1話
「嘉島さんの漫画ってちょっと怖いよね〜人バンバン死ぬしエグいし。」
「つか絵柄がちと古いしダサイ」
「ハードボイルド(笑)」
「懐古主義すぎなんだよな」
美術大学時代に入っていた漫画サークルで、嘉島は自分の大好きなハードボイルドなアクション漫画を描いていた。流行に敏感な若い世代ではファンタジー系ゲームや少年向けのバトル漫画が流行っていて、サークルの友人たちは嘉島の作品をロクに読まずに陰で馬鹿にしていた。それを偶然聞いていた嘉島は皆に読んでもらって意見を聞こうとしていた新作の原稿を燃やして、別のジャンルにもチャレンジするようになった。結果的に作品の幅は広がったが、少し人が嫌いになった。
ガクッと視界が暗くなり、なんだか嫌な気分になる。
「もう貴方とはやっていられないわ」
「タカコ…」
「ユウタの面倒は私がちゃんと見るから安心して。」
嘉島から少し疲れた顔をした女性が小さな男の子の手を引いて去って行く。大学卒業後入ったデザイン事務所で出会ったその女性は、仕事ばかりにかまけていたためか、嘉島から離れていった。妻子を養うために仕事をしたのに、女なんて、と酒と仕事に逃げた。
グルリ、グニャリと視界は変わる。
「独立かー!うん、お前ならやれるさ。」
「ありがとうございます!お世話になりました!」
嘉島は10年勤めた事務所を辞めて独立した。しかし経営は軌道に乗らなかった。いつも仕事は上手くいかなかった。潰れて借金をした。結婚も考えていた女性とはその時に縁を切った。あとで前の事務所が嘉島の邪魔をしていたという噂を聞いたが、証拠は見つからなかった。
また視界が変わる。
「え?担当?俺にですか?」
「はい、送っていただいた原稿は…奇を衒いすぎている所もありますが、ここまで描き上げられる新人はそういません。絵は綺麗で読みやすいですし、連載を狙えると思っています。」
原点回帰、好きなことをしてみようと、漫画を描いた。酒を飲み判断力の低下した状態で、勢いにまかせて有名な出版社に送ったら、担当編集が付くことになった。
フワッとした浮遊感のようなものを感じ、場面が変わる。
ギリシャ神話の女神のような姿の、ゲームから抜き出てきたようなリアリティのない美女が、十年以上前に購入したヤニ等で黄ばんでいる冷蔵庫と頑固な油汚れの換気扇をバックにして、嘉島に微笑む。やけに神々しい美女の立ち姿と、それには似つかわしくない男のさみしい一人暮らしの部屋。アンバランスでミスマッチでシュールな組み合わせだと嘉島は少し笑った。
フワフワとした定まらない視覚とシチュエーションに、自分が夢を見ていることを自覚する。
「あなたが落としたのは、この『トーンの貼り終わった原稿』ですか?それとも『明後日の締め切り』ですか?」
「いいえ、私が落としたのは『貴女の心』です」
「そんなユーモア溢れる貴方にはこの『漫画家超越セット』を差し上げましょう!」
「わーい、やったー」
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「嘉島!おい!起きろ!締め切りは明後日だっつうのに何呑気に腹出して寝てやがる!」
田畑は、眠る嘉島國男の腹を蹴飛ばした。
「ふグォッ!?
あ、たばたさん、おはようございます」
「おはようございます、じゃねえよネームも上がってねーのに何やってんだテメエ。アニメ化決まって調子乗ってんのか?ああ?」
ドスの効いた声に、柄シャツと縦縞スーツ、鋭い眼光、角刈り、サングラス。田畑は到底カタギには見えないが、大手出版社、熊川書房の看板少女漫画雑誌『月刊シュシュ』編集部に席を置く敏腕編集者である。そして眠っていた中年男性、嘉島は『月刊シュシュ』で好評連載中の『風走る夢』の作者『由比ヶ浜絵里』その人である。
『風走る夢』は甘く切ないストーリーと美しい作画が幅広い年代に支持され、業界全体の漫画の賞『まんがレコード』を受賞、アニメ化も決定、実写映画化の話も出ている超人気作品だ。顔を絶対に明かさず私生活も見せない、アシスタントも雇わない漫画家であるため、そのミステリアスさも話題の一つとなっている。一部では現役美少女高校生だと噂されている。
実際の『由比ヶ浜絵里』は42歳にもなるいい大人である。世間には夢を壊さないため——商品価値を下げないために——伏せられている。嘉島が当時コンビニの雇われ店長だったためにあまり役に立っていなかった美大卒の画力を活かし、ちょっとしたウケ狙いで青年誌に載せるような内容の少女漫画画風の読み切りを一本描きあげたことから生まれた、中年の悪ふざけの塊だ。
熊川書房に酒に酔ったその場のノリで原稿を送ったところ、妙にウケて引き摺り込まれてしまったことで、嘉島の人生は大きく変わった。まさかこんなハードな上に自堕落な生活を送ることになるとは思ってもいなかった。
「ああ…ネーム…」
ゆっくりと嘉島は起き上がる。嘉島の眠っていた煎餅布団の枕元には、缶チューハイとビールの空き缶、灰皿にこんもりと盛られた吸殻、そして散乱したネーム。寝ぼけている嘉島の様子に頭痛がする田畑はサングラスをずらし眉間を揉む。
「この生活環境とお前の髭面で、ファン泣くぞ?」
「熊川組の若頭のことを見ても泣くと思ブへらッ!!」
田畑は自分の持っていた革の鞄で嘉島の横っ面を引っ叩いた。
「あ゛?」
「いや、なんでもないです」
「眠ってる暇があったら原稿しろコラ」
「うっす」
田畑に度々怒鳴り散らされながらも、持ち前の描写速度で締め切りまでに一話描きあげた。最初からその速度で描け、と柄の悪い編集者は嘉島を小突きながら原稿を持って去っていった。
「うん、そうだよな?田畑さんに原稿渡して、近所の銭湯行って…行って…?どうなった?どこだここ?」
窓もドアも家具もない明るい四畳半程の真っ白な部屋。銭湯に出掛けた時と同じ、白いTシャツにグレーのスウェット、青い半纏、健康サンダル、いつもの無精髭という出で立ち。部屋の中央には画材屋で売っている初心者向けの漫画用画材セットのようなものが置いてあり、嘉島はその前に正座していた。
「…いつの間にか意識飛んで、夢でも見てるってことか?」
——しかし、現実味は無いが夢にしては妙にリアルな感覚がある。
ここがどこなのか、自分がどういった経緯でここにいるのか、まったくわからないが、手がかりになりそうなものは目の前の胡散臭い漫画キットだけである。
「まんがか ちょうえつ せっと…?」
透明なプラスチックのケースに原稿用紙やペン軸などが入っているのがわかる。パッケージには『漫画家超越セット』『超絶わかりやすい解説冊子付き!』と書かれていた。どこか聞き覚えのある言葉だと嘉島は首を傾げる。パッケージに描かれていたどちらかと言えば萌え画風のギリシャ神話の女神のようなキャラクターのイラストにもどこか既視感を覚えたが思い出せない。
「はー…俺のことこんなところに閉じ込めてもいいことねーぞーこんちきしょーめ。田畑さんか?ヤーさんだしなアレ。熊川組ならこれくらいの無茶しそうだし…あーあ、絶対辞める、由比ヶ浜絵里なんて辞めてやる…次はホワイト企業だと噂の結城出版に持ち込もう…こんな年になっちまったからマトモな職への再就職きついしな…」
ブツブツと独り言をしつつ、閉じ込められていることについてのたった一つの手がかりである『漫画家超越セット』のケースを開いた。一見普通のコミック用画材の数々がケースの中には入れられていた。原稿用紙、ペン軸に各種ペン先、ミリペン、黒マーカー、修正液、色々なスクリーントーンとデザインナイフ、鉛筆、消しゴム、練り消し、各種定規…ごく普通の画材ではある。唯一異質だった『解説冊子』を手に取った。
勢いで書きはじめてしまった…!行き当たりばったりで書いていきます。