犬も食べません -”呪われました”の5作目-
植物で編み込まれた素材で組み合わされた床に、膝を折り曲げてズボンを履いた少女が座っています。目の前の低い机の上には紙で作られた本が広げられています。内容は何かの物語らしく、奇麗な挿絵に添えて、文章が綴られています。
それを見ながら、横に置いた白い紙の上に、動物性の体毛を束ねて、それを細長い植物製の柄の先に付けたものを右手に持ち、その先の毛の束を、黒っぽい石のようなものでできたパレットの中に入った黒い液体に浸して、見本と同じ文字を書き写していきます。
「できました、先生」少女は部屋の奥で本を呼んでいた、初老の人に声をかけます
「どれどれ、ほうほう、やはり、シルフィさんの字は奇麗ですね、良く書けています」黒い塗料、”墨”の濃淡が奇麗な可愛らしい文字を読みながら、先生、この”神社”の”神主”であるヤマトさんは言いました。
「面白いですね、この”筆”と”墨”で文字を書くというのは」にこにこと笑いながら、植物素材の床”畳”に座る少女さんです。
「ええ、なかなかに、奥が深いのですよ、墨で文字を書くというのは、私のお国では”書道”という一種の芸術に昇華されているそうです……それにしても三日で古語を含めた、私の母国語をほとんど習得するというのは、凄いですよ、シルフィさん」
「へへへ、教え方が良いおかげだと思います」
「これなら、書庫にある資料はほとんど問題なく読めますね、あまり夢中にならないのなら、自由に読んでかまいませんよ」
「ありがとうございます、先生」にぱりと笑う、銀髪の少女さんです。
シルフィさんはみため10歳を越えたくらいの可憐な少女さんであります。その実態は……やはり見た目相当の年齢ですが、ちょっと呪われています。
生き物にはすべてレベル(level)というものが存在し、日々の生活で過多はあるものの、経験を値として積んでいき、そのレベルが上昇して成長していきます。しかし少女シルフィはその経験の値が日をまたいでは蓄積されないのです。
なので、生まれてから長いあいだ、1レベルのまま成長しなかったのですが、いろいろあって、ビリー"師匠"と出会い、”怪物”を効率よく狩れるようになり、同日の内にいくらかレベルが上げられるようになりました。そうなると、レベル上昇による格能力の補正が入るようになりました、しかもその補正は呪いによりリセットされませんでした。つまり、毎日レベルアップが繰り返され、能力補正がどんどん上昇することになったのです。
そして、その上昇する能力には当然、学習に必要な集中力や記憶力、理解力が含まれていまして……結果として、一種の天才のような人物になってしまったのですこのシルフィさんは。
現在は一般的な読み書き(英語のようなもの)といっしょに、ヤマトさんの国の古語を含めた言語を一通り、凄い勢いで習得してしまいました……まあ、ヤマトさんも、あまり世事には疎いので、一般常識は今ひとつなままですが。
「よー、今日も来ているのか少女さん」へらっと、青年のナギさん登場です。今日もスーツがきまっています。美形なんですが、なんだか、軽い雰囲気なのが、色々台無しな気がします。そのままさわさわとシルフィさんの頭をなでます。実は、このかたはれっきとした神様で、ここの神主であるヤマトさんが崇め奉っている存在ですが……やはり、色々台無しです。
「『こんにちは』ですね、ナギさん」こちらもにこりと笑いながら少女がかえします。
「おお、かなり流暢な発音になってるじゃない?すごいねー」少し驚きながらナギさんは言いました。
「こんにちはナギさま、しかし結構な頻度でこられていますが、御勤めは大丈夫ですか?」ヤマトさんがにこにこと笑いながら聞きます。
「まあ、隠居した身だしねー、気楽なもんですよ」にへらとナギさん。
「……奥様が気にされないのですか?」そのまま笑顔でヤマトさんが言います。ビビクッと身体を震わせるナギさん。
「だ、大丈夫、なはず。バレていないから」引きつった笑みのナギさんです。
「いえ、秘密にしている段階でダメじゃなかろうか?」冷静に指摘するヤマトさん。
きょとん、とした目でそれを見ているシルフィさんです。
「いいから、初代は、お茶の用意でもしておきたまえ」
「はいはい、分かりましたよ、じゃあ、シルフィさんまた後で」
「はい、先生」ヤマトさんは”畳”の部屋からスライド式の表面に紙を張ってある扉を開けて出て行きました。
「さて、じゃあ、お嬢ちゃん。お兄さんと『お医者さんごっこ』をしましょうか」にへらと笑いながら、ナギさんは言いました。
「はい」にぱりと笑いながら可憐な10歳ほどの容姿の少女が応えます。
「じゃあ、胸とお腹を見えるようにしてー」ちょっと真剣な目をしたナギさんが言います。少女はこくりとうなずいて、服に手をかけます……
***
「ほう」
ナギさんが丁寧に”診”ている時に、どこからか、女性の声が聞こえます。壊れた仕掛けのように、こわごわと、首を回してその声を発した方を見るナギさん。そこには、黒いスーツに身を包んだ、大柄な大人の女性が腕組みをして、立っていました。
「いや、その、違うんだ!」慌てふためくナギさん。
眼光鋭くにらんでいますが、それでも美人と分かる女性に、対して弁明を試みます。
「常々、下半身に節操がないと思っていたが、とうとう幼女愛好まで範囲を広げたか、この駄神が……」
「だからね、違うのよ、これはね事情があってね!」
さて、客観的に見てみましょう。現在の状況です。年端もいかない少女を半裸にして、その胸に手をあてて(触診していました)いる、軽薄な雰囲気の青年。相手の少女は何をされているのか分かっていなそうで、無垢な笑みを浮かべています。(診察で、他意は無いことを知っているだけですが)
「……有罪(guilty)ですね」迫力ある笑みを浮かべる女性。
「僕は無罪(not guilty) ですナミさーん!」
ナミさんと呼ばれた女性から、凄みが増し、その怒気が物理的な圧力を感じられるほどになります。ナミさんの足下の”畳”が腐っていき、その範囲が広がっていきます。
ナギさんはその場に立ち上がり、怒気をまき散らすナミさんに対して手を向けています。腰が引けています。
シルフィさんは咄嗟に後ろにさがり、はだけていた服をもとに戻して、腰に着けている”拳銃”のグリップに手をかけます。
「あー、やはりこうなりましたか」シルフィさんの横に、お盆の上に”お茶”をのせてのほほんとヤマトさんが登場です。
「どなたなのです?」
「ナギ様の奥様で、ナミ様とおっしゃられます。さて、これ以上汚されたら困りますからね」と、お盆をシルフィさんに渡して、柏手をひとつうつ、ヤマトさん。
すると、ナギさんとナミさんを中心に、部屋が消えて、代わりに草原の風景が広がり、同時に、すうっと、シルフィさんとヤマトさんの位置がナギさんナミさんから離れていきます。
「”異界化”と”結界”の合わせ技です。わかりますか?」
「はい、先生。だいたい見えています。凄いですね」きらきらと尊敬の目を向ける少女さん。
「さすがですね、良い眼をしています」にこにこと笑いながら褒める神主のヤマトさん。
***
「ミツルシヨ」冷たい宣言と共にナミさんの周囲が空間ごと”死”へと成り代わってきます。
「うわわ、『うめよふやせよちにみちよ』!」対応して、叫ぶナギさんです。それに対して「ああそれうちの(教え)じゃないですよ?」ヤマトさんの冷静なツッコミが入ります。
必死になっている軽薄な青年のナギさん、その周囲に泥でできた”ひとがた”が無数にわき上がります。その数はおよそ千と五百。しかる後、迫力ある女性の死の波動で千体ほど土に戻っていきます。差し引き五百ほどの土人形がひと呼吸ごとに増えていきます。そして、ぞろぞろとナミさんに迫ります。
「『いかずちがみ』よ」冷静に唱えるナミさん。黒いスーツを身にまとった身体の上に八匹の蛇がまとわりつき、その口より雷が周囲へとまき散らされます。土人形は次々に崩れ落ちていきます。
「よい機会です、よく見ておくといいですよ」
「はい、先生」
お茶を飲みながらのんきに観戦する、ヤマトさんとシルフィさん。時折流れ弾のように飛んでくる雷撃を冷静に”拳銃”の”魔弾”ではじいたり、ヤマトさんが人差し指と中指を立てた手で(刀印と言います)祓います。
「あれが、力の無駄遣いというものです」
「ほんとですねー」ほのぼのとしたものです。
***
「まことに申し訳ありませんでした」美人の黒スーツの女性が、頭を下げています。隣りにはぼろぼろになったもと軽薄な青年、現在は生きている屍がだらりと首根っこを掴まれて立っています。
「大丈夫ですよ、ナミ様。幸い早めに”FGK(夫婦喧嘩用結界)”を発生させましたので被害は最小限でしたし、”死”んでしまった内装はあとでナギ様に治していただきますから」にこにこと笑いながらヤマトさん。
「ええーと、治すのはやぶさかでは無いんですけど、なんだか釈然としないなー」屍が復活したようです。さすがに生きることが得意なお方です。
「結局勘違いだと分かったんだし、謝罪の一つも……、いえいいです」凄い勢いで睨みつけてくる迫力ある美人さんに、ひるんだ軽薄な青年さんです。
「そもそも、誤解されるような普段の言動が問題なんだ」強い口調でナミさん。「そもそも、あなたはさぼり過ぎなのです、いかに”写し身(avatar)”だといってもホイホイとですね」
「うー、うるさいなー。大丈夫だよ、こちらはかなり世界が”緩い”から」
「だからといって!」
「うんごめんなさい、寂しい思いをさせて、愛しているよ」真顔で言うナギさん。顔立ちは普通に美形なので、かなりの破壊力です。
「ば、ばか、いきなり何を……」赤くなって撃沈するナミさんでした。
「どうして?僕の偽りない、素直な気持ちだよ。愛しているよナミさん」
「わ、私も愛しているぞ、だだけどだな、そういうのは二人きりのときにだな……ほら、子供も見ているしな」もじもじとするナミさんです。
「ええと、おかまいなく?じゃなくて、席をはずしましょうか?」妙に顔を赤くしながら、シルフィさんが言います。
「子供が、妙な気を使うものじゃありませんよ……はいはい、そういうことはお家に帰ってからやってくださいねナギさま、ナミさま?」ヤマトさんがまとめます。
赤い顔を俯けさせるナミさんでした。
やはり、犬も食べませんでした
とある二柱の夫婦の危機はさり、今日も平和に日が暮れていきます
***
「それで、シルフィさんはどうですか?」ヤマトさんが帰りがけのナギさんに聞きます。
「呪いの影響だろうね、成長が非常にゆっくりになっている、それに、たぶん数年で身体の成長は止まって時の循環に囚われるんじゃないかな?」
「そうですか」ヤマトさん表情は黄昏時の薄やみに隠れて見えません。
「このままなら、やることやっても、子供も生まれないよねー。ある意味都合が良い……」にへらと下品に笑うナギさん……の後ろに怒気をまき散らす大柄の女性が立っています。
「あー、未遂ですよね」振り向き、引きつった笑い顔のナギさん。
ニッコリ笑いながら奥様は言います。
「有罪(guilty)」親指で、首をかっ切る仕草です。
かーん、と、どこか遠くからゴングの音が響きます。
2ラウンド目の始まりです
やっぱり犬も食べません
世界の平和はまだ、少し遠いようです