影の街
イベントで使用。朗読劇脚本 de す
浮ついた足を確認するように踏みしめながら階段で十二階まで登る。途中には綺麗な女性の写真が貼られていた。そして、頂上に着いた。街を、見下ろす。「なにこれ……」
年末から年始に掛けて大きな休みができたので婚約中の彼をつれて,東京から山形にある私の実家へ帰ることにした。朝出発して2時間ほど過ぎ、今はちょうど昼時だ。私は車の運転を彼に任せて車の窓から外の風景を漫然と眺めていた。
3年前、私の両親は新居を建て、長年の長屋住まいから引っ越した。親の歳ともなると家の一軒も持っていなければならないのか子供のように喜び、親類一同を招きよせて、お披露目まで行った。
しかし、そんな親のはしゃぎぶりとは裏腹に私はあまり喜べなかった。私の思い出はあの家にあったからだ。そしてここ3年は何かと忙しく実家には帰っていない。お披露目にも出ていない。時間を作れないことも無かったが、あえてそうはしなかった。しかしここのところ両親が帰って来いとうるさく、ちょうど時間もできたので3年ぶりの帰郷となった。
あいかわらず国道沿いの景色はつまらない。
彼が急にハンドルを切った。どこへとも続くともわからないわき道へそれたのだ。
「どこ向かってるの?」
「お腹がすいた。むこうに看板が見えたんだよ。多分食堂か何かあると思う」
このまま山形へ向かえばそのうちコンビニくらい出てくるだろうにと少しあきれる。しかし、こんな都市から離れた辺鄙な場所で、一体どこにそれるのだろうという?
それから、幾分か車を走らせ、住宅街に入ったのか、ようやく家や建物がちらほら見えてきた。窓の外を眺めていた私は妙な雰囲気を感じる。
「何か変なところだね」
どうも普段見るような家と違うというか、どことなく古くさい印象を受けた。プレハブの家があったり中には江戸時代の木造長屋のようなものもあったりした。そして、そのすべてが霞みかかって不明瞭のように感じた。
「そうかな?」
彼は特に気にならないらしい。まぁ、地方の光景と言えばそうなのかもしれない。それに私は何故かこの街の雰囲気が心地よかった。故郷でもないのにどこか懐かしい郷愁を感じさせるこの街……。しばらくこの街で休憩してもいいような気分になり、私も特に気にしないようにした。
しかし次に見えてきた光景には少なからず驚かされた。広く、整備された道路に出たところで注①煉瓦作りの建物達が現れたのだ。街の向こうには塔のようなものも見える。外国に来たような錯覚を覚える。
唐突に現れたような煉瓦街は、しかし、閑散としていて物悲しい。
「なんか……レトロだけどいい雰囲気じゃない? それにここなら食堂の一つでもあるでしょう」
そう言って彼は車を走らせる。そして数分後。彼の目的としていたような店は見つからなかった。それどころか私は気づいてしまった。彼も気づいたのか言葉が少ない。
「ねぇ……街に入ってからどのくらいたった?」
「……30分くらいかな」
「いままで誰か、人、見た?」
「……見てない」
そう、ここに来るまでの30分間、一人として人を見ていないのだ、それどころか車も走っているところを見ていない。あきらかにおかしいこの街の中で私達が取り乱さないでいるのはこの独特のノスタルジーのせいかもしれない。
それに人の気配は感じる。見えないだけとでも言うべきなのだろうか。
「とにかく、来た道を引き返して国道に戻ろう……」
疲れたようなおびえているような声で彼がそう言った。
注③ムーランルージュと看板に書かれた劇場を走りぬけ、注④刑務所のような物々しい建物を通り過ぎ、注⑤五重塔が建っている寺院を通り抜けてもなお、抜け出すことはできない。あの煉瓦街でさえ見つからなかった。
「どうなっているんだよ……」
彼が独り言をつぶやく。出口など最初から無いかのような歪な街をさまよう。私もどうしていいのかわからずただ窓の外を眺めていた。
「それに何か聞こえないか……ささやき声みたいなもの……」
「ささやき声……?」
人の気配はするが声は聞こえなかった。
「この街に来たときから変だったんだよ……」
彼はそれからも出口を求めて車を走らせた。しかし、どんなに走らせても出口は見えなかった。彼は目を炯炯とさせている。
「……あの塔みたいなところに行って街を見下ろせば何かわかるかも……」
私は街に入ってきたときから見えていた塔を指して言った。塔は当たり前のように立っているがこの街で最も不自然に思えた。
「そうだね」
そう答える彼の目はうつろだった。
注⑥瓢箪のような形の池を過ぎ、私達は塔に着いた。掲げられている看板を見て私は目を疑った。右横書きに注⑦凌雲閣。しかしそんなはずはない。確か凌雲閣は浅草にあった塔で今は残っていないはずだ。今、目の前にあるこの塔はありえないはずだった。
私はもう動きたくなかった。しかしそれでも塔の中へ入っていったのは招きよせられたからと言ってもいいかもしれない。恐怖とそれを包み込む懐かしさが心地よかった。
浮ついた足を、確認するように踏みしめながら階段で十二階まで登る。途中には顔のつぶれた女性の写真が貼られていた。そして、頂上に着いた。見下ろす、街。
「ちょっと待って、これ……(前にも同じことが)」
そこは果てなく増殖している街の全貌だった。そしてふと思った。ここは街の幽霊なんだと。人の思い出がこめられた幾つもの建物が群れをなして街を形成しているのだと思った。この街は生きていて、今も増殖している。
そのとき彼が突然悲鳴を上げて走り出した。発狂したように階段を駆け下りていく。私もあわてて後を追うと、すぐ下で彼が床にうずくまっていた。その手足を見てぎょっとする。ぎちぎちと木のようなものに変形したからだ。イスの足のように見える。きっと街に侵食されているのだと思った。この街に生きた人間はいられない。街の一部に取り込まれてしまうのだろうと思った。この懐かしさは餌なんだ。
そう理解したとき声が、聞こえた。
さやさやと。それはささやき声だったが確かに聞こえる。周りを見ても誰もいない。しかしささやき声は私の見えないところから私に迫ってくる。さやさやと。わたしは変形していく彼をおいて走り出した。地上へ降り、車にも乗らずただ走り続けた。私も街の一部になってしまうのだろうか? その考えの心地よさを必死に否定しつつ走り続けた。さやさやと。声はしかし、確実に私を追い詰めている。いつしか、私は住宅街に入った。近くにあった商店街を通り抜ける。客のいない床屋を通り抜ける。あの公園を通り抜ける。そして近所にあった友達の家を通り抜ける。走った先は行き止まりで、そこには、私の家があった。ささやき声はもう聞こえない。
私は家と対峙した。
壊された私の知っている私の、家。私をここの一部にしたいのか私がそこの一部になりたいのかが判然としていてわからない。私は、浮かれている。
ドアノブをまわした。
中は見慣れたあの玄関、はなく。ただの、何もない、真っ暗闇だった。そして、その暗闇がニタッと笑った。
国道沿いに留められた私達の車を警察が救出した。ガードレールに突っ込んでいた私達の車を誰かが通報してくれたからだった。私はたいした怪我も無かったが、彼は入院。命に別状はないらしいが打ち所が悪かったのか植物状態とのことだったが、彼の安らかな顔をみてわかった。彼はあの街の一部となったのだ。思い出が漂うあの街で郷愁の一部になったのだ。私がなぜあの街から抜け出せたのかはいまもわからない。しかし彼の安らかな顔を見ると、憎憎しく、嫉妬を覚えることがある。今年は帰ることができなかった、来年は帰るようにしようと思う。
了
注釈
注①『煉瓦作りの建物達』
『銀座煉瓦街』 1872年(明治5年)の銀座大火の後、都市の不燃化を目指して煉瓦造により造られた街並みである。関東大震災で壊滅。当初、煉瓦作りの家は青膨れになって死ぬという噂で人が全く住まなかった。
注②『白木屋』(※改稿によりボツ)
『日本橋 白木屋』江戸三大呉服店の一つで日本の百貨店の先駆的存在の一つ。1999年閉店。1931年の火災で日本女子にパンツを普及させたとも言われる。株式会社東急百貨店として法人として今も続いている。
注③『ムーランルージュ』
『ムーランルージュ新宿座』
かつて東京・角筈に存在した大衆劇場。1951年閉館。跡地、現新宿国際会館ビル
注④ 『刑務所のような物々しい建物』
『巣鴨プリズン』
第二次世界大戦後に設置された戦争犯罪人の収容施設。東条英機やゾルゲもここで死刑になった。1958年最後の戦犯を解き放ち閉鎖。跡地、現池袋サンシャインシティ。英機の霊とか出る心霊スポットと化した。
注⑤ 『五重塔』
『谷中・五重塔』
台東区天王寺にあった五重塔。1957年心中による放火で消失。
注⑥『瓢箪のような形の池』
『瓢箪池』
1884年一区から七区まで区画された浅草六区にあった瓢箪型の池。浅草六区は歓楽街として栄えた。
注⑦『凌雲閣』
『凌雲閣・浅草十二階』
明治に建てられた12階建ての塔。別名浅草十二階。日本初の電動式エレベーターを導入するが故障が多く翌年稼動停止、しかたなく階段で上る人のために芸妓の写真を壁に貼り付けた東京百花美人鏡は日本初のミスコンとなるなど話題に事欠かない。関東大震災で半壊。その後すぐに取り壊される。跡地、現パチンコ屋。