形容した。


     白ワンピ麦わら帽子は最強。


・コルン [Korn] 15歳 160cm

 種族:亜人

 髪色:茶色

 瞳色:茶色

 人物像:明朗活発、カッコカワイイ顔立ちの、褐色の肌をしている亜人の少女。

     休日には、街にある孤児院へ手伝いに行っている模様。

     持前の怪力を生かして手伝いをし、とても頼りにされているらしい。

     孤児院の子どもたちや職員からは慕われているようで、時たま手作りのおやつを貰ってくることもある。


     貰った鬼まんじゅうはスタッフ(少女)と美味しくいただきました。


・マリー [Mary] 28歳 152cm

 種族:エルフ

 髪色:金色

 瞳色:紫色

 人物像:腰ほどまでに伸ばした金色の髪を持った美幼女。

     休日はジーナとともに甘味処巡りをしている模様。

     ジーナの腕に抱きついているその姿を、少女はまるで恋人のようだと形容した。


     案外、外着はゴスロリの派手な格好。


・ミーク[MeiX] 18歳 169cm

 分類:亜人

 髪色:茶色

 瞳色:茶色

 人物像:イヌ科動物のふさふさとした尻尾と耳を生やした、薄い褐色の肌をした亜人。

     店にやって来た少女を出迎えようとしていたものの、親方から言いつけられた用事を終わらせるのに手惑い、少女と親方の邂逅を許してしまった。

     お饅頭の材料を仕入れたのは親方だ、と捉えられる発言をしていたが、実は彼女が主犯、及び実行犯。曰く、ティンと来た! らしい。

     

     結構丈夫でかなり頑丈。衝撃で床を破壊する拳を受けても怪我一つない。


・親方[] 31歳 180cm

 種族:人間

 髪色:茶色

 瞳色:黒色

 人物像:筋骨隆々の見上げるほどに背の高い偉丈夫。

     店にやって来た少女を当初は不審者と言ったが、後に意気投合。同志と呼ぶにまで至る。

     外見に似合わず、ローザの栽培が趣味。しかし客の大半が素人という現状にやきもきしていた。

     下手なことをいうミークに関節技をかけるのは日常。曰く、本気なら腕くらい引きちぎれるとか。

     商売に関してはシビアな一面を見せる。所見であるお餅を、売れると見たらすぐさま商品化する気概を見せた。


     かつては様々な場所を旅してきた。だまして悪いがをされた事は数知れず。得意技は魔法。外見詐欺とよく言われた。


※以下、登場用語について。

・ローザ

 一部の好事家によって栽培されていた植物。

 長年、難解な栽培法と長い生育期間、広い土地が必要だったことから一般には出回りにくく、シンプルな紅い花しかなかったため、一般での受けはそこまで良くなかった。

 しかし近年、栽培法が確立されて短期間、鉢植えでも生育できるようになった上、突然変異的に発生した複数の色を交配させることで、様々な色合いを持った花を栽培できるようになったことで人気が爆発。現在では多くの店で取り扱われている。

 また、花弁から抽出したエキスを使うことで香水としても使用される。

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