第四話
少女が屋敷で働きだし、そろそろ2週間が経つ。
つい先日、ジーナの下で仕事を習い始めてそろそろ1週間が過ぎようという頃の、その早朝。
「ふぁ…新入りは元気ね。まあ、慣れてるって言ってたから当然なのかしらね?」
ジーナがあくびを噛みしめつつ、隣を歩く少女に話しかけた。
「はい、いつものことですから」
ジーナの言葉に素っ気ない態度で返すが、これは仲が悪いというわけではない。
数日の間、ジーナと共に仕事をしてきた少女だが、仕事をしている間のジーナは口数が少ないことが分かった。
特に、買い物へ行く途中は少女が話しかけても生返事が基本だ。ジーナから少女に話しかける時を除いて、一言二言の返事をして会話を切り上げてしまう。
少女も口数が多い方ではない上、口が達者な方ではない。
気を使う必要も使われる必要もない、ジーナとのこの距離感は嫌いではなかった。
「見えてきたわね。まあ、今日もいつも通りよ」
未だ日が昇らず薄暗い中、少女とジーナは市場への道を歩いていた。
ジーナの言葉に少女は進む先を見る。
この一週間、毎日のように歩いてきた道だ。ジーナに言われなくとも、到着するまでの大体の時間は把握していた。
ジーナが働いている屋敷でマリーが作る一日の食事の材料は、早朝の市場で買い物をすることになっている。
これは『買い置きの生鮮ではない食材で作った料理を主人様にお出しするのは失礼』というメイド長の鶴の一声で、数年前に決定したことだという。
食材を毎日買う手間はあるものの、これによって屋敷の料理レベルは大幅に上がったとかなんとか。
「覚えているわね、新入り。まあ、私も毎回言っているからしつこいとは思うけど」
「ええ『高級品を最も安く、良品は更に安く、粗品はより安く』でしたっけ?」
少女が言った言葉は、買い物をするときに毎回のようにジーナが言っていた言葉だ。
「その通りよ、新入り。食べる事も大事だけど、お金はもっと大事なの。分かる?」
少女は毎日の買い物に同行していたが、このジーナの言葉は初めて聞いた。
ジーナは守銭奴なのだと、少女は思った。
もちろん、少女もお金は大事だと思う。それこそ、お金が無ければ何も出来ないとは思うほどだ。
「良い品にはそれなりにお金を使ってもいいって、そうメイド長には言われてるけど。まあ、お金を使わないのに越した事はないから」
ジーナは企みをしているかのような笑みを浮かべ、少女に振り返る。
少女も、お金さえあればこの場所で働かずに済んだのだから、それには同意見だ。
「そう思わない、新入り?」
「ええ、その通りだと思いますよ」
ジーナが言葉を言い終わると同時に、少女はそう返す。
少女のその言葉に、ジーナは呆気にとられたかのようにポカンとした表情を浮かべた。
「どうかしましたか? そろそろ日も昇りますし、急がないと間に合いませんよ」
少女はジーナを置いて先を急いだ。
二人の影が徐々に伸びていく。それと共に、街には活気が満ちていった。
―――
『タルスのもも肉が43Sでこの量だ! 買うなら今だよ!』
「もも肉がその値段で…それじゃあ、それを3つ下さい」
合計で1.5kgはあるだろう。店主はなめした樹皮に肉を包み、少女に渡した。
それだけでも結構な量だ。それを手提げ袋に入れると、ズシリとした重みが腕に伝わってくる。
『安いよ安いよ! サイラの干物が一尾9S! こっちのカランギの干物は3尾で6Sだ!』
「確かに安いけど…お肉料理がメインらしいので、遠慮します」
少女の言葉通り、屋敷では基本的に肉料理がメインである。たまに魚を使った料理が出るものの、それはスープの具材としてであり、焼き魚や干物が出たためしがない。
加えてこの一週間、新鮮な魚が市場に並ぶこと自体がなかった。輸送もそこまで発達していないのだから仕方ないと、少女は思う。
「これで…終わりかな? ジーナさんもそろそろ終わってるだろうし」
手提げ袋を確認し、担当の品物が揃っていることを確認する。
少女がジーナと分かれ、それぞれ別の場所にいるのは単に効率の問題だ。
最初の数日はジーナと共に市場と回り、仕事内容と大まかな流れを教え込まれたが、それ以降は担当を決めて分かれて買い物をしている。
それに関してはメイド長も特に口出しをしていない。それぞれの仕事は、本当に担当人物に一任されているようだ。
ともかく、少女は食事に使う肉や魚の類を、ジーナは野菜や消耗品と分担をして買い物をしていた。
「でも、こんな市場見た事なかったな。品揃えもいいし、鮮度がいい物ばっかりだし」
少女がこの街に来る前に買い出しをしていたのは、このような様々な商品が陳列された市場ではなく、小さな商店だった。
鮮度のあまり良くない野菜や肉が陳列され、品揃えも悪く、やる気のない適当な店主が趣味でやってるような店だ。
そんな中で、宿屋兼食事処の店主である父から渡される少ない経費の中でより安く、より鮮度の良い食材を買ってこいと言われていた。
自然と食材を見る目も養われてきたのだ。
「けど…レシートが無いのは不便かな?」
少女の元いた場所では、買った商品の値段や日付などの情報が記されたレシートが会計の際に手渡されていた。
しかし、ここでは買い物をした際に逐一メモを取り、それを後で帳簿にまとめる方法を取っている。もちろん、ジーナも少女もこの方法を使っていた。
だが人間、一度楽をすると中々忘れられないものだ。
「新入り、やっぱり速いわね。まあ、仕事を教えたわたしも鼻が高いわ」
背中に数種類の野菜を入れた籠を背負ったジーナが人混みから抜け出てきた。手に持っている手提げ袋にはメイド長から指示された消耗品が入っているのだろう。
「それで、ちゃんとメモは取った? まあ、新入りには迷惑なお節介かもしれないけど」
「はい、問題ありません。マリーさんも待っていますし、急いで戻りましょう」
もしも買った商品の品名や品数、値段のメモを取らなかった場合、契約書の第2条1項2号『買い物の際は、品名、品数、値段のメモを逐一取ること。これを無視した場合、一週間の外出禁止とする』により、普段の業務や週に一度の休日に影響が出てしまうのだ。
「おー! ジーナじゃん! ひっさしぶりー!」
少女とジーナが屋敷への帰路を歩いていると声がかけられた。
「ええ、久しぶりね。どうしたのこんなところで。暇なの?」
「いやいや、大変なのよ。ヘマやらかしちゃって。このお饅頭なんだけどね、そこの―――」
「新しく入ったのよ。紹介が遅れたわ新入り。少し前まで屋敷で働いてた、同期のミークよ。コルンと同じ、亜人ね」
「よろしく、新人さん。ま、挨拶なんて置いといて、このお饅頭買わない?」
コルンよりも薄い褐色の肌、肩よりも長く伸びた黒い髪は日の光が透けて茶色くも見える。
そして、本来耳がある場所には耳がなく、頭頂部には代わりにふさふさしたイヌ科動物の獣耳が目立っていた。
少女よりも少し年上なのだろう、胸には膨らみが目立っている。少女はいたたまれない気持ちになる。そんな女性に話しかけられ、少女の心はささくれ立った。
「すみません。買いたいのは山々なんですが、自分のお金を持っていないんですよ。それに、今はお仕事中ですから」
「ま、あのメイド長が仕事中に許すわけないっか。残念残念」
特に期待していなかったのだろう。その口ぶりからは残念さは感じられなかった。
「で、ヘマって何よ。あなた、なにかしたの?」
「あー…ヘマをしたのは親方。親方が注文して、後から確認したらゼロ一つ勘違いしてたらしくて。ま、それで私が尻拭いをしてるってわけよ」
ふふん、としたり顔で喋るミークはどうにも偉そうだ。
「あの人が? 珍しいわね。で、それはなによ?」
ミークが首からかけた箱に詰められている、曰くお饅頭を指差して言う。
「注文したヤツで作ったお饅頭なんだけどさ。まだまだ余ってるのよね。試しに作って食べてみたんだけど、味はないし、喉に詰まりそうになるし、時間が経ったら硬くなっちゃうし。さっきまで市場回ってきたんだけど一つも売れないの。どうしようもないのよね、これ」
少女はミークの言葉を聞き、箱を覗き込む。そこには見慣れた食べ物が入っていた。
「お餅…ですか? ここにもあるんですね」
少女の見慣れた四角く平らに潰された餅ではなく丸めた餅だが、確かにそれに違いない。
ちなみに、少女は焼いたお餅に大根おろしを乗せて醤油を数滴垂らした食べ方が好きだった。
その他にも、黄粉をまぶしたり、海苔を巻いたり、砂糖醤油を付けたりと、様々な食べ方で食べたものだ。
こちらに来てしばらく食べていなかったが、ここにもあったのかと驚いた。
「お餅って、このお饅頭の名前? 初めて聞いたけど…新人ちゃん、これを知ってるってことは食べ方も知っているのね?」
ずい、とミークが少女に眼前まで迫る。長い睫、キリリとした目鼻立ち、プルンとした唇が艶めかしい。
ミークからは、香しいバラの匂いが漂ってくる。
懐かしい匂いだと、少女は思った。
「え、ええ、知っていますけど…」
「ジーナ、この子借りてくね。メイド長には言っといて」
ミークは少女の右腕を掴む。そして走りだそうとするが…
「げふぅ!」
「ダメよミーク。新入りも言った通り、今は仕事中なの。割を食うのはあなたじゃなくて、新入りなのよ?」
ジーナが左腕を掴み、それを止める。少女は両方から引っ張られ、乙女らしからぬ悲鳴を上げた。
「ちょっとくらいいいじゃない。ね、 新入りちゃん?」
「あの、すみません。お仕事をサボるわけにはいかないので。すみませんが、今日はダメです」
「むぅ…仕方ないわね。それじゃ、次のお休みはどう? ちゃんとお礼もするから」
「お休みなら構いませんけど…私が力になれるかわかりませんよ?」
その言葉を聞き、ミークは少女の腕を放す。
「なんのヒントも無いのよりはマシだからね。それじゃ、今度の休みは…確か三日後だったわよね? その日になったらよろしくっ!」
そう言って、ミークは再び市場向かって歩いて行った。
まるで嵐の様な人だと、少女は思った。
「大丈夫? 新入り」
「ええ、大丈夫で…っ!」
ジーナに腕を触られ痛みが走る。見てみると、ミークに掴まれた箇所が青く痣になっていた。
「ミーク、馬鹿力だから。多分肩も捻ってるでしょ? まあ、わたしが掴んだせいだけど、ああしないと連れてかれてたから」
そう言ってジーナは、少女が落としてしまった手提げ籠を拾う。
「すみませんジーナさん、私のせいで…」
「いいのよ、別に。コルンもそうだけど、亜人は力も押しも強いから。まあ、屋敷に湿布があったからそれを使いましょ」
少女は申し訳なさげに謝り、頭を下げる。それを見たジーナが言った。
そして、屋敷へ歩を進める。
「それに、新入りが謝る必要はないわ。悪いのはミークだけ、私は謝らないわよ」
今日まで一緒に仕事をして確信した。
ジーナの言葉には裏も嘘もない。
心に思ったことをそのまま言っているのだろう。全てが本当で、偽りなど一つもない。
それは美徳だが、欠点でもある。人間社会で生きていく中で、世辞の一つも言えないのでは無駄な軋轢を生んでしまう。それが出来ない不器用な少女。
それがジーナだと、そう結論付けた。
「はい、ありがとうございます」
少女は改めて、ジーナと仲良くなれそうだと思った。
「不思議ね、なんで感謝してるのよ?」
まだ日は低い。
しかし、少女の心のように、暖かな日が昇ってくるのだろう。
※以下、登場人物について。
・少女 [] 16歳 161cm
種族:人間
髪色:茶色
瞳色:茶色
人物像:在住する地域では一般的な茶髪に平凡な顔立ちの、いたって普通の少女。
メイド長の指示により清掃・洗濯から買い物へと配置替えになった。レシートが発行されないことに不満な模様。
ミークが持ってきたお饅頭について何か詳しいらしく、後日彼女の下へ行く約束をした。
好きなお餅は砂糖醤油の海苔巻。
・ジーナ[Jena] 17歳 162cm
種族:人間
髪色:黒色
瞳色:黒色
人物像:珍しい黒髪を後ろで縛り、スラリと伸びた体躯と併せ、一見するとイイトコのお嬢様の様にも見えてしまう雰囲気を持つ。
毎朝毎夕、最寄りの市場へ買い物へ行く事が業務のとなっている。買い物に関しては妥協を許さない。
『高級品を最も安く、良品は更に安く、粗品はより安く』を心情としており、見かけによらずお金にうるさい。守銭奴の気がある。
ミークとは元同僚の模様。珍しく気が合い、仲の良い友人だった。
好きな物はお金。ホントに好き。
・ミーク[MeiX] 18歳 169cm
分類:亜人
髪色:茶色
瞳色:茶色
人物像:イヌ科動物のふさふさとした尻尾と耳を生やした、薄い褐色の肌をした亜人。年の割に発育が良い。
なにやらヘマをして大量に入荷した品物を処理しようとしているらしく、弁当の売り子のようにお饅頭を箱に詰め、市場辺りをうろついていた。
お饅頭について何かを知っていそうな新入りの少女を見つけ、これ幸いとお持ち帰りしようとした。思い込んだら一直線。融通は利く。
元は主人の屋敷で働いていたらしく、ジーナとは仲の良い友人。今でも偶に遊ぶとか。
年の割に幼い感じ。見た目は大人、頭脳は子ども。
※以下、登場用語について。
・市場
主人の屋敷から歩いて数十分ほどの距離の街に立ち上がる、巨大な市場。
朝と夕には数多くの商店が並び立ち、様々な商品が売り出される。中には違法な商品も売っているとか。
屋敷で消費される食品や日用品はここで購入される。同じ商品が別々の商店で売られる事が日常であるが、付けられる値段は大きく異なる。目利きが試される。